古事記や日本書紀にも登場する「対馬」(長崎県)。国境を背負い、古来、防衛の要衝だった“防人の島”が、韓国パワーに席巻されている。韓国からの観光ラッシュに続き、島の不動産が続々と韓国資本に買い占められている。リゾートホテルに民宿、釣り宿…。過疎化に悩む対馬自身が本土よりはるかに近い韓国に傾斜せざるを得ないという複雑な事情もあり、豊富な資金力を武器に買収はこれからも激しさを増すだろう。韓国人観光客のなかには、自国領土と本気で信じ込んでいる人すらいる。日本人が気づかない間に、対馬は、安全保障、主権国家としての領土保全にかかわる深刻な事態にさらされつつある。(編集委員 宮本雅史)
◆自衛隊基地隣接地も
対馬空港に到着してまず耳にしたのは、島内の不動産が韓国勢に買い占められていることを危惧(きぐ)する声だった。それも1人や2人からではなかった。中でも、「海上自衛隊の基地に隣接する土地が韓国資本に買収された」という話に危機を直感した。
真偽を確かめるため、対馬市の中心街・厳原(いづはら)町から車で国道382号線を北上、海上自衛隊対馬防備隊本部がある同市美津島町竹敷を訪ねた。
竹敷地区はリアス式海岸特有の湾曲に富んだ入り江と無数の小島からなる浅茅(あそう)湾に面している。古くは遣新羅使が停泊するなど、船舶交通の中心だったが、明治19(1886)年に、自然が作った海の迷路を生かして、水雷施設部が設置されたほか、日清戦争後はロシアに対する前進根拠地として海軍要港施設が整備されるなど、国土防衛の要害であり続けた。
余談になるが、近代に入り、ロシアやイギリスの対馬接近に脅威を感じた日本政府は、島内30カ所に砲台を整備。特に昭和初期に作られた上対馬の豊砲台には、巡洋戦艦から航空母艦に転用された「赤城」の40センチ連装砲塔を設置するなど、対馬海峡全体を防衛できるよう整備した。この豊砲台は太平洋戦争後、連合軍が解体を試みたが、あまりにも堅固過ぎ爆破するしか手段がなかったという。
このように、対馬は、風光明媚(めいび)な観光地だけではなく、国土防衛の要の地として島全体が要塞(ようさい)として歴史を刻んできた。
竹敷の集落に入るとすぐ、海沿いの左側にみえてくる大きな建物が防備隊本部だ。同本部は、島北部の大浦基地と南部の安神基地を統括、対馬海峡近辺の情報収集に当たっている。防備隊本部と隣接してリゾートホテルが目に飛び込んでくる。
対馬市議会の国境離島活性化特別委員会委員長の作元義文市議(58)によると、以前は、旧大洋漁業系の大洋真珠の加工工場だったが、真珠養殖業の衰退で平成14年に工場を閉鎖。海自に隣接するため、自衛隊に買ってもらうつもりで話をしていたが、先延ばししているうちに、昨年夏、島民名義で韓国資本に買われてしまったという。現在は、韓国資本が100%出資するリゾートホテルに様変わりしていた。
◆行幸の碑も“人質”
敷地内には、韓国の寺院を思わせる檜(ひのき)造りの門が来訪者を威圧するように構えている。駐車場に車を止めると、マネジャー風の韓国人男性が飛び出してきて、厳しい表情で取材はダメだという。見学するだけという条件で門をくぐると、10棟近くの戸建ての宿泊施設が並ぶ。門は“国境”の意味を兼ねているのだろうか。韓国領に足を踏み入れたような違和感を覚える。
真珠工場が使っていたとみられるはしけには、釣り用のボートが停泊している。旧海軍ゆかりの赤煉瓦(れんが)の弾薬庫が場違いな雰囲気で残されている。平成2年、天皇、皇后両陛下が長崎県を行幸啓の折、真珠工場にお立ち寄りになったことを記念した「行幸記念の碑」が宿泊施設にはさまれ、人質のように鎮座している。
敷地は険しい岸壁と海に囲まれ、外から中の様子をうかがうことはできない。ただ、海からはボートで自由に出入りできる作りになっている。
韓国人男性によると、70人ぐらいは宿泊でき、近くの島民8人が従業員として働いているという。
ある地元住民が匿名を条件にこう言って顔を曇らせた。
「自衛隊の動向がいつも監視されているような気がする。買い戻そうという声が上がったこともあるが、一度買ったものを手放すはずがない。今更、手の打ちようはないが、せめて両陛下の記念碑だけは市が引き取るなど対処してほしい」
対馬で民宿を経営する在留韓国人によると、このリゾートホテルの実質的なオーナーは釜山に住む60代後半の畜産会社社長。最初は別荘を計画、知り合いの島民名義で3000坪を5000万円で購入したが、その後、2億5000万円の費用をかけてホテルに改築したという。
この韓国人は「10人ぐらいの地元島民をかき集めて、突貫工事で完成させた。工費はすべて、現金で支払われた」という。
そういえば、門に使われている檜は、至る所がひび割れしていた。生木を十分に乾燥させないで使ったためだろう。いかに急ごしらえで改築したか。その性急ぶりを象徴している。
◇
□浸食される国の要衝
■土地名義も経営者名も島民…最近まで気づかず
◆無人島にも触手?
