ウチの子が旅立ちました。
14歳と2ヵ月の命でした。
4月に14歳の健診で血液検査をした時に、
「整合性のない数値が出た」と言われて、
下旬に再検査して、エコーやレントゲンを撮ったら、
「肝臓がんの末期だ」と言われ…
GWから毎朝、曜日に関係なく毎朝、点滴と注射に通いました。
西洋医学に東洋医学も加えて、
出来る事はオペ以外やってあげました。
覚悟は出来ているつもりでしたが、
喪失感が半端ありません。
(この先に亡骸の写真を載せていますので、
苦手な人は読まないでください)
お通夜には、ゴンタクラブでもらった
白いタオルを顔にかけてあげました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/29/9643cd586a51fe02a24cf988bbbe3609.jpg)
苦しまずに逝ったので、安らかな顔です。
体もずっと柔らかかったです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/27/89988c0a49ad8a9b6b5b7fc7c320cf8e.jpg)
そしてお葬式。
火葬場に向かう前に、
元気だったころに良く散歩したコースを回りました。
春は数種類の桜が咲き、
夏は木陰を渡る風が心地よかったです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/a0/a161f6e95d42308794ec995349cdd466.jpg)
でも、時期的なモノなんでしょうが、
雑草が生い茂って手入れされていない、
うらびれた感じが悲しかったです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/76/799b169ae2495382c4ce84aabc4fc8cb.jpg)
火葬場です。
お守り刀を胸に置き、
三途の川の渡し賃の六文銭の代わりに、
100円玉や500円玉を供えました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/ae/f7d7cebda92c3067b435eab0166110b8.jpg)
「お経を上げましょうか?」と聞かれましたが、
遠慮しました。
そしてこの子の姿を見られる、
本当に最後の最後です。
持参したお花で飾り、
おやつにあげていたジャーキーを持たせました。
「次は人間に生まれておいで。
またいつか、どこかで会えるといいね。」
そう言ってお別れしました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/2f/853137c2a11fcf5820f322ffb5c8592b.jpg)
今はこんなに小っちゃくなっちゃいました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/47/3daba768048169f50d3ff687d4e5a87d.jpg)
なんのかんの話しかけては、
お骨箱の上に顎を載せて抱きしめるから、
骨箱の上に変な皺が寄りました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/3a/3ba7131c441e779d2fd08cceffbcb435.jpg)
私が先に逝ったら、もっと大変だったし、
苦しまなかったし、
寿命だったんだから。
そう自分に言い聞かせてはいるけど、
やっぱり悲しくて、会いたくて、抱きしめたくて。
少し片づけては、寂しくなっちゃって泣き、
ご飯の時間になって薬をのまそうとして、
「ああ、もういないんだっけ」と思っては泣いていました。
何をする気になれず、思いっきり泣いたから、
これから少しずつ、前を向いて歩いて行こうと思います。
ウチの子になってくれてありがとう。
きっと幸せな一生だったと思いたいです。
一緒に暮らした私は、すごく幸せでした。
あんなかわいい子と12年も暮らせたんだもの。
またきっとどこかで会えるよね。
14歳と2ヵ月の命でした。
4月に14歳の健診で血液検査をした時に、
「整合性のない数値が出た」と言われて、
下旬に再検査して、エコーやレントゲンを撮ったら、
「肝臓がんの末期だ」と言われ…
GWから毎朝、曜日に関係なく毎朝、点滴と注射に通いました。
西洋医学に東洋医学も加えて、
出来る事はオペ以外やってあげました。
覚悟は出来ているつもりでしたが、
喪失感が半端ありません。
(この先に亡骸の写真を載せていますので、
苦手な人は読まないでください)
お通夜には、ゴンタクラブでもらった
白いタオルを顔にかけてあげました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/29/9643cd586a51fe02a24cf988bbbe3609.jpg)
苦しまずに逝ったので、安らかな顔です。
体もずっと柔らかかったです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/27/89988c0a49ad8a9b6b5b7fc7c320cf8e.jpg)
そしてお葬式。
火葬場に向かう前に、
元気だったころに良く散歩したコースを回りました。
春は数種類の桜が咲き、
夏は木陰を渡る風が心地よかったです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/a0/a161f6e95d42308794ec995349cdd466.jpg)
でも、時期的なモノなんでしょうが、
雑草が生い茂って手入れされていない、
うらびれた感じが悲しかったです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/76/799b169ae2495382c4ce84aabc4fc8cb.jpg)
火葬場です。
お守り刀を胸に置き、
三途の川の渡し賃の六文銭の代わりに、
100円玉や500円玉を供えました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/ae/f7d7cebda92c3067b435eab0166110b8.jpg)
「お経を上げましょうか?」と聞かれましたが、
遠慮しました。
そしてこの子の姿を見られる、
本当に最後の最後です。
持参したお花で飾り、
おやつにあげていたジャーキーを持たせました。
「次は人間に生まれておいで。
またいつか、どこかで会えるといいね。」
そう言ってお別れしました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/2f/853137c2a11fcf5820f322ffb5c8592b.jpg)
今はこんなに小っちゃくなっちゃいました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/47/3daba768048169f50d3ff687d4e5a87d.jpg)
なんのかんの話しかけては、
お骨箱の上に顎を載せて抱きしめるから、
骨箱の上に変な皺が寄りました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/3a/3ba7131c441e779d2fd08cceffbcb435.jpg)
私が先に逝ったら、もっと大変だったし、
苦しまなかったし、
寿命だったんだから。
そう自分に言い聞かせてはいるけど、
やっぱり悲しくて、会いたくて、抱きしめたくて。
少し片づけては、寂しくなっちゃって泣き、
ご飯の時間になって薬をのまそうとして、
「ああ、もういないんだっけ」と思っては泣いていました。
何をする気になれず、思いっきり泣いたから、
これから少しずつ、前を向いて歩いて行こうと思います。
ウチの子になってくれてありがとう。
きっと幸せな一生だったと思いたいです。
一緒に暮らした私は、すごく幸せでした。
あんなかわいい子と12年も暮らせたんだもの。
またきっとどこかで会えるよね。