葡萄舎だより

海峡の街・下関の、葡萄舎の住人・洒人 (しゃじん) が身の周りの些事片々を書き綴ります。
本人は日記のつもりです。

大平瀬灯台 (阿武町奈古)

2006年01月26日 12時01分17秒 | 燈台めぐりノート
須佐と萩の中間にあるのが阿武町(奈古)だ。
周囲のぐるりが萩市と合併したけど、この町は合併を拒んだ。
経緯は知らないけど、反骨の士が多いのだろう。 行けるところまでわが道を行けばいい。

高山岬灯台にたどり着くのに難渋したから、今度は対策を練った。
交番で聞けばいい。 ところが田舎のノンビリ交番は、人が行かない道は知らない。
「町道なら、役場で聞いたら?」 ‥‥で、役場へ。
役場の職員には、物知り、訳知りが多いのはさすがだ。
教えられたとおりにトンネルを2つ潜り、栽培漁業センターを右折、溜め池に。
車幅ぎりぎりの道は山中に続いていたが、突然道が途絶えた。
しかも、分岐している。 ハタと迷う。
こういう窮地で、身に備わり始めた 「勘」 が力を発揮し始める。 潮騒の方向へ。
落ち葉が降り積もった道なき道を上り詰めると、コンクリートが見えた。
灯台への階段の始まりだ。
幅 50cm あるかないかの階段は急で、延々と続く。 あえぎ始める。
平坦地が見えて、もういいだろう、と思ったらまた階段。
やっと、雑木林の向こうに塔頂が見えた!

鉛筆を立てたような灯塔の周囲には、フェンスがない。
灯台の基部は5秒もあれば1週できる。
眺望はゼロだから、ぐるぐる回るしか、することがない。
周囲 270度からの潮騒で、ここが岬の突端だと理解する。

バイブル「日本の灯台」 に大平瀬灯台の名前は挙がっているが、データがない。
灯台を管理している 仙崎海上保安部 に電話して要項を FAX していただいた。
担当の方は親切で、こんど、保安部に顔を出したら資料がいただける、とか。
長門市は、2ヶ月に1度、飲みに行く郷里だから、次は顔を出そう。

34°31′27″N  131°27′25″E
白色 塔型(コンクリート造)
等明暗白光 明3秒暗3秒
8500カンデラ
光達距離 20,5海里
灯塔 9,5m
水面から灯火まで141m
初点 昭和51年2月

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高山岬灯台 (萩市須佐)

2006年01月26日 10時17分33秒 | 燈台めぐりノート
かつての阿武郡須佐町は萩市須佐町と名前を変えたが、
島根県境に程近く、(住民の方には申し訳ないが) 山口県内でカムチャッカのような位置関係は変わらない。

灯台ファンにとってはバイブル的存在の 「日本の灯台」 で、山口県の項を見れば、
高山岬の突端にある、山口県最北端の灯台、とうかがい知れる。
黒と白の縞模様の断崖 ・ ホルンフェルスが、須佐町で唯一(断言してゴメン)の観光資源で、
その道をたどるのだが、そこまで行ってはいけない。
分岐点の標識で 「沖浦」 を選ぶ。 立看板には 、4km先で通行止め、などと不安にさせる表示もある。
山口県の道路だから、舗装はしてある。 離合できない部分がある。
前方に灯台が見えて、後方に灯台が見えたら行き過ぎだ。 灯台入口の表示はない。
灯台近くまで車幅いっぱいのぬかるんだ道が続くが、離合場所は1ヶ所しかないから、
運転技術は要しないが、「運」 が必要だ。 当然4駆、だ。 JAFは来ない、だろう。
私は車を置いて、往復20分を歩いた。

本州北西岸 北緯 34°39' 55", 東経 131°36' 46"
白色 塔形 コンクリート造
単閃白光 毎15秒に1閃光
33,000カンデラ
光達距離 24海里
地上~頂部:11.5m、水面~灯火:93m
初点灯 昭和26年4月
平成2年3月 改築