竹敷地区の漁業を管轄する美津島町西海漁業協同組合の黒岩美俊組合長(74)によると、同地区には、このリゾートホテル以外にも、防備隊本部に近接するように韓国人が経営する民宿が2軒あり、20人近い島民が雇われているという。
対馬空港から車で5分ほど行った対馬海峡と浅茅湾をつなぐ大船越地区でも民宿が韓国人女性に買収されていた。
そこで働く島民によると、もともと、日本人が経営していたが、昨年、経営不振で競売に出された。それを知った旅行会社の元添乗員だった韓国人女性が、知り合いの日本女性の名義で、土地と建物を650万円で購入したという。
近くに住む3人の日本人女性が雇われ、掃除や食事の準備をしているという。
作元市議によると、不動産の買い占め場所は1カ所に集中せず、点在しているが、なかでも風光明媚(めいび)な浅茅湾の周辺に人気があるという。ただ、「浅茅湾には無人島が多いので、これからは何十とある無人島に触手を伸ばす韓国人も出てくるのでは」と激しい買い占め工作に危機感をつのらせる。
ホテルや民宿だけでない。釣り宿も標的になっている。朝鮮海峡につながる峰町狩尾の三根湾沿いにある釣り宿を訪ねた。韓国人観光客が20人ほど、釣りの準備をしている。船長らしい日本人に声をかけてみたが、警戒しているのか、反応が鈍い。顔を曇らせたのは、外国人に禁止されているまき餌に協力している可能性があるからだと、後で知った。釣り船は4隻。午後2時に出発して日没後の午後9時ごろまで客の面倒を見るという。
■従業員は島民
この釣り宿は、在留資格のある韓国人が現地法人を立ち上げて経営、オープンして4年になる。もちろん、宿泊客は韓国人観光客で従業員は近くの島民だ。
対馬協議会事務局長の友納徹氏(58)によると、この釣り宿のオーナーはさらに、大きな観光ホテルを計画しているようだという。
観光地にバンガローを建てる韓国人もいる。日本海海戦記念碑が建立され、三宇田海水浴場にも近く、観光地として知られる上対馬町殿崎。朝鮮半島を望める韓国展望所に通じる県道わきの雑木林から茶色の屋根が7つのぞく。韓国人が島民名義で建てたバンガローだ。
地元島民(75)は「この夏、見かけん子供がいっぱいおるけん、どこの子かと思って話しかけたら、韓国語でしゃべるからびっくりして。しゃべらんと全く分からん」というが、時既に遅し。土地の名義も経営者の名前も島民になっているため、最近まで全く気づかなかったという。
友納氏によると、不動産の買い占めが始まったのは20年ほど前のことで、当時は、宗教団体関係者が1000万円単位の現金をちらつかせて買いあさっていたという。ここ数年は韓国資本が個別に進出、民宿だけでも島全体ですでに15軒ほど買収され、進行中の計画を含めるとその数はさらに増えるという。
■チラつく中国の影
同氏は「つい最近も、上対馬で30万坪の山林を漁業関係者から買おうとする動きがあった。これはうまくいかなかったようだが、気になるのは、韓国人だけでなく、中国の影がちらつくケースもあることだ。マンションを買って民宿を始めたある韓国人を調べると、中国と取引をしていることが分かった。とにかく、買い占めているのが民間人なのか、企業なのか、それとも組織だったものなのか、全く分からない」と続ける。
こうした韓国資本による不動産の買い占めに財部能成市長(50)は「韓国人が、現地法人を作ったり、日本人の名前を使ったりして不動産を取得しているのは事実のようだ。特に、経営不振の民宿が狙われやすいと聞いている。ただ、どのくらい買い占められているのか、実数はつかめない。島全体に点在しているし、書類を見ただけでは分からない。情報をもとに推測するほかない」と頭を抱える。
買い占めている韓国人の目的はおろか、その素性さえも分からないというのが実情だ。
■強い韓国領土意識
対馬の領有権については、太平洋戦争後、李承晩政権が、連合国軍総司令部(GHQ)に対し、竹島だけでなく、対馬についても「韓国の領土であり、日本によって強制的、不法に占領された」として、日本からの割譲を要求したが、GHQは「根拠がない」として一蹴(いっしゅう)している。韓国側は、慶尚南道馬山市議会が、平成17年、「対馬島は韓国領土であることを内外に知らしめ、領土権確立を目的とする」という条例を可決するなど、対馬が韓国領土であるという主張を崩していない。しかし、魏志倭人伝にも対馬は倭国の領土であると記載されており、有史以来、韓国の領土ということはありえない。
