テレビのツボ

テレビ番組の中の面白試聴ポイント(ツボ)を探し出し、それらを面白おかしく紹介するブログですε=┏(; ̄▽ ̄)┛

松井秀喜を毛嫌いする張本勲

2013-05-12 22:28:50 | ニュース・時事ネタ


5月12日OAのTBS『サンデーモーニング』は、ひとつの予感…というより確信を持って観ていた。それは、スポーツコーナーで国民栄誉賞の授与式については一切触れないだろうということ。その予感は物の見事に的中した。
先週の5日、長嶋茂雄・松井秀喜の両氏に対し、東京ドームにて大々的な国民栄誉賞の授与式が開催されたのはご存知の通り。受賞したのが野球界の功労者で、しかも授与式の会場が東京ドームなのだから、本来ならスポーツコーナーのトップ項目で取り上げられなければおかしい大イベントだ。それを何故一切触れないと確信していたか。理由は他ならぬ、スポーツコーナーに「御意見番」という名でレギュラー出演しているのが張本勲だからだ。
これまた周知かも知れないが、張本勲は松井秀喜を毛嫌いしている。『サンデー…』においては過去に「松井のことは好きでも嫌いでもない」なんてコメントもしていた張本だが、これは建前であり社交辞令だ。それ以外のコメントや、松井の話題が出てきた時の態度などからして、張本が松井のことを嫌っているのは明らか。張本にしてみれば「なんで松井ごときが、安打製造機の俺を差し置いて国民栄誉賞なんて大それた賞を受賞するんだ!」と怒り心頭だったろう。松井の晴れ舞台など見たくもない心境だったに違いない。だからこそ、スポーツコーナーでは取り上げないと予想したのだ。

世紀の大イベントをスルーしたせいか、この日のスポーツコーナーは尺を埋めるのが大変だったようだ。少年サッカーや柔道の国内大会など、普段なら取り上げないようなマイナー競技まで盛り込んでいた。ゲストコメンテーターも、いつものような野球選手OBではなく女子プロゴルファーの古閑美保。気のせいか、必死で野球色を薄めよう、薄めようとしているように見えた。
で、肝心の授与式の様子は、スポーツコーナーが終わり、張本らが退席した直後に紹介された。もちろん張本のコメントはナシ(おそらく見てもいなかったろう)。

もし国民栄誉賞を受賞したのが長嶋茂雄だけだったとしたら、当然スポーツコーナーで大きく取り上げられ、張本は「大あっぱれだ!」なんて叫んでいたと思う。長嶋は現役時代からミスター・ジャイアンツと呼ばれ、現在も巨人軍の終身名誉監督に任命されるほどのスーパースター。張本から見ても偉大な先輩だから、受賞を手放しで賞賛していただろう。
局とすれば、当然ながら授与式のことはスポーツコーナーで取り上げたかったに違いないし、張本にもその件を打診したのかも知れない。が、(仮に打診があったとしたら)張本は「もし国民栄誉賞のことをスポーツコーナーで取り上げるなら、俺は出ないよ」とゴネた可能性がある。
かつて同様のことがあった。2010年5月23日OAの「ジャーナリスト江川紹子の降板騒動」だ。事の発端は、張本の出した「喝っ!」に江川が異論を挟んだこと。これに関し、江川はTwitterで以下のようにコメントしている。


<以下引用>
出演予定だった6月20日のサンデーモーニングにできなくなりました。5月23日の放送での私の言動について、張本勲氏が立腹し、江川を番組に出さないようTBS側に求めたためです。TBSは、張本氏の主張を受け入れ、私を出さない、と決めました。7月も同様の理由で出演できません。詳細は後で

ちなみに、張本氏は楽天の岩隈投手について「カツ」を叫び、「無責任」と断じました。それに対して、私が驚いて「え~っ」と声を発したことが許せないのだそうです。

ちなみに、サンデーモーニングはTBS報道局の番組です。話し合いの中で、私は「TBS報道局にとって、何が大事な価値観か、よく考えて欲しい」と述べてきました。その結果が、これです。非常に落胆しています

そのあと2,3のやりとりはありましたが、張本氏が許せないのは、最初の「え~」というリアクションなんだそうです

張本氏の要求は、「江川と同席したくない」ではなく、「江川を番組に出すな」というもの。20日に私を出演させれば、それ以外の日も、張本氏は出ないと主張されたそうです。

