1937年(昭和12年)7月7日の北京郊外の蘆溝橋で日中両軍が衝突した。ときの近衛文麿内閣は、最初不拡大の方針を声明したが、しだいに軍部に押され態度が変わっていく。まず、7月11日に中国側の武力抗日にたいして反省を促す為の重大決意をもって華北に派兵すると言う「重大決意声明」。次にシナ軍の「暴戻」をよう懲し、持って南京政府の反省を促す為、断固措置をとると言う「南京政府断固よう懲声明」(8月15日)そして、断固として積極的、かつ全面的にシナ軍に対して一大打撃を与える為に挙国一致の国民精神総動員を呼びかけた国会における施政方針演説。原因究明をせず当時の軍部の拡大派の思惑に乗ってしまった感じだ。 上海に投入された上海派遣軍は、中国軍の激しい抵抗を受け、戦闘は長期化した。そして、やっと上海で勝利したら、松井司令官は南京攻略戦に走ってしまった。中国のその当時の首都が陥落すれば、中国は降参するだろうと言う思惑のもとに。ここでの戦闘が終われば祖国に帰れると思った兵士も多いと思う。上海から南京までの戦闘で何人もの戦友を失った恨みもあったに違いない。そのような状況の中で南京大虐殺は起こった。以下は、昨日の鈴木記者の「私はあの“南京の悲劇”を目撃した」と言う回想の続きです。{ ふりおろされた死のツルハシ神経の凍る思いで、その場を去り、帰途に再び「功[励]志社」の門をくぐってみた。さきほどは気づかなかったその門内に、一本の大木があり、そこに十名余の敗残兵が、針金で縛り付けられていた。どの顔も紙のように白く、肌もあらわにある者は座り、ある者は立って、うつろな目で、私をジッと見つめた。 その時、数人の日本兵がガヤガヤと入ってきた。2,3人がツルハシを持っていたので工兵と知れた。そばに立っている私には目もくれず、その中の一人が、その大木の前に立つと、「こいつらよくも、俺たちの仲間をやりやがったな」と叫ぶや、やにわに、ツルハシをふりあげて、この無抵抗の捕虜の一人をめがけて、振り下ろした。鋭く光ったツルハシの先が“ザクッ”と音を立てて刺さり、ドクッと血が噴き出した。それを見たあとの数人は、身をもがいたがどうすることもできず、他の兵の暴力のなすがままになってしまった。まさに目をおおう瞬時の出来事だった。この捕虜の中には丸腰の軍装もあったが、市民のソレとわかるようなものもいた。それを私は、止めるすべもなく逃げ出した。 それから、15日[16日の誤り]に南京を去るまで、城内の取材にあたった。光華門に通じる道路の両側にえんえん続く、散兵壕とみられるなかは、無数の焼きただれた死体で埋められ、道路に敷かれた丸太の下にも、死体が敷かれていて、腕、足の飛び出している有様は、まさにこの世の地獄絵である。 その上を戦車は容赦なく、キャタピラの音を響かせて走っているのを見て、死臭、硝煙の臭いとともに焦熱地獄、血の池地獄に立つ思いがした。自らが“獄卒”の立場とある錯覚におちいるほどだった。 城外北方、揚子江の対岸、浦口と対する水陸交通の要衝である下関の場合はさらになまなましく、日本兵の急追に逃げ場を失った数千の兵、市民がここで、機関銃の掃射で殺され、まさに血の海、死体の山となり、さすがに広い揚子江の黄色い流れも、赤い血によどんで、多数の死体が漂っていた。 倉庫に密集するこの地の、ここかしこに、刺殺する兵の姿もみられて、恐るべき死の街と化していた。 }
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