ただ、上対馬観光物産事務所長の武田延幸さん(58)が「観光客の中には『対馬は魅力がある。やはり、昔から、対馬は韓国のものだから、山も欲しいよねえ』とはっきり言う者もいる」というように、依然として、対馬が韓国領土だと信じている韓国人がいるのも事実だ。対馬が韓国の領土という意識が強ければ強いほど、ますます、進出してくるのは火を見るより明らかだ。
実際、話を聞いた在留韓国人は「これからは在留資格をとって、本格的に進出してくる韓国人が増えるのではないか」と断言した。
財部市長が「このままでは、10年かかるか20年かかるか分からないが、いずれ韓国色に染まってしまう可能性がある」と漏らした。
国家の要衝が、虫食いのように侵食されていく。根は想像以上に深い。数年後、オセロ風ゲームのように、気がつくと、島の大半が韓国色に染まっているという事態も十分に予想される。財部市長の不安は、単なる危惧(きぐ)では済まされない。対馬はそこまで追いつめられている。
◇
【用語解説】対馬
長崎県に属し、周囲に大小98の属島を持つ国境の島。平成16年に元の6町が合併、島全体が対馬市となった。最大の街は、厳原(いづはら)町で、同町から福岡までは対馬海峡をはさんで約138キロ離れている。島の最北端の比田勝港から釜山までは最短距離で49.5キロと半分以下の近距離にある。ほぼ全域がリアス式海岸に囲まれ、島の中央部にある浅茅(あそう)湾は風光明媚な観光地として知られる。『古事記』には最初に生まれた島の一つとして「津島」と、また、『日本書紀』には「対馬州」「対馬島」と記されている。古代から大陸との交流があり、外交面での要所であると同時に、防衛、侵攻の最前線基地だった。
対馬が危ない(中) 島民の3倍、韓国から大挙
「対馬が危ない」(上)では、韓国資本による対馬でのすさまじい不動産買収ブームを伝えた。第2回では、年々増え最近では大挙してやってくる韓国人観光客の実態、島は彼らをどのように迎え、そして、どのような感情を抱いているのかを、率直な声を交えて報告する。(編集委員 宮本雅史)
◆交通標識もハングル
対馬を車で走ると、至る所に、名所、旧跡を示す交通標識にハングルが併記されている。途中、韓国人観光客を乗せた観光バスに何度も出合った。日本人観光客の姿はない。
ここ数年、国内からの観光客が減少する半面、韓国資本による民宿や釣り宿などの買い占めを促すかのように、韓国人観光客が大挙して押し寄せている。
今月初めの土曜日、島の中心地に近い厳原(いづはら)港ターミナル。午前11時前、秋晴れの日差しを浴び、白地に鮮やかなブルーと赤のラインが入った「ドリームフラワー」号が入港してきた。大亜高速海運(釜山)が運航する定期国際航路で、釜山港と厳原港を約2時間10分でむすぶ。観光客のほとんどは、家族連れや釣り客だ。
大亜高速海運のグループ会社で、出入国の手続きをしているジャパン大亜によると、この便での観光客は277人で、午後2時には新たに230人が訪れるという。
ターミナルから少し歩くと、厳原町の中心部に出る。厳原町は、鎌倉時代から600年以上にわたり対馬を統治した宗家10万石の城下町だ。今も、武家屋敷が当時の面影を残す。
飲食店やホテルが立ち並ぶ厳原本川沿いでは、下船したばかりの韓国人観光客が十数人単位の集団で、ブラブラと、横に大きく広がりながら歩いている。タクシーが近づいても気にしない。道を開ける気配もない。その数は、週末を楽しむ島民より明らかに多い。島内唯一の免税店前にたむろしているグループもいる。ガイドらしき女性に先導されて集団が向かう飲食店をのぞくと、すでに満席だ。日本人の姿はない。
