写真は、安曇野カンポンLIFEの2010.07.05付け記事からお借りしました。
【世界と向き合う】
昨夜7月5日、BSフジで経済政策をテーマの討論番組(プライムニュース)で、日揮グループ代表
重久吉弘 氏
が最後にボードに書いたことば。
グローバリゼーションの波にただおののいて内に閉じこもっていては活路を見出せない・・そういった経営の体験からくる話で説得力があった。
サッカーで多くの日本人が燃えたのも、日本の若者が世界を舞台に堂々と戦った様子に日本の希望を読みとったからですね。
【介護と国際社会】
アジアの優秀な方が日本に来て介護福祉士の試験に臨むという。安上がりの労働力の調達という雰囲気を感じて反対論が多い。私もその一人だった。
どうせ迎え入れるならば、どうどうと日本の介護を教え、いずれ、彼女(彼)らが母国に帰ったときに、日本流の介護の知識と方法を伝えようではないか?
こういうスタンスで、日本語を教えているという方のことをネットで知った。
「国際社会での立ち位置への戸惑い」
「高齢化社会への備えへの不安」
一見無縁と見えるこの2つのテーマは重なるのではないか?
【介護福祉士はなぜ日本に生まれたのか】
日本では、「介護」の社会的な地位は低い。それは、医師を頂点とするケア専門職の偏差値によって序列づけされた底辺に介護職があるという認識からくる。これは、欧米流の専門職観に従っている。
国際的には「介護福祉士」という類似の専門職がないことの理由を長い間考えてきた。
先進国のケアでは、医師はもちろん、さまざまな保健の専門職のチームによるケアが進む。ソーシャルワーカーも高齢者介護へ積極的に参画している。
最近では、日本でも、医療職やソーシャルワーカーに高齢者ケアの理解者がでてきたが、この両群の主流からは長く放置されてきた。介護福祉士が日本に誕生した背景はまさにそこにあった。専門職の階層性を打破しようとする動きが日本から提起された、ととらえると、この動きは、これから高齢化社会を迎える諸国にもヒントを与えることができる。
*多くの基礎資格から形成されている「介護支援専門員」(ケアマネジャー)が高齢者ケアに果たしている機能も国際的に見てユニークです。
日本の現状をみると、認知症の事例を考えると明らかなように、(一部に例外はあるものの)第一線の医師は無力です。短期記憶が消滅した認知症の患者にとっては、白衣の権威は恐怖でしかない。むかしからあるなじみの空間こそが必要だ。日本の介護職が、認知症の患者の家族や友人と共に認知症を見守るとき、そこには国際的にも通ずる普遍性があると思う。
【普遍的な価値を求めて】
介護という仕事の価値を突き詰めて考察してきた藤本一司氏の『介護の倫理』の意義は大きい。
介護の倫理 第2917号(2009.05.24)
藤本氏の思想は、カントを専門とする西洋哲学によって鍛えられたが、介護観は、認知症の進む母上と向かい合うなかで形成された。
「何故、世間では評価しない仕事をやるのか?」
「何故、肉体的にはつらい仕事に人は立ち向かうのか?」
「国際社会のこれからは欧米流のやり方で大丈夫なのか?」
(特に、介護という思想が定着しにくいアメリカ文明への疑問)
こういった話の展開から、
日本の介護従事者の、(意識の)先端的な部分
組織や資格に依存しない一群
専門用語を振り回さない人々
が、ネット(ブログ、twitter)という文明の利器をえて連携して発言しだしたことに注目しています。
笑わせてなんぼの介護福祉士会
【世界と向き合う】
昨夜7月5日、BSフジで経済政策をテーマの討論番組(プライムニュース)で、日揮グループ代表
重久吉弘 氏
が最後にボードに書いたことば。
グローバリゼーションの波にただおののいて内に閉じこもっていては活路を見出せない・・そういった経営の体験からくる話で説得力があった。
サッカーで多くの日本人が燃えたのも、日本の若者が世界を舞台に堂々と戦った様子に日本の希望を読みとったからですね。
【介護と国際社会】
アジアの優秀な方が日本に来て介護福祉士の試験に臨むという。安上がりの労働力の調達という雰囲気を感じて反対論が多い。私もその一人だった。
どうせ迎え入れるならば、どうどうと日本の介護を教え、いずれ、彼女(彼)らが母国に帰ったときに、日本流の介護の知識と方法を伝えようではないか?
こういうスタンスで、日本語を教えているという方のことをネットで知った。
「国際社会での立ち位置への戸惑い」
「高齢化社会への備えへの不安」
一見無縁と見えるこの2つのテーマは重なるのではないか?
