【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

タタールの軛( 追稿 )= 06 = 

2015-10-26 17:32:11 | 歴史小説・躬行之譜

○◎ モンゴルのルーシ侵攻 ◎○

 ★= 「タタールのくびき」からの脱却 =★

 ルーシを名目上支配してきたキエフ大公国、およびルーシに割拠する諸公国に対するモンゴル侵入の影響は決して一様ではなかった。 キプチャク・ハン国の成立以後、ルーシにおける政治は、その重心を南西ルーシのキエフから北東ルーシのウラジーミルへと移した。 前記のように、ハン国成立後ただちにサライをおとずれバトゥに服従の意志を示したウラジーミル大公ヤロスラフは「ルーシのすべての公の長」として遇されていた。 しかし、そのウラジーミルもまたモンゴル軍の徹底的な破壊により住民が四散しており、35年間も主教不在の状態がつづいていたのである。

 キエフやウラジーミルのような従来の中心都市がモンゴルによる破壊から立ち直ることがなかなかできなかったのに対し、北に遠く離れた自由都市のノヴゴロドのみは侵略を免れた。 ヤロスラフもその長子アレクサンドル・ネフスキー(前節参照)も大公としてウラジーミルに居を定めたが、その後継者たちは大公となってもウラジーミルには移らず、みずからの世襲領国やノヴゴロドにいることが多かった。 しかし、モンゴル侵入によってルーシの諸国が崩壊した後の空白地帯であったトヴェリやモスクワなどでは、そこを本拠とした勢力が台頭し、やがてノヴゴロドを圧迫するようになった。

 それがトヴェリ大公国であり、モスクワ大公国であった。 モスクワは、キエフ・ルーシの時代には名前も知られていなかった北東ルーシの小都市にすぎなかった。 そして、モンゴルのハーンによって厳重に支配、管理されるようになったルーシ諸侯のなかから、モンゴルとの関係を巧妙に利用し権力を握っていったのが、ウラジーミル大公アレクサンドル・ネフスキーと北東ルーシの諸公国に分封されたその子孫たちであった。

 1263年、アレクサンドル・ネフスキーが死ぬと、弟のトヴェリ公ヤロスラフ(ヤロスラフ3世)がウラジミール大公位を継承し、彼の末子ダニイルがモスクワ公国を受け継いだ。 ダニイルは幼少だったため当初は叔父のヤロスラフ3世の後見を受けていたが、やがて両者は大公位をめぐって対立するようになった。 この対立はそれぞれの子の代に決定的となる。 モスクワ公ユーリー・ダニイロヴィチはサライに2年間とどまり、ハーンと姻戚関係をむすんでウラジミール大公位を認められたが、それまでの大公でトヴェリ公のミハイル・ヤロスラヴィチはこの決定に従わなかった。

  ミハイルと交戦してサライに逃げ帰ったユーリーは、ミハイルの反逆をキプチャク・ハン国の第10代君主であるウズベク・ハンに訴えた。 ミハイルはサライに召喚されて処刑され、ユーリーは1313年にウラジーミルに入ってウラジーミル大公ユーリー3世となったが、1325年、ミハイルの息子ドミートリー・ミハイロヴィチによって殺される。ドミートリーもまた父同様ウズベク・ハンにより、ハーンの命令に従わなかったとして処刑されるのです。

 この争いから抜け出したのは、ユーリー3世の弟のイヴァン(イヴァン1世)であった。 1327年、ウズベク・ハンが意図したバスカク(代官)制度復活に対し、トヴェリで民衆の暴動が起き、トヴェリ公アレクサンドルがジョチ・ウルスに対する反乱勢力に加わると、ウラジーミル大公位をめぐって再び対立関係にあったトヴェリの最大のライバル、モスクワ公イヴァン1世はモンゴルの側に回り、ウズベク・ハンとともにトヴェリを破って、これを徹底的に破壊した。 イヴァン1世はトヴェリ公を追放させ、ウラジーミル大公位を獲得することに成功した。

 これ以後、歴代のモスクワ公はウラジーミル大公を独占することが多くなり、モスクワ公の称号で呼ばれるようになった。 ルーシの国ぐにのなかでもモスクワが北部および東部で勢力を強めることができたのは、南部ルーシの大国がモンゴルによって徹底的に壊滅されてしまったことが要因のひとつであり、また、モンゴルの側からすれば、モスクワが他国以上に多額の税をハン国にもたらしたと考えられる。 モスクワ公がこの時期さかんにノヴゴロドに介入し、ノヴゴロド公の地位を兼ねることに力を入れていることも、この豊かな都市国家を支配下に収めることで貢税の資金を得ようとしたものだと考えられるのである。

前ページへの移行は右側袖欄の最新記載記事をクリック願います

※;下線色違いの文字をクリックにて詳細説明が表示されます=ウィキペディア=に移行

----------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい--------------

【壺公夢想;紀行随筆】   http://thubokou.wordpress.com

【浪漫孤鴻;時事心象】   http://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/

【 疑心暗鬼;探検随筆】   http:// bogoda.jugem.jp/

================================================

  

・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

================================================

 

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« タタールの軛( 追稿 )= 05 =  | トップ | タタールの軛( 追稿 )= 07 = »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

歴史小説・躬行之譜」カテゴリの最新記事