No more war!
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No more Nanking!
No more Fukushima!
廃炉にこんなに時間とお金がかかる!!
原子力はこわい!!
福島第一原発 廃炉工程表を公表
(6月10日 19:50更新)
東京電力福島第一原子力発電所の廃炉の工程表について、政府と東京電力は、これまで個別に示していなかった、溶け落ちた核燃料の取り出しの開始時期を、号機ごとの状況で差をつけ、1号機と2号機では最大1年半前倒し、7年後の平成32年度とするなどの見直し案をまとめ公表しました。
福島第一原発の廃炉の工程表は、政府と東京電力が透明性をもって廃炉を進めるため、核燃料の取り出し時期などの目標を定めて公表しているもので、茂木経済産業大臣の前倒しの指示を受けて、新たに見直された案が10日公表されました。
それによりますと、まず溶け落ちた核燃料の取り出しの開始時期については、これまで個別に示さずに冷温停止状態の宣言から10年以内としていましたが、今回の見直しでは1号機から3号機の号機ごとの状況で差をつけ、技術開発の不確かさなどを考慮して複数の計画を示しています。
具体的には、1号機と2号機では、最も早いケースで、これまでより1年半早い平成32年度上半期の開始となっています。
ただ、この時期は、燃料を取り出すための設備の設置状況や建屋内の除染の進捗などによって変わり、1号機の場合、遅いケースでは、平成34年度下半期、2号機では平成36年度上半期となっています。
一方、3号機は、建屋の上にあるがれきによって放射線量が非常に高い状態だなどとして、今回の見直しでは前倒しはなく、早いケースでも平成33年度下半期と、これまでと変更はありません。
このほか、使用済み燃料プールからの核燃料の取り出しについては、1号機と2号機で初めて具体的な開始の時期が示され、1号機では平成29年度、2号機では平成29年度から35年度、一方、3号機は、去年、プールに鉄骨が落下してがれきの撤去が遅れている影響で、半年遅れの平成27年6月の開始となっています。
最も早い4号機については、予定どおり、ことし11月からの取り出しとなっています。
3つの原子炉でメルトダウンするという、世界でも例のない福島第一原発の廃炉の現場は、今も高い放射線量にさらされ、核燃料の取り出しなどの重要な作業は、ロボットに頼らざるをえないなど、今後の技術開発によって工程が大きく左右される可能性があります。
廃炉の実現は、福島の復興とも大きく関わることから、政府と東京電力は、これらの見直し案について地元の自治体に意見などを聞いたうえで今月中に決定する方針です。
廃炉への詳しい工程表
福島第一原発の廃炉の工程表は、おととし12月、当時の政府が冷温停止状態の宣言と合わせて公表しました。
工程を3つに分けて、4号機の使用済み燃料プールからの核燃料の取り出し開始までを第1期、溶け落ちた核燃料の取り出しの開始までを第2期、建屋の解体など廃炉を終えるまでを第3期とし、冷温停止状態の宣言を起点に、第2期については、10年以内の平成33年末、第3期は、最長40年後までに終えるとしていました。
今回、完了時期の見直しはなく、大きな変更点は、第2期の溶け落ちた燃料の取り出しの開始時期が、号機ごとに複数提示され、具体的になっている点です。
これは、事故から2年以上がたち、がれきの撤去作業の進捗や、建屋の放射線量の値に違いがあることを踏まえて、号機ごとに差をつけたものです。
具体的に見ていきます。
溶け落ちた燃料を取り出すには、建屋の上部に燃料を取り出すための設備を新たに設ける必要がありますが、水素爆発で建屋が壊れたかや、がれきの撤去が進んでいるかどうかなどでその方法の選択肢に違いがあります。
まず、1号機です。
建屋全体がカバーで覆われていてがれきの撤去作業が進んでいません。
このため、一度、カバーを解体し、がれきを撤去したうえで、燃料を取り出す設備を設置する方針です。
最も早いケースは、建屋の上部に設備を設置する場合で、1年半前倒しの平成32年度上半期、しかし、建屋の耐震性が十分でない場合、建屋に荷重をかけないよう建屋を覆うように新たな構造物を設置する必要があり、その場合は平成34年度下半期と逆に遅れます。
