Русские солдаты! !! Часть 2 Russkiye soldaty! !! Chast' 2(ロシアの兵士の皆さん!!パート2)
プーチン氏逮捕に懸賞金1億円 狙いは?投稿の“富豪”に単独取材(2022年3月4日)
ウクライナ侵攻反対!!
ソニアの日記
コタバル 伝えられなかった戦争(2011)
セピア色の証言ー張作霖爆殺(86)
開戦ー前編ー
佐渡金山の世界遺産推薦問題に「歴史戦」とやらの余地はない
●防疫研究室と昭和天皇の関係
●1940年と2020年の東京オリンピック
●731部隊と国立感染症研究所の問題
●ABC企画委員会
●731部隊・100部隊展
●記憶の継承を進める神奈川の会
11月18日(木)
・731部隊の事初めて知ることが出来た。教科書に載っていない事、たくさん勉強できました。満洲での生物実験の証言や映像を見ることが出来たのは貴重でした。
(40代、市内)
『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子
「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より
d旧日本軍の細菌戦活動
旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」
長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)
・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。
日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236
「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。
昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。
勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。
細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第6回
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第7回
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第7回
全国食中毒事件録では、65頁で紹介したように、昭和31年に「Ⅶ所謂『水俣病』について」と題して特集として紹介されているものの、熊本県から食品衛生法に基づいた届出はない。一方、熊本県の隣の鹿児島県では、出水市米ノ津の事件として昭和35年(1960年)の全国食中毒事件録に水俣病3例(うち死者数1例)が報告されている。こうして見ていくと、熊本県が、意識的に水俣病を食中毒事件としては処理しないようにしていたとしか思えない。
東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫
元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉
「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」
帝銀事件というのは1948(昭和23)年1月26日に起こった銀行強盗殺人事件である。12人が毒殺されるという日本犯罪史上でも特異な事件だ。この事件は、同年8月に容疑者として画家・平沢貞通が逮捕され、裁判の結果、1955年に最高裁で死刑が確定した。
しかし、平沢犯行説には多くの疑問があったため死刑は執行されず、さりとて釈放もされず、平沢は再審請求をしながら1987年に95歳で獄死した。
1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察
731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。
●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!
東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?
満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??
東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??
伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??
実験医学雑誌第18巻雑報
18巻12号(1934年)
実験医学雑報18巻 1407頁 (1934年)
総説
満洲国に於ける見聞
宮川米次
第6章 満洲国医育及び医療機関の将来
公衆衛生講習所設置案
満洲国在来の漢方医は漢薬を使用する内科疾患の診療に従事するに過ぎず公衆衛生特に伝染病予防警戒に対する知識に欠ける所あり。
しかも、年々「ペスト」「コレラ」の侵襲あり。一方満州国の現状として在来の漢薬医業の禁止する能わざる実情にあるを以てこれ等漢方医師に対し短期間の公衆衛生伝染病予防警戒の補修教育を為すは目下の急務なり。
この目的を以て伝染病研究所と衛生試験所と併合したる衛生研究所の設立計画を為し、その予算を要求したるに研究所なる名称は現実に遠きの故を以てこれを衛生技術廠と改称し予算総額も建築費28万4千円に消滅去せられ為に国家自体の伝染予防準備機関たるに過ぎざるものとなれる。然れども一般漢方医の補修教育は1日も忽ちにすべからずこれに満洲国家以外の力により本計画の実現を訴えるものなり。
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
第6部
資料・731部隊細菌戦裁判
第1審判決全文
原告らの主張 (別紙3)
第6部
資料・731部隊細菌戦裁判
第1審判決全文
原告らの主張 (別紙3)
日本軍による中国への細菌戦の実行(事実論)
第4 本件細菌戦の残虐性
1 ジェノサイド兵器としての細菌兵器の残虐性
細菌兵器は、少量が使用されても大きな破壊力と潜在力を持っている。その破壊作用は長期間にわたり、一度収まっても、2度、3度流行することもある。
又、細菌兵器は、その開発過程において不可避的に残虐な生体実験を伴う。周知の通り、731部隊は、チフス、コレラ、赤痢、ペスト、炭疽、凍傷などの研究に際し、常時200人から400人の捕虜を生体実験に用いた(甲35)。生体実験の残虐さと、細菌戦の残虐さは、表裏一体を為すものである。
731部隊の行なった細菌戦
●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!
