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1530 島津藩には百姓一揆は少なかった【秀村選三】

2008-09-08 06:32:12 | 大隅半島→別ブログ
昨夜
『篤姫』見ました。
これまで何回も幕末・維新もののドラマをみてきたのですが
今回は、女性の役割が縦軸になっているようですが
寺田屋事件のことなど今度初めてその意味がわかったように思います。

江戸末期の日本の状況、江戸の暗愚さを思うと、
薩摩藩の歴史的な意義が良くわかります。
幕末(斉彬が藩主になったのは1851年)から西南戦争までの30年ほどで薩摩のエネルギーは爆発して
その後は何もなくなった
そんな気がしますね。

秀村選三『幕末期薩摩藩の農業と社会』(2004)を読んでいます。
2007年8月2日に取り上げてしばらくそのまま
ようやく
2008年7月27日
2008年7月31日
と読み始めたのですが・・・
もう9月になってしまい、秋学期が始まれば、こういうテンポの長い本を読むことはできないか。
でも、『篤姫』で幕末の薩摩を再発見中の今年
大隅半島の農村の社会を知るのもなにかの縁かな
と進めるることに
*序論部分が終われば、具体的な叙述が多くて判り易い見込み。

第1章の最後 
3 西南辺境型藩領国の特質 pp.31-45
を箇条書きにまとめます。
*本来は、専門書で難しい文章なので適宜現代語?に訳していきます。

○ 旧戦国大名の体制をそのまま受け継いだ

○ 地方地行を続けた

○ 郷士制度が続いた

○ 封建的小農民の自立度が弱い→タイトルの百姓一揆が少ないはこの項の記述から。

○ 武士の開拓による地主制の形成

○ 農民的貨幣経済は未発達

○ 琉球貿易・藩貿易の展開

○ 浦町の発展 特権的船持商人

以下、第2章も総括的な箇所ですが
第3章以降は、より具体的に江戸末期の薩摩藩の農民の生活をのぞいています。


*写真は、奄美のクワズイモの実。
徒然なる奄美の9月7日の記事から。



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1 コメント

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幕末から明治維新の薩摩 (genesislife)
2008-09-08 07:14:03
 140年前の薩摩のエネルギーを考えると今の鹿児島は寂しいかもしれませんね。

 『採算が取れないから』といった理由から時代の波に流されてしまった数々の技術や制度。

 郷中制度なんかは学習塾に完全に取り込まれてしまいましたし薩摩琵琶や刀剣も細々とやっている程度ですしハイテク分野にしても大企業の工場が巾を利かし地場産業は発展していません。

 ※その辺が名古屋や静岡と違う所ですが。
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