次に、2号機です。
水素爆発しなかったため建屋は壊れていませんが、建屋上部の放射能の汚染が特にひどく、除染の進み具合などによって3つの計画が示されています。
1つが、除染が進んだケース。
そのまま建屋を使うため、最も早い開始と見込んでいて、平成32年度上半期、一方、除染が進まない場合、1号機と同じパターンになり、建屋の上部に設備を設置する場合は平成33年度上半期、建屋全体で設備を支える場合は、平成36年度上半期と、開始時期に大きな幅があります。
3号機は、すでにがれきの撤去作業が始まっていて、4号機の次にプールからの燃料の取り出しが始まる予定で、最も早い想定では、プールからの燃料取り出し用の設備を改造して使用できる場合は平成33年度下半期、改造がうまくできなかった場合は、平成35年度下半期と、2つの計画が示されています。
廃炉実現には難しい課題も
福島第一原発の廃炉の実現は、福島の復興とも密接に関わっており、その道筋や見通しを示す工程表は、国民、世界の人たちにとっても関心が高く、透明性をもって作業を進めるうえでも重要な意味を持ちます。
特に今回の工程表の見直しでは、作業が順調に進む場合や、計画どおりに進まない場合などを事前に織り込んで複数の計画を示し、途中段階でどの計画に進むか、判断ポイントを設けて柔軟な対応ができるようにしています。
これは、裏返していうと、福島第一原発の廃炉作業が、それだけ先を見通せないさまざまな不確定要素を含んでいるといえます。
廃炉作業で最も重要な溶け落ちた核燃料の取り出しは、世界でも例のない技術的にも難しい作業です。
かつて福島と同じメルトダウンを経験したアメリカ、スリーマイル島原発事故の場合、溶け落ちた燃料は、原子炉内にとどまりましたが、福島の場合、原子炉の底を突き破ってメルトスルーし、格納容器のどこに、どのような状態で存在しているのか分かっていません。
さらに、核燃料の取り出しには、高い放射線量をさえぎるために格納容器を水で満たすことが最も有力だとされていますが、格納容器の損傷か所の特定すらできていない状況です。
ロボットや炉内を観察するテレビカメラなど新たな技術開発が不可欠で、廃炉工程は、こうした技術開発の動向によって大きく左右されることになります。
さらに福島第一原発の現場は、仮設の設備が多く、今も不安定な状態で、事前に予期できていなかったトラブルが相次いでいます。
去年、3号機の燃料プールに鉄骨が落下したトラブルでは、原因究明などに時間がかかり、がれきの撤去作業に大幅な遅れが出ました。
このほかにも、電源設備にねずみが侵入し、プールの冷却システムが長時間にわたって停止したり、地下の貯水槽から水漏れが見つかったりと、今後も思いもよらぬトラブルで廃炉工程に影響が出るおそれがあります。
40年かかとされる廃炉を1日でも早く実現することは、誰もが望んでいます。
想定されるリスクを事前に洗い出し、トラブルが起きた時にすぐに対応できる準備を整える、廃炉に向けた備えの充実が求められます。
専門家「1日も早く人が管理できる状態に」
今回の見直し案について、原発の安全対策に詳しい東京大学大学院の岡本孝司教授は「工程表は、一度作ったらそのとおりに進まないといけないものではなく、現場の状況を踏まえつつ、見直しながら前に進むことが重要だ。今回、うまくいかなかった場合のバックアップを示したのは分かりやすくてよいと思う」と述べました。
また廃炉作業を進めるにあたって「高い放射線量」が最大の課題になるとして、「人が近づけないと、ロボットで作業をしないといけなくなるが、ロボットも万能ではない。線量が低ければ、すぐに終わる作業も線量が高いために1年、2年と時間がかかることもありうる。そういう遅れも踏まえながら着実に進めることが求められる」と指摘しました。
そのうえで、「福島第一原発の事故はまだ収束していない。一応の安定状態にはあるが、1日も早く人の手で管理できる状態にしないといけない。国と東京電力は、公開の原則で、今、どういう状況にあり何が問題なのか、国民や国際社会に説明していく必要がある」と述べ、福島第一原発の現状をリスクも含めてしっかりと社会に示す重要性を強調しました。
