「そこまでにしなさい、猿渡」
その言葉に、男たちの動きが止まる――彼らの視線を追うと、そこにはラフな部屋着のままの女性が腕組みしてたたずんでいた。
桜様、というつぶやきが、誰かの口から漏れる。それではこの女性が綺堂桜なのだろう――この屋敷の当主の娘としてその名があった。
かなりの魔力強度だ――無論、ここにいる男たちと比較しての話だが。
年齢は外見だけで判断するなら、二十代前半というところだろう――ナハツェーラーは人種 によってばらつきがあるものの、平均的に寿命が長く強靭な肉体を持つ半面肉体的な成長にも加齢にも人間よりも時間がかかり、種によっては最盛期の状態で成長や老化が止まったりするので、外見だけでは判断しづらいのも事実だ。実際それでいけば、自分の外見的な年齢はせいぜい十六、七がいいところだし、実際には十七歳くらいのときから成長が止まっている――アルカード自身が自分の正確な生年月日を知らないので、くらいとしか言えないのだが。
軽くウェーブした髪は背中に届く程度、身長は百六十センチ強、女性としてはまあ普通だろう。やはり外国人の血が混じっているからだろう、菫色の瞳がアルカードの視線を正面から捉えている。
彼女は猿渡に視線を転じ、
「ゆかりから聞いたわよ、猿渡。お父様を訪ねてきたお客様をわたしに取り次がなかったばかりか、追い払おうとしてると聞いたけれど、どうやら本当みたいね」
「は、申し訳ありません。ですが、この男はこの様な時間に――」
「こちらの方はちゃんと名前を名乗って、夜分の訪問を謝罪したうえでお父様を指名して取り次ぎを頼んだと聞いたけれど。ゆかりの記憶違いかしら? それに、お父様のお客様が何時に訪ねてきても、お父様のお客様なんだから、会う会わないを決めるのはお父様のはずよ。お父様が不在の今は、直接お会いして事情を説明するのはわたしの役目のはず。違うかしら?」
そう言ってから、彼女はアルカードに視線を向けた。
「貴方がお客様、ですね? 当綺堂家の当代当主の娘、桜と申します。家人の非礼は、わたしが代わってお詫びいたします」
そう言って、彼女はお辞儀をした。絹糸の様な長い髪が、肩からこぼれ落ちて揺れる。アルカードは首を振って、
「否、こちらの対応にも非はあっただろう――聞いているかもしれないが、俺はアルカード・ドラゴスという。『血塗られた十字架 』アルカードと言ったほうが、通りはいいかもしれないが」
その言葉に、男たちの視線がこちらに集中する――もっとも、比較的若い者たちの中にはその通り名を知らないのか、疑問符を浮かべている者もいたが。
十代後半の若者のひとりが猿渡に視線を向けて、
「なんだよ、オヤジ――こいつのことを知ってるのか?」
親父呼ばわりしたことから察するに、その若者はどうやら猿渡の息子らしい。猿渡はこちらに警戒と怯えの混じった視線を向けながら、
「欧州 最強の呼び声高い、同族殺しの吸血鬼――吸血鬼 専門の殺し屋だ。まさか日本国内で見ることになるとはな――」
「和也。この家のお客様をこいつ呼ばわりするのは、はたして正しいマナーと言えるのかしらね?」 氷の様な視線を向けて、桜がそんなことを言う――涼やかな声と視線が、今はとても冷ややかだ。
「ごめんなさい、ミスタ・アルカード。お聞きになられた通り、父は今不在にしております。お父様とどの様な御関係かは存じ上げませんけれど、立ち話もなんですしどうぞこちらに」
屋敷の玄関を手で示し、桜はそう言って歩き出した。彼女について歩き出しかけたアルカードの出鼻を挫く様に、猿渡が声をあげる。
「お待ちください、桜様。この男が奴 の刺客だという可能性も――」
「猿渡――」 深い溜め息をついて、桜は振り返った。
「彼がその気になっていたら、貴方たちはとっくに皆殺しになってるわよ。それくらいわかるでしょう?」
そう告げてから、彼女はアルカードに視線を向けた。