実は、張本氏が「江川を出すな」と要求されたのは、これが2度目で、最初の時は関口さんが助け船を出して下さいました。今回は、関口さんが何を言っても譲れないと、張本氏が主張されたそうです



途中降板した岩隈に、張本が「喝っ!」を出し、それに対し岩隈のファンだという江川が反論したのが気に入らなかったようだ。要は「素人が口を出すな!」ということらしい。
トラブルの内容については、江川のツイートだけで全ては判断できない。張本にも言い分はあろう。だが、江川との同席を断っただけならまだしも、「江川を番組に出すな」と求めた件などは、事実だとしたら越権行為も甚だしい。張本のどこにそんな権限があるのだろうか?
同じくレギュラー・コメンテーターを務めていた大沢親分が亡き今、張本はますます専横を極めている印象だから、当時と同じように、いや、それ以上にゴネたとしても何の不思議もない。

張本がそこまで松井を嫌うのは、巨人を辞めてヤンキースへ移籍したからではないかと思う。張本の眼には、松井は恩ある巨人を後ろ足で砂を蹴るようにして辞めていった裏切り者にしか映っていないようだ。あとはWBCへの参加を断ったこと。そのことについては『サンデー…』でも次のようにコメントしている。
「松井がWBCに出なかったのは王さんが監督になったから。もし長嶋さんが監督だったら喜んで出てますよ」。司会の関口宏が「そんなことってあるんですか⁈」と疑問を呈しても「あるんです!」と、何の根拠もなく断言していた(どう考えても悪意を持って曲解してるとしか思えないが)。
だいたい張本はメジャーリーグへ移籍した日本人選手の殆どに対し批判的だ。例外的に、イチローのことは非常に評価していて、イチローが日米通算で自身の安打記録を抜いた時など、わざわざシアトルまで出向いて、祝福のコメントを送っている。



今やサッカーはじめ、どんなスポーツでも、より高いレベルを目指して海外チームへ移籍することは当たり前になっている。ところが、なぜか野球界にはメジャーへの挑戦を異端視する空気がまだ残っている。なかでも張本は反対派の最右翼だ。そんな時代錯誤の意識は一日でも早く払拭すべきではないのか。日本の野球のレベルを高めるためにも、メジャーとの交流は盛んになった方がいい。頑迷固陋を地で行くような「攘夷派」で、かつ番組内で独裁者のように振る舞う張本にこそ「喝っ!」を出したい😡


絵に描いたような軽薄才子、ホリエモン

2013-04-28 16:18:34 | ニュース・時事ネタ




のっけから個人的な偏見で申し訳ないが、ホリエモンなる人物には、どうしても違和感を禁じ得ない(言うまでもなく堀江貴文のこと。揶揄する意味も込めてホリエモンという表記で統一する)😜

違和感を覚え始めたのは、ホリエモンがIT業界の風雲児として一躍、時代の寵児に祭り上げられた当初から。かれこれ10年近くになる。
その頃のホリエモンは、近鉄バッファローズ(当時)の買収計画をぶち上げたことに始まり、ニッポン放送や、その親会社であるフジテレビまで、いわゆる裏ワザを駆使して買収を画策するなど、まさに飛ぶ鳥落とす勢いだった。そのあまりの大胆不敵さには驚嘆させられたものだ。が、驚嘆しつつも、どこか共感し切れなかった。はっきり言って反感さえ覚えていた。
その理由は? 業界の慣行を無視した常識はずれの手法を用いたこと? 若くして巨額の資金を運用し、メディアをも翻弄するほどの力を得た故に生じたのであろう、傲慢さが滲み出た態度や物言い? それらはちょっと違う。確かにそれらの理由もないではないが、決定的な理由ではない。常識はずれや傲慢不遜なんてホリエモンに限った話ではない。業界の慣行を無視した点については、既得権にクサビを打ち込んだ快挙として拍手を送りたい気持ちすらあった。