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福島第一原発 廃炉工程表を公表
(6月10日 19:50更新)
東京電力福島第一原子力発電所の廃炉の工程表について、政府と東京電力は、これまで個別に示していなかった、溶け落ちた核燃料の取り出しの開始時期を、号機ごとの状況で差をつけ、1号機と2号機では最大1年半前倒し、7年後の平成32年度とするなどの見直し案をまとめ公表しました。
福島第一原発の廃炉の工程表は、政府と東京電力が透明性をもって廃炉を進めるため、核燃料の取り出し時期などの目標を定めて公表しているもので、茂木経済産業大臣の前倒しの指示を受けて、新たに見直された案が10日公表されました。
それによりますと、まず溶け落ちた核燃料の取り出しの開始時期については、これまで個別に示さずに冷温停止状態の宣言から10年以内としていましたが、今回の見直しでは1号機から3号機の号機ごとの状況で差をつけ、技術開発の不確かさなどを考慮して複数の計画を示しています。
具体的には、1号機と2号機では、最も早いケースで、これまでより1年半早い平成32年度上半期の開始となっています。
ただ、この時期は、燃料を取り出すための設備の設置状況や建屋内の除染の進捗などによって変わり、1号機の場合、遅いケースでは、平成34年度下半期、2号機では平成36年度上半期となっています。
一方、3号機は、建屋の上にあるがれきによって放射線量が非常に高い状態だなどとして、今回の見直しでは前倒しはなく、早いケースでも平成33年度下半期と、これまでと変更はありません。
このほか、使用済み燃料プールからの核燃料の取り出しについては、1号機と2号機で初めて具体的な開始の時期が示され、1号機では平成29年度、2号機では平成29年度から35年度、一方、3号機は、去年、プールに鉄骨が落下してがれきの撤去が遅れている影響で、半年遅れの平成27年6月の開始となっています。
最も早い4号機については、予定どおり、ことし11月からの取り出しとなっています。
3つの原子炉でメルトダウンするという、世界でも例のない福島第一原発の廃炉の現場は、今も高い放射線量にさらされ、核燃料の取り出しなどの重要な作業は、ロボットに頼らざるをえないなど、今後の技術開発によって工程が大きく左右される可能性があります。
廃炉の実現は、福島の復興とも大きく関わることから、政府と東京電力は、これらの見直し案について地元の自治体に意見などを聞いたうえで今月中に決定する方針です。
廃炉への詳しい工程表
福島第一原発の廃炉の工程表は、おととし12月、当時の政府が冷温停止状態の宣言と合わせて公表しました。
工程を3つに分けて、4号機の使用済み燃料プールからの核燃料の取り出し開始までを第1期、溶け落ちた核燃料の取り出しの開始までを第2期、建屋の解体など廃炉を終えるまでを第3期とし、冷温停止状態の宣言を起点に、第2期については、10年以内の平成33年末、第3期は、最長40年後までに終えるとしていました。
今回、完了時期の見直しはなく、大きな変更点は、第2期の溶け落ちた燃料の取り出しの開始時期が、号機ごとに複数提示され、具体的になっている点です。
これは、事故から2年以上がたち、がれきの撤去作業の進捗や、建屋の放射線量の値に違いがあることを踏まえて、号機ごとに差をつけたものです。
具体的に見ていきます。
溶け落ちた燃料を取り出すには、建屋の上部に燃料を取り出すための設備を新たに設ける必要がありますが、水素爆発で建屋が壊れたかや、がれきの撤去が進んでいるかどうかなどでその方法の選択肢に違いがあります。
まず、1号機です。
建屋全体がカバーで覆われていてがれきの撤去作業が進んでいません。
このため、一度、カバーを解体し、がれきを撤去したうえで、燃料を取り出す設備を設置する方針です。
最も早いケースは、建屋の上部に設備を設置する場合で、1年半前倒しの平成32年度上半期、しかし、建屋の耐震性が十分でない場合、建屋に荷重をかけないよう建屋を覆うように新たな構造物を設置する必要があり、その場合は平成34年度下半期と逆に遅れます。
次に、2号機です。