「彼がわたしを力で脅しつけて目的を達成しようとしたなら、さっきわたしと顔を合わせた瞬間に実行出来るはず。違う?」
「それは――」
口ごもる猿渡に、桜は追い討ちをかける様に告げた。
「わかったら、これ以上お客様に非礼な態度を取るのはやめなさい。次期当主としての命令です。あと、ゆかりにお茶を用意する様に伝えて頂戴」
そう言って、彼女は今度こそアルカードを先導して歩き出した。
†
桜が彼を案内したのは、応接室のひとつだった――いくつあるのかは知らないが。最高級の年代物の絨毯に、家具もいずれも年季の入ったものだ。椅子、テーブル、絨毯、照明、置時計といった調度品すべてが一体となって、落ち着きのある空間を作り出している。
桜はアルカードに席を勧めてから、彼の向かいでソファーに腰を下ろした。一応監視役のつもりの猿渡が側面のソファーに腰を下ろすと、桜はこちらに視線を投げてから、結局なにも言わずに金髪の吸血鬼に視線を向けた。
「あらためてお詫びします、ミスタ・アルカード。家人の非礼をお許しください」
「否、それでいけばこんな時間に押し掛けたのはこちらのほうだ。その点については疑われても無理は無い。君にしても、もしもう眠っていたところを叩き起こしたなら申し訳無い」
かぶりを振ってそう答え、アルカードが桜に視線を戻す。桜もかぶりを振って、
「わたしはまだ論文の資料整理をしていたところですから、どうぞお気になさらずに。ところで、御用件をお伺いしてもよろしいですか? わたしで対応出来る用件でしたらの話ですけれど」
その返事に、アルカードがうなずいた。
「茨城県で起きた一家惨殺事件は知っているだろう? その後東京に続いている連続殺人・失踪事件。あれは間違い無く吸血鬼の仕業だ。君らのゆかりの吸血鬼だと聞いた――なにか知っていることがあれば教えてほしい」
その言葉に、桜の表情が一瞬罅割れた。
「どうしてそれを御存じなのですか?」
「知り合いから聞いた」 ちょうどそのタイミングで扉がノックされ、使用人の娘ふたりが入ってきた。吸血鬼が続けようと開きかけた口を閉じて、メイド服姿の娘が三人の前に手際よく紅茶を配していくのを見守っている。第三者がいるうちは黙っていたほうがいいだろうと思ったのだが、桜のほうは気にしなかったらしい。
「お知り合いとは?」
その言葉にうなずいて、アルカードは口を開いた。レイル・エルウッドはあまりいい顔はしないだろうが、多少は手の内を晒してもいいだろう。
「ヴァチカン教皇庁聖堂騎士団団長、レイル・エルウッド」
その言葉に、彼女が形のいい眉をひそめる。
「どういうことだ?」 という猿渡のつぶやきを、彼は無視することにしたらしい――聖堂騎士団はカトリック教圏における最大規模の退魔組織だ。人数は多くないが非常に高度な戦闘訓練を受けた戦闘員を擁し、ヴァチカン教皇庁が直接運営している関係上外交官特権を附与して国交がある世界中の国家でその国の政府のバックアップを受けることが出来るので、フリーランスの魔殺しに比べて非常に影響力が大きい。たしか日本にもひとりかふたり、聖堂騎士団の関係者がいたはずだ。
桜も猿渡のつぶやきは黙殺することにしたらしく、
「どうしてヴァチカンが今回の件を?」
「吸血鬼の身内の中に、ヴァチカンが周辺の情報を集めるための情報源として利用していた奴がいたのさ。吸血鬼が何人家族だったのか知らないがね――信徒だったらしい。そいつがやばい事態になったってことで、ヴァチカンに助けを求めてきたのさ――今はすでに音信不通らしいがな」
そう答えて、アルカードはティーカップを取り上げた。芳醇な香りのする紅茶を、砂糖もミルクも入れないまま口をつける。
「待て。それではおまえは、聖堂騎士団とかかわりがあるのか?」 猿渡の質問に、アルカードはこちらに視線を向けた。
「俺は教師だ」 金髪の吸血鬼が、そう返事を返す。