731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記
日本の中国東北侵略から91年
「1931」斉藤準太郎の日記
(お手紙より 2020年)
「より早く、より高く、より楽に、より~」を享受して、その恩恵に預かって過してきた私ですが、折々に行き過ではないかと危うさを感じていました。
高度成長期に見慣れた山間部の開発、大型スーパーの林立、近年になるとどこでも見かけるショッピングモール、これらに感激した一方、徐々に空虚な眼差しを向ける自分がいました。刺激を受ける事に疲れる年齢の為でもあるでしょう。
戻れるものなら、屋根の上から遠く横浜港を見晴るかして時間を忘れていた小学生の高学年のころに戻りたい、とまでは言わないけれど、世の中が貧しさから抜け出し、ゆとりの生まれた1970年代の初期まで、と叶わぬ望みを抱いたものです。
唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!
日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
Ⅱ 関連部隊・支部
シンガポールの細菌戦部隊にネズミを輸送
“難民区の華僑を虐殺”
大快良明(たいかいよしあき)8604部隊
<経歴>
1917年生まれ
1938年 臨時召集により輜重兵として第14連隊に入隊。第7防疫給水部に編入
1940年 現地召集解除。雇員として中支那派遣軍防疫給水部“原善部隊”に転属
1942年 南方軍岡第9420部隊に編入
1946年6月 帰国
◆この証言は1993年6月~95年までの聞き取りをまとめたもの。
解説ー731部隊と立川飛行場 (楢崎茂彌)
大快氏の話では、1度重爆撃機1機がエンジントラブルを起こして沖縄から台北、屛東(へいとう)と修理先を求めて飛行先を求めて飛行したことがあったので、松本氏がその飛行に加わっていたのではないかと期待したが、その時は一緒ではなかったようだ。
以上のように、何人かの方からの証言により、陸軍軍医学校・防疫研究室と731部隊、北京の1855部隊、南京の1644部隊、シンガポールの9420部隊を結ぶ国内の拠点が立川飛行場であることが確実になった。しかし関連施設が細菌戦の研究をしていたことはなく、単なる中継基地であった。
97式Ⅱ型重爆撃機
●証言
生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)
中央档案館
中国第2歴史档案館
吉林省社会科学院編
江田憲司
兒島俊郎
古川万太郎編訳
解説
1 生体解剖・人体実験の背景
日本の中国侵略戦争
この間中国の側では、対外抵抗よりも国内統一(共産党殲滅)を優先してきた蒋介石国民政府が、1936年12月の西安事件を機に、中国共産党の主張する「内戦停止・一致抗日」に方針を転換しつつあった。盧溝橋事件後の7月半ばには蒋介石は対日抗戦の決意を表明、8月には全国総動員令を発した。同月、華北の共産党軍は国民政府指揮下の国民革命軍第八路軍(略称八路軍)として編成され、9月には正式に第2次国共合作が成立、また華南・華中の共産党軍は新編第四軍(新四軍)となった(10月)。
第8章 戦後史の中の日本軍毒ガス兵器問題
1、日本の敗戦と毒ガス兵器の廃棄・遺棄
日本の敗戦と日本軍の武装解除
第1次世界大戦では、毒ガスが大量に使われた。
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第9章 戦犯の証言
戦犯たちの戦後50年
これが真実の姿なら、この民族には未来があるのだろうか?だが、今日は、会議の日本人たちがいかにまっずぐに現実に立ち向かい、いかに勇敢に自分の過ち、ひいては罪を認めているかを目の当たりにした。この日会った日本人は実に勇敢で前向きな精神に富み、真理を重んじ、未来ある民族であると確信することができた。
SNSで人気「ウサギの島」が背負った〝毒ガスの歴史〟大久野島を歩く
日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題
●『三光』 中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)
核時代39年(1984年)5月初版発行
2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
藤井治夫著
第2篇 自衛隊の機密
第1章 作戦用兵
3 最高の作戦計画
マップ・マヌーバ
