1月4日
指宿から鹿児島へ帰るのですが
指宿の宿で焼酎の「くろじょか」をみて
その「くろじょか」を製作している長太郎焼の窯と店が近くにあると聞いた。
快速にとまらない
「二月田」という駅から歩く。
写真が、そのお店。
「長太郎窯」は、たしかJR坂之上駅あたりにもあったのでは?
と思ったら、そこは指宿と親戚であることがわかりました。
私は、30歳代の頃、金沢にいて県庁で伝統工芸の振興の仕事をしていたので門前の小僧程度の知識と関心がありました。
妻は、金沢で陶芸教室に通っていたので、「くろじょか」の作成の苦労話を聞き入っていました。
・・・こうして
1月2日の朝、鹿児島の家を出るときは漠然と「指宿2泊」と決めていただけで、まったく予定外の展開でしたが、
2日の日は篤姫関係の観光
3日には佐多岬の突端へ行き
4日には長太郎焼のことを知りました。
毎週義母の介護で神経をすり減らしている様子の妻にはつかのまの休息でした。
指宿から鹿児島へ帰るのですが
指宿の宿で焼酎の「くろじょか」をみて
その「くろじょか」を製作している長太郎焼の窯と店が近くにあると聞いた。
快速にとまらない
「二月田」という駅から歩く。
写真が、そのお店。
「長太郎窯」は、たしかJR坂之上駅あたりにもあったのでは?
と思ったら、そこは指宿と親戚であることがわかりました。
私は、30歳代の頃、金沢にいて県庁で伝統工芸の振興の仕事をしていたので門前の小僧程度の知識と関心がありました。
妻は、金沢で陶芸教室に通っていたので、「くろじょか」の作成の苦労話を聞き入っていました。
・・・こうして
1月2日の朝、鹿児島の家を出るときは漠然と「指宿2泊」と決めていただけで、まったく予定外の展開でしたが、
2日の日は篤姫関係の観光
3日には佐多岬の突端へ行き
4日には長太郎焼のことを知りました。
毎週義母の介護で神経をすり減らしている様子の妻にはつかのまの休息でした。