ホリエモンに違和感を覚える最大の点は損得感情のみに特化した底の浅~い思考パターン😒
その点を集約し濃縮した姿を、4月27日未明OAの『朝まで生テレビ2013』で嫌というほど見せつけられた。最初に断っておくと、私は『朝まで…』という番組自体あまり好きではない。時事問題を深く掘り下げ、各界の識者が夜を徹して白熱した議論を繰り広げるというコンセプトそのものはいい。だが、演出?が頂けない。互いに罵声を浴びせ合い、怒鳴り合う。他人が発言してる最中に大声で遮り、それに大声で反論する。話題になった『ハーバード白熱教室』のような、熱を帯びつつも冷静な議論を交わす雰囲気には程遠い単なる口喧嘩で、見るたびウンザリさせられてしまう。番組開始当初こそ物珍しくて見ていたが、最近では殆ど見なくなった。たとえ見ても、たいてい途中でテレビを消して寝てしまう。眠くなるのと、上記の理由で嫌気が差すからだ。

が、今回は議題が「激論‼ ネット世代が日本を救う⁈」で、総合司会の田原総一郎が「若い人の意見を聞いてみたい」ということで、いつもとは違うゲストが多数出演していたので、ちょっと気になって見てみた。恒例の罵り合いもなく、久しぶりに朝まで見られた。番組終了間際、ゲストの一人が(リアルタイムでチャットをしている)パソコン画面を見ながら「上品すぎて物足りないという意見も来ている」と語っていたが、口汚いトークバトルなんかよりよっぽどいい(この点にはホリエモンも賛同していた)。

ところがその良好な議論環境に水を差していたのは他ならぬホリエモンだった。ホリエモンは田原の右隣の最上席に陣取り、田原の次に主導的役割を担っていたが、態度の悪さがどうも気になった。議論をリードするのはいいのだが、自分と異なる意見には茶々を入れたり、終始冷笑を浮かべたりで、見ていてそれだけでも不快な気分になった。コメント内容も然りで、論理的で説得力がありそうなのに、何故か腑に落ちない。その主たる要因こそが、何でもかんでも損得で割り切る底の浅さだ。

今回取り上げられたテーマを個別に挙げてゆくと、まず靖国問題。ホリエモンは、超党派の国会議員168人が参拝したことに噛みついた。参拝には反対だという。それ自体は別に問題ない。日本は言論・思想信条の自由が保証された国だから、どんな意見があっても構わない。実際、左派勢力もこぞって反対している。
違和感を覚えるのは反対理由で、そんなことをしても何の得にもならないからやめろと言うのだ。慰霊・鎮魂の念というのは損得を超越した、言葉では表せない根源的な心情に根差したものではないかと思うのだが、ホリエモンにはそんな心情は露ほども無いらしい。左派勢力にしても、政治家の靖国参拝に反対するのは「A級戦犯が合祀されている靖国神社への参拝は、アジア諸国の人々を心情的に傷つけるから」というのが大きな理由の一つで、視点が違うものの一応は心情に寄り添ってることに変わりはない。A級戦犯なるレッテルは、勝者による一方的な断罪によって貼られたものではないのか?など、靖国を巡る議論を追求してゆくと切りがないし本題ともズレるので割愛するが、賛否どちらの立場にしても、単純な損得二元論で割り切る論調はあまり見られない。イデオロギーにせよ、ナショナリズムにせよ、何らかの思想的裏付けがあるのが普通だ。
参拝した議員の一人、自民党の高市早苗政調会長は「外交問題になること自体がおかしい」と参拝時のインタビューで述べており、慰霊と外交(国益)を絡めることに明確に反対の意志を示しているし、外交上のデメリットを懸念する評論家やジャーナリストにしても、多くが(形だけかも知れないが)「戦没者に感謝の念を持つのは当然だが…」と前置きした上でコメントしている。
だがホリエモンはとにかく損得だけ。田原が参拝の意義として「感謝の念」について語ろうとしても、薄ら笑いを浮かべて意にも介していない様子。(感謝の念? 何それ? そんなの1円の得にもならないじゃん! そんなもんのために、反対押し切ってまで参拝に行くなんてバカじゃないの?)てな心の声が聞こえてきそうな表情だった。

ホリエモンは天皇制についても言及している。このテーマを田原が切り出した時「微妙な問題だから、右翼が押し寄せて来るんじゃないの?」と言葉を濁したホリエモンだったが、田原が「大丈夫だよ」と事も無げに答えたのを受けて次のような持論を展開した。「そもそも憲法の第一条が天皇制に関する条文なのに違和感がある」。
この持論は始めて披露したものではなく、2005年9月6日に都内の日本外国特派員協会講演で「憲法が天皇は日本の象徴であると言う所から始まるのは、はっきり言って物凄く違和感を覚える」と述べている。
他の発言も総合して考えると明らかに天皇制に対して批判的な立場のようだが、反対理由も左派勢力のそれとは違うようだ。天皇制なんて何の得にもならないから反対、と考えてるように思える。
番組のなかでも天皇制について「訳のわからないグニョグニョしたもの」と表現していて、(そんな訳のわからないものを、なんで崇拝なんかしてんだよ!)っていう本音が滲み出てるように見えた。

