「本の町プロジェクト」ブログ

日本にも「ヘイ・オン・ワイ」のような本の町があったらいいな、から始まった物語。高遠での活動を経て次のステップを準備中。

続 有望物件あきらめる

2007-03-31 18:08:44 | Weblog
※以下の文章は、古本屋「書肆月影」大塚が書きました。

3月17日(土)、現地の貸家にて三者会談をおこなった。こちら側は「れいど・ばっく」平野さん夫妻、「文雅新泉堂」野崎さん、そして私。あちら側は個人の不動産屋さんと、大家さん。先方は、「古本屋」というだけでどういう人間が借りるのかわからないがゆえの、顔合わせ、こちらは、建物の老朽化が激しいゆえの諸々の条件の詰め、が主たる目的といったところか。

先方から再提出された条件は、「店舗」として使用するという要素を加味したせいか、敷金・礼金、家賃ともにかなりアップされたものだった。こちら側からも対抗要件として、あらかじめリスト・アップしておいた不明な点を質問する。

その後、先回は詳しく見られなかった家のなかを、検分させていただく。別室で交わされていた不動産屋さんと大家さんの、耳障りな会話が聞こえてきたが、そこは大人の対応で聞き流す。

建物や設備機器の補修をどこまでやるか、という回答を含めて、先方から返事をもらう段取りになっていたのだが、今日で二週間、何の返事もない。

まあ、最初の面談の十五分くらいで、これは縁がなかったな、と思えたので、今回は仕方なしとしよう。

池袋モンパルナス

2007-03-27 02:50:27 | Weblog
※以下の文章は、古本屋「書肆月影」大塚が書きました。

藤野に「本の町」をつくろうと思っているわけだから、地域と芸術活動の関わりにはどうしても関心が向くわけで、板橋区立美術館で開催されている『池袋モンパルナスの作家たち』はどうしても行きたい、と思っていた。何となくネットで検索しているうちに、東武百貨店池袋店で『小熊秀雄展』が開催されているのを発見、なんと今日が最終日ではないか。どうせなら、ということで、このふたつの展覧会をまとめて観ることに決めた。※ちなみに「池袋モンパルナス」という名称は、小熊秀雄の命名とされる。

板橋区立美術館の開館時間が夕方五時までなので、こちらを先に回ることにする。東武東上線の下赤塚駅から歩くことにしたのだが、家を出たのが遅かったうえに、途中ちょっと道に迷ってしまい(二十五分くらい歩くのだ)、結局着いたのは四時だった。この美術館に以前来たのはいつだっただろうか。「東京大仏」が近くにあったのは憶えているのだが、かなり昔だったことは間違いない。

美術館は、「赤塚溜池公園」「赤塚城址公園」の中にあって、緑に恵まれた落ち着いた雰囲気。確か二十三区初めての区立美術館ではなかったか。
今回の展示『池袋モンパルナスの作家たち』は、総数約八十点、それらが七つのコーナーに分かれている。--この催しは「一九三〇年協会」「独立美術協会」「美術文化協会」など、当時の発表の場となった美術団体との関連で絵画を紹介しているのが特長--、とリーフレットにあったが、このように理解するためにはもう少し点数が欲しい、と感じるのは少し欲が張っているか。この展覧会は、入場無料なのだから。

どの絵も、時代の影を強く背負っているだけに、どうしても作家個人個人の個性の方に目がいく。名前が知られている長谷川利行、里見勝蔵、寺田政明、麻生三郎、難波田龍起、福沢一郎、山下菊二などといった大家の作品はそれぞれに良いのだろう。絵に強さがあるし、わかりやすい。フォーヴィスムとかシュルレリスムの流れもうまく消化している。
しかし私は、これらの人たちに比べると知名度は落ちるけれども伊藤久三郎、大塚 睦、真鍋英雄、浜松小源太などの作品の方に、より目を奪われた。内なるあるいは時代の混沌をそのまま表現した、という感じだろうか。特に、大塚 睦の「地割れのある風景」と、真鍋英雄の「水辺」の二点の前では長く足を留めさせられた。前者は福沢一郎が結成した「美術文化協会」の第一回展覧会に出品された作品で、大塚の代表作のひとつとされるもの(1940年)、後者は真鍋が戦前に描いたもので残された唯一の油彩画(他はすべて焼けてしまった)だそうだ(1941年)。

寺田政明の息子である俳優の寺田農が、4月7日(土)に「父と池袋モンパルナスの時代」という講演をこの美術館でするそうだ。もう一度、来たいと思う。図録が欲しかったが、今回は発行していない、とのこと。