【介護福祉士はなぜ日本に生まれたのか】
日本では、「介護」の社会的な地位は低い。それは、医師を頂点とするケア専門職の偏差値によって序列づけされた底辺に介護職があるという認識からくる。これは、欧米流の専門職観に従っている。
国際的には「介護福祉士」という類似の専門職がないことの理由を長い間考えてきた。
先進国のケアでは、医師はもちろん、さまざまな保健の専門職のチームによるケアが進む。ソーシャルワーカーも高齢者介護へ積極的に参画している。
最近では、日本でも、医療職やソーシャルワーカーに高齢者ケアの理解者がでてきたが、この両群の主流からは長く放置されてきた。介護福祉士が日本に誕生した背景はまさにそこにあった。専門職の階層性を打破しようとする動きが日本から提起された、ととらえると、この動きは、これから高齢化社会を迎える諸国にもヒントを与えることができる。
*多くの基礎資格から形成されている「介護支援専門員」(ケアマネジャー)が高齢者ケアに果たしている機能も国際的に見てユニークです。
日本の現状をみると、認知症の事例を考えると明らかなように、(一部に例外はあるものの)第一線の医師は無力です。短期記憶が消滅した認知症の患者にとっては、白衣の権威は恐怖でしかない。むかしからあるなじみの空間こそが必要だ。日本の介護職が、認知症の患者の家族や友人と共に認知症を見守るとき、そこには国際的にも通ずる普遍性があると思う。
【普遍的な価値を求めて】
介護という仕事の価値を突き詰めて考察してきた藤本一司氏の『介護の倫理』の意義は大きい。
介護の倫理 第2917号(2009.05.24)
藤本氏の思想は、カントを専門とする西洋哲学によって鍛えられたが、介護観は、認知症の進む母上と向かい合うなかで形成された。
「何故、世間では評価しない仕事をやるのか?」
「何故、肉体的にはつらい仕事に人は立ち向かうのか?」
「国際社会のこれからは欧米流のやり方で大丈夫なのか?」
(特に、介護という思想が定着しにくいアメリカ文明への疑問)
こういった話の展開から、
日本の介護従事者の、(意識の)先端的な部分
組織や資格に依存しない一群
専門用語を振り回さない人々
が、ネット(ブログ、twitter)という文明の利器をえて連携して発言しだしたことに注目しています。
笑わせてなんぼの介護福祉士会
治したり治療したりする職種と別に、その人の生活そのものを守る最前線に位置しているのが介護福祉士。
認知症の方の人生を左右するのは(今の段階では)介護する者と言いきってしまっても過言ではないと思います。
そしてそのことに気付いていない介護職がいかに多いか、そんなことも感じます。
一番最初に日揮グループ代表のお言葉がありましたね。
実は私は若い頃東洋エンジニアリングという会社に勤めておりまして、旦那は千代田加工という会社に勤めておりました。
いわゆる3社はライバル会社だったのですが、、懐かしく思い出しました。
さっそくにコメント有難うございます。
舌足らずのことがありますが
趣旨を理解いただき
一層こういう「あさって論」にはげみます。
こういうタイプには
どんなレクを計画するのかなぁ
PS
従兄弟が、千代田化工でした。
そのまま日本で実現させていくのは難しい。
けれども近年、中国や韓国などから「日本の介護」が
注目されていることを鑑みても、私たちはもっと
「日本の介護はこれだ!」というものも意識すべきなのかもしれませんね。
壮大だな~
げんき様、
ほんとうにそう思いますよ。
これからの「日本の介護はこれだ!」というものを作っていくのは、
日本の現場の介護に携わっている人達にかかっていると思います。
微力ながら、私も応援させてくださいませ
どりーむさん
そしてJUNKOさん
皆さんに
この固い文章を読んでもらって
「日本の介護を世界(アジア)に伝えよう」
というラインがみえて嬉しいです。
それには
やはり当事者・家族・介護現場
という近いところからの
発信が基礎ですね。
神奈川なんか
すでにその動きの兆候がみえていますが
これが
全国に広がっていけばと思います。
鹿児島に
リアルの世界では接点のない私には
皆さんの活動を
横合いというか
静かにお手伝いする
というラインですね。
政治家・メディア・研究者は
すでにたくさんの発信の機会をもっています。
これからは
これまで発信の機会のない人たちの
声が集約されていくことが大事ですね。
*英語、韓国語、スペイン語などの心得や
「外国人に日本語を教える」技術の習得などもあわせて重要さを増してきますね。
JUNKOさんやどりーむさんは大先輩で、私なんぞは
まだまだですが、世界を見ながら一歩一歩前進します。
ふと思い出しましたが、5月に百済をめぐる旅をした時、
親しくなった韓国の方は、精神病院に勤務するカウンセラーでした。
(いつでも連絡がとれる友人の友人)
もしかしたらそんなところから韓国福祉とのつながりが
できるかもしれません。
地元大学に来ている留学生を通訳として付いてもらい、やりとりしました。
韓国の施設は仕組みも、ケアの内容も日本に比べれば20年から30年くらい遅れているレベルのようですが、
見学に来た5名の職員(うち2名はキリスト系の施設なのでシスターさんでした)からは
見るものすべて吸収して帰るのだ、という気迫がみなぎり、質問攻めでした。
最近韓国の施設の皆さんが日本の施設(高齢者だけでなく障害者の施設も)の視察に来ることが増えているようです。
あのコリアンパワーに儒教の精神で取り組み始めたらケアの質はたちどころに向上しそうです。
今回の見学をきっかけに交流できればとお土産にもらった韓国のりを食べながら考えていたところです。
日本流のケアを確立しなきゃですね。
そして しんさん
コメント有難うございました。
お二人とも
韓国つながり
ということで
これからは
さまざまなレベルで
交流が広がっていきそうです。
交流することで
自分たちの世界も広がるのだ
と思います。
そんな思いで
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