「2083―ー欧州独立宣言」日本語版

グローバル極右界の「共産党宣言」、現代世界最大の奇書

3.111 国家無政府主義者(p1252~)

2013-03-04 20:04:03 | 左翼思想批判
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 行動なき展望は夢想に過ぎぬ。展望なき行動は時の無駄なり。展望ある行動こそセカイを変える――ジョエル・バーカー

 国家無政府主義とは不完全な言葉だ。しかし、俺はこの言葉を有効な作法で我らの闘争に直接貢献していない全ての者に吐きつける。
 国家無政府主義者とは、政治的に行動しようとしないウケミ分子、またはどうみても広い世上に受容されぬ狭量な政治綱領を前面に掲げて行動する政治分子だ。後者は寧ろ国家主義の大義を穢してもいる。
 我らは赫部(警官は敵だ)精神を採らない。我らにとって警官とは目的達成を速めてくれる手段だ。紅世の奸者を護る警官は必ずしもその限りではないが。
 真の無政府主義者なら、刺青でなく銃や書籍で文武を固めることにこそお金を使うべきだろう。彼らは長期目標もなくPC主義ブルジョワ体制の位階秩序を讃えるだけだ。しかし、我らの原理を受け入れれば、彼らも明日の偉大なる領導者になれるだろう。欧州民族主義者は彼らに集団責任というものを教示し、欧州大内戦における有為な戦力にしなければいけない。彼らが赫部精神に囚われたままでは困るのだ。
 国家無政府主義者は移民や警察、無政府マルクス主義者でなく、紅世の奸者にこそ矛先を向けるべきだ。この七頭のグエムルをあらゆる手段で封絶するのである。路上での示威行為も必要だが、より重視すべきは英國自衛連盟の如く、その抵抗をもっと効率的に行うことだ。
 紅世の奸者より体制の方がより安易に陥落することだろう。現代的宣伝作法を持つ我らは、1000名の国家社会主義者より強い。一騎当千たる我らが1000人集まれば、中産国の文化マルクス体制を降伏させられよう。1000人は確かに多すぎる目標だが、一部でも今の国家無政府主義者が我らの大義の下で生ける伝説となってくれたら幸いだ。

 紅世の奸者との戦い
 ムスリム移民に直截刃を向けると、弾圧の口実を求める文化マルクス体制の奸計に嵌まってしまう。白人先住民は決してそうすべきではない。
 例え話をしよう。風呂の蛇口が壊れて水が溢れている場合、我らは水でなく蛇口の方を治すことだろう。移民問題もこれと同じだ。蛇口が紅世の奸者で、水がムスリムなのだ。義挙の時期をムスリムの祝日に合わせれば、ムスリム移民は必ず火病し、ジハードの名の下、近隣で討滅作戦を展開するはずだ。そうなれば、文化マルクス体制の威信は揺らぎ、多くの被害者が真実に覚醒することだろう。
 ムスリム放逐を始めるのは、飽く迄我らが政権を掌握してからだ。

 無政府国家主義――野生動物保護の観点から
 俺はオスロでジハード噴青と何度も遭遇している。その度に俺は直接対峙せず、草泥馬の如く物心両面で逃散して回っていた。何故応戦しなかったのか?親族からの支援で武装する手もあったが、敢えてそうはしなかった。
 俺は15歳の頃ジハード噴青との対面法を変えた。長期の結末などお構いなしの彼らの本能的行動はまるで野生動物のようだった。野性動物を手懐けるより、噴青を火病させる方がずっと簡単だったともいえる。だから、愛郷志士たちも野性熊の如き彼らと素手で応戦するのは避け、真の作法で政権掌握を優先すべきだ。
 
 近所での振る舞い
 もし君がムスリムの蕃城と化した場所に住んでいるのなら、そこを戦場とするのは得策でない。闘争の場所と時期はこちら側で決めるべきだ。晩時の嘆きとしてイスラム化した近所で殉教することに何の意義があるのだろう?
 近所でイスラム化を止めたいのなら、ムスリムが一人もいない町で一人もムスリムがやってこないよう訴えるべきだ。近所の民とイカした意思疎通を行い、誰もムスリムに家を売らないよう導向するのである。

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