「2083―ー欧州独立宣言」日本語版

グローバル極右界の「共産党宣言」、現代世界最大の奇書

2.23 多文化主義の基盤を知れ――タイタンから「自決蟻」レミングへの路(p390~)

2012-11-27 21:42:48 | 左翼思想批判
 前へ

 
レコンキスタ


 出典

 原文の解説
 ここに掲げるのは英国国民党の支持者が書いた7部構成の長大随筆の内の第2部「潮流を止めよ」だ。ここには多文化主義の真名たる嫌白人流、嫌欧州流の人種主義的側面が暴露されている。本宣言文を記し始めた頃は、イスラムを第一の主敵としようと思い、人種についてはより中立的表現で済まそうと計画していた。
 しかし、何らかのPC主義的な枷を気にしていては、多文化主義に含まれる人種主義的側面を看過することになってしまう。欧州では「欧州人」と自称する方が「白人」よりも好まれるが、これを「人種主義的」と敬遠しているようでは、ムスリムの人種主義的植民地主義に対抗できない。非白人への人種主義だけでなく、嫌白人流の人種主義も列記として存在しているというのに。

 連盟訳注
 「旅蟻」レミングの集団自決というのは、ディズニーの造りだした神話に過ぎない。もう一つの出典サイト「I Luv SA」の宣伝文句は「哈南アフリカ共和国――だけど僕は今の政権が嫌いだ」である。

 背景
 第1部ではジェノサイド級の欧州文化ハラキリの事例を紹介した。事実、欧州先住民の自覚的意図でそうしたハラキリが行われているのだ。執筆者はこんな疑問を発した。「人類史上最も強盛だった他者に羨望されし社会が、どのようにして存続の危機に立たされる状態に堕したのかと。
 猶督教(ユダヤ・キリスト教)の伝統は確かに全能なる西欧文明の発展に寄与してきた訳だが、その中には西欧先住民のハラキリを肯定する戒禁も含まれていた。偉大なる「虚無の王」ニーチェが看破したように、そこには「黙哀なる弱者を讃え、文武両道の富者が全能のヤハヴェ様によって討滅される」という覆倫(moral inversion)の原理があったのだ。
 ニーチェはこうした覆倫を衰滅させねばと説いたのだが、マルクス主義者と自由主義者はこの覆倫を流用して「被害者集団」をつくり出した。そして現在の西洋では弱者を強者にするのではなく、強者を弱者にする文化が蔓延している。
 この紅世を公然と非難しようものなら、忽ちこの自由多文化教の使徒たちから憎悪犯罪者という烙刻が張り付けられる。これは天母の普遍原理に反する事態だ。欧州先住民だけがこうしたハラキリを行っている。これを推進しているのは、弱者のためと称する自己チューの倫理十字軍だ。
 
 夢想の終焉
 自由多文化の使徒たちは「万物は平等」と唱える。この空虚なる玉兎的幻想郷の中では、男女は平等、全民族は平等、全性愛は平等、全児童は平等、児童と大人は平等、文化も平等も皆平等ということになり、何かへの優越感を語る者はそれだけで不平等の徒とされ、許容されぬことになる。
 正に獅子と羊が永遠に安穏としている「香里」の静寂に包まれたセカイだ。天母が要求する弱肉強食の戒律を覆倫した自壊的セカイだ。天母は常に平等と真空を埋めることを望む以上、この平等感は即座に打破されるだろう。
 男女をみよ。屈強な男もいれば軟弱な男もいる。長身の者も低身の者も中間の者もいる。獅子の如き勇者もいれば、どこまでも従順な貴婦犬もいる。先天的才能も様々だ。女だって容貌、主導力、希望は別だ。受け入れるかどうかは別だろうが、人間は先天的に不平等な存在であり、(必ずしも先天的才能に差があるという訳ではないが)、それが人間の真名なのだ。
 フェミ娘たちは女がずっと男の尻に敷かれてきたなどと、畢竟「嫌女性流」や「男根排斥豚」に繋がる主張を行う。しかし、その声に屈して西欧社会をフェミ娘化すると、西欧は間違いなく倒壊するが、これは第3部で論じることにしよう。とにかく、女性を抑圧された存在として描くのは、天母の摂理に反する主張の典型例だ。

