○◎ モンゴルのルーシ侵攻 ◎○
★= タタールの占領政策/ダルーガとバスカク=★
モン ゴル=タタールの支配が、一般に考えられているほどには過酷な性質のものでなかった。 タタールによる征服戦争がたとえ容赦のないものであったにしても、いったんルーシ支配が確立するや、被支配民族の信教に関しては寛容であり、むしろ鷹揚とさえいってよいものであった。 ジンギス・ハーンの“従う者には自由を与え、抗すれば死を与える”規範は受け継がれていた。 その宗教政策からもうかがえる。 いったんルーシ支配が確立するや、被支配民族の信教に関しては寛容であり、むしろ鷹揚とさえいってよいものであった。 モンゴル帝国の支配層はテングリ信仰を主とするシャーマニズムを信じていたが、征服や支配に際してしばしば発生する狂信性や宗教的情熱とはおよそ無縁であった。
ジンギス・ハーンの中東征服ややサライのジョチ・ウルスの支配者たちは、イスラーム教や正教会を根絶しようとはせず、被征服民族の影響を受けて自分たちがイスラームに改宗することはあっても、他宗教に対する寛容さを保持した。 スウェーデン軍やドイツ騎士団という西からの脅威(北方十字軍・ローマ教皇派)と対決を強いられていたルーシ西方の諸公国は、この寛容さにモンゴル支配を容認するという路線を採用したのも、モンゴル人が宗教上寛容だったためであろう。 ジョチ・ウルスはルーシ人に対し、首都サライに正教会の宗教を置くことさえ認めていた。 バトゥの長子でハーン位を継承したサルタクはメストリウス派のキリスト教徒であったし、サルタクと対立してサルタク死去後にハーンとなったバトゥの弟ベルケはイスラームを奉じている。 ジョチ・ウルスの王族であったノガイ(ジョチの七男ボアルの孫)もまた、東ローマ帝国の皇女と婚姻関係を結び、自分の娘をルーシの首長に嫁するなど他の諸勢力との宥和を図っているありさまである。
ルーシ諸国はむしろ、西方のドイツ騎士団などローマ・カソリック勢力からの、いっそう直接的な脅威にさらされ、東方のモンゴル諸国とは防衛上の同盟を結んで、自領の安全を計ったと考えられる。 ただし、多くのロシア人がタタールのルーシ支配を「くびき」ととらえてきたこともまた事実であろう。 同時に、モンゴル人はルーシ旧来の慣行・習慣を重んじ、教会や修道院からは貢税を徴収しなかったため、モンゴル支配下の正教会はむしろ勢力を拡大し、経済的にも富裕となって、ルーシの人びとの精神生活に深く入り込み、荒廃し寸断されたルーシの人びとを結びつける役割を果たしたのである。
サライに定住したのち貢納を受け取るだけの単なる貴族となったモンゴル人であったが、ジョチ・ウルスに属する遊牧民がルーシの辺境にあるかぎり、ルーシの人びとは遊牧民の侵入や略奪から完全に免れることはできなかった。 侵入は実際には頻繁ではなかったものの、ひとたび侵入が起こると、おびただしい数の犠牲者が出て、土地は荒廃し、疫病や飢餓も蔓延した。 ルーシ諸国は、南方のステップからの遊牧民の襲撃に対する防衛のため サライを伺いつつ国費の多くを割かざるを得なかった。
ルーシの人びとは、固定額の貢納==人頭税=を賦課された。 当初モンゴルはすべての人やものの10分の1を要求したといわれる。 キプチャク・ハン国の初期には、ルーシの各地にモンゴルの代官がやってきて人びとから概算額を徴収しただけであったが、1257年、クビライの女婿キタトがルーシ方面のダルガチ=担当区域での人口調査や徴兵、課税と徴税、駅伝制の確保、法(ヤサ)の執行と秩序維持の任務にあたる官吏=に任命されて以降、人口調査がおこなわれ、ノヴゴロド周辺と教会関係者を除いたルーシ全域て、10戸、100戸、1,000戸、10,000戸の行政単位に区分されて「納税者名簿」に登録された。
キタトや人口調査官が人口調査の任を終えて帰国したのち、ルーシにはバスカクという官が置かれ、1259年ごろからは人口調査に基づいて貢納額が定められた。 「タタールのくびき」の象徴ともいえるバスカクは14世紀初めまで維持継承され、ルーシ諸公が自ら貢税(ヴィホド)を集めることが認められてようになってくる。 最終的に地元の公や大公に貢納の権限が一任されたため、それ以後はルーシの大公・公が自領民に対し重税を課すようになり、ルーシの民がジョチ・ウルスの貴族や官僚に直接会う機会はなり、大公・公への不満がモンゴル貴族に転嫁されて行く。
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