研究の意義は、そこで出てきた教訓が防衛計画に生かされていくところにあるという。研究は現実の防衛計画の適否を検証しつつ、将来の計画立案に役だてられる。さらに計画具体化の指針ともなる。そればかりか、三矢研究のように「起こりうべき事態」を設想した研究は、同じ事態発生したときは、そのまま適用されていくのである。三矢研究は以上のような意義をもつ戦略研究のなかでも、かつてなく大規模な総合的研究であった。それは3つの分野について、あらゆる問題を総ざらいし解答をしめしている。すなわち、
第1は自衛隊の戦略計画について、
第2は日米共同作戦について、
第3は非常事態にたいする法制その他の国家施策についてである。
このように包括的かつ詳密な研究成果は、今日も自衛隊戦略研究の基軸となっているのである。その後の政府・防衛当局の諸施策は、三矢研究の見取図を下敷きとして立案され、推進されてきたといっていいほどである。かくも重要な今日的意義をもっている以上、われわれはこれを徹底的に分析研究しなければならないであろう。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦
1、自衛隊の装備・訓練を探る
装備・訓練の実体は
2、研究開発と自衛官の入学拒否
大学問題に頭を抱える
そして、防衛大学校が「大学」になり、医学部が設置されたとしても、一般大学や大学院における自衛官拒否問題で大学、学界、学生が提起した本質的な事柄は何等解決されるものではない。
自衛隊が3次防計画に基づいて技術研究本部の拡充をはじめとする大幅な技術研究開発計画を推し進めていることは、前述の通りであるが、肝心の研究員、技官、医官などの学者、専門研究者の集まりが悪くて頭をかかえている。
●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第1部 皇太子の教育
1901(明治34)年―1921 (大正10)年
第一章少年と家族と明治の遺産
迪宮が生後14ヵ月を迎えたとき、起伏のある閑静な東京麻布の川村邸には、最初の弟雍仁(秩父宮)が加わった。ふたりの幼児はその後3年半を川村邸で過ごした。その間3人の医者、数人の女官、大勢の使用人が、子どもたちの洋風の食事から特別あつらえのフランス製の衣類まで、日常生活のすみずみにわたって周到に管理した。そして日露戦争たけなわの1904年11月、川村は69歳で亡くなった。3歳の迪宮と2歳の秩父宮は両親のもとに戻り、初めは静岡県沼津の御用邸に、のちには塀に囲まれた広大な(80万平方メートル) 青山御所の一角に新築された皇孫御殿に住んだ。1905年には宣仁(高松宮)が生まれ、同年末皇に皇孫御殿の兄たちに合流した。彼らの養育は初め父皇太子の新任の侍従長木戸孝正が監督し、のちに専任の侍従が任命された。
日本国憲法9条
第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
RENUNCIATION OF WAR Article 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.
731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
※私が考える、今の異常気象の要因は
1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響
2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象
3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱
4、自動車社会の排ガス
5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?
●地球を破壊する核実験
フランス
サハラ砂漠での核実験
1960年2月13日 初の原爆実験(ジェルボアーズ・ブルー)。イスラエルの科学者が同席。事実上イスラエルとの共同実験。
1968年8月24日 初の水爆実験。
フレンチポリネシアでの核実験。
1966年から1996年1月までに約200回実施。
詳細は「フランスの大量破壊兵器」を参照
「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】
●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future
●核融合もすべきではない!!
核開発に反対する物理研究者の会通信
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
●核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊(unit731)
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!