教師――宣教を行う神父や司祭ではなく、聖堂騎士団において後進の育成に当たる教官職を特に教師と呼ぶらしい。その教師のひとりに吸血鬼が名を連ねているというのは、正直意外だったが。
「そうですか――助けを求めたのが誰かはわかりませんが、月之瀬のあの惨状を思えば助けを求めたくなる気持ちはわかりますね」
「月之瀬?」
「はい。月之瀬将也――それが、今回の発端になった吸血鬼の名前です」
喉の奥のしこりを吐き出す様にそう言ってから、桜はアルカードから湯気の立つティーカップに視線を向けた。
「ひとつおうかがいしてもよろしいですか?」
†
「ひとつおうかがいしてもよろしいですか?」
湯気の立つティーカップに視線を落として、桜が口を開く。
「どうぞ」
「貴方は――将也をどうなさるおつもりなのですか?」
「さっき俺がレイル・エルウッドの名前を出したことで気がついたかもしれないが、俺と聖堂騎士団はだいぶ前から秘密裏に共闘関係にあった。今回の情報もその関係だ。聖堂騎士団は俺に、月之瀬が人間社会にこれ以上被害を広げる前に処分してほしいと言ってきた――聖堂騎士団としても、吸血鬼の存在が表に出たら情報操作がやりにくくなるからな。月之瀬将也を殺すこと。それが俺の目的だ」
その言葉に、意外なほどに冷静な表情で桜がうなずいてみせる。
「わかりました。ですが、その必要はありません。わたしたちはすでに、人間の魔殺しを雇い入れて将也の追討に差し向けました。貴方のお手を煩わせるまでもなく、じきに決着がつくでしょう」
「それは結構――と言いたいが、それならそれで結果を見届けなくちゃならん。それに、最悪その人間の魔殺しが返り討ちに遭って斃される可能性もある。そうなったときにフォローは必要だ」
その言葉に桜はうなずいて、
「わかりました。では、貴方にひとつお願いがあります」
「聞こう」
アルカードがうなずいてみせると、桜は続けてきた。
「貴方が先に将也に接触出来たときだけで結構です。わたしたちが雇い入れた魔殺しが将也を斃す前に、貴方が彼を殺してください」
返事はせずに言葉の続きを待っていると、彼女は続けてきた。
「わたしたち一族が雇い入れた魔殺しは、顕界派遣執行冥官助手・空社陽響と、彼が率いる人外の兵団です」
聞き慣れない単語に、アルカードは眉をひそめた。
「顕界派遣執行冥官? なんだ、それは?」
「簡単に言うと、八百万の神々の尖兵というところです。若い神を地上に受肉させ、彼らを使って自分たちに敵対する魔や異端の神々を滅ぼす。空社陽響は顕界派遣執行冥官の助手、実質的な最強戦力で、日本国内では最強の部類に属する魔殺しのひとりでしょう――彼ならおそらく、仕損じることは無いと思います」
なるほど、要するにずぼらな神様どもの使いっぱしりか――身も蓋もないことを胸中でつぶやいて、アルカードは視線で桜に話の続きを促した。
「わたしは顕界派遣執行冥官本人と、個人的な親交がありました。それで空社陽響の実力のほどは知っていましたから、彼に将也の捕縛を依頼したのです」 そう続けて、桜が膝の上で両手を握りしめる。
「でも、彼はおそらく将也を殺す選択をすると思います。仮に将也が生きたまま一族のもとに連れ戻されても、残された末路はせいぜい長老たちの間で今回のケースによる生きた研究資料として生涯飼い殺しにされ続けるか、拷問の末に殺されるか。そうならない様に、彼はきっと将也を殺そうとするでしょう、おそらくは不慮の事故として、わたしに余計な重荷を背負わせないために。でも、そうしたら今度は彼が将也を殺した重荷を背負ってしまうことになる――自分の友人であるわたしの身内を」 桜はそこまで言ってから紅茶に口をつけて唇を湿らせると、顔を上げて続けてきた。
「ですからどうか、貴方が将也を殺してください、吸血鬼アルカード――貴方なら、将也が相手でも仕損じることはあり得ないでしょう?」