 些細なる達成
 民族集団の平等という話になると、話はより不毛になる。例えば、「黒人は概して身体能力に秀で、多くの格闘家や速走者(アスリート)を生み出してきた」といえば皆に納得してもらえるだろうが、「世界史的にみて白人は黒人より知的であり、白人は天母より突き付けられし世界の難問をより効率的に解決してきた」といえば、皆から人種主義者と烙刻を張られるだろう。
 しかし、これは完全なる事実なのだ。
 宗教なら矛盾が更に顕現する。「猶督教はその倫理観により他の宗教より概して平和的で寛容だった」という意見に異を唱える者は少ないだろうが、「イスラムは暴力と強制を真名とし、夷教徒や女性に人権や敬意を払わない陋習的で独善的な髑髏なる邪教だ」といえば、「嫌イスラム流」とか「人種主義者」とかいわれるだろう。すべての宗教は平等だから、猶督教徒にも狂信的な暴力分子がいた、すべては「解釈」の問題だという紅由なる反論を聞くたびに戦慄したものだ。
 サヨク的な平等観念により、強盛なる西欧を貶める修悪作業が、ニーチェの指摘する「覆倫」に基づき進行している。典型的なネタが十字軍だ。十字軍は狂信的ジハーディによるビザンツ臣民への殺光行為に対する報復だったわけだが、ジハーディは「イスラムの真名とは異なる過激派」となる。
 何という事実の修悪だろう。自由多文化主義の善良なる使徒たちは史実から目を背けて歴史を歪曲し、妄想物語に邁進する。史実を追及する賢人たちの前で、嘘で塗光した歴史と共に。それに失敗すると、欧州に進出した偉大なる英国国民党の成果に嫉妬して暴力を煽動する。これはもはや自虐精神に囚われた精神病者の行状だ。以降は更に自由多文化主義者の病理を追及していく。

 一方通行
 多文化主義者は「すべての人種と文化は平等」と実際に主張している。しかし、なぜ西洋だけが多文化主義の舞踏会をしなければならないのか?つまり、

 人種は平等というが、なぜ中国人、日本人、朝鮮人、アラブ人、パキスタン人、アフリカ人は自分たちの土地で大量移民を進め、異文化や異教を取り入れようとしないのか?
 
 それでも、多文化主義の平等舞踏会は始まっている。豊饒なる西洋を彼らが侵略・植民地化する形式で。そこに平等を見出すことは、歯の生えた雌鶏を探すくらい難しい。疑うなら、南アフリカやジンバブエ、中東で白人が対等に扱われているかどうかその手の陳告団(ロビイスト)に尋ねてみて欲しい。ボーア人が既に3000人以上嫌白人流の名の下で殺戮されている。それをサヨク団体が真摯に糾弾しただろうか?贖罪主義の自由主義者は西洋にしかいないではないか?[連盟注 アパルトヘイト後の治安悪化については批判が二級水準だが行われている。白人作家クッツェーはこの問題を主題として作家活動を展開する]
 もうちょっと単純な質問を続けよう。
 民族集団や文化がみな平等というのなら、なぜここまで多くの非西洋人が母国を捨て西洋へ集団移住してくるのだろうか?なぜ、彼らは白人の創造した生活様式や資本主義体制に魅了され、福利を享受し、西洋人の叡智で創造された商品を利用するのだろうか?これぞ西洋社会の強盛振りと他文明との不平等性を顕現させる格好の例だ。移住を待望している者もいる。
 ここにこそ「我々は皆平等」という妄想性が顕現している。弱肉強食の原理だ。つまり、西洋に移民が押し寄せると、西洋の国力は弱まり、やがては第三世界化していくということである。
 蹴球、ラグビー、クリケット等運動競技は概ね西洋の独壇場だ。人種が対等だというのなら、どうして非西洋の運動競技や商慣習が普及しないのだろう?これも西洋優位を象徴する不平等の証左だ。
 それに、どうして西洋から非西洋世界への移民は極めて少ないのだろう?そうすれば世界はより多元化する筈なのに。非西洋世界からの移民は、西洋で福祉体制の恩恵を受け、母国に富を齎しているが、非西洋内部で移民してもそうはならない。つまり、西洋文明は世界で最も強盛なので、第三世界の某国が西洋人の大量移民補完計画を立案してもおかしくはない。これによる移民は、サヨク団体の考える多文化主義の概念とは隔絶したところで起きている現象だ。
 どうしてアフリカの原始部族の生活を西洋人は模倣しようとしないのだろう?黒人部族は西洋人の面前で他部族への偏見を煽っている。良識ある自由多文化主義の使徒さん、アフリカの暴漢たち(おっと部族か)を平等知らずと糾弾したことがありますか?この不都合な真実に目を背けるなら、貴方は人種主義者の一味同然ですよ。
 富裕なる社会で平等と多文化主義の夢想に耽るのは容易だが、貧困と暴力の蔓延する社会では難しい。例えばイランで多文化主義的な平等観を語ってみてはどうだろう?どうなるか結果が分かっているから語らない?
 これこそ多文化主義が掲げる平等志向の妄想性を示す格好の事例だ。

 次へ