水素爆発しなかったため建屋は壊れていませんが、建屋上部の放射能の汚染が特にひどく、除染の進み具合などによって3つの計画が示されています。
1つが、除染が進んだケース。
そのまま建屋を使うため、最も早い開始と見込んでいて、平成32年度上半期、一方、除染が進まない場合、1号機と同じパターンになり、建屋の上部に設備を設置する場合は平成33年度上半期、建屋全体で設備を支える場合は、平成36年度上半期と、開始時期に大きな幅があります。
3号機は、すでにがれきの撤去作業が始まっていて、4号機の次にプールからの燃料の取り出しが始まる予定で、最も早い想定では、プールからの燃料取り出し用の設備を改造して使用できる場合は平成33年度下半期、改造がうまくできなかった場合は、平成35年度下半期と、2つの計画が示されています。
廃炉実現には難しい課題も
福島第一原発の廃炉の実現は、福島の復興とも密接に関わっており、その道筋や見通しを示す工程表は、国民、世界の人たちにとっても関心が高く、透明性をもって作業を進めるうえでも重要な意味を持ちます。
特に今回の工程表の見直しでは、作業が順調に進む場合や、計画どおりに進まない場合などを事前に織り込んで複数の計画を示し、途中段階でどの計画に進むか、判断ポイントを設けて柔軟な対応ができるようにしています。
これは、裏返していうと、福島第一原発の廃炉作業が、それだけ先を見通せないさまざまな不確定要素を含んでいるといえます。
廃炉作業で最も重要な溶け落ちた核燃料の取り出しは、世界でも例のない技術的にも難しい作業です。
かつて福島と同じメルトダウンを経験したアメリカ、スリーマイル島原発事故の場合、溶け落ちた燃料は、原子炉内にとどまりましたが、福島の場合、原子炉の底を突き破ってメルトスルーし、格納容器のどこに、どのような状態で存在しているのか分かっていません。
さらに、核燃料の取り出しには、高い放射線量をさえぎるために格納容器を水で満たすことが最も有力だとされていますが、格納容器の損傷か所の特定すらできていない状況です。
ロボットや炉内を観察するテレビカメラなど新たな技術開発が不可欠で、廃炉工程は、こうした技術開発の動向によって大きく左右されることになります。
さらに福島第一原発の現場は、仮設の設備が多く、今も不安定な状態で、事前に予期できていなかったトラブルが相次いでいます。
去年、3号機の燃料プールに鉄骨が落下したトラブルでは、原因究明などに時間がかかり、がれきの撤去作業に大幅な遅れが出ました。
このほかにも、電源設備にねずみが侵入し、プールの冷却システムが長時間にわたって停止したり、地下の貯水槽から水漏れが見つかったりと、今後も思いもよらぬトラブルで廃炉工程に影響が出るおそれがあります。
40年かかとされる廃炉を1日でも早く実現することは、誰もが望んでいます。
想定されるリスクを事前に洗い出し、トラブルが起きた時にすぐに対応できる準備を整える、廃炉に向けた備えの充実が求められます。
専門家「1日も早く人が管理できる状態に」
今回の見直し案について、原発の安全対策に詳しい東京大学大学院の岡本孝司教授は「工程表は、一度作ったらそのとおりに進まないといけないものではなく、現場の状況を踏まえつつ、見直しながら前に進むことが重要だ。今回、うまくいかなかった場合のバックアップを示したのは分かりやすくてよいと思う」と述べました。
また廃炉作業を進めるにあたって「高い放射線量」が最大の課題になるとして、「人が近づけないと、ロボットで作業をしないといけなくなるが、ロボットも万能ではない。線量が低ければ、すぐに終わる作業も線量が高いために1年、2年と時間がかかることもありうる。そういう遅れも踏まえながら着実に進めることが求められる」と指摘しました。
そのうえで、「福島第一原発の事故はまだ収束していない。一応の安定状態にはあるが、1日も早く人の手で管理できる状態にしないといけない。国と東京電力は、公開の原則で、今、どういう状況にあり何が問題なのか、国民や国際社会に説明していく必要がある」と述べ、福島第一原発の現状をリスクも含めてしっかりと社会に示す重要性を強調しました。
IMAGINE 9