その言葉に、アルカードは溜め息をついた。
「君は月之瀬がじっくり殺されるところを見なくて済み、空社とかいうのは君の身内を殺した負い目を負わなくて済み、俺はきっちり依頼を果たせる。三方三様得ということか? だが気に入らんな――例の情報提供者の情報は、そもそも月之瀬がこんな事態を引き起こしたのは身内のおかしな実験の材料にされたからだったと報告している。身内の都合でおかしな化け物にされ、身内の都合で殺される。月之瀬とかいう男も不憫だな」
「ことは一族の存亡にかかわる。将也ひとりの命と一族全体の存亡は天秤にかけられん」
猿渡がそんなふうに口をはさんでくる――その言葉に、アルカードは鼻を鳴らした。
「馬鹿馬鹿しい科白だな。月之瀬がその言葉を聞いたら、そっくり同じことを言うだろうよ――ひとつしか無い自分の命と、胡散臭い一族の存亡を天秤にかけられるかとな」
激昂して腰を浮かせかける猿渡を、アルカードは視線だけで黙らせた――どのみち彼に用は無い。
猿渡が黙り込んだのを確認して、桜に視線を向ける。
「だがいいだろう、君の一族の体面や存在の暴露になど興味も無いが、被害は喰い止める必要がある――俺の『領地』で被害が出る可能性がある以上、ほかの奴に任せるわけにもいかないしな。詳しく話を聞かせてもらおう」
そう言って、彼は桜に話の続きを促した。
「わかりました」
もとを糺せば、そもそも桜の一族は吸血鬼ではない――より正確に言うならば、彼女の一族が吸血鬼となったのは、一種の遺伝病による遺伝子変異が原因だ。
レイル・エルウッドが話をし、アルカードも知悉していた様に、彼女たちはアルカードが殲滅の対象とする吸血鬼ではない。一族としてもともと存在していたのではなく、似た様な症状を持つ者たちが集まってコミュニティーを形成し、その結果身内同士での交配による純化が進んだに過ぎない。
吸血による魔力強度の変動も起こらず、繁殖能力も無いために、吸血も血液パックで事足りる。日光の下に出ることで苦痛を感じることも無い。
吸血能力を持ち、不老長寿、高い身体能力を持っている。その一方で定期的な吸血を行わなければ身体能力を維持することが出来ず、まともに成長すらしない――その内容から判断する限り、ナハツェーラーとしてもかなり珍しい部類に入る。今でこそこうだけれど、と前置きして、彼女は部屋から出て行き、写真を一枚持って戻ってきた。
「もしかして、これが――」
写真に写った少女――小柄な上に童顔なせいで(信じがたいことに)高校生の制服を着ていなければ、どこの幼女かと思うところだ――を指差して、アルカードは桜に視線を向けた。桜はあっさりうなずいて、
「ええ、わたしです。それは高校入学時に撮った写真です」
その言葉に、アルカードは再び写真に視線を戻した。
「たちの悪い冗談を聞いてるみたいだが――でも確かに、この写真の子がそのまま成長したら君になりそうだな」
返した写真を受け取りながら、桜が苦笑してうなずいてみせる。
「ええ、当時を御存じ無い方は皆そうおっしゃいます」
「つまり、君らはあくまでも一種の遺伝病患者の集合体だったわけか――それで?」
「数百年前、わたしたちの祖先はヨーロッパで普通の人間から迫害を受け、そこから逃れて日本にやってきたと聞いています――そこから時間をかけて土着化が進んだのが、わたしたち一族の始まりです」
彼女はそう言ってから、ちょっと言葉を選んで考え込んだ。
「そしてそれから現代までの間に、わたしたちはヨーロッパで得た様々な知識や自分たちの能力を活用して、今の社会的地位を築き上げました。ですが――」
ようやく話が本題に入ってきたらしい――アルカードは無言のまま、彼女が優雅なしぐさで紅茶に口をつけるのを見守った。
「ですが、長い時間の間に一族内にも派閥が生まれ、その中で軋轢も生まれていきました。月之瀬はそんな、主導権争いの中で敗れた一派です」
