地球環境の破壊!!
ウクライナ・ガザに停戦を!!
戦争は、子々孫々に怨みを残す!!
戦争反対!!紛争は外交努力で解決を!!
原発活用の国策見直しを!!
ビキニ被災から70年!!
地球を破壊した戦争・核実験・原発
世界に拡がる放射能汚染!!
世界に拡がる放射能汚染!!
核兵器禁止条約批准せよ!!
反原発!! 温暖化の一番の原因は2000回以上行われた核実験にあるのではないか?
あれだけの戦争をし、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマで4度の被ばくの体験した日本から、核廃絶・反原発・反戦をアピールしよう!!
グリーンピースから届いたメールの抜粋(2023年)
1月:南スーダン 歴史的洪水で九州より広い土地が浸水
2月:チリ 10年続く「メガ干ばつ」により広がる火災
3月:南東アフリカ サイクロンが1,000人の命を奪う
4月:インド・バングラデシュ・タイ 「アジア史上最悪」の熱波
5月:イタリア 1日半の間に降った6カ月相当の大雨
6月:日本 台風2号で49名が死傷
7月:カナダ 森林火災950万ヘクタールが焼失
8月:観測史上最高の海水温と1.5度を超える平均気温の上昇
9月:ハワイ、ギリシャ、スペイン 大規模森林火災
10月、11月:続く高気温、史上最も暑かった年となる見込み (以上)
ビキニ被災から70年!!核廃絶!!
第五福竜丸事件を知っていますか〔ハイスクール・タイムズ〕より
ビキニ 隠された被害
- ゴミ埋め立て地に放置された第五福竜丸 -
焼津に帰港した第五福竜丸は、放射能の除去作業が行われたのち、東京水産大学の練習船として使用されました。しかし、1967年に廃船となり、船体は東京湾のゴミ埋め立て地「夢の島」に放置されていました。ゴミ埋め立て地の片隅で朽ちようとしていた第五福竜丸にふたたび光をあてたのは、1968年にひとりの会社員が新聞社に送った「沈めてよいか第五福竜丸」と題する投書でした。これをきっかけに、放置されボロボロになっていた第五福竜丸の修理に、多くの人々がボランティアで取り組み、元の姿によみがえらせたのです。
そして、1976年には、東京都立第五福竜丸展示館が開館して、第五福竜丸は水爆実験の生き証人として、来館者に無言で被ばくの実態を訴える役割を担っていくことになりました。第五福竜丸展示館の敷地内には、マグロのふるさと・南太平洋の海を思い起こさせる青い石でできた「マグロ塚」もあります。
第五福竜丸の乗組員だった大石又七さんが、「原爆マグロ」と呼ばれて捨てられたマグロのことを後世に伝えようと、全国の人から1人10円ずつの募金を集めて建てたものです。「マグロ塚」は、多くの「原爆マグロ」が地中深くに埋められた東京・築地市場への移転を目指しています。
2011年3月の東日本大震災による福島第一原子力発電所の事故以来、ふたたび第五福竜丸の被ばくがクローズアップされるようになりました。核実験であっても原発事故であっても、人々が被ばくすることに変わりないのです。かつて第五福竜丸が放置された夢の島は、2020年に開催される東京オリンピックの会場として利用されることになっています。未来につながる夢の島の片隅で、静かに核実験の悲劇を訴え続けている第五福竜丸に、会いに行ってみてください。
※1954年のアメリカの水爆実験による日本の被災船は、約1000隻に上る。アメリカは、第五福竜丸の船員には見舞金を支払ったが、他の船員には、全く補償をしていない。
ビキニ 隠された被害
原子力村解体!!安保村解体!
アンケートから
12月13日(水)
1,731部隊の事は少し知っていました。しかし、軍が隠し通しながら凄惨な人体実験をやってきたこと、関係者の上部の者は罪を免れ公職にも(その後)就いた事、改めて知り、驚きました。今あちこちできな臭い戦争が行われています。かつて日本も侵略して現地の人々を実験台にしていた事、もっと知るべきと思います。
貴重な企画ありがとうございました。
毎年八王子市も平和展が夏休み中開かれています。原爆の被害関係の展示はありますが、加害の部分が少ないようです。731部隊の資料も(一部でもいいから)加えて欲しいと思います。毎年実行委員会が1月頃広報に出るとか。来年度731部隊の展示もできないか問い合わせてみたらいかがでしょうか。
(60代以上、立川市、友人)
●三多摩平和交流会の感想
15、高橋君の「カクカワ」の活動の話に引きづりこまれました。国連での「核兵器禁止条約」成立の、新しい時代を切り開く希望として正面から受け止めた姿勢に深く感動しました。市民の運動が社会を動かし、世界を動かす展望を語る姿に日本の新しい希望を感じました。
「核兵器禁止条約への日本参加」を議員に直接尋ねる面会活動を進める「カクカワ広島」の体験談が聴きごたえがありました。この広島からの核廃絶の取組の中から研究分析による政治の分析は若い世代にできる柔軟で納得できるものになっていました。
(70代)