介護福祉は現場から 2007.02.22-2011.01.25

新しいブログにリンクしています。7つのテーマにわけました。引き続きお読みください。

6 原宿から清瀬へ

2008-05-02 05:44:45 | 鹿児島
【原宿】
「日本社会事業大学」へ勤務することになり、
最初の3年間は、原宿の校舎。

JR原宿から有名な竹の子通りを抜けて
東郷神社のとなり。

校舎は、昔の海軍記念館というので、古い建物でした。
大学の前は、GHQ(アメリカの占領軍)の一部が住んでいた。
私は、最初は、研究所の非常勤研究員でした。
書庫の一角に、アメリカからきていたKさん、中国から来ていたRさん
と一緒にいました。

この書庫は、「木村文庫」といい、昔、厚生省の事務次官をした木村忠二郎氏
の蔵書やメモがぎっしりおいてあった。
書庫の隣に学長室があり、当時の平田冨太郎先生とよくばったりお会いした。
戦後の社会保障を切り開いた大先生です。
何度かお会いするうち、学長室へ招かれて、昔話をお聞きした。

この原宿の頃
前にも書きましたが、「研究科」という社会人コースを担当しました。
社会福祉士法ができて、日本で最初の「社会福祉士養成施設」に指定された。
夜間のコースに「専修科」があり、「老人福祉論」を教えた。

校舎の入り口に、いつも大きな花が活けてあり、職場から登校する学生に評判だった。
あまりに見事で、いつも花があるので聞いたら、学校の裏に花屋があって、「おさがり」だと知ったのはだいぶ後のことでした。

【清瀬へ】
3年原宿にいて、清瀬市へ移転した。原宿の土地を売って、国立病院の敷地を買った。バブルのピーク時なので、広い土地を買えた。

池袋から西武池袋線で30分近く。
清瀬駅からバス。歩いて20分。

写真は、清瀬市のホームページから。
昔から、空気の良いところで、国立病院、都立小児病院、結核病院、ホスピス、特別養護老人ホームなどが建っています。

新しいキャンパスは、森の中に建てられ、建物も、その年の建築賞をもらったというしゃれたものでした。
*大学のホームページに沢山の写真が。

清瀬には8年いたのですが
最初にいた原宿の3年の方が懐かしいのは不思議ですね。

【さまざまなキャンパス】
このほか、
非常勤で通った都内・関東圏のキャンパスとしては、
・法政大学 市ヶ谷の土手を歩いて通った。桜の頃は素敵でした。
 「社会保障論」を大教室で講義した。有名な先生が講義した伝統の科目でしたが、私の講義を聞く人は少なかった。
・埼玉大学 大学院の政策科学研究科。南浦和駅。駅前の焼き鳥屋で院生と飲みました。
・都立保育学園(練馬) 介護福祉士の1年コースで「老人福祉論」。社会人の学生。
 近くに牧野(植物学の)記念公園があって、よく一休みした。
・明治学院大学 国際学部で土曜日に「国際福祉論」を講義した。戸塚。友人のゲストに毎週のように助けてもらい、帰りに東京駅で食事をご馳走して別れた。
・群馬の大学(これは常勤。大学院専任。鹿児島へ来る前)片道2時間。都内での院生との演習もしばしば行った。

いろんな人のお世話で、いろんなキャンパスへ出かけた。
各大学・専門学校の学生、事務の皆さんによくしてもらった。
*北海道については、次回。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ベルギービール | トップ | 【問23回答】&【問24】 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

鹿児島」カテゴリの最新記事