【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

今日(狂)の狂言 : 07月13日(土曜日) & 旅と文化の足跡が野帳

2024-07-13 05:10:24 | 浪漫紀行・漫遊之譜

★ 忘備忘却録/きょうの過去帳・狂 

◆ HOLLYWOODLANDの大看板が完成(1923年)するが、月日の経過とアメリカ経済の低迷から維持費が賄えず現在では末尾のLANDが朽ち果てることに。 ◆ 4年に1回のペースで行われるサッカーの祭典がウルグアイで初開催(1930年)。第1回の開催国であるウルグアイは国中歓喜の渦に包まれたものの、その後半世紀以上優勝トロフィーを受け取る栄誉に与っていない現状ではあんまり楽しくない模様。 ◆ デートクラブの御主人様が小さな天使たちを捕まえる。4日目に天使たちは解放されるが、その前日に御主人様が自殺したため真相は誰も知らない(2003年=プチエンジェル事件)。

 

◎ ◎ 標高5000mに出現する季節限定の街 エベレスト =後節= ◎ ◎

- - -世界最高峰の登山シーズンを迎えた、ベースキャンプの生活 - - -

=National Geographic Journal Japan 〉ニュース〉旅&文化〉  ・・・・2019.05.20 / 文=Freddie Wilkinson/訳=高野夏美・・・・

  https://youtu.be/CPFbqff1lQA

都市さながらの課題

 キャンプ地は原則、先着順で決まっていく。抜け目のない主催者の中には、現地の代理人を派遣して、一番いい場所の権利を何カ月も前から主張する者もいる。何百人もの人々が数平方キロの範囲で野営するため、ベースキャンプの運営側は、小さな街の都市計画担当者と同じような問題に直面している。

  クーンブ氷河上にあるネパールのベースキャンプでは、サガルマタ環境汚染管理委員会の尽力で基本的な衛生基準が守られている。ロンブク氷河のベースキャンプでも、中国当局が同じ機能を果たしている。トイレでは、内側にごみ袋を着けたプラスチックのバケツに汚物を入れて運び出し、低地に下ろして処理する。ごみも同様に収集され、運び出される。

 おかげで今のキャンプは比較的清潔に保たれているが、登山道を少しそれれば、大きなごみの山が目に入るだろう。ごみへの意識が薄かった時代の登山隊の遺物だ。ネパール側では、こうしたごみの一掃を目指して少しずつ取り除く努力が進んでいる。今年はごみと排せつ物の量を抑えるため、中国当局はチベットのベースキャンプへのアクセスを登山活動に制限し、観光客の来訪を禁止している。

   高地で優雅なキャンプ

  すべてのエベレスト登山チームが同じ宿泊設備で過ごしているわけではない。あらゆる都市と同じく、「いい生活」をしているチームもいる。最上位のキャンプと、安上がりの宿泊設備の違いは何だろうか?

  最も高級な商業ツアー会社は今、立ったまま中に入れるベッド付き大型テント、ガソリン発電機による無制限の電気、温かいシャワー、強力で信頼できるWi-Fi、夕食後の映画用プロジェクターを提供しており、ヨガとストレッチ用の専用テントまである。だが、そうした快適さは安くはない。一番値の張るツアー会社は10万ドル(1100万円)以上請求する。低予算の装備なら、費用は2万5000ドルから4万ドルというところだ。(参考記事:「エベレスト商業登山、考え直すとき」https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/051500101/  

   ただし、ナイトクラブや派手なパーティーを求めてエベレストベースキャンプにやって来てはいけない。ほとんどのチームはそれほど交流せず、就寝も早い。少なくとも、登頂してしまうまでは。

  シーズンの終わりには、ほとんどのガイド付き登山客がなるべく早く自国へ帰っていくが、ベースキャンプのスタッフにはまだ数週間分の仕事が残っている。あらゆる物を解体して、谷を下って安全な保管場所へ運ばれていくのを見届けるのだ。カトマンズへ長旅をして戻らなくてもいいように、多くのツアー会社が近くの村で保管場所を借りている。

 ベースキャンプの119番 ○◎  大きな登山隊なら、専属の医師をチームの一員として連れていることが多い。そうしないと、山の南北どちら側でも、整った医療サービスには限界がある。体調に深刻な問題があれば、一刻も早くベースキャンプを去り、標高の比較的低いところへ下りるほかない。

  クーンブ氷河のベースキャンプでは、ヒマラヤ救助協会の「エベレストER」が急な症状に対応している。症状が重い患者は、ヘリコプターでできる限り速くカトマンズへ搬送される。ロンブク氷河のベースキャンプでは、車で4時間のところで1次医療が提供されている。 

 好きか嫌いか、2つに1つ ○◎  ある人にとっては、ベースキャンプはエベレストに登るチャンスと引き換えに4〜5週間過ごさなければならない苦行の地だ。また他の人にとっては、究極のサマーキャンプであり、地球上に二つとない場所、そしてコミュニティーとなる。いずれにせよ、この惑星で最も高い地点に登りたい人なら、この2つが出発点なのだ。(参考記事:「インタビュー:プロ登山家 竹内洋岳」https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20120913/322989/

  【参考記事】 =アンドリュー・アーヴィン

 アンドリュー・アーヴィン(Andrew "Sandy" Comyn Irvine、1902年4月8日 - 1924年6月8日もしくは9日)は、イギリスの登山家、イギリスによる第3次エベレスト遠征隊(1924年)に参加した。エベレスト初登頂を目指し、アーヴィンとジョージ・マロリーはエベレスト北壁に挑戦したが、そこで姿を消した。彼らが最後に目撃されたのは、山頂からわずか数百メートル手前であった。

 アーヴィンはイングランド、チェシャー州(現在はマージーサイド)のバーケンヘッドで、スコットランド、ウェールズに起源を持つ家族の元に生まれた。アーヴィンはバーケンヘッド校(en:Birkenhead School)とシュローズベリー校(en:Shrewsbury School)で学んだ後、オックスフォード大学のマートンカレッジ(en:Merton College, Oxford)で技術者になるために学んだ。アーヴィンは熱心なスポーツマンであり、ボート競技に長けていた。そのため、1922年、23年とザ・ボート・レースのオックスフォード大学のメンバーに選出された。

 ・・・・・・・・次回予告・・・・・

今から100年近く前、英国人登山家のサンディ・アービンとジョージ・マロリーは、エベレストの頂上付近で消息を絶った。二人はエドモンド・ヒラリーとテンジン・ノルゲイが世界最高峰に初登頂した29年も前に、その偉業を遂げていたかもしれない。登山史を覆す証拠を求めて危険な山に挑んだ調査隊は、 ・・・・・・・・明日に続く・・・・・  

 

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上部記載文中、文字色が異なる下線部位を右クリックにて“参考記事”を開示

前節へ移行 : https://blog.goo.ne.jp/bothukemon/e/fe742f3c715a658640d78e192a6c93cb

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