対馬に韓国人観光客が集中するようになったのは、平成11年7月、釜山?厳原間に国際航路が就航してから。13年4月、新たに、島北部の比田勝(ひたかつ)港と釜山港を約1時間20分でむすぶ航路が運航されると、年間約1600人程度だった観光客が急増、16年には2万942人に。その後も増加の一途をたどり、17年は3万6636人、18年は4万2002人、そして、19年には6万5491人を数えた。財部能成・対馬市長(50)は「現時点ですでに昨年の44%の増。これまで毎年、前年比で50%アップで推移してきたが、今年も間違いなく8、9万人にはなるだろう」ともくろむ。
現在、対馬市の人口は3万7000人余りだから、人口の3倍近い韓国人観光客が押し寄せる計算になる。
◆地元は潤わない
観光客が増えれば、当然、飲食店なども増える。
対馬協議会事務局長の友納徹さん(58)によると、2、3年前から、韓国人相手の居酒屋や料理店、ホテルが増え、厳原本川沿いでは、すでに8店舗が韓国人相手に模様替えをし、カラオケ店を計画している店もあるという。ホテルの観光バスで案内をしているうちに、韓国人向けの飲食店を開いた島民もいるという。
これだけをみると、島全体が活気づきそうなものだ。ところが、島民の表情はそうでもない。どことなく暗い。
商工会の関係者は「観光客で潤っているようにみえるが、実はそれほどでもない。渡航費は全部韓国の船会社に入るし、食事も韓国人が経営する飲食店を利用している。土産も、それほど買っているようには見えない」とぼやく。
精彩を欠く理由はここにあった。韓国人はそれほどお金を落としていないのだ。
長崎県対馬地方局の池松誠二局長(52)は「観光客は釜山で10万円分のウォンを円に両替し、帰国時に8万円をウォンに戻している。だから、1人当たり2万円ぐらい、トータルで13億円ぐらいは対馬で使っているのではないかと推測している」と楽観的だが、島民の話を聞くと、この13億円という数字は怪しい。
韓国人観光客を専門にするホテルの従業員も「うちは1泊6000?7000円ぐらいだが、韓国人は特別料金で、2000?3000円ぐらいで泊めているようだ。それで採算が取れているのかどうか…」と、格安サービスに首をかしげる。
◇
■「ここはわれわれの領土だ」
◆万引、ゴミに頭抱える
マナーの悪さを指摘する声もある。
厳原町で飲食店を経営する中嶋明雄さん(49)は、「酔ってツバを吐いたり、以前、ただ食いされたこともある。スーパーなんかでは、集団で万引されたという話も聞いた。酔って、『竹島と同じで対馬も韓国の領土になる』と叫ぶのを何度も聞いた。勘違いしているんじゃないかと思う。うちは絶対に韓国人は受け入れない」と反発を示す。
「山登りをする韓国人も多いが、糞尿(ふんにょう)処理とゴミ対策が大変だ」と頭を抱える商工会関係者もいる。
漁業関係者からも怒りに似た声が聞こえる。対馬市議会の国境離島活性化特別委員会委員長で自ら定置網漁業を営んでいる作元義文市議(58)はこう不満をぶつける。
「外国人に禁止されているまき餌で、メジナやイサキ、イシダイなどを狙ってくる。手引きをしている島民もいるようだ。日本人は、小さい獲物はそのまま海に帰して、大きくなるのを待つが、連中は、クーラーがいっぱいになるまで持ち帰る。韓国で商売でもしているのでしょう」
さらにこんな問題も起きている。
比田勝港ターミナルで観光客の出入りをチェックしている上対馬観光物産事務所長の武田延幸さん(58)はいう。
「添乗員もガイドも韓国人なのが問題。日本語を正確に理解できない者もいるし、何より、正確な歴史教育を受けていないから、間違った説明をするため、観光客も間違った印象を持って帰る。旅行会社の社員のなかには、『対馬は韓国の領土だ』とはっきり言う者もいる。これが一番の問題だ」
韓国人観光客と市民の間には、さまざまな問題や不信感が生じている。しかも、すでに紹介したように水面下では、不動産の買い占めが着々と進んでいる。それでも、韓国人を受け入れざるを得ない。
対馬はどこへ行くのか。取材を進めると、その背後には、本土から遠く離れた島に住む「日本人」の悲鳴が聞こえてくる。(産經新聞)
◆自衛隊基地隣接地も