そこでいったん言葉を切り、彼女は猿渡に視線を向けた。
「猿渡、将也の写真を持ってきて頂戴」
「は……」 吸血鬼殺しの吸血鬼である自分と屋敷の令嬢をふたりだけにするのが気乗りしないのか、猿渡は不承不承といった様子で立ち上がると、廊下へと出ていった。
その言葉に、男たちの動きが止まる――彼らの視線を追うと、そこにはラフな部屋着のままの女性が腕組みしてたたずんでいた。
桜様、というつぶやきが、誰かの口から漏れる。それではこの女性が綺堂桜なのだろう――この屋敷の当主の娘としてその名があった。
かなりの魔力強度だ――無論、ここにいる男たちと比較しての話だが。
年齢は外見だけで判断するなら、二十代前半というところだろう――ナハツェーラーは
軽くウェーブした髪は背中に届く程度、身長は百六十センチ強、女性としてはまあ普通だろう。やはり外国人の血が混じっているからだろう、菫色の瞳がアルカードの視線を正面から捉えている。
彼女は猿渡に視線を転じ、
「ゆかりから聞いたわよ、猿渡。お父様を訪ねてきたお客様をわたしに取り次がなかったばかりか、追い払おうとしてると聞いたけれど、どうやら本当みたいね」
「は、申し訳ありません。ですが、この男はこの様な時間に――」
「こちらの方はちゃんと名前を名乗って、夜分の訪問を謝罪したうえでお父様を指名して取り次ぎを頼んだと聞いたけれど。ゆかりの記憶違いかしら? それに、お父様のお客様が何時に訪ねてきても、お父様のお客様なんだから、会う会わないを決めるのはお父様のはずよ。お父様が不在の今は、直接お会いして事情を説明するのはわたしの役目のはず。違うかしら?」
そう言ってから、彼女はアルカードに視線を向けた。
「貴方がお客様、ですね? 当綺堂家の当代当主の娘、桜と申します。家人の非礼は、わたしが代わってお詫びいたします」
そう言って、彼女はお辞儀をした。絹糸の様な長い髪が、肩からこぼれ落ちて揺れる。アルカードは首を振って、
「否、こちらの対応にも非はあっただろう――聞いているかもしれないが、俺はアルカード・ドラゴスという。『
その言葉に、男たちの視線がこちらに集中する――もっとも、比較的若い者たちの中にはその通り名を知らないのか、疑問符を浮かべている者もいたが。
十代後半の若者のひとりが猿渡に視線を向けて、
「なんだよ、オヤジ――こいつのことを知ってるのか?」
親父呼ばわりしたことから察するに、その若者はどうやら猿渡の息子らしい。猿渡はこちらに警戒と怯えの混じった視線を向けながら、
「
「和也。この家のお客様をこいつ呼ばわりするのは、はたして正しいマナーと言えるのかしらね?」 氷の様な視線を向けて、桜がそんなことを言う――涼やかな声と視線が、今はとても冷ややかだ。
「ごめんなさい、ミスタ・アルカード。お聞きになられた通り、父は今不在にしております。お父様とどの様な御関係かは存じ上げませんけれど、立ち話もなんですしどうぞこちらに」
屋敷の玄関を手で示し、桜はそう言って歩き出した。彼女について歩き出しかけたアルカードの出鼻を挫く様に、猿渡が声をあげる。
「お待ちください、桜様。この男が
「猿渡――」 深い溜め息をついて、桜は振り返った。
「彼がその気になっていたら、貴方たちはとっくに皆殺しになってるわよ。それくらいわかるでしょう?」
そう告げてから、彼女はアルカードに視線を向けた。
「彼がわたしを力で脅しつけて目的を達成しようとしたなら、さっきわたしと顔を合わせた瞬間に実行出来るはず。違う?」
「それは――」
口ごもる猿渡に、桜は追い討ちをかける様に告げた。
「わかったら、これ以上お客様に非礼な態度を取るのはやめなさい。次期当主としての命令です。あと、ゆかりにお茶を用意する様に伝えて頂戴」
そう言って、彼女は今度こそアルカードを先導して歩き出した。
†