フェンスで灯台に触ることはできない。 灯塔の基部からの眺望は良くない。
今後、どれだけの 「灯台めぐり」 をするのか見当がつかないが、
全国に 3000 あるという灯台のほとんどがこんな状況で、人里はなれて船の航行を守っているのだろう。
それらの中では、小さいながらも立派な灯台なのかもしれない。

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角島灯台 (下関市豊北町)

2006年01月24日 20時58分06秒 | 燈台めぐりノート
東北の諸港から日本海~瀬戸内海~大阪へと結ぶ、
西回り廻船の航路が拓かれたのは17世紀の後半だ。
船は、角島沖で進路を変えなければならないが、
最短距離で、角島をかすめるように操船すれば、船は勢い島に近づく。
角島沖は、暗礁が群れをなす名だたる海の難所だ。
座礁した船は数知れない。

明治9年、日本海側で初の洋式灯台が角島に建てられたのは当然だろう。
灯台は、明治政府最初の御雇外国人 ・ ブラントンが設計している。
彼が設計した灯台は全国に26あり、いずれも、現代の日本を代表する灯台だ。

北緯 34°20' 57", 東経 130°50' 36"
円形 御影石造
1等 閃白光 毎5秒に1閃光
1,400,000カンデラ
光達距離 18.5海里(約34km)
地上~頂部:29.6m、水面~灯火:44.7m
初点灯 明治9年3月1日
2001年4月29日より、一般公開開始。

平成12年に角島大橋が開通して間がない頃、島を訪れたことがある。
そのとき、灯台の内部を見ることはできなかったが、
平成13年に内部の見学が許可された。 全国で内部を見学できる灯台は12だ。
5年ぶりに訪れて、最上部のテラスまで登った。
御影石の螺旋階段も見事なら、磨きこまれた腰板も立派。
御雇外国人は、細部にまで手抜きや妥協をしなかったと見える。
灯塔は御影石造りのままで塗装をしていないから淡い灰色だが、
安っぽい塗装をしていないのも、角島らしくていい。
日本には灯台が 3000余ある。
そのうち、代表的な灯台でもほとんどは写真でしか観たことがないが、
高さといい、外観といい、均整が取れた角島灯台のスタイルは抜群だと思う。

灯台脇の、旧吏員宿舎は資料館となっていて、
懇切丁寧な説明で、灯台の基礎的な知識は身につく。
建物は山口県で最初の石造洋館だ。 やはり、英国人がすることはすごい。
見学者がいなかったせいで、暇をもてあましていたのか(失礼)、
見学受付のオジサン(海保のOB?) がこれまた親切。
北風が吹き付ける寒い中を、建物から出てきて案内してくれた。

角島のベストシーズンは夏だ。
でも、人込みを観に行くのでなければ、オフシーズンにお行きになったら?。

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国東半島から 姫島 へ

2006年01月09日 20時20分06秒 | 燈台めぐりノート
昨日は昼前になって、急に家業が開店休業になった。
あれれ‥と思うと同時に、ドライブを思い立った。 この季節、南に向かうしかあるまい。
国東半島には行ったことがない。 じゃ、行くか。 13:00 に家を出た。
連休だからなのか、関門トンネルに入るまで渋滞。
1km 進むのに10分かかった。都会では日常茶飯の渋滞も、山口県では大渋滞の部類だ。
トンネルに入ればス~イスイ。九州路も快調。 快調に飛ばして思わぬ落とし穴が。
左折して10号線バイパスに入るのを、直進して直方方面に入ってしまった。
平尾台の西麓を南進し、苦労して行橋に出た。
宇佐神宮を左折して国東半島へ。 豊後高田から両子山へ向かう。