対馬空港に到着してまず耳にしたのは、島内の不動産が韓国勢に買い占められていることを危惧(きぐ)する声だった。それも1人や2人からではなかった。中でも、「海上自衛隊の基地に隣接する土地が韓国資本に買収された」という話に危機を直感した。
真偽を確かめるため、対馬市の中心街・厳原(いづはら)町から車で国道382号線を北上、海上自衛隊対馬防備隊本部がある同市美津島町竹敷を訪ねた。
竹敷地区はリアス式海岸特有の湾曲に富んだ入り江と無数の小島からなる浅茅(あそう)湾に面している。古くは遣新羅使が停泊するなど、船舶交通の中心だったが、明治19(1886)年に、自然が作った海の迷路を生かして、水雷施設部が設置されたほか、日清戦争後はロシアに対する前進根拠地として海軍要港施設が整備されるなど、国土防衛の要害であり続けた。
余談になるが、近代に入り、ロシアやイギリスの対馬接近に脅威を感じた日本政府は、島内30カ所に砲台を整備。特に昭和初期に作られた上対馬の豊砲台には、巡洋戦艦から航空母艦に転用された「赤城」の40センチ連装砲塔を設置するなど、対馬海峡全体を防衛できるよう整備した。この豊砲台は太平洋戦争後、連合軍が解体を試みたが、あまりにも堅固過ぎ爆破するしか手段がなかったという。
このように、対馬は、風光明媚(めいび)な観光地だけではなく、国土防衛の要の地として島全体が要塞(ようさい)として歴史を刻んできた。
竹敷の集落に入るとすぐ、海沿いの左側にみえてくる大きな建物が防備隊本部だ。同本部は、島北部の大浦基地と南部の安神基地を統括、対馬海峡近辺の情報収集に当たっている。防備隊本部と隣接してリゾートホテルが目に飛び込んでくる。
対馬市議会の国境離島活性化特別委員会委員長の作元義文市議(58)によると、以前は、旧大洋漁業系の大洋真珠の加工工場だったが、真珠養殖業の衰退で平成14年に工場を閉鎖。海自に隣接するため、自衛隊に買ってもらうつもりで話をしていたが、先延ばししているうちに、昨年夏、島民名義で韓国資本に買われてしまったという。現在は、韓国資本が100%出資するリゾートホテルに様変わりしていた。
◆行幸の碑も“人質”
敷地内には、韓国の寺院を思わせる檜(ひのき)造りの門が来訪者を威圧するように構えている。駐車場に車を止めると、マネジャー風の韓国人男性が飛び出してきて、厳しい表情で取材はダメだという。見学するだけという条件で門をくぐると、10棟近くの戸建ての宿泊施設が並ぶ。門は“国境”の意味を兼ねているのだろうか。韓国領に足を踏み入れたような違和感を覚える。
真珠工場が使っていたとみられるはしけには、釣り用のボートが停泊している。旧海軍ゆかりの赤煉瓦(れんが)の弾薬庫が場違いな雰囲気で残されている。平成2年、天皇、皇后両陛下が長崎県を行幸啓の折、真珠工場にお立ち寄りになったことを記念した「行幸記念の碑」が宿泊施設にはさまれ、人質のように鎮座している。
敷地は険しい岸壁と海に囲まれ、外から中の様子をうかがうことはできない。ただ、海からはボートで自由に出入りできる作りになっている。
韓国人男性によると、70人ぐらいは宿泊でき、近くの島民8人が従業員として働いているという。
ある地元住民が匿名を条件にこう言って顔を曇らせた。
「自衛隊の動向がいつも監視されているような気がする。買い戻そうという声が上がったこともあるが、一度買ったものを手放すはずがない。今更、手の打ちようはないが、せめて両陛下の記念碑だけは市が引き取るなど対処してほしい」
対馬で民宿を経営する在留韓国人によると、このリゾートホテルの実質的なオーナーは釜山に住む60代後半の畜産会社社長。最初は別荘を計画、知り合いの島民名義で3000坪を5000万円で購入したが、その後、2億5000万円の費用をかけてホテルに改築したという。
この韓国人は「10人ぐらいの地元島民をかき集めて、突貫工事で完成させた。工費はすべて、現金で支払われた」という。
そういえば、門に使われている檜は、至る所がひび割れしていた。生木を十分に乾燥させないで使ったためだろう。いかに急ごしらえで改築したか。その性急ぶりを象徴している。
◇
□浸食される国の要衝
■土地名義も経営者名も島民…最近まで気づかず
◆無人島にも触手?
