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この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

2010-07-20 06:18:43 | Weblog

日記@BlogRanking

日米間の密約はまだまだ存在する!!
全世界の究極の祈り・願い!!
「No more war!!」
武器よ!さらば!沖縄の米軍基地撤去!
               
「怨」

きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)

新しい日本!!
「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
(昭和天皇の戦争責任・戦争犯罪を問う。)
(時効なき戦争責任・戦争犯罪)

●731部隊
『731部隊の生物兵器とアメリカ』
(バイオテロの系譜) 2003年発行
(ピーター・ウィリアムズ / デビッド・ウォーレス=著 西里扶甬子=訳 かもがわ出版)
◆ジョン・パウエルが暴露した免罪取引
  パウエルは当時を回想して次のように語っている。
「そりゃ素晴らしい気分だった。その情報をもって対決してやろうと、アーヴォ・カーペンターを捜した。扇動罪の裁判で彼が私に向ってわめく姿を覚えていたからね。でも、それまでに彼は死んでいた」
 太平洋の反対側の日本では、1982(昭和57)年4月、衆議院で厚生省復員援護局長の森山規矩夫が初めて731部隊の存在とその犯罪的実験を認める発言をした。そして、石井には1億3000万円にも及ぶ退役年金が支給されたことを明らかにした。
『アトミック・サイエンティスツ』誌のパウエルの記事には、東京裁判のオランダ人裁判官バート・ロリングの、彼を欺いた者たちへの怒りに満ちた声明文が添えられていた。

 軍の中核の命令によってなされたもっとも忌まわしい日本の戦争犯罪が、アメリカ政府によって極東軍事法廷に極秘にされていたということを今になって知らされるというのは、私にとって実ににがにがしい経験である。人間を生物学的実験に使うということは、重大な戦争犯罪である。
※パウエルが暴露した731部隊とアメリカ政府の免罪取引の波紋は大きかった。ちょうどその頃に森村誠一の『悪魔の飽食』3部作が空前のベストセラーになり、731部隊の存在が日本でも話題になっていた。森村氏もパウエルと会ったり、連絡を取り合い、彼の論文を日本でも紹介した。
 国会でもいろいろ質疑が行われたようだが、上記の内容だけで終始してしまったのか、私はその詳しい内容を知らない。それにしても、石井四郎を裁かず、退役年金が1億3000万円とは驚きだ!!
 また、1980(昭和55)年度検定で合格している家永三郎の高等学校用日本史教科書『新日本史』の日中戦争の記述に、1983(昭和58)年12月17日に以下の一文を全面削除を命ずる修正意見をつけた。

その一文とは
【またハルビン郊外に731部隊と称する細菌戦部隊を設け、数千人の中国人を主とする外国人を捕らえて生体実験を加えて殺すような残虐な作業をソ連の開戦に至るまで数年にわたってつづけた。】

文部大臣は学界の現状は資料収集の段階であって、専門的学術研究が発表されるまで至っていないとし、教科書に取り上げることは時期尚早であるとした。
これに対しても家永側が裁判を起こし、最高裁まで争われ、731部隊の記述は認められた。
ウィキペディアより引用(家永教科書裁判)
第三次訴訟
1982年の検定を不服として家永が起こした国家賠償請求訴訟。
• 第一審(1984年1月19日提訴、1989年10月3日判決、東京地裁)<昭和59年(ワ)第348号>
o 判決(加藤判決)は、検定制度自体は合憲としながらも検定における裁量権の逸脱を一部認め、草莽隊の記述に関する検定を違法とし、国側に10万円の賠償を命令した。
• 第二審(1989年10月13日原告控訴、1993年10月20日判決、東京高裁)<平成元年(ネ)第3428号・平成2年(ネ)第2633号>
o 判決(川上判決)は、検定制度自体は合憲としながらも検定における裁量権の逸脱を一部認め、草莽隊に加え南京大虐殺、「軍の婦女暴行」の記述に関する検定も違法とし、国側に30万円の賠償を命令した。
• 上告審(1993年10月25日原告上告、1997年8月29日判決、最高裁)<平成6年(オ)第1119号>
o 判決(大野判決)は、検定制度自体は合憲としながらも検定における裁量権の逸脱を7件中4件認め、草莽隊による年貢半減の公約、南京大虐殺、中国戦線における日本軍の残虐行為、旧満州731部隊の記述に関する検定を違法とし、国側に40万円の賠償を命令した。(原告の訴えの中で却下された検定は、「日清戦争時の朝鮮人民の反日抵抗」「南京戦での日本軍の中国人婦女暴行」「沖縄戦」である)
詳しくは松村高夫編『論争731部隊』をお読みください!!
政府も731部隊の事実を隠そうと、必死である!!アメリカ側から返された資料が防衛省の管理も下に保管されているのだから、もっと国民に公開すべきである!!
それにしても、東京裁判とは何であったのか?大事なことがさっぱり裁判官にも知らされず、マッカーサーの占領軍が隠していた!!これでは、本当の裁判にはならないのではないか?
●南京大虐   
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)
※私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
2、日本軍の狂暴な個人的虐殺
目撃された虐殺の凄まじさ
靳徳勤(女、64歳)の証言
 1937年の12月20日に、私は難民区の金陵女子大学にいました。日本軍は入ってきてから至る所でホアクーニャン(=若い娘)を要求しましたが、ある時日本軍が難民区に来て中国の男の青年を2,3百名捕まえ、私たちに親族認定をさせ、認める人がいる者は一方に立たせ、認める人がいないのは捕まえて行きました。その時私はお粥を買いに行ったのですが、そこに兄がいるかもしれないと思い、そばで見ていたところ、兄は見かけませんでした。その時捕まった人たちの群の中で、30歳前後の青年が私を指差し、私がその人の従妹だと言うので、その人の一命を救うために、その人は従兄ですと私が言ったら、売国奴がその人を引っ張り出して来て、この青年は難を免れました。その他の2,3百名は認定する人がいなくて、みんな下関の江辺まで捕まって行き殺害されてしまいました。
 日本軍はそれに入ってきてから至る所で家を焼き、私も難民区で見たのですが、至る所に日本軍に焼き払われた家があり、夜は大きな火が天に紅く映えていました。(沈崇峰と王佩如が記録)
●731部隊と天皇
 欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語を奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。
 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入っていたはずである。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊ではなかったか?

 マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか?
そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。
 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。
上記のことを実行するためには、天皇や731部隊員の戦犯免責が必要であったため、731部隊関係者には、最初は731部隊員の戦犯免責はマッカーサー自らが与えていたが、ソ連の介入により、アメリカ本国の了解を取るようにした。
 また、東京裁判でこの件が裁かれないように工作し、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。
 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。
 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。

 戦後、アメリカのキャンプ・デトリックから細菌戦のことを調査しに派遣された調査官サンダースやトンプソンの731部隊員に対する尋問する前に、GHQのG-2(参謀2部)が先手を打った。*G-2(参謀2部)が、軍事的に価値ある情報(人体実験と実戦データ)を密かに独占することを目的に、731部隊中枢幹部と陸軍高級参謀の一部との極秘の取り引きで、サンダースやトンプソンの尋問に対する供述の内容をコントロールしていた。その背後には、大統領の椅子にまで野心を燃やしていたマッカーサー将軍が、トルーマン大統領にうとまれていた化学戦部隊と共謀して、原爆に匹敵するような秘密兵器を持ちたいという願望があった。
 また、マッカーサー将軍が、8万8千人の将兵を置き去りにして、オーストラリアへ逃げた雪辱を果たし、軍人としての失地回復を図るには、日本占領・統治には失敗は許されなかった。大規模な人体実験と細菌兵器の実戦使用が明らかになれば、当然おりから進行中の東京裁判でも、重大な戦争犯罪として裁かれざるを得なくなる。そして、それはまた、極秘部隊ではあっても、天皇の軍令によって正規軍の一部となっていた細菌戦部隊(防疫給水部)の行状として、天皇の戦犯訴追という結果を招きかねない重大問題であった。それは、日本軍部が、敗戦を目前にして最後までこだわった、国体護持を危うくしかねない問題そのものであった。双方の利害はそこで完全に一致していた。*

731部隊幹部はデトリックの調査官に、人体実験の事実は隠し続け、人体実験はしていないと嘘を通した。
1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊幹部の尋問を要求した。*この尋問要求をめぐる米ソの協議の過程で、人体実験、ノミや細菌の生産の実態など、731幹部隊員の供述が提示されたことによって、価値ある情報の独占を画策していたマッカーサー及びG-2 は、あわてて戦犯免責取り引きを含めて、ソ連の要求に対する対応を本国からの指示を仰ぐというかたちに切替えたと考えられる*。
 アメリカは731部隊幹部に約束した戦犯免責を保証し、人体実験・生物戦のデータを独占しようと、石井らと打ち合わせをする。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになってしまった。
731部隊の戦犯追及をしていた占領軍(アメリカ)の法務局の活動はアメリカ自身の手によって強制的に中止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
 
 日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)
その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。
※*~*【『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪)西里扶甬子著 :草の根出版】より引用。
※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】

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