国東半島は信仰に篤い土地で、六郷満山三十三カ寺霊場めぐりなどもあり、
いたるところに霊場の案内板が設置されている。
当方、信仰心はトンとないから、霊場の親分格である両子寺を参詣すればイイや。
いつものショートカットの手抜き策で済ませようとする。

車を走らせながら、国東半島は道路が四通八達しているから、
山を降りたら、姫島行きの船があるんじゃないか、と思いついた。
姫島に行こう!
そう思い立ったら、霊場の参詣はどうでもよくなる。 参詣は簡単に済ませた。
信仰心がないからなせる業だけど、
(下調べをしていない) 船の出航時刻も気がかりだったから。

伊美港に着いたら15分後に村営フェリーが出るという。 人間だけなら、一人500円。
小さい島だから車は要らないだろうと、車を駐車場に入れて、船に飛び乗る。
実は、フェリーでの車の航送代金が惜しかったのだ。
室戸岬に行くとき、一人で車を運ぶフェリー料金が高くて驚いた後遺症なのだ。

伊美港 17;25 発。 宿の手配はしていない。
切符売り場で貰った姫島のパンフレットには7軒ばかりの旅館が載っている。
船上から電話して宿がなければ、この船で折り返すつもりだ。 車には寝袋がある。
デッキに居る、若くて、まじめそうで、整った顔立ちの青年に尋ねる。
「島の方ですか? 旅館はどこがいいでしょう?」
「一人旅で、飛び込みなら、安西旅館じゃないでしょうか」
電話したらOKだった。
宿泊代が8千、1万、1万2千、というから、無理して 「1万で」
その青年とは乗船時間の20分間、話し続けた。
姫島のいろんなことに詳しかった。 聞いたら、姫島村役場の職員だった。

フェリーを降りてまっすぐ歩いたら、島で唯一の信号がある。
信号の先で道に迷って、旅館への道を聞いたら、途中まで案内してくれる親切さ!
飛び込みだから、食事の用意に少し時間がかかって、
運ばれてきた料理を見て驚いた。
タコの酢の物、ナマコの下ろしあえ、刺身4点盛り、海老の踊り、イカ刺し、
サザエのつぼ焼き、海老の塩焼き、エビフライ、メバルの煮つけ、
寄せ鍋には海老とハマチのぶつ切り入り、吸い物にも海老! メロン、香の物
ざっと思い浮かべただけでこの品数。
朝食ではぶりの照り焼き、味噌汁にはカニが半身!
数の子、黒豆、田作りがついていたのはご愛嬌だけど。
魚も海老も、しばらくはイイヤ! というほど食べて1泊2色が1万円。
イイ思いをした。

翌朝は、島の北端、黒輝石の断崖に建つ千人堂を見物し、
姫島の庄屋の家を観て、船着場に戻った。 出航が 11:35 と確認し、貸し自転車屋へ。
姫島にはタクシーも、レンタカーも、勿論、無い。 あるのは貸し自転車。
灯台ファンの行くところは灯台しかない。 島の東端に建つ、姫島灯台が目的地だ。
往復13km 強。
姫島に来て驚くのは、港 (5つある)と道路の立派さ。
離島振興法か何かの法で莫大な資金が投入されたのだろうが、とにかく至れり尽くせり。
離島の生活は大変だろうから、そこに資金 (税金) を投入するのは結構だが、
港と道路の整備以外に金の遣い方は無いのだろうか。
往復13km 自転車をこいで、対向車1台、追い越していった車2台。 ムム。

天気は快晴。 無風。 多少汗ばむ程度だが、セーター越しに突き刺さる冷気が快い。
自転車をこいで25分。 とまれ、灯台にたどり着いた。
東経131度42分9秒、 北緯33°43分38秒
灯頂部まで12m しかないが、こじんまりした、いい灯台だ。
光力10万カンデラの灯が、20浬(37km)先まで届くという。
明治37年が初点灯で、今は無人である。
徳山から運んだ花崗岩で作った灯搭は白亜。
断崖上に独り屹立して、黙々と海を照らし、位置を知らせる。
人見るもよし、人見ざるもよし、我は照らすなり。
決然とした、その様が私を誘う。 今年は灯台巡りになりそうな予感。

船は正午に国東半島伊美港に着いた。
宇佐神宮に参詣し、家業の突然の空白は困るから、縁起物の熊手を買って下関へ。
美味しい食事をして、灯台を観て、宇佐八幡宮でお願いをして、イイ旅じゃないか!