桜が彼を案内したのは、応接室のひとつだった――いくつあるのかは知らないが。最高級の年代物の絨毯に、家具もいずれも年季の入ったものだ。椅子、テーブル、絨毯、照明、置時計といった調度品すべてが一体となって、落ち着きのある空間を作り出している。
桜はアルカードに席を勧めてから、彼の向かいでソファーに腰を下ろした。一応監視役のつもりの猿渡が側面のソファーに腰を下ろすと、桜はこちらに視線を投げてから、結局なにも言わずに金髪の吸血鬼に視線を向けた。
「あらためてお詫びします、ミスタ・アルカード。家人の非礼をお許しください」
「否、それでいけばこんな時間に押し掛けたのはこちらのほうだ。その点については疑われても無理は無い。君にしても、もしもう眠っていたところを叩き起こしたなら申し訳無い」
かぶりを振ってそう答え、アルカードが桜に視線を戻す。桜もかぶりを振って、
「わたしはまだ論文の資料整理をしていたところですから、どうぞお気になさらずに。ところで、御用件をお伺いしてもよろしいですか? わたしで対応出来る用件でしたらの話ですけれど」
その返事に、アルカードがうなずいた。
「茨城県で起きた一家惨殺事件は知っているだろう? その後東京に続いている連続殺人・失踪事件。あれは間違い無く吸血鬼の仕業だ。君らのゆかりの吸血鬼だと聞いた――なにか知っていることがあれば教えてほしい」
その言葉に、桜の表情が一瞬罅割れた。
「どうしてそれを御存じなのですか?」
「知り合いから聞いた」 ちょうどそのタイミングで扉がノックされ、使用人の娘ふたりが入ってきた。吸血鬼が続けようと開きかけた口を閉じて、メイド服姿の娘が三人の前に手際よく紅茶を配していくのを見守っている。第三者がいるうちは黙っていたほうがいいだろうと思ったのだが、桜のほうは気にしなかったらしい。
「お知り合いとは?」
その言葉にうなずいて、アルカードは口を開いた。レイル・エルウッドはあまりいい顔はしないだろうが、多少は手の内を晒してもいいだろう。
「ヴァチカン教皇庁聖堂騎士団団長、レイル・エルウッド」
その言葉に、彼女が形のいい眉をひそめる。
「どういうことだ?」 という猿渡のつぶやきを、彼は無視することにしたらしい――聖堂騎士団はカトリック教圏における最大規模の退魔組織だ。人数は多くないが非常に高度な戦闘訓練を受けた戦闘員を擁し、ヴァチカン教皇庁が直接運営している関係上外交官特権を附与して国交がある世界中の国家でその国の政府のバックアップを受けることが出来るので、フリーランスの魔殺しに比べて非常に影響力が大きい。たしか日本にもひとりかふたり、聖堂騎士団の関係者がいたはずだ。
桜も猿渡のつぶやきは黙殺することにしたらしく、
「どうしてヴァチカンが今回の件を?」
「吸血鬼の身内の中に、ヴァチカンが周辺の情報を集めるための情報源として利用していた奴がいたのさ。吸血鬼が何人家族だったのか知らないがね――信徒だったらしい。そいつがやばい事態になったってことで、ヴァチカンに助けを求めてきたのさ――今はすでに音信不通らしいがな」
そう答えて、アルカードはティーカップを取り上げた。芳醇な香りのする紅茶を、砂糖もミルクも入れないまま口をつける。
「待て。それではおまえは、聖堂騎士団とかかわりがあるのか?」 猿渡の質問に、アルカードはこちらに視線を向けた。
「俺は教師だ」 金髪の吸血鬼が、そう返事を返す。
教師――宣教を行う神父や司祭ではなく、聖堂騎士団において後進の育成に当たる教官職を特に教師と呼ぶらしい。その教師のひとりに吸血鬼が名を連ねているというのは、正直意外だったが。
「そうですか――助けを求めたのが誰かはわかりませんが、月之瀬のあの惨状を思えば助けを求めたくなる気持ちはわかりますね」
「月之瀬?」
「はい。月之瀬将也――それが、今回の発端になった吸血鬼の名前です」