竹敷地区の漁業を管轄する美津島町西海漁業協同組合の黒岩美俊組合長(74)によると、同地区には、このリゾートホテル以外にも、防備隊本部に近接するように韓国人が経営する民宿が2軒あり、20人近い島民が雇われているという。
対馬空港から車で5分ほど行った対馬海峡と浅茅湾をつなぐ大船越地区でも民宿が韓国人女性に買収されていた。
そこで働く島民によると、もともと、日本人が経営していたが、昨年、経営不振で競売に出された。それを知った旅行会社の元添乗員だった韓国人女性が、知り合いの日本女性の名義で、土地と建物を650万円で購入したという。
近くに住む3人の日本人女性が雇われ、掃除や食事の準備をしているという。
作元市議によると、不動産の買い占め場所は1カ所に集中せず、点在しているが、なかでも風光明媚(めいび)な浅茅湾の周辺に人気があるという。ただ、「浅茅湾には無人島が多いので、これからは何十とある無人島に触手を伸ばす韓国人も出てくるのでは」と激しい買い占め工作に危機感をつのらせる。
ホテルや民宿だけでない。釣り宿も標的になっている。朝鮮海峡につながる峰町狩尾の三根湾沿いにある釣り宿を訪ねた。韓国人観光客が20人ほど、釣りの準備をしている。船長らしい日本人に声をかけてみたが、警戒しているのか、反応が鈍い。顔を曇らせたのは、外国人に禁止されているまき餌に協力している可能性があるからだと、後で知った。釣り船は4隻。午後2時に出発して日没後の午後9時ごろまで客の面倒を見るという。
■従業員は島民
この釣り宿は、在留資格のある韓国人が現地法人を立ち上げて経営、オープンして4年になる。もちろん、宿泊客は韓国人観光客で従業員は近くの島民だ。
対馬協議会事務局長の友納徹氏(58)によると、この釣り宿のオーナーはさらに、大きな観光ホテルを計画しているようだという。
観光地にバンガローを建てる韓国人もいる。日本海海戦記念碑が建立され、三宇田海水浴場にも近く、観光地として知られる上対馬町殿崎。朝鮮半島を望める韓国展望所に通じる県道わきの雑木林から茶色の屋根が7つのぞく。韓国人が島民名義で建てたバンガローだ。
地元島民(75)は「この夏、見かけん子供がいっぱいおるけん、どこの子かと思って話しかけたら、韓国語でしゃべるからびっくりして。しゃべらんと全く分からん」というが、時既に遅し。土地の名義も経営者の名前も島民になっているため、最近まで全く気づかなかったという。
友納氏によると、不動産の買い占めが始まったのは20年ほど前のことで、当時は、宗教団体関係者が1000万円単位の現金をちらつかせて買いあさっていたという。ここ数年は韓国資本が個別に進出、民宿だけでも島全体ですでに15軒ほど買収され、進行中の計画を含めるとその数はさらに増えるという。
■チラつく中国の影
同氏は「つい最近も、上対馬で30万坪の山林を漁業関係者から買おうとする動きがあった。これはうまくいかなかったようだが、気になるのは、韓国人だけでなく、中国の影がちらつくケースもあることだ。マンションを買って民宿を始めたある韓国人を調べると、中国と取引をしていることが分かった。とにかく、買い占めているのが民間人なのか、企業なのか、それとも組織だったものなのか、全く分からない」と続ける。
こうした韓国資本による不動産の買い占めに財部能成市長(50)は「韓国人が、現地法人を作ったり、日本人の名前を使ったりして不動産を取得しているのは事実のようだ。特に、経営不振の民宿が狙われやすいと聞いている。ただ、どのくらい買い占められているのか、実数はつかめない。島全体に点在しているし、書類を見ただけでは分からない。情報をもとに推測するほかない」と頭を抱える。
買い占めている韓国人の目的はおろか、その素性さえも分からないというのが実情だ。
■強い韓国領土意識
対馬の領有権については、太平洋戦争後、李承晩政権が、連合国軍総司令部(GHQ)に対し、竹島だけでなく、対馬についても「韓国の領土であり、日本によって強制的、不法に占領された」として、日本からの割譲を要求したが、GHQは「根拠がない」として一蹴(いっしゅう)している。韓国側は、慶尚南道馬山市議会が、平成17年、「対馬島は韓国領土であることを内外に知らしめ、領土権確立を目的とする」という条例を可決するなど、対馬が韓国領土であるという主張を崩していない。しかし、魏志倭人伝にも対馬は倭国の領土であると記載されており、有史以来、韓国の領土ということはありえない。