でも天皇制に限らず、訳のわからない、混沌として理屈では説明できない、敢えて言葉で表すなら「グニョグニョ」としか形容しようがない不可解なものこそが、本当は一番大事なものではなかろうか? その辺りの機微をホリエモンは全く理解していないし、理解しようとする意志さえ窺えない。一見、何の役にも立っていないようで、実は何よりも重要な役割を担っていることを「無用の用」と表現するが、ホリエモンの辞書にこんな語句は無いに違いない。
ホリエモンの論理は玉ねぎの皮剥きと一緒。どんどん皮を剥いてゆくと、最後には芯も無くなってしまう。無駄に見えるものをとことん排除してゆけば、最後には人間そのものまで排除するしかなくなる。地球上で人間ほど無駄な存在はないからだ。合理主義を徹底することは悪くないが、人間はあくまで「訳のわからない」非理性的な価値観をベースにしているものだということを理解しなければ、行き着く果ては完全な自己否定だ。

ホリエモンがニッポン放送を買収しようとした時、ニッポン放送のみならずメディア業界全体が猛反発した。おそらくホリエモンはこれを「新参者が参入してきて、今までの既得権が失われるのが嫌で反発しているんだろう」としか思ってなかっただろう。それは一面正しい。正しくはあるが、反発の理由はそれだけではない筈だ。ニッポン放送や、メディアの業界人が営々として築き上げてきた有形無形の財産を、札束で頬を叩くようなやり方でかっさらっていこうとする傲慢さに、損得抜きで反発した面もあると思う。
本宮ひろ志が古代中国を描いた劇画の中に「一がある者には二がなく、二がある者には一がなく、一と二が共にある者には三がない」 という台詞があったが、ホリエモンはまさしく「一と二が共にあって三がない者」そのものだ。優れた能力があっても、一番肝心な「何か」が決定的に欠けている。「何か」が何であるのか、それは分からない。分からなくてもいいと思う。ただ、それが何なのかを探求しようという気持を持ち、畏敬の念を抱く謙虚さがあればそれで充分だ。ホリエモンの転落劇は、その「何か」をあまりに軽視し過ぎたゆえの自業自得という気がしてならない。

ホリエモンは番組中でも「僕は誤解されやすい。ブログもすぐ炎上する」と愚痴っていたが、誤解ではなく、意外に本質を見抜かれているのではないか。ブログの炎上にしても、世間からのバッシングにしても原因を作っているのはホリエモン自身の言動だ。自ら火を放って、燃料まで撒き散らしながら「放火された! 大火事になった!」と騒いでいる滑稽な図に見えて仕方ない。
ホリエモンを見ていると、かつて民主党の若手エースとして活躍していながら、「偽メール事件」で墓穴を掘って自滅してしまい、最後には自ら命を絶った某元議員を思い出す。キャラは違えど、ホリエモンと同じく見るからに軽薄才子そのものだった某氏もやはり、態度や言動に傲慢さが滲み出てていたし、同じように「何か」が欠けていた(ように見えた)。
ホリエモンは服役中にも有料ブログで一億円以上も稼ぎ、出所後には早速メディアに復帰するほど、転んでもタダでは起きないしたたかさを持っているから自殺なんかはしないだろうけど、今のキャラではせっかくの能力がスポイルされかねない。それでは本人だけでなく、社会にとっても損失だ。日本の経済界に蔓延る因習に風穴を開けられるくらい卓越した能力があるのにもったいない。

さて、話を『朝まで…』に戻すと、今回もっとも光っていたのは司会の田原総一郎だった。今回は名うての論客ではなく、経験の浅いゲストが多かったせいか議論に深みやコクが不足している感は否めなかった。田原はその不足分を見事に補っていた。田原はアクが強すぎるので『朝まで…』同様、個人的には苦手なキャラクターなのだが、今回はそんな苦手意識など吹き飛ぶくらい、田原の存在感に圧倒された。やはり齢七十九の超ベテランジャーナリストが放つオーラは並ではない。長年の経験に裏打ちされてるだけあって、コメントの一つ一つに半端ないほどの説得力がある。「古い人間として言わせてもらいますが…」と何回も前置きしてコメントしていたが、内容は全然古臭くなかった。いつもは田原に遜色がないくらいアクが強く、コクもあるベテラン論客揃いなので、さすがの田原のキャラもいくぶんかは埋没しているようだが…。


今回のツボは、ホリエモンの悪い意味での軽さと、田原総一郎のいい意味での重さを、共に再確認したところかな😁


江口愛実はCGアイドル?

