テレビのツボ

テレビ番組の中の面白試聴ポイント(ツボ)を探し出し、それらを面白おかしく紹介するブログですε=┏(; ̄▽ ̄)┛

絵に描いたような軽薄才子、ホリエモン

2013-04-28 16:18:34 | ニュース・時事ネタ




のっけから個人的な偏見で申し訳ないが、ホリエモンなる人物には、どうしても違和感を禁じ得ない(言うまでもなく堀江貴文のこと。揶揄する意味も込めてホリエモンという表記で統一する)😜

違和感を覚え始めたのは、ホリエモンがIT業界の風雲児として一躍、時代の寵児に祭り上げられた当初から。かれこれ10年近くになる。
その頃のホリエモンは、近鉄バッファローズ(当時)の買収計画をぶち上げたことに始まり、ニッポン放送や、その親会社であるフジテレビまで、いわゆる裏ワザを駆使して買収を画策するなど、まさに飛ぶ鳥落とす勢いだった。そのあまりの大胆不敵さには驚嘆させられたものだ。が、驚嘆しつつも、どこか共感し切れなかった。はっきり言って反感さえ覚えていた。
その理由は? 業界の慣行を無視した常識はずれの手法を用いたこと? 若くして巨額の資金を運用し、メディアをも翻弄するほどの力を得た故に生じたのであろう、傲慢さが滲み出た態度や物言い? それらはちょっと違う。確かにそれらの理由もないではないが、決定的な理由ではない。常識はずれや傲慢不遜なんてホリエモンに限った話ではない。業界の慣行を無視した点については、既得権にクサビを打ち込んだ快挙として拍手を送りたい気持ちすらあった。

ホリエモンに違和感を覚える最大の点は損得感情のみに特化した底の浅~い思考パターン😒
その点を集約し濃縮した姿を、4月27日未明OAの『朝まで生テレビ2013』で嫌というほど見せつけられた。最初に断っておくと、私は『朝まで…』という番組自体あまり好きではない。時事問題を深く掘り下げ、各界の識者が夜を徹して白熱した議論を繰り広げるというコンセプトそのものはいい。だが、演出?が頂けない。互いに罵声を浴びせ合い、怒鳴り合う。他人が発言してる最中に大声で遮り、それに大声で反論する。話題になった『ハーバード白熱教室』のような、熱を帯びつつも冷静な議論を交わす雰囲気には程遠い単なる口喧嘩で、見るたびウンザリさせられてしまう。番組開始当初こそ物珍しくて見ていたが、最近では殆ど見なくなった。たとえ見ても、たいてい途中でテレビを消して寝てしまう。眠くなるのと、上記の理由で嫌気が差すからだ。

が、今回は議題が「激論‼ ネット世代が日本を救う⁈」で、総合司会の田原総一郎が「若い人の意見を聞いてみたい」ということで、いつもとは違うゲストが多数出演していたので、ちょっと気になって見てみた。恒例の罵り合いもなく、久しぶりに朝まで見られた。番組終了間際、ゲストの一人が(リアルタイムでチャットをしている)パソコン画面を見ながら「上品すぎて物足りないという意見も来ている」と語っていたが、口汚いトークバトルなんかよりよっぽどいい(この点にはホリエモンも賛同していた)。

ところがその良好な議論環境に水を差していたのは他ならぬホリエモンだった。ホリエモンは田原の右隣の最上席に陣取り、田原の次に主導的役割を担っていたが、態度の悪さがどうも気になった。議論をリードするのはいいのだが、自分と異なる意見には茶々を入れたり、終始冷笑を浮かべたりで、見ていてそれだけでも不快な気分になった。コメント内容も然りで、論理的で説得力がありそうなのに、何故か腑に落ちない。その主たる要因こそが、何でもかんでも損得で割り切る底の浅さだ。

今回取り上げられたテーマを個別に挙げてゆくと、まず靖国問題。ホリエモンは、超党派の国会議員168人が参拝したことに噛みついた。参拝には反対だという。それ自体は別に問題ない。日本は言論・思想信条の自由が保証された国だから、どんな意見があっても構わない。実際、左派勢力もこぞって反対している。
違和感を覚えるのは反対理由で、そんなことをしても何の得にもならないからやめろと言うのだ。慰霊・鎮魂の念というのは損得を超越した、言葉では表せない根源的な心情に根差したものではないかと思うのだが、ホリエモンにはそんな心情は露ほども無いらしい。左派勢力にしても、政治家の靖国参拝に反対するのは「A級戦犯が合祀されている靖国神社への参拝は、アジア諸国の人々を心情的に傷つけるから」というのが大きな理由の一つで、視点が違うものの一応は心情に寄り添ってることに変わりはない。A級戦犯なるレッテルは、勝者による一方的な断罪によって貼られたものではないのか?など、靖国を巡る議論を追求してゆくと切りがないし本題ともズレるので割愛するが、賛否どちらの立場にしても、単純な損得二元論で割り切る論調はあまり見られない。イデオロギーにせよ、ナショナリズムにせよ、何らかの思想的裏付けがあるのが普通だ。
参拝した議員の一人、自民党の高市早苗政調会長は「外交問題になること自体がおかしい」と参拝時のインタビューで述べており、慰霊と外交(国益)を絡めることに明確に反対の意志を示しているし、外交上のデメリットを懸念する評論家やジャーナリストにしても、多くが(形だけかも知れないが)「戦没者に感謝の念を持つのは当然だが…」と前置きした上でコメントしている。
だがホリエモンはとにかく損得だけ。田原が参拝の意義として「感謝の念」について語ろうとしても、薄ら笑いを浮かべて意にも介していない様子。(感謝の念? 何それ? そんなの1円の得にもならないじゃん! そんなもんのために、反対押し切ってまで参拝に行くなんてバカじゃないの?)てな心の声が聞こえてきそうな表情だった。