安西旅館(東国東郡姫島村) 0978-87-2034

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下関~室戸岬ドライブ①

2005年12月12日 14時59分07秒 | 燈台めぐりノート
12月10日(土)―夜―
ぶらぶらしていて、18時、にわかにドライブに行こう! と思い立ち、出かけた。
出かけるのは簡単だ。
車には常時、寝袋と毛布3枚、着替えと洗面具を積んでいるから。
隣のセルフスタンドでガソリンを満タンにし、東に向かった。

日曜の16時には帰って来たいから、自由になる時間は22時間。
頭の中には、漠然と 「四国」 があった。 針路は東へ。
自宅を18時40分に出発。 埴生IC~嘉川IC、山口南IC~玖珂ICは山陽道。
少し飛ばして、柳井港到着は20時40分。
防予汽船フェリーの出航は21時25分。
四国上陸後の行程は決めていないが、いずれにしても仮眠時間は欲しい。
待つことにするが、柳井港の周辺は夜になると何もない。 待ち時間が辛い港だ。
船はガラガラ、 船室が広いから幼児が走り回って、仮眠を断念。
走り回るのが子供の仕事だから憎くはないが、放置している若い親に腹が立つ。

船内で行き先を考えた。
① 松山から佐多岬を西進、佐賀関に渡って国道10号で下関へ。
② 未だ行ったことのない室戸岬へ。 帰路は 「しまなみ海道」 という手もある。
  (写真は大三島と生口島に架かる多々羅大橋)
①は、景色のよい佐多岬を真夜中に走ることになるので、ボツ。 ②に決定。
松山港着23時50分。
コンビニで、「高知に行く」 と言ったら、「下の道で、ですか? 真っ暗ですヨォ」
フェリーで高い料金を払ったから、下の道しかないじゃないか。
土曜の深夜。 国道33号を走る車は滅多にいない。 山口県の県道並みだ。
高知へは、3時間を覚悟していたが、はりまや橋通過02時08分。
この調子なら、室戸岬まで突っ走れ!
室戸岬灯台の入口には、03時20分に着いた。
毛布を敷き、寝袋を広げ、2枚の毛布をかけて仮眠。 暖かい。 暖かいはずだ。
私は厳冬期でもズボン下をはかないのに、今日ははいていたから。

下関~室戸岬ドライブ②

2005年12月12日 14時53分56秒 | 燈台めぐりノート
12月11日(日)―午前―
目覚ましは6時に鳴ったが、未だ暗いので30分間仮眠を延長して、寝袋から出る。
着いたときは気付かなかったが、周囲はざわざわと音がする。
無風に近かったから木の葉ではない。
灯台への道を上り詰めながら,耳を澄ました。 「潮騒だッ!」

地理の授業で、室戸岬は海岸段丘の典型だと教わり、立場を変えて、そう教えてきた。
いま、その海岸段丘の一番高いところにいる。
ということは、周囲290度は海なのだ。