2011-06-17 10:04:34 | ニュース・時事ネタ
今週に入ってから、えらく話題になっているのがAKB48の新メンバー『江口愛実』。いきなりセンターポジションに抜擢され、グリコのCMに出演するという華々しいデビューを飾った!

話題になるだけあって確かに可愛い。が、どう見ても不自然だ。映像自体が如何にも作り物っぽいし、名前やプロフィールも出来すぎ。江口愛実という名前は明らかに【江崎グリコの「アイスの実」】を略したものだし、プロフィール上の特技「陸上競技」は、グリコ・キャラメルのパッケージを意識したものだろう。
それ以外にも、江口の誕生日とされる2月11日はグリコ製菓の創立記念日でもある。これらが全部、偶然の一致とは思えない。

第一、先頃の「総選挙」の結果を無視して新人がいきなりセンターポジションだなんて、他のメンバーが納得するわけなかろうに…。
やはり、江口は実在しない架空のアイドルと断言してよさそうだ。

まあ、CGとしては非常によく出来てるし、倫理的に問題あるわけでもないから、こういうやり方があってもいいとは思う。
いずれにせよ「AKB商法」の巧みさには恐れ入るしかない。近々、真相が発表されるらしいので、それまで楽しみに見守っていよう~










『地球が静止する日』~現代文明への警告

2011-05-29 07:00:02 | ニュース・時事ネタ
「人類は地球で最大の寄生虫」

「人類は地球に対して、あまりにも暴力的すぎた」

「我々は人類が自ら変わるのを待った。しかし人類は変わらなかった」

「地球が滅びれば人類も滅びる。人類が滅びれば地球は救われる」

「地球のように生命に満ち溢れた惑星は宇宙の中でもごく僅かしかない。その惑星は守らねばならない。そのために我々は、人類を滅ぼすことを決意した」



…以上は、27日(金)に日テレで放送された米映画『地球が静止する日』で、キアヌ・リーブス演じるエイリアン「クラトゥ」が人類に送ったメッセージだ。

映画は、ニューヨークに光り輝く謎の巨大球体が降りてくるところから始まる。同時に世界各地にも同じ形の小型球体が降りてくる。
人類には、これらが何の目的でやって来たのか全く分からない。CTスキャンを使っても透視できず、ガスバーナーでも燃えず、ダイヤモンドヘッドのドリルでも傷ひとつ付けられない。
巨大球体から降りてきたエイリアン(クラトゥ)は銃撃され、軍に身柄を拘束されるが、特殊な能力で人間を翻弄し、たちまち脱出してしまう。クラトゥは逃亡劇のさなか、拘束中に立ち会った科学者ヘレン(ジェニファー・コネリー)に連絡を取り、行動を共にする。球体は「ノアの方舟」であり、地球上の生物を乗せて宇宙へ一時的に脱出させたあと、人類を滅亡させるためにやって来たのだと、地球来訪の目的を告げる。その時、同時に告げたのが冒頭のメッセージだった。

このメッセージの内容自体は、現代文明に対して発せられ続けてきた普遍的な警句ではある。SF作品においてはお馴染みのものともいえる。が、大規模な原発災害の渦中にある今の日本で聞くと印象は一変する。あたかも我々自身に突き付けられた最後通諜であるかのような、恐るべきリアリティさを持って迫ってくる。
原発、ひいては原発がもたらす膨大なエネルギーによって成り立っている人間社会に対する警告に思えてならないのだ。

