ブルゴーニュにうってつけの日/ANGEL'S SHARE

世の中にワインと称するお酒は数あれど
やっぱりブルゴーニュに勝る銘醸地は無しと
思うワイン日記

『戦藻録/宇垣纏著』&『私の昭和史/末松太平著』

2005年12月11日 | Weblog
来週はハルキ復活の『男たちの大和』公開。その前に予習として
前から読みたかった連合艦隊参謀長宇垣の戦中日記『戦藻録』と三島絶賛の226事件に連座して獄につながれた青年将校の回顧録『私の昭和史』を中古で買った。
宇垣は大西滝次郎とともの特攻の命令者として玉音放送を聴いて数時間後に沖縄に駐留している米軍に11機の飛行隊率いて最後の特攻を掛けた軍人。小沢治三郎からは私兵特攻として厳しく非難されているが、その最後8月15日の日誌、出撃前のわずかな時間に書いた
記録のなかで“未だ停戦命令に接しず”とある。が前夜にすでにポツダム宣言受諾の報を聞いて自ら直率の部隊編成命じているのでこれは少々苦しい言い訳だろう。この特攻は
攻撃隊の隊長中都留大尉の判断で停戦後の米軍に被害を与えて日本軍に汚点を残さないようにとっさにに操縦桿切って全然関係ないところに撃墜したとされている。中都留大尉の写真みるとなんと坊主頭でなく綺麗に7:3分けの長髪、軍人にもいろいろ居たということ、宇垣もいまの日本人にこんな鋭い眼光した人間はいない。特攻といえば悲惨さばかり
強調されるきらいがあるがこの最後の特攻ほとんど長官が自殺するための道行き、以外なんの意味も持たない行為にもその隊に加えられた者はある種の優越感を持ち選ばれなかった隊員は激昂して隊長に詰め寄ったという。敗戦という異常な状況のなかでとはいえこれは一体どういう事なのだろう?