真田丸の感想をさぼっていたら、今日でもう第九回となりました。
そこで、本日は前回、第八回の「調略」の感想を。。
毎回出演者が消えていくこのドラマ。この回では春日信達さんが、昌幸パパの調略に見事ハマってお亡くなりになりました。
そして、信濃の国は自分たちで守って行こうという展開になるのですが、このとき、昌幸パパはこう言っています。
「信濃は元々武田の領地。武田の家臣が守らんでどうする」と。
そりゃそうですね、と思いたいですが、私としては納得がいかないこのセリフ。
というのも、私自身、佐久地方の出身だからでしょうか。
現在の長野県は大きく4地区に分かれており、私のいるところは東信地区と呼ばれており、佐久市や上田市、小諸市が含まれています。東信地区と行っても、戦国時代の情勢のことを考慮すれば、同じ地区であってもバックグラウンドが大きく異なる点が多いです。
もともと真田家は昌幸パパのお父さんの時代にいろいろあって、武田家についていた方が得、ということで武田家の家臣になったようです。でも佐久地方は有力な国衆などがいなかったからかもしれませんが、武田家についたという訳ではなかったようです。
そして武田信玄の諏訪攻め、佐久攻めとなるのですが、このとき、佐久地方の人たちは信玄に対して、かなりの抵抗をし、なかなか信玄もこの地方を平定出来なかったと言われています。そのため、信玄もかなり残忍なことを行って、城を攻め落としたと言われています。
その一つの例が、佐久市にある志賀城です。女子供は奴隷として売り払い、生首3000個を並べて敵兵を威嚇したという話が残っています。新田次郎さんの小説にその辺のところが詳しいようです。今の大河で家康役の内野さんが主役していた大河ドラマ「風林火山」で、ここらへんの佐久攻めの様子が良く描かれていたと思いますが、生首の描写があったのかどうかは覚えていません。
その新田次郎さんの小説の中に、「叛く佐久を殺せば佐久は限りなく叛くでしょう。佐久の人ことごとく叛いて死に絶えても、草木が武田に叛くでしょう」という一説がありますが、それだけ信玄の弾圧がひどかったのか、佐久地方の人々が限りなく信玄に抵抗したのか。。。
歴史的な事実は詳しくはわからないのですが、真田家は武田家に佐久地方に起きたような戦もなしに、家来になったんでしょう。そして、その頃に昌幸パパが生まれているようです。人質として昌幸パパは幼い頃から武田家の元にいたようです。
でも佐久地方は信玄にこっぴどくやりこめられ、仕方なく家来になったということが大きく違います。
そのような歴史的DNAを抱えている佐久地方の人々ってあまり山梨県に対して興味を持っていないと思います。
「山梨?どこそれ?」「ほうとう?なにそれ?」という状態。山梨より長野の方が偉いと思っている風潮があります。
ドラマで流行っているから甲府まで、というのもあまり聞いたこともありません。
そういうこともあって、今回の昌幸パパのセリフに若干違和感を覚えてしまった「調略」でした。
長野県と言っても山々に遮られているので、県民の気質はかなり違います。
中南信地区では、信玄とは話し合いで、という状態だったようで、武田信玄のことをあまり悪く言う人はいないようです。
そこで、本日は前回、第八回の「調略」の感想を。。
毎回出演者が消えていくこのドラマ。この回では春日信達さんが、昌幸パパの調略に見事ハマってお亡くなりになりました。
そして、信濃の国は自分たちで守って行こうという展開になるのですが、このとき、昌幸パパはこう言っています。
「信濃は元々武田の領地。武田の家臣が守らんでどうする」と。
そりゃそうですね、と思いたいですが、私としては納得がいかないこのセリフ。
というのも、私自身、佐久地方の出身だからでしょうか。
現在の長野県は大きく4地区に分かれており、私のいるところは東信地区と呼ばれており、佐久市や上田市、小諸市が含まれています。東信地区と行っても、戦国時代の情勢のことを考慮すれば、同じ地区であってもバックグラウンドが大きく異なる点が多いです。
もともと真田家は昌幸パパのお父さんの時代にいろいろあって、武田家についていた方が得、ということで武田家の家臣になったようです。でも佐久地方は有力な国衆などがいなかったからかもしれませんが、武田家についたという訳ではなかったようです。
そして武田信玄の諏訪攻め、佐久攻めとなるのですが、このとき、佐久地方の人たちは信玄に対して、かなりの抵抗をし、なかなか信玄もこの地方を平定出来なかったと言われています。そのため、信玄もかなり残忍なことを行って、城を攻め落としたと言われています。
その一つの例が、佐久市にある志賀城です。女子供は奴隷として売り払い、生首3000個を並べて敵兵を威嚇したという話が残っています。新田次郎さんの小説にその辺のところが詳しいようです。今の大河で家康役の内野さんが主役していた大河ドラマ「風林火山」で、ここらへんの佐久攻めの様子が良く描かれていたと思いますが、生首の描写があったのかどうかは覚えていません。
その新田次郎さんの小説の中に、「叛く佐久を殺せば佐久は限りなく叛くでしょう。佐久の人ことごとく叛いて死に絶えても、草木が武田に叛くでしょう」という一説がありますが、それだけ信玄の弾圧がひどかったのか、佐久地方の人々が限りなく信玄に抵抗したのか。。。
歴史的な事実は詳しくはわからないのですが、真田家は武田家に佐久地方に起きたような戦もなしに、家来になったんでしょう。そして、その頃に昌幸パパが生まれているようです。人質として昌幸パパは幼い頃から武田家の元にいたようです。
でも佐久地方は信玄にこっぴどくやりこめられ、仕方なく家来になったということが大きく違います。
そのような歴史的DNAを抱えている佐久地方の人々ってあまり山梨県に対して興味を持っていないと思います。
「山梨?どこそれ?」「ほうとう?なにそれ?」という状態。山梨より長野の方が偉いと思っている風潮があります。
ドラマで流行っているから甲府まで、というのもあまり聞いたこともありません。
そういうこともあって、今回の昌幸パパのセリフに若干違和感を覚えてしまった「調略」でした。
長野県と言っても山々に遮られているので、県民の気質はかなり違います。
中南信地区では、信玄とは話し合いで、という状態だったようで、武田信玄のことをあまり悪く言う人はいないようです。