喉の奥のしこりを吐き出す様にそう言ってから、桜はアルカードから湯気の立つティーカップに視線を向けた。
「ひとつおうかがいしてもよろしいですか?」
†
「ひとつおうかがいしてもよろしいですか?」
湯気の立つティーカップに視線を落として、桜が口を開く。
「どうぞ」
「貴方は――将也をどうなさるおつもりなのですか?」
「さっき俺がレイル・エルウッドの名前を出したことで気がついたかもしれないが、俺と聖堂騎士団はだいぶ前から秘密裏に共闘関係にあった。今回の情報もその関係だ。聖堂騎士団は俺に、月之瀬が人間社会にこれ以上被害を広げる前に処分してほしいと言ってきた――聖堂騎士団としても、吸血鬼の存在が表に出たら情報操作がやりにくくなるからな。月之瀬将也を殺すこと。それが俺の目的だ」
その言葉に、意外なほどに冷静な表情で桜がうなずいてみせる。
「わかりました。ですが、その必要はありません。わたしたちはすでに、人間の魔殺しを雇い入れて将也の追討に差し向けました。貴方のお手を煩わせるまでもなく、じきに決着がつくでしょう」
「それは結構――と言いたいが、それならそれで結果を見届けなくちゃならん。それに、最悪その人間の魔殺しが返り討ちに遭って斃される可能性もある。そうなったときにフォローは必要だ」
その言葉に桜はうなずいて、
「わかりました。では、貴方にひとつお願いがあります」
「聞こう」
アルカードがうなずいてみせると、桜は続けてきた。
「貴方が先に将也に接触出来たときだけで結構です。わたしたちが雇い入れた魔殺しが将也を斃す前に、貴方が彼を殺してください」
返事はせずに言葉の続きを待っていると、彼女は続けてきた。
「わたしたち一族が雇い入れた魔殺しは、顕界派遣執行冥官助手・空社陽響と、彼が率いる人外の兵団です」
聞き慣れない単語に、アルカードは眉をひそめた。
「顕界派遣執行冥官? なんだ、それは?」
「簡単に言うと、八百万の神々の尖兵というところです。若い神を地上に受肉させ、彼らを使って自分たちに敵対する魔や異端の神々を滅ぼす。空社陽響は顕界派遣執行冥官の助手、実質的な最強戦力で、日本国内では最強の部類に属する魔殺しのひとりでしょう――彼ならおそらく、仕損じることは無いと思います」
なるほど、要するにずぼらな神様どもの使いっぱしりか――身も蓋もないことを胸中でつぶやいて、アルカードは視線で桜に話の続きを促した。
「わたしは顕界派遣執行冥官本人と、個人的な親交がありました。それで空社陽響の実力のほどは知っていましたから、彼に将也の捕縛を依頼したのです」 そう続けて、桜が膝の上で両手を握りしめる。
「でも、彼はおそらく将也を殺す選択をすると思います。仮に将也が生きたまま一族のもとに連れ戻されても、残された末路はせいぜい長老たちの間で今回のケースによる生きた研究資料として生涯飼い殺しにされ続けるか、拷問の末に殺されるか。そうならない様に、彼はきっと将也を殺そうとするでしょう、おそらくは不慮の事故として、わたしに余計な重荷を背負わせないために。でも、そうしたら今度は彼が将也を殺した重荷を背負ってしまうことになる――自分の友人であるわたしの身内を」 桜はそこまで言ってから紅茶に口をつけて唇を湿らせると、顔を上げて続けてきた。
「ですからどうか、貴方が将也を殺してください、吸血鬼アルカード――貴方なら、将也が相手でも仕損じることはあり得ないでしょう?」
その言葉に、アルカードは溜め息をついた。
「君は月之瀬がじっくり殺されるところを見なくて済み、空社とかいうのは君の身内を殺した負い目を負わなくて済み、俺はきっちり依頼を果たせる。三方三様得ということか? だが気に入らんな――例の情報提供者の情報は、そもそも月之瀬がこんな事態を引き起こしたのは身内のおかしな実験の材料にされたからだったと報告している。身内の都合でおかしな化け物にされ、身内の都合で殺される。月之瀬とかいう男も不憫だな」