09 想像してごらん、 9条がゆきわたった世界を。 Imagine, A world filled with Article 9. 文 星川淳、河崎哲 合同出版より ●ドイツの日本の違い ドイツの医学会の謝罪や脱原発はドイツ国民が「生命への畏敬の念」に目覚めたからか? それに引き換え日本の派遣社員の現状は「お前のスペアはいくらでもいる。いやならやめな!」 会社に掲げられた標語には「かけがえのない一人ひとりを大切に!」 かつて軍人勅諭にこんな言葉があったっけ!! 「死は鴻毛よりも輕しと覺悟せよ!!」、 人間を人間として見ずモノとして扱う体質!! ワタミ・渡辺会長「365日24時間死ぬまで働け」について。- 2013.06.06 Unit 731: Japan's biological force 王選と日本人の友人達 part1 カスタマー・レビューより 第二次世界大戦時の医師の責任を問う, 2002/4/29 レビュー対象商品: 人間の価値―1918年から1945年までのドイツの医学 (単行本) 現在この「人間の価値 -1918年から1945年までのドイツの医学-」は、ドイツですべての医学生に読むことが義務付けられている(?)著書だ。この著書はドイツでの同名の展示会のおりに刊行された書物(カタログ)の中心的部分をまとめたものである。 著書の中で、ドイツ人医師が身体障害者、ユダヤ人、ポーラがンド人、精神薄弱者、遺伝病の子供などを、ナチズムという名のもとにおいて公然と人体実験、殺戮した罪を問う。 この著書が出版されたのは1989年と戦後から44年も経っている。著書によると、1945年から西ドイツでは、中途半端な「非ナチ化」かしか行われてこなかったが、民主主義が成熟し、1980年代になると個人、社会に戦争責任が問われるようになる。 この著書はドイツ人自らが行った過去への反省と、未来への固い誓いとも言えるだろう。 最近、日本でも医療問題や、戦争に回帰するような発言や動きが絶えない。こんな時代にこそ誰もが読んでほしい著書だ。 『人間の価値』 ―1918年から1945年までのドイツ医学 Ch.ブロス/G.アリ編 林 功三訳 1938年11月9日*を思う *「水晶の夜」 *「水晶の夜」 ベルリン医師会の声明 ベルリン医師会はいま、ナチズムの中で医師層がはたした役割と、忘れることができない犠牲者の苦しみを思い起こす。医師組織を結成する我々は、我々地震の過去とナチズムに関与した医師の責任を問題にしないわけにはいかない。 ナチス政権掌握の何年も前から、医師たちも人間の社会的差別と少数者の迫害を奨励する思考をはっきりもっていた。遺伝優生学や人種的遺伝体質、遺伝的に劣る人間、人生の余計者、生きる価値のない人生、といった思考であり、ナチス保健政策の基礎を築いた思考である。これが社会的に自明のものとされ、差別を正当化したのである。それが人間の絶滅を可能にしたのである。 ユダヤ人の医者は「アーリア人」の治療をすることが許されなくなり、1938年、法律によって、彼らの新規採用と開業が禁止され、また彼らの既得の営業許可が消滅されられた。ユダヤ人および異なる思想を持つ人々が排除されたことに対して、同僚の医師サークルやその団体からはほとんど抗議の声が挙がらなかった。 医師たちは「遺伝病の子どもの出生を予防する」法律を準備するのに関与し、無数の病気の人々、身体障害者に対する不妊。断種手術をおこなった。 医師たちは選別と殺戮の官僚機構に協力した。専門家として彼らは選別の鑑定を行い、国家医療行政機構に協力して、強制収容所へ患者を移送させた。 医師たちは「安楽死病院」で働いた。彼らによる「認定」がヨーロッパのユダヤ人の工場的規模の殺戮の基礎になった。 医師たちは強制収容所、研究所、大学病院で残酷な人体実験を行った。 ごくわずかの医師たちが彼らのキリスト教的、社会主義的、共産主義的世界観にしたがって抵抗したにすぎない。 ベルリン医師会はその過去の重荷を負う。我々は悲しみと恥を感じている。(以上) ■処方箋による4分の1リットルのミルク 第1次大戦末期の飢餓の冬に、約80万人の人々が栄養失調の結果死亡した。1917年12月、飢餓がその頂点に達したとき、ベルリン医師委員会の会長は全ての医師に宛てて回状を送った。「同僚諸君、諸君は患者の聴罪司祭である。