ただ、上対馬観光物産事務所長の武田延幸さん(58)が「観光客の中には『対馬は魅力がある。やはり、昔から、対馬は韓国のものだから、山も欲しいよねえ』とはっきり言う者もいる」というように、依然として、対馬が韓国領土だと信じている韓国人がいるのも事実だ。対馬が韓国の領土という意識が強ければ強いほど、ますます、進出してくるのは火を見るより明らかだ。
実際、話を聞いた在留韓国人は「これからは在留資格をとって、本格的に進出してくる韓国人が増えるのではないか」と断言した。
財部市長が「このままでは、10年かかるか20年かかるか分からないが、いずれ韓国色に染まってしまう可能性がある」と漏らした。
国家の要衝が、虫食いのように侵食されていく。根は想像以上に深い。数年後、オセロ風ゲームのように、気がつくと、島の大半が韓国色に染まっているという事態も十分に予想される。財部市長の不安は、単なる危惧(きぐ)では済まされない。対馬はそこまで追いつめられている。
◇
【用語解説】対馬
長崎県に属し、周囲に大小98の属島を持つ国境の島。平成16年に元の6町が合併、島全体が対馬市となった。最大の街は、厳原(いづはら)町で、同町から福岡までは対馬海峡をはさんで約138キロ離れている。島の最北端の比田勝港から釜山までは最短距離で49.5キロと半分以下の近距離にある。ほぼ全域がリアス式海岸に囲まれ、島の中央部にある浅茅(あそう)湾は風光明媚な観光地として知られる。『古事記』には最初に生まれた島の一つとして「津島」と、また、『日本書紀』には「対馬州」「対馬島」と記されている。古代から大陸との交流があり、外交面での要所であると同時に、防衛、侵攻の最前線基地だった。
対馬が危ない(中) 島民の3倍、韓国から大挙
「対馬が危ない」(上)では、韓国資本による対馬でのすさまじい不動産買収ブームを伝えた。第2回では、年々増え最近では大挙してやってくる韓国人観光客の実態、島は彼らをどのように迎え、そして、どのような感情を抱いているのかを、率直な声を交えて報告する。(編集委員 宮本雅史)
◆交通標識もハングル
対馬を車で走ると、至る所に、名所、旧跡を示す交通標識にハングルが併記されている。途中、韓国人観光客を乗せた観光バスに何度も出合った。日本人観光客の姿はない。
ここ数年、国内からの観光客が減少する半面、韓国資本による民宿や釣り宿などの買い占めを促すかのように、韓国人観光客が大挙して押し寄せている。
今月初めの土曜日、島の中心地に近い厳原(いづはら)港ターミナル。午前11時前、秋晴れの日差しを浴び、白地に鮮やかなブルーと赤のラインが入った「ドリームフラワー」号が入港してきた。大亜高速海運(釜山)が運航する定期国際航路で、釜山港と厳原港を約2時間10分でむすぶ。観光客のほとんどは、家族連れや釣り客だ。
大亜高速海運のグループ会社で、出入国の手続きをしているジャパン大亜によると、この便での観光客は277人で、午後2時には新たに230人が訪れるという。
ターミナルから少し歩くと、厳原町の中心部に出る。厳原町は、鎌倉時代から600年以上にわたり対馬を統治した宗家10万石の城下町だ。今も、武家屋敷が当時の面影を残す。
飲食店やホテルが立ち並ぶ厳原本川沿いでは、下船したばかりの韓国人観光客が十数人単位の集団で、ブラブラと、横に大きく広がりながら歩いている。タクシーが近づいても気にしない。道を開ける気配もない。その数は、週末を楽しむ島民より明らかに多い。島内唯一の免税店前にたむろしているグループもいる。ガイドらしき女性に先導されて集団が向かう飲食店をのぞくと、すでに満席だ。日本人の姿はない。
