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東日本大地震 -- 仙台空港が運営再開した頃、その場所に行っていました。

2018-03-11 12:23:24 | 災害
7年前、東日本大地震で大損害を受け、営業できなくなっていた仙台空港がその営業を再開した頃、私は仙台にいました。
ゴールデンウイークの頃だったでしょうか?3.11からは既に1カ月以上が経っており、地元の生活も普通に戻って来つつある頃です。内陸部の住宅街などは殆ど被害がなく、全く普通。唯一、スーパーの大きな窓ガラスが壊れていてブルーシートに覆われていたところに、地震の被害を感じることが出来ました。
また、近くのゴルフ練習場は普通に営業しており、一部ではほぼ普通の日常生活が営まれているのに驚いた記憶があります。

が、仙台市内を走っている仙台東部道路を走って行くと状況が一変して来ました。
高速道路を挟んで、海側と陸側では景色が違う。恐らく、津波はこの高速近くまで来たのではないのかと思われるところも見受けられました。そこかしこに、放置されている津波の被害を受けた自動車も多く確認でき、津波の被害の大きさに改めて驚きました。

そして仙台空港へと向かったのですが、空港まで向かう道は幅広い道路が続いています。津波から既に1カ月半も経っているため、道路にはがれきは全くありません。自衛隊の車両が多く見かけた事も印象的でした。
が、道路周囲には殆ど何もなく、所々に以前はレストランであったろう建物の姿が確認できます。また、周辺の空き地には建物のがれきやら車のがれきなどがうず高く積み上げられていたのも印象的でした。

しかし、高い建物の姿は全く確認できません。

スクラップのようになってしまったレストランであったろう建物の姿を見ると、津波が来た時、ここにいた人は一体どうしたんだろうと思いを馳せてしまう。空港周辺はほぼ平地しかありません。高い建物もありません。
海から1kmくらいしか離れていない仙台空港。当時、3メートルの高さの津波がこの空港ビルを襲ったんだそうです。
そんな状況で、空港周辺の平地にいた人は、津波から逃げることなぞできたのでしょうか❓


空港に到着した1番機。朝日新聞デジタルより

そんな事を思いながら、空港周辺の道路を走っていたのを記憶しています。

また、今だったらスマホで写真を撮って、なんて事も考えられるのですが、当時は全くそんな気持ちすら抱けなかったです。ただただ周囲の光景に圧倒されて。。

地震だけだったら、津波なんてなかったら、、、と何回も思いました。が、空港での温かい雰囲気などで、地元の方のこれからも頑張るという気持ちが伝わって来て、暖かい気持ちになったことが印象的でした。




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