諸君は患者を啓蒙し、教化し、戦争を貫徹させるように患者を勇気付ける義務がある。臆病な患者には、諸君は断固たる処置をとらなければならない。」ブレスラウ大学の内科の教授、ゲオルク・ローゼンフェルトは公然と次のように言明した。「どれほど栄養が欠乏していても、わが国民は今以前よりも健康になっている。平時の栄養過多は戦時の栄養不足よりも危険なものであることがわかった。」 ドイツ精神医学会の謝罪 ドイツ精神医学会は公式に謝罪しました。では、日本の精神医学会は パネル集「戦争と医の倫理」 発行「戦争と医の倫理」の検証を進める会 発売三恵社より ●南京大虐殺 「この事実を・・・・」 (「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開?/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税) ※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。 南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。 今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!! ヴォートリン この時期の市内の状態 この国際委員会ができたことについては、南京安全区を提案し、作り上げるためのあらゆる計画を実行し、そしてそれを維持しているのまで、ほかの筋から皆さん聞いておられることと存じます。安全区にいる中国人のほとんどが、実業家や宣教師などこのグループの方々に、非常な感謝の念を抱いていますのは、緊張と恐怖におののいた数週間にも、この方々のおかげで、どれほど安全が守られ保護を受けたか、計り知れないからなのです。そして考えの深い中国の人たちが、この巨大な恩恵に無頓着なわけではなく、心からそれに感謝しているのが、わたしには分かります。ドイツの実業家のラーベさんがこの委員会の議長をしておられ、何ものも恐れずに疲れることなく、基督会に属する金陵大学教授のスマイス博士が、書記をしておられます。 中国各紙、好意的に報道 鳩山氏の南京大虐殺記念館訪問 「河村市長を訴える」再度の南京大虐殺否定発言で生存者が怒り=中国 毎日中国経済 2013年04月04日19時52分 名古屋市の河村たかし市長が再度、南京大虐殺を否定する発言をしたとの報道を受け、中国の墓参りの日である清明節の4日、南京大虐殺の生存者で84歳になる夏淑琴さんは「大虐殺を否定するというのであれば、河村を訴える」と怒りをあらわにした。中国新聞網が伝えた。 夏さんはこの日、南京大虐殺記念館を訪れ、犠牲者追悼の碑に花をたむけた。夏さんは毎年清明節にここを訪れているという。 日本の政治家がまた南京大虐殺を否定していることを知った夏さんは同記念館の朱成山館長に対して、「河村を訴える」と激しく怒りながら語った。 共同通信によれば、河村市長は1日、名古屋市長選の公開討論会の席で昨年の南京大虐殺否定発言について質問を受け、改めて「撤回する考えはない」と発言した。夏さんは「私は認めない。河村を訴える。あれだけ多くの人が死んだ事実がありながら、なぜ否定するのか」と、激しい反感を隠さなかった。 夏さんは南京大虐殺をめぐって何度も日本で証言し、2008年の裁判では日本の歴史研究者の著書をめぐって勝訴した。 日本銘心会南京友好訪中団の松岡環団長は4日、現地で行われた「清明祭」に出席。松岡氏は「河村市長は歴史的研究から南京大虐殺を否定する結果を導き出したわけではない。右派の政治家としてこうした観点が必要で、それを維持している。政治的利益のためで、これも政治の右傾化の危険な点だ」と指摘した。 (編集翻訳 恩田有紀) 脱原発 足尾から水俣、反原発へ 没100年を生きる田中正造 六つの墓 廃村から100年 小出裕章氏講演 "田中正造アースデイ ひとに夢、地球に愛" 1 もう一度知ってみよう。福島原発汚染水問題について(5/29/2013) 20130608 ラジオフォーラム 第22回 小出裕章ジャーナル 断層上の原発 VS 生活の窮状 RCサクセション サマータイムブルース~LOVE ME TENDER |