また、下赤塚駅まで歩いて戻り、地下鉄有楽町線で池袋駅へ。後回しにした東武百貨店池袋店の『小熊秀雄展』を観る。小さな展示室だったが、小熊のペン画、油彩画、水彩画、初版本、原稿などが陳列されていた。「池袋モンパルナス」に集まった画家たちのアトリエは大雑把に言って、「池袋」駅・西武池袋線「椎名町」駅・地下鉄有楽町線「千川」駅を結ぶ三角地帯にあったのだが、その現在の風景写真がパネルになっている。当然かも知れぬが、当時の面影を偲ぶことはもうできない。

炭焼き ズル休み

2007-03-18 23:12:36 | Weblog
※以下の文章は、古本屋「書肆月影」大塚が書きました。

今日は月に一度の炭焼きの日、昨日までは参加するつもりでいたのだが、貸家の交渉の件で、少々疲れてしまった。どうやら、寝ている間に、また今日も同じ藤野まで行くのかという怠けの神様に憑かれてしまったようで、目覚ましの音に身体が反応しなかった。無念。

四月の作業日は二十二日(日)のようなので、希望される方はぜひ参加を。

炭焼きの会長さんから、「炭遊舎 炭焼き通信78号」というメールをいただいた。
炭焼きは、「ガルデン山の国市民農園」というところで行われているのだが、この農園では他にもさまざまな活動がされていて、四月下旬にそれらがまとまってNPO法人化されるそうだ。
山の手入れ、枝打ち、間伐、水源を整備する「森林隊」、きのこの栽培・研究をする「きのこクラブ」、津久井大豆を栽培・研究し、味噌や豆腐を作る「大豆クラブ」、ログハウスの研究・建築に取り組む「ログクラブ」、薪、ペレットストーブの啓発・研究をする「バイオマスクラブ」などがすでにあって、実績を重ねている、という。どれも楽しそうだ。「本の町」とのジョイントの道が探れればいいのだけれど。

引き続き、交渉中

2007-03-15 23:11:24 | Weblog
※以下の文章は、古本屋『書肆月影』大塚が書きました。

大家さんからの返事だが、結論から言うと、再交渉となった。電話だけの交渉、それも間に不動産屋さんが入ったりして、意志の疎通がうまくいかない部分もあって、一度はダメになりかけたが、17日(土)に現地で大家さんを交えて面談する運びとなった。依然、いろいろな条件があり、すんなり決まるかはちょっとわからない。

少し書くのが遅くなったが、11日(日)をもって藤野町は相模原市に合併された。新宿駅東口では、日比野克彦をプロデューサーとする「新相模原市」誕生のPRイベントが催されているようだ。名誉観光親善大使は、元F1レーサーの片山右京とのこと。

ほおと思ったのは、合併を控えた9日(金)に、藤野町にて「閉町式」が催された、という新聞記事。「51年の歴史に幕」とある。町が無くなってしまうから、皆で偲ぼうという趣旨なんだろうが、こういうものがあること自体初めて知った。式では、最後に町長が町旗を降納して幕、とあった。

交渉中

2007-03-09 23:29:00 | Weblog
※以下の文章は、古本屋『書肆月影』大塚が書きました。

藤野の空き家であるが、翌日早速近隣の方から教えていただいた大家さんのお宅に電話してみた。管理はすべて不動産屋(個人)にまかせている、ということなので、その方に電話してみる。

家賃、敷金・礼金、水まわりの現況、借り入れ後の造作の可否、大量に残っている残置物の処理、古い家屋なので管理の範囲など、細かいことをいろいろ聞く。想定内だったこと、意外だったこと、双方あった。その条件で、一度考えさせてください、明日電話します、と伝え、いったん電話を置く。

仲間に一緒に見てもらったので、聞いた条件をメーリング・リストに流し、意見を聞いてみる。すぐにいろいろなアドバイスが流れてきた。うーん、そういう見方もあるか、なるほど。

そして、今日その不動産屋に電話。こちらからも条件を出し、大家さんに諮ってもらうことにした。まず、何より住居専用で借りるのではなく、不特定多数の人が出入りする住居として借りる、という点を知っておいてもらわねばならない。

大家さんにお伝えしました、という電話が折り返し掛かってきた。二三日考えさせてくれ、とのこと。さて、どういう結果になるか。

続 有望物件あらわる

2007-03-07 22:15:29 | Weblog
※以下の記事は、古本屋『書肆月影』大塚が書きました。

藤野の「五感の湯あたりに古民家がある」という情報を前からキャッチしていたのだが、クルマに乗らない私としては誰かの力を借りねばならない。メーリングリストで助っ人を募ったところ、四人の参加となった。「ハートランド」斉木さん、李さん、そして私の三人は八王子駅集合、そこに「れいど・ばっく」平野さんが秦野からクルマで乗り付けてくれる、という段取り。

一時間ほど早めに到着した斉木さんと私は、八王子駅近くの古本屋巡りをする。
二軒目の古本屋で、集合時間が迫っても「文庫本五冊三百円」の棚の前で呻吟する私。四冊までは抱えているのだが、最後の一冊が決まらない。根が貧乏性なのだ。「もう、あきらめてくださいよ・・・。これなんかどうですか!」と斉木さんからポイと渡された文庫本、ひょいと扉を覗いたら、吉川英治のペン字サインと落款があった。これで決まり!