24番札所 ・ 最御崎寺そばの坂道を上り詰めると立ち入り禁止の柵があった。
柵から15m 下の狭い平地に灯台がある。
普通、灯台は見上げるものだが、室戸岬の灯台は見下ろす格好になる。
灯塔は20m に満たないが、灯塔の位置が海抜140m の高台だから立派なものだ。
灯台ファンとしては少しがっかりだけど。
直径2,5m の巨大レンズは20秒で1回転する。 レンズは2基で、閃光は10秒に1回だ。
回転するたびに、190万カンデラというとてつもない照度が見学場所を直射する。
光達30,5海里というから、56km 先まで届く光だ。
その光にまともに照らされる灯台は室戸岬だけかも。
得がたい経験をしたが、灯台の入口で仮眠し、夜明けに見学したご褒美だろう。
  位置 東経134度10分42秒 北緯33度14分38秒
  創設 明治32年 (灯油)  大正6年 (電化)

灯台を後にして、海岸に降りた。
室戸岬は海岸で途切れずに、海中まで未練たらしく岩礁が続いている。 これがいいのだ。
あこがれて訪れたロカ岬 (ユーラシア大陸最西端) は断崖でプツン。
「ここに陸尽き、海始まる」 にしても、多少は未練を残した方ががいい。 好みの問題だが。

室戸岬漁港にも立ち寄った。
とにかく、台風のメッカだ。 避難港を始めて見た。 なるほど、と思った。
フツーの防波堤があって、船溜りにはもう1つ防波堤がある。 船溜りの防波堤が並じゃない。
防波堤に車が停まっていたから目測したら、10m はあろうか。
これが、台風銀座の港か! 毎年毎年のご苦労を偲んだ。


室戸岬から高知まで走る間に、「中岡慎太郎生家」 の標識もあったが、
ナニ、幕末の志士の生家なら我が長州の萩にゴマンとある。 割愛。
高知から家に電話。 「4時までに帰れそうにない」 OKが出た。
「いの」 で右折。 石鎚山系を越える算段だ。
ところで 「いの」 は昔、「伊野」 といったはずだが、どうして平仮名にするのだろう。
発音は変わらなくても、文章にするときはどうも書きにくい。
土佐和紙博物館があったので立ち寄る。 「紙漉き」 の作業を初めて見た。

下関~室戸岬ドライブ③

2005年12月12日 14時51分44秒 | 燈台めぐりノート
12月11日(日)―午後―
走っている194号もだが、高知 ・ 室戸間もそうだった。
高知県はやたらと 「道の駅」 が多い。「トイレ」 の標識も多い。 結構なことだ。
道の駅は、大体10km 間隔で建っている。
いつでも、どこでもきれいなトイレが使えるのは、旅行者にとってありがたいことだ。
そういえば、室戸岬のトイレも広くてきれいだった。
「高知県の印象は?」 と聞かれたら 「トイレがきれいな県」 と答えようか。

石鎚山系には雪が残っていた。 根雪になるのだろうか。
山越えはトンネルだから楽なものだ。
県境の寒風山トンネルは5432m という覚えやすい長さ。 さすがに長い。
国内では最長の無料トンネルだ、という。 とてもいいことだ。
こんな長いトンネルが無料だから、あとで腹が立つこととなる。

瀬戸内海に出れば西条。 今治まで走って本四連絡橋へ。
しまなみ海道と呼ばれる道を走るのは初めて。
今治IC~来島海峡~大島南ICの最初の区間が1850円!
「高いねェ」 といったら、
職員は 「橋1つが700円くらいですから」 と平然とのたまう。
3連橋だから、割り引いているんだゾ、と言わんばかり。 2度と来てやるもんか。
フェリーも高いと思ったが、一人で来た私がいけないのかナ。

途中の大三島では、大山祇神社を参詣。 目的は宝物殿。
ここには、国宝や重文の鎧や刀剣がゴマンとある。 かねがね来て見たい、と思っていた。
鎌倉、平安、南北朝と、時の権力者が寄進した鎧や刀剣だから、そりゃァ、凄い。
陳列に工夫がないことと、革や糸が退色しているのが残念だけど。

観るものを観たら、尾道に渡って、あとは下関に走るだけ。
山陽道、中国道と125km/時 で走り継いで、17時40分帰宅。
23時間で944km 走行の 思いつきドライブだった。