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広島原爆平和式典に思う!!

2010-07-28 11:41:15 | Weblog


日記@BlogRanking
原爆投下から60年経ってようやく、国連事務総長やアメリカのルース駐日大使が広島を訪れ、式典に出席し慰霊するという。核兵器の廃絶のスピードが加速すればと思う!!
 片や、日本の政府高官は、日中戦争の謝罪に、南京大記念館や平房の731部隊罪証記念館に行こうとはしないのか?日本の加害の事実はどう対応するのか?

広島平和式典:国連事務総長が初参列
2010年7月26日 11時19分 更新:7月26日 11時50分
広島市の秋葉忠利市長は26日、平和記念式典に国連の潘基文(バン・キムン)事務総長が参列すると正式に発表した。国連トップが初めて式典に参列することで、「核兵器なき世界」に向けて国際的なメッセージを発信する。原爆慰霊碑への献花やスピーチを予定し、式典後は講演会や高校生との交流会にも臨む。
 潘事務総長は5月、米ニューヨークであった講演で「核軍縮は私にとって最優先事項。8月に広島に行くつもりだ」と表明していた。
 同市によると、潘事務総長は5日夜に長崎から広島入りする。6日午前の式典に参列後、原爆資料館の視察や被爆体験証言を聴き、講演会と記者会見を予定。午後には、市内の高校に出向いて生徒と交流する。【矢追健介、寺岡俊】

ルース米大使が初出席へ 8月の広島平和式典
【ワシントン共同】8月6日に広島市で開かれる原爆死没者慰霊式・平和祈念式(平和記念式典)に、ルース駐日米大使が初めて出席する方向で米政府が最終調整していることが27日分かった。日米関係筋が明らかにした。
核兵器廃絶を提唱するオバマ米大統領の方針を反映した動きとみられる。
ルース氏は昨年10月に広島市の原爆ドームや原爆資料館を視察している。広島市は1998年以降、核保有国に式典出席を要請してきた。
在京外交筋によると、英政府も代表者を出席させる方向で調整している。
日本国内ではオバマ氏が11月に来日する際に被爆地を訪問することに期待感が高まっている。
2010/07/28 10:45 【共同通信】

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この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

2010-07-28 05:04:45 | Weblog

日記@BlogRanking

日米間の密約はまだまだ存在する!!
全世界の究極の祈り・願い!!
「No more war!!」
武器よ!さらば!沖縄の米軍基地撤去!
               
「怨」

きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)

新しい日本!!
「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
(昭和天皇の戦争責任・戦争犯罪を問う。)
(時効なき戦争責任・戦争犯罪)

●731部隊
『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪)
西里扶甬子著:草の根出版:2002年発行
第三章 新しい証言者と新資料の出現
昭和天皇死去・「731部隊展」以降
陸軍参謀の業務日誌
(1)中国での実戦
人体実験の記述
 大塚文郎医事課長の日誌には、陸軍省から731細菌戦部隊の現況視察のために満州へ出張した、小出軍医中佐の報告が記されている。これには「チフス保菌者治療」という名分で、「マルタ」を使った「膿菌を入れる」実験が行われ、効果があったと記されている。「ウジ」弾の製作と「細菌攻撃実験用に丸太500名」という記述もある。また、ペスト菌液を入れた「ハ弾」で、人間を使って実験し、「傷者の10~30%が発症」などの、人体実験の生々しい記述がある。
 さらに報告を受けて、「丸太使用実験は中央として大いに全軍的に重要な事を解決せしむる為なり」と、人体実験を評価するコメントが記されている。これは日本陸軍が、国家的プロジェクトとして細菌兵器開発を推進し、多くの人命を犠牲にする残虐な人体実験を、公然と承認・評価していたことを明らかにしている。
※731部隊の巨大な施設や、その他の中国・アジアにあった支部や研究所は、東京にあった陸軍軍医学校の防疫研究室からの指示を受け、相互に連絡を取り合って人体実験や細菌爆弾の開発をしていた。その防疫研究室には京大や東大の学者も嘱託員として研究に参加し、弟子を部隊に派遣させたり、実験に対するいろいろなアドバイスを出していた。731部隊を中心とした細菌爆弾の開発は国家の命運を賭けた国家的プロジェクトであったことが上記の日誌からよく分かる。そこでの残虐な人体実験も公然と承認されていたことも分かる。このような歴史的事実を国は率直に認めるべきである!!
●南京大虐殺   
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)
※私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
2、日本軍の狂暴な個人的虐殺
目撃された虐殺の凄まじさ
韓湘淋(男)の証言
 その時は城内は食料がまだ充分ありました。それは一つには国民党が初めは南京を死守しようと思っていて、食料をかなりたくわえていたからで、その他に、城内の市民でよそへ逃げたのがたくさんいて、食料は持って行けなかったためです。日本軍が市内に侵入する前は、市街地はかなり混乱はしていたものの、略奪の現象は見られませんでした。
城内は、兵士たちの方がラオパーイシン(=庶民)と警官よりも大勢で、商店という商店がもう全部閉まっていましたが、水道と電気はとまっていませんでした。
 12月10日に、国民党政府が南京を放棄すると決定し、蘇州から南京に撤退してきた教導総隊と、それに元々は白崇禧に属している広西の部隊(75師や74師、唐生智自身には部隊はなく、指揮が効かない)などが、南京から撤収しようとしました。唯一のルートが長江を浦口まで渡って徐州へ回り、京漢路を通って武漢に至るというものでした。けれども長江には渡し船が2、3隻しかありません。これらの軍隊に、渡し船の争奪で、衝突が起きたりもしました。ある部隊は争って船に乗るなり、機関銃を据えて、他の部隊には乗らせまいとしました。
 その時は、難民区に難民がおよそ25万人いて(元々南京市民はおよそ120万人いた)、逃走したラオパーイシンは、主に安徽省(あんきしょう)の蕪湖(ぶこ)の方向へ逃げたのでした。(明日に続く:高興祖が記録)
●731部隊と天皇

  欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語を奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。
 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!!

 マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか?
そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。
 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。
上記のことを実行するためには、天皇や731部隊員の戦犯免責が必要であったため、731部隊関係者には、最初は731部隊員の戦犯免責はマッカーサー自らが与えていたが、ソ連の介入により、アメリカ本国の了解を取るようにした。
 また、東京裁判でこの件が裁かれないように工作し、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。
 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。
 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。

 戦後、アメリカのキャンプ・デトリックから細菌戦のことを調査しに派遣された調査官サンダースやトンプソンの731部隊員に対する尋問する前に、GHQのG-2(参謀2部)が先手を打った。*G-2(参謀2部)が、軍事的に価値ある情報(人体実験と実戦データ)を密かに独占することを目的に、731部隊中枢幹部と陸軍高級参謀の一部との極秘の取り引きで、サンダースやトンプソンの尋問に対する供述の内容をコントロールしていた。その背後には、大統領の椅子にまで野心を燃やしていたマッカーサー将軍が、トルーマン大統領にうとまれていた化学戦部隊と共謀して、原爆に匹敵するような秘密兵器を持ちたいという願望があった。
 また、マッカーサー将軍が、8万8千人の将兵を置き去りにして、オーストラリアへ逃げた雪辱を果たし、軍人としての失地回復を図るには、日本占領・統治には失敗は許されなかった。大規模な人体実験と細菌兵器の実戦使用が明らかになれば、当然おりから進行中の東京裁判でも、重大な戦争犯罪として裁かれざるを得なくなる。そして、それはまた、極秘部隊ではあっても、天皇の軍令によって正規軍の一部となっていた細菌戦部隊(防疫給水部)の行状として、天皇の戦犯訴追という結果を招きかねない重大問題であった。それは、日本軍部が、敗戦を目前にして最後までこだわった、国体護持を危うくしかねない問題そのものであった。双方の利害はそこで完全に一致していた。*

731部隊幹部はデトリックの調査官に、人体実験の事実は隠し続け、人体実験はしていないと嘘を通した。
1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊幹部の尋問を要求した。*この尋問要求をめぐる米ソの協議の過程で、人体実験、ノミや細菌の生産の実態など、731幹部隊員の供述が提示されたことによって、価値ある情報の独占を画策していたマッカーサー及びG-2 は、あわてて戦犯免責取り引きを含めて、ソ連の要求に対する対応を本国からの指示を仰ぐというかたちに切替えたと考えられる*。
 アメリカは731部隊幹部に約束した戦犯免責を保証し、人体実験・生物戦のデータを独占しようと、石井らと打ち合わせをする。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになってしまった。
731部隊の戦犯追及をしていた占領軍(アメリカ)の法務局の活動はアメリカ自身の手によって強制的に中止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
 
 日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)
その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか?
※*~*【『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪)西里扶甬子著 :草の根出版】より引用。
※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】

 

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