「ことは一族の存亡にかかわる。将也ひとりの命と一族全体の存亡は天秤にかけられん」
猿渡がそんなふうに口をはさんでくる――その言葉に、アルカードは鼻を鳴らした。
「馬鹿馬鹿しい科白だな。月之瀬がその言葉を聞いたら、そっくり同じことを言うだろうよ――ひとつしか無い自分の命と、胡散臭い一族の存亡を天秤にかけられるかとな」
激昂して腰を浮かせかける猿渡を、アルカードは視線だけで黙らせた――どのみち彼に用は無い。
猿渡が黙り込んだのを確認して、桜に視線を向ける。
「だがいいだろう、君の一族の体面や存在の暴露になど興味も無いが、被害は喰い止める必要がある――俺の『領地』で被害が出る可能性がある以上、ほかの奴に任せるわけにもいかないしな。詳しく話を聞かせてもらおう」
そう言って、彼は桜に話の続きを促した。
「わかりました」
もとを糺せば、そもそも桜の一族は吸血鬼ではない――より正確に言うならば、彼女の一族が吸血鬼となったのは、一種の遺伝病による遺伝子変異が原因だ。
レイル・エルウッドが話をし、アルカードも知悉していた様に、彼女たちはアルカードが殲滅の対象とする吸血鬼ではない。一族としてもともと存在していたのではなく、似た様な症状を持つ者たちが集まってコミュニティーを形成し、その結果身内同士での交配による純化が進んだに過ぎない。
吸血による魔力強度の変動も起こらず、繁殖能力も無いために、吸血も血液パックで事足りる。日光の下に出ることで苦痛を感じることも無い。
吸血能力を持ち、不老長寿、高い身体能力を持っている。その一方で定期的な吸血を行わなければ身体能力を維持することが出来ず、まともに成長すらしない――その内容から判断する限り、ナハツェーラーとしてもかなり珍しい部類に入る。今でこそこうだけれど、と前置きして、彼女は部屋から出て行き、写真を一枚持って戻ってきた。
「もしかして、これが――」
写真に写った少女――小柄な上に童顔なせいで(信じがたいことに)高校生の制服を着ていなければ、どこの幼女かと思うところだ――を指差して、アルカードは桜に視線を向けた。桜はあっさりうなずいて、
「ええ、わたしです。それは高校入学時に撮った写真です」
その言葉に、アルカードは再び写真に視線を戻した。
「たちの悪い冗談を聞いてるみたいだが――でも確かに、この写真の子がそのまま成長したら君になりそうだな」
返した写真を受け取りながら、桜が苦笑してうなずいてみせる。
「ええ、当時を御存じ無い方は皆そうおっしゃいます」
「つまり、君らはあくまでも一種の遺伝病患者の集合体だったわけか――それで?」
「数百年前、わたしたちの祖先はヨーロッパで普通の人間から迫害を受け、そこから逃れて日本にやってきたと聞いています――そこから時間をかけて土着化が進んだのが、わたしたち一族の始まりです」
彼女はそう言ってから、ちょっと言葉を選んで考え込んだ。
「そしてそれから現代までの間に、わたしたちはヨーロッパで得た様々な知識や自分たちの能力を活用して、今の社会的地位を築き上げました。ですが――」
ようやく話が本題に入ってきたらしい――アルカードは無言のまま、彼女が優雅なしぐさで紅茶に口をつけるのを見守った。
「ですが、長い時間の間に一族内にも派閥が生まれ、その中で軋轢も生まれていきました。月之瀬はそんな、主導権争いの中で敗れた一派です」
そこでいったん言葉を切り、彼女は猿渡に視線を向けた。
「猿渡、将也の写真を持ってきて頂戴」
「は……」 吸血鬼殺しの吸血鬼である自分と屋敷の令嬢をふたりだけにするのが気乗りしないのか、猿渡は不承不承といった様子で立ち上がると、廊下へと出ていった。
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