福島での原発事故を受け、政府は原発政策を白紙から見直し、再生可能エネルギーの開発を促進すると表明している。当然の対策だし、そのこと自体はいい。だが、肝心の点には触れられていない。いや、官民とも意図的に無視している。その点とは、大量生産・大量消費・大量廃棄を前提とせざるを得ない文明社会の在り方そのものに対する再検証だ。上記の対策は、あくまで現状と同等のエネルギー供給を如何にして確保するか、その一点に矮小化されている。仮に代替エネルギーによって同等の電力が供給可能になったとしても、現代文明の持つ病理は何一つ解決されない。エネルギー消費そのものを減らし、環境への負荷を低減させない限り破綻は避けようがない。若干は延命するだろうし、多少は破綻の形が変わるかもしれないが、それだけのことだ。

日本の電力政策のいびつさは、電力消費量の推移に如実に現れている。バブル全盛期より、不況に喘ぐ現在の方が電力消費は倍加しているのだ! 官民一体となり、電力を大量消費するシステムを作り上げ、多くの電力なくしては生活できない社会にしてきたからだ。結果、電力会社は「需要に応えるため」との大義名分を得て、原発政策を推進できた。
麻薬を投与して依存症に陥らせ、相手の方から麻薬を求めざるを得ない状況を作り出す、麻薬犯罪の手口となんと似ていることか。

もちろん問題は日本一国だけではない。文明社会全体の問題である以上、全人類共通の大問題であることは言うまでもない。

今、人類は国や地域を問わず、際限なき欲望を充足させるため、ひたすら経済成長路線を邁進している。地球が数億年も掛けて蓄積してきた地下資源をたった数十年で浪費し、人類誕生以前は1000年に1種の割合でしか絶滅しなかった生物種を、1年で1万種も絶滅へと追いやるようになり、1年で日本の四国に匹敵する面積の森林をも消滅させている。
これで資源が枯渇しないとか、環境破壊が地球の許容限度を越えないとか考える方がどうかしている。拡大路線を無批判に擁護する専門家は、「日本の原発は絶対に安全だ!」と言い募り、批判的意見を封殺してきた御用学者と同根だ。

人類がどれほど専横を極めたとて、自然界が一方的に搾取・破壊されるままということはなかろう。大自然の力は偉大だ。自然界がひとたび牙を剥けば、人間などひとたまりもない。それこそがまさに東日本大震災であり、それに続く巨大津波だった。
東京都の石原都知事は今回の災害を「ある種の天罰」と評し批判を浴びた。が、東北地方の住民への天罰ではなく、人類全体、あるいは現代文明そのものに対する天罰だと捉えれば、あながち間違ってはいないような気がする。たまたま、矛先が東北地方に向いただけではないかと思うのだ。
同じように、かつてヨーロッパを襲った記録的な熱波、オーストラリアを襲った大干魃、アメリカ南部を直撃した巨大ハリケーン「カトリーナ」なども、大自然の怒りであり、人類への強烈なしっぺ返しなのではなかろうか?



さて、話を映画に戻す。
ニューヨークのセントラルパークに、巨大球体と共に降り立った巨大ロボットを、米軍がありとあらゆる兵器で攻撃するが無論、全く歯が立たない。ダメージを全然与えられないだけではなく、攻撃すればするほど、金属製の虫のようなものが大量発生し、それが人間や、人間の作った人工物をあっという間に腐食させ消滅させてゆく。

金属製の虫は無限に増殖、拡散してゆき、いよいよ人類滅亡は時間の問題となった時、ヘレンらが「人類は窮地に陥った時、必ず変われる! もう一度だけチャンスを与えてほしい!」と、クラトゥを懸命に説得。その言葉を信じたのか、クラトゥは金属製の虫を一瞬にして消し去り、最初に地球にやって来たのと同じ球体に乗り、地球を去って行った。

テーマはタイムリーで、メッセージには説得力があったが、映画としてはやや物足りない。さんざん裏切られてきたのに、クラトゥがあっさりと人間の言葉を信じて去って行ったのがどうも納得いかない。予定調和に過ぎる。もっとひと波乱、ふた波乱くらいあって、予想もしないどんでん返しがあってもいいいんではないか? 予算の都合もあって難しいのかもしれないが、せっかくの最新CGがもったいない。攻撃シーンや金属製の虫の襲来シーンが、単なる壮大な前振りになってしまっている。あれだけの大仕掛けをしておいて、最後はあんな呆気ない幕切れかと、がっかりさせられた。トム・クルーズ主演の『宇宙戦争』にも通じる空しさだ。

個人的な評価は5点満点中で2点くらい。テーマがタイムリーなことを加味しても、せいぜい3点くらいかな?

★★★☆☆