細菌戦の系譜!!

2020-09-12 14:20:31 | Weblog
 
 

 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。

 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

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検証・中国に於ける生体実験
東京帝大医学部の犯罪   美馬聡昭著  桐書房(2013年)

 

 

 

 

 

第4章  伝染病研究所と「実験医学雑誌」の雑報


日中戦争始まる

 

 宮川米次は、1937年6月1日を第1回目の伝染病研究所記念日とした。その式辞(雑報、216号)で、彼は「各国にも記念日がある。わが国では、神武天皇が即位した211日を紀元節としている。また東大は、従来帝大学令の発布した31日を記念日にしていたが、本年(1937)から、412日に改正した。まだ伝病研究所には記念日ない。61日を伝染病研究所の記念日としたい。この日を選んだ理由は、官立の研究所創立されたのは189931日であるが、芝公園内の研究所が、この地に起工したのが19056月で、竣工したのは19066月であった。ところが関東大震災(192391日)で大破して使用不能になり、現在の庁合は19316月に起工し、19346月に現在の新庁合の竣工にいたった」と述べた。

 

 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より


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