対馬に韓国人観光客が集中するようになったのは、平成11年7月、釜山?厳原間に国際航路が就航してから。13年4月、新たに、島北部の比田勝(ひたかつ)港と釜山港を約1時間20分でむすぶ航路が運航されると、年間約1600人程度だった観光客が急増、16年には2万942人に。その後も増加の一途をたどり、17年は3万6636人、18年は4万2002人、そして、19年には6万5491人を数えた。財部能成・対馬市長(50)は「現時点ですでに昨年の44%の増。これまで毎年、前年比で50%アップで推移してきたが、今年も間違いなく8、9万人にはなるだろう」ともくろむ。
現在、対馬市の人口は3万7000人余りだから、人口の3倍近い韓国人観光客が押し寄せる計算になる。
◆地元は潤わない
観光客が増えれば、当然、飲食店なども増える。
対馬協議会事務局長の友納徹さん(58)によると、2、3年前から、韓国人相手の居酒屋や料理店、ホテルが増え、厳原本川沿いでは、すでに8店舗が韓国人相手に模様替えをし、カラオケ店を計画している店もあるという。ホテルの観光バスで案内をしているうちに、韓国人向けの飲食店を開いた島民もいるという。
これだけをみると、島全体が活気づきそうなものだ。ところが、島民の表情はそうでもない。どことなく暗い。
商工会の関係者は「観光客で潤っているようにみえるが、実はそれほどでもない。渡航費は全部韓国の船会社に入るし、食事も韓国人が経営する飲食店を利用している。土産も、それほど買っているようには見えない」とぼやく。
精彩を欠く理由はここにあった。韓国人はそれほどお金を落としていないのだ。
長崎県対馬地方局の池松誠二局長(52)は「観光客は釜山で10万円分のウォンを円に両替し、帰国時に8万円をウォンに戻している。だから、1人当たり2万円ぐらい、トータルで13億円ぐらいは対馬で使っているのではないかと推測している」と楽観的だが、島民の話を聞くと、この13億円という数字は怪しい。
韓国人観光客を専門にするホテルの従業員も「うちは1泊6000?7000円ぐらいだが、韓国人は特別料金で、2000?3000円ぐらいで泊めているようだ。それで採算が取れているのかどうか…」と、格安サービスに首をかしげる。
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■「ここはわれわれの領土だ」
◆万引、ゴミに頭抱える
マナーの悪さを指摘する声もある。
厳原町で飲食店を経営する中嶋明雄さん(49)は、「酔ってツバを吐いたり、以前、ただ食いされたこともある。スーパーなんかでは、集団で万引されたという話も聞いた。酔って、『竹島と同じで対馬も韓国の領土になる』と叫ぶのを何度も聞いた。勘違いしているんじゃないかと思う。うちは絶対に韓国人は受け入れない」と反発を示す。
「山登りをする韓国人も多いが、糞尿(ふんにょう)処理とゴミ対策が大変だ」と頭を抱える商工会関係者もいる。
漁業関係者からも怒りに似た声が聞こえる。対馬市議会の国境離島活性化特別委員会委員長で自ら定置網漁業を営んでいる作元義文市議(58)はこう不満をぶつける。
「外国人に禁止されているまき餌で、メジナやイサキ、イシダイなどを狙ってくる。手引きをしている島民もいるようだ。日本人は、小さい獲物はそのまま海に帰して、大きくなるのを待つが、連中は、クーラーがいっぱいになるまで持ち帰る。韓国で商売でもしているのでしょう」
さらにこんな問題も起きている。
比田勝港ターミナルで観光客の出入りをチェックしている上対馬観光物産事務所長の武田延幸さん(58)はいう。
「添乗員もガイドも韓国人なのが問題。日本語を正確に理解できない者もいるし、何より、正確な歴史教育を受けていないから、間違った説明をするため、観光客も間違った印象を持って帰る。旅行会社の社員のなかには、『対馬は韓国の領土だ』とはっきり言う者もいる。これが一番の問題だ」
韓国人観光客と市民の間には、さまざまな問題や不信感が生じている。しかも、すでに紹介したように水面下では、不動産の買い占めが着々と進んでいる。それでも、韓国人を受け入れざるを得ない。
対馬はどこへ行くのか。取材を進めると、その背後には、本土から遠く離れた島に住む「日本人」の悲鳴が聞こえてくる。(産經新聞)
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