【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

今日(狂)の狂言 : 08月03(土曜日) & 旅と文化の足跡が野帳

2024-08-03 05:10:16 | 浪漫紀行・漫遊之譜

★ 忘備忘却録/きょうの過去帳・狂 

◆ クリストファー・コロンブスが、大西洋を兎に角横断すればインドへ着けるというぴーな発想から航海に出発(1492年)。無論、その途中にアメリカ大陸があるなど知る由も無かった。 ◆ 1958年 - アメリカ海軍の原子力潜水艦「ノーチラス」が世界で初めて潜航状態による北極点通過を果たす。 ◆ 千葉県君津市のお寺でペットとして買われていたトラが成長し過ぎて野に放たれてしまい、以後27日間にわたり地域住民を恐怖と混乱に陥れる(1979年=神野寺虎脱走事件)。

◎ ◎ 世界第2の高峰K2への冬季登頂に成功、エベレストより困難 =後節=  ◎ ◎

- - -8000m峰14座で最後に残されていた難関、ネパール人登山隊がついに偉業- - -

=National Geographic Journal Japan 〉ニュース〉旅&文化〉  ・・・・2021.01.19 / 文=Freddie Wilkinson/訳=山内百合子・・・・

「私たちはすべてを失った」

  他の8000メートル峰において冬季登頂が果たされていく中、K2登頂に対する登山家たちの意欲はますます高まっていた。新型コロナウィルスのパンデミック(世界的流行)にもかかわらず、パキスタンの氷河に作られたベースキャンプには60人以上が集まっており、その中にはネパールのガイドサービス「セブン・サミット・トレックス(SST)」が組織した大規模な商業登山隊もあった。この隊には代金を払って参加した22人の登山客と、これを支援する27人のシェルパが含まれていた。

  エベレスト山などの人気のある高峰と違い、K2の極端に切り立った斜面を登るには最高レベルの技術が要求されるほか、頻繁な落石や雪崩の危険にもさらされる。エベレスト山には2018年6月までに4000人以上が登頂に成功している一方で、K2に登ったのは367人しかいない。冬季においては皆無だった。

  K2の山頂に到達するため、登山隊はマイナス50℃を下回る気温と激しい風に耐えながら、山の南稜であるアブルッツィ稜を登らなければならなかった。「冬のK2登山が春や夏と比べてどれほど難しいか、想像できないでしょう」と、2019年にこの挑戦をしたアレックス・ティコン氏はナショナル ジオグラフィックに述べている。

  今回の遠征チームも、準備しておいたテントや装備が吹き飛ばされる困難に直面した。「今日キャンプ2に到着してみると、残骸になっていた……私たちはすべてを失った」とプルジャ氏は書いている。「呆然としながら、この報告をしている。これから、全部考え直して再計画しなければならない」。プルジャ氏のチームは、山頂へ挑戦する前に装備を再度調達しなければならなかった。  

失敗した数々の挑戦

  エベレスト山の冬季初登頂が1980年になされたのに対し、1987年12月のポーランド隊までK2への冬季登頂が試みられることはなかった。当時ヒマラヤ山脈の高峰への登山はポーランド人が優位を占めており、中でも「アイス・ウォリアー(氷の戦士)」として知られた並はずれて屈強な登山家の集団が、冬季初登頂のスペシャリストとして名を馳せた。クシストフ・ヴィエリツキ氏率いるこの登山隊は、1980年代に次々と驚くべき成功を収め、8年間で8000メートル峰7つの冬季初登頂を成し遂げた。それでもK2には登れなかった。

  それから30年の間に、別の5つの遠征隊がこの山に挑戦した。これにはヴィエリツキ氏を隊長とする2018年の遠征も含まれる。それでもなお、キャンプ4に到達するチームさえなかった。ここはK2の山頂からやや下った稜線上にある、山頂を目指して登るのに不可欠な高地キャンプだ。

  信じられないほど過酷な状況や、死をもたらす無数の危険もあるが、評論家の中には冬にK2を目指す上で最大の課題のひとつはリーダーシップだと考える者もいる。「過去の冬季K2登山の多くについて調べたところ、チームの力学に悩まされた登山隊は1つだけではないようだ」と、2019年のシーズンも登頂なしに終わった後に、アラン・アーネット氏は著書『Rock and Ice(岩と氷)』に書いている。

 「冬のK2に挑めるほどの登山家は、相当のスキルと、同じくらいのエゴを持ち合わせているだろう。そんな威勢の良い者たちを管理するには強力なリーダーシップが必要であり、登山家の側も、まとまって正しく機能するチームとして協力し合わなければならない」

  2つのネパール人チームは、どちらも長年8000メートル峰の登山に協力してきた豊富な経験を有している。中でも名高いのは、2019年にプルジャ氏が14の8000メートル峰すべての登頂に6カ月と6日で成功したときだ。これは過去の最短記録を7年以上も短縮する、大幅な記録更新である。このときプルジャ氏を大いに助けたシェルパ族の友人らは、山ごとに交代でプルジャ氏に同行し、今回のK2登山にも参加した。(参考記事:「型破り登山家、1カ月で6つの8000m峰に登頂成功」https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/052800304/ 

  危険な下山

  今回登頂に成功したネパールの登山者たちにとって、最も難しいのは下山かもしれない。酸素が不足し、極度に疲労した状態で、固定されたロープを伝って岩壁を降り、麓の氷河上の本当に安全な場所までたどり着かねばならないのだ。K2登山ではこれまで80人以上が命を落としており、その死亡事故の多くが下山中に起こっている。

  その危険性を強調するかのように、ネパール登山隊の登頂成功が伝えられた同じ日に、スペインの登山家セルジ・ミンゴテ氏が死亡したと発表された。キャンプ1からの下山途中に滑落事故に遭ったという。ミンゴテ氏は経験豊富な高峰登山家で、「フェアな方法」と呼ばれるやり方でこの山に登ろうとしていた。これは酸素ボンベやシェルパの助けを借りない方法で、登山家の間では純粋主義とされている。

  ベースキャンプにいる数十人の登山家たちは、これからどうすべきかを考えているかもしれない。山には固定されたロープがあり、ベースキャンプにはセブン・サミット・トレックスが募集した熱心な登山愛好家のグループがいることから、今後数週間の間に新たなK2登頂が試みられる可能性がある。

 しかし、「初制覇」という栄冠がなくなった今、多くの人がネパール隊に心からのお祝いを述べて、家に帰る決心をする可能性も同じくらい高そうだ。  

・・・・・・・・明日 新企画に続く・・・・・

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