藤野は食事をするところが少ないので、先に駅近くの『手打ちそば 山泉』という店で昼食にする。私以外の方はもり蕎麦、私は蕎麦がき。

八王子から藤野までは、甲州街道で小一時間ほどで着く。まず最初に、今日の主目的である古民家を探すことにした。この情報は、いつも世話になっている名倉のSさんから教えていただいたのだが、「場所は五感の湯の先の吉原(キッパラ)、鉄塔の下」ということしかわからない。途中、ちょっと迷ったが、何となくそれらしきあたりにたどり着いた。でも、鉄塔は数百メートルおきにあるものの、どれが空き家かはわからない。たまたま、人影を発見したので、急いでその人めがけて走り出す。田舎で人影を見失ったら、次はいつになるかわからない。確信はないが、何となくあの家ではないか、という家を教えていただいた。

その家に行ってみると確かに人の気配がない。庭を含めて百坪くらいあるだろうか。家屋は古いが、かなり大きな平屋である。庭の樹木も剪定が行き届いている。桜の大木がある。庭には一面に、土筆が顔を出していた。「吉原」という土地自体が、山ばかりの藤野にあっては開けている感じだが、特にこの家は陽当たりが良い。まわりの山の迫り方も適度に良い。

などと銘々が勝手な感想を述べているところに、近くの方が顔を出してきた。確かに空き家に忍び込む男女四人、怪しくても一向に不思議はない。Sさんに近所の方に事情を説明するように言われていたので、家探しをしている現在の事情をお話しした。聞くとこの方は、一時期自分の家の建て替えをする時にこの家に住まわれていたようで、鍵も持っていると言う。たまに鍵を開けて、家の風通しなどを頼まれているらしい。遠方から来た旨を告げ、中を見たいとお願いしたところ、了承していただいた。

平屋だが、中は広かった。全部で台所含めて六室ほどか。外観はちょっと頼りなかったが、家の柱は思いのほかの太さだ。聞くと以前は茅葺きだったが、手入れが大変なため、銅板(?)に葺き替えたそうだ。

中を見させていただくと、それぞれがさらに気に入った感じがこちらにも伝わってくる。この家なら、「本の町 藤野」の旗揚げの拠点として問題はない。
あの家の前に佇み、中に足を踏み入れると、本を中心としたさまざまなイメージが湧いてくる。
それは、コタツにあたりながら絵本を読む少女であったり、満開の桜の下で文庫本にはらはらと散る花びらであったり、縁側に腰を掛け、コーヒーを啜りながらの古本談義であったり・・・。
そういう舞台となる可能性を、あの家からは感じ取れるのだ。

私の家選びの勘などアテにならないが、いつも文句ばかり言っている斉木さんと、紅一点の李さんが気に入っている、という点は心強い。

都内にいるという大家さんの住所、電話番号を教えていただいたので、明日電話してみるつもり。

用事があるという李さんを藤野駅で降ろし、男三人は「東尾垂の湯」へ。
その後、斉木さんを高尾駅で降ろし、帰る方向が一緒の「れいど・ばっく」平野さんと私は、また古本屋を四軒ほど回って帰った・・・。


合併まで一週間

2007-03-04 23:06:51 | Weblog
※以下の記事は古本屋『書肆月影』大塚が書きました。

現在の神奈川県津久井郡藤野町は、3月11日(日)に相模原市と合併し、神奈川県相模原市藤野町となる。読みも「ふじのまち」から「ふじのちょう」となる。相模原市の地番を調べてみると、「※※町」は「※※ちょう」と読ませているようなので、それに合わせたのかも知れない。住民でないのでよくわからないが、行政レベルの合併という事実よりも、この読みを(勝手に)変えられてしまうことの事実の方が、住んでいる人には違和感が大きいような気もする。

今まで、慣れ親しんでいた「芸術の町 藤野」というタイトルの町のホームページも、合併に伴い、3月9日(金)をもって廃止されるそうだ。その後は、相模原市のホームページの中に、「藤野地域自治区」というくくりで組み込まれる、という。相模原市のホームページを覗いてみると、ごく普通の自治体のホームページである。藤野町のホームページが親しみやすく、かつ丁寧に作られていただけに、亡くなるのは少し寂しい気がする。