ホリエモンは天皇制についても言及している。このテーマを田原が切り出した時「微妙な問題だから、右翼が押し寄せて来るんじゃないの?」と言葉を濁したホリエモンだったが、田原が「大丈夫だよ」と事も無げに答えたのを受けて次のような持論を展開した。「そもそも憲法の第一条が天皇制に関する条文なのに違和感がある」。
この持論は始めて披露したものではなく、2005年9月6日に都内の日本外国特派員協会講演で「憲法が天皇は日本の象徴であると言う所から始まるのは、はっきり言って物凄く違和感を覚える」と述べている。
他の発言も総合して考えると明らかに天皇制に対して批判的な立場のようだが、反対理由も左派勢力のそれとは違うようだ。天皇制なんて何の得にもならないから反対、と考えてるように思える。
番組のなかでも天皇制について「訳のわからないグニョグニョしたもの」と表現していて、(そんな訳のわからないものを、なんで崇拝なんかしてんだよ!)っていう本音が滲み出てるように見えた。

でも天皇制に限らず、訳のわからない、混沌として理屈では説明できない、敢えて言葉で表すなら「グニョグニョ」としか形容しようがない不可解なものこそが、本当は一番大事なものではなかろうか? その辺りの機微をホリエモンは全く理解していないし、理解しようとする意志さえ窺えない。一見、何の役にも立っていないようで、実は何よりも重要な役割を担っていることを「無用の用」と表現するが、ホリエモンの辞書にこんな語句は無いに違いない。
ホリエモンの論理は玉ねぎの皮剥きと一緒。どんどん皮を剥いてゆくと、最後には芯も無くなってしまう。無駄に見えるものをとことん排除してゆけば、最後には人間そのものまで排除するしかなくなる。地球上で人間ほど無駄な存在はないからだ。合理主義を徹底することは悪くないが、人間はあくまで「訳のわからない」非理性的な価値観をベースにしているものだということを理解しなければ、行き着く果ては完全な自己否定だ。

ホリエモンがニッポン放送を買収しようとした時、ニッポン放送のみならずメディア業界全体が猛反発した。おそらくホリエモンはこれを「新参者が参入してきて、今までの既得権が失われるのが嫌で反発しているんだろう」としか思ってなかっただろう。それは一面正しい。正しくはあるが、反発の理由はそれだけではない筈だ。ニッポン放送や、メディアの業界人が営々として築き上げてきた有形無形の財産を、札束で頬を叩くようなやり方でかっさらっていこうとする傲慢さに、損得抜きで反発した面もあると思う。
本宮ひろ志が古代中国を描いた劇画の中に「一がある者には二がなく、二がある者には一がなく、一と二が共にある者には三がない」 という台詞があったが、ホリエモンはまさしく「一と二が共にあって三がない者」そのものだ。優れた能力があっても、一番肝心な「何か」が決定的に欠けている。「何か」が何であるのか、それは分からない。分からなくてもいいと思う。ただ、それが何なのかを探求しようという気持を持ち、畏敬の念を抱く謙虚さがあればそれで充分だ。ホリエモンの転落劇は、その「何か」をあまりに軽視し過ぎたゆえの自業自得という気がしてならない。

ホリエモンは番組中でも「僕は誤解されやすい。ブログもすぐ炎上する」と愚痴っていたが、誤解ではなく、意外に本質を見抜かれているのではないか。ブログの炎上にしても、世間からのバッシングにしても原因を作っているのはホリエモン自身の言動だ。自ら火を放って、燃料まで撒き散らしながら「放火された! 大火事になった!」と騒いでいる滑稽な図に見えて仕方ない。
ホリエモンを見ていると、かつて民主党の若手エースとして活躍していながら、「偽メール事件」で墓穴を掘って自滅してしまい、最後には自ら命を絶った某元議員を思い出す。キャラは違えど、ホリエモンと同じく見るからに軽薄才子そのものだった某氏もやはり、態度や言動に傲慢さが滲み出てていたし、同じように「何か」が欠けていた(ように見えた)。
ホリエモンは服役中にも有料ブログで一億円以上も稼ぎ、出所後には早速メディアに復帰するほど、転んでもタダでは起きないしたたかさを持っているから自殺なんかはしないだろうけど、今のキャラではせっかくの能力がスポイルされかねない。それでは本人だけでなく、社会にとっても損失だ。日本の経済界に蔓延る因習に風穴を開けられるくらい卓越した能力があるのにもったいない。

さて、話を『朝まで…』に戻すと、今回もっとも光っていたのは司会の田原総一郎だった。今回は名うての論客ではなく、経験の浅いゲストが多かったせいか議論に深みやコクが不足している感は否めなかった。田原はその不足分を見事に補っていた。田原はアクが強すぎるので『朝まで…』同様、個人的には苦手なキャラクターなのだが、今回はそんな苦手意識など吹き飛ぶくらい、田原の存在感に圧倒された。やはり齢七十九の超ベテランジャーナリストが放つオーラは並ではない。長年の経験に裏打ちされてるだけあって、コメントの一つ一つに半端ないほどの説得力がある。「古い人間として言わせてもらいますが…」と何回も前置きしてコメントしていたが、内容は全然古臭くなかった。いつもは田原に遜色がないくらいアクが強く、コクもあるベテラン論客揃いなので、さすがの田原のキャラもいくぶんかは埋没しているようだが…。


今回のツボは、ホリエモンの悪い意味での軽さと、田原総一郎のいい意味での重さを、共に再確認したところかな😁