江戸時代
島津藩には
薩摩 大隅 日向 それに奄美がある。
薩摩半島と大隅半島の間にあるのが鹿児島湾。(錦江湾、きんこうわん)
この両半島をフェリーがつないでいます。
桜島へわたるもの
垂水港へわたるもの
それと山川から根占へわたるもの(写真)
*このほかに、「指宿←→大根占」のフェリーがあるが小さい船です。
1月2日指宿の旅館にとまり
山川桟橋から対岸の根占にわたりました。
*10:00の . . . 本文を読む
1月2日午後は、指宿枕崎線のJR薩摩今和泉で降りて篤姫が18歳まで過ごした場所を訪問。
1月3日は、大隅半島の最南端である佐多岬へ。最後は、階段状の山道を25分歩きます。
薩摩半島から大隅半島へは、フェリーで50分です。(山川桟橋から根占)
写真は、大隅半島の先端である佐多岬から薩摩半島の先端である開聞岳を望んだところ。
1月4日は、JR二月田駅近く(指宿市)にある薩摩焼の長太郎焼きの店で「 . . . 本文を読む
今日は、
義母が住む肝付町高山の流鏑馬です。
秋晴れの天気で何よりです。
2006年、鹿児島に来た最初の秋に見ました。
西暦1096年(永長元年)に始まったというから900年以上の歴史があります。
高山町商工会
の「やぶさめ祭り(10月)」をご覧ください。
*写真は、このサイトから。
秀村選三『幕末期薩摩藩の農業と社会』を読んでいますが、
9月10日に第1539号の記事で触れて以来です。
第 . . . 本文を読む
【アクセスが多い】
秀村選三(日本社会経済史・九州大学名誉教授)『幕末期薩摩藩の農業と社会』(2004、創文社。2007年度学士院賞恩賜賞受賞作品)を読んでいます。
*前回はこのブログの整理番号第1530号でした。(9月8日)
アクセスが多く(2日間で108件)驚きました。
685ページの大著です。
第2章 薩摩藩領国における郷士制と地主の類型 pp.47-62
は、
1 薩摩藩領国の社会経済史 . . . 本文を読む
昨夜
『篤姫』見ました。
これまで何回も幕末・維新もののドラマをみてきたのですが
今回は、女性の役割が縦軸になっているようですが
寺田屋事件のことなど今度初めてその意味がわかったように思います。
江戸末期の日本の状況、江戸の暗愚さを思うと、
薩摩藩の歴史的な意義が良くわかります。
幕末(斉彬が藩主になったのは1851年)から西南戦争までの30年ほどで薩摩のエネルギーは爆発して
その後は何もなくな . . . 本文を読む
【第1章】
秀村選三『幕末期薩摩藩の農業と社会』の
第1章 西南辺境型藩領国の典型 pp.7-45
に入ります。
3つの節から構成されます。
1 薩摩藩領国の研究について
2 西南日本における藩領国の典型
3 西南辺境型藩領国の特質
【先行研究】
「1 薩摩藩領国の研究について」 pp.7-22
は、この本のテーマに関する先行研究の概観です。
○ 日本経済史において、西南辺境地域 . . . 本文を読む
秀村選三『幕末期薩摩藩の農業と社会』(2004年)
については、
このブログ、2007年8月2日付きの記事
「60、70は花ならつぼみごあんど」
で紹介しました。
○ 著者の秀村先生は、九州大学名誉教授。奥様は、鹿児島の出身。
○ 2007年度の学士院賞恩賜賞が贈られた作品です。
○ 私の連れ合いの出身地である大隅半島の旧高山町が舞台となっている。
あれから、もう1年たってしまいまし . . . 本文を読む
鹿屋は
昔でいえば特攻隊の基地、いまは自衛隊
鹿屋体育大学
が有名ですが
最近では「鹿屋ばら園」
もともとは、畜産、焼酎。
写真は、左から
○ 芋焼酎 「さつまの海」 この間、とこやの帰りに買ってきた1升瓶。
○ 黄金のしづく 「サワーポメロ」というみかんのマーマレード
○ バラのジャム
○ 「薔薇の贈り物」という名前の芋焼酎+薔薇の香り(4号瓶)
下の3つは、
昨日の卒寿のお土産に用意したも . . . 本文を読む
久しぶりに垂水港往復のフェリーにのりました。
大隅半島の中心に位置する鹿屋市内の古い料理屋で
義母の卒寿を祝う会が催されたからです。
12時から14時まで
近い身内9人の会合でした。
90歳の義母。70歳が2人。60歳代が(私達2人を含めて)3人。40歳代が3人。
義母を除く8人(3家族)は、鹿児島市内から。
*実家のある肝付町(旧高山町)から鹿屋まで車で30分。
*朝9時に出て迎えに行き鹿児 . . . 本文を読む
著者 緑河 創生
『大隅昭和写真帖』(写真は、その表紙)
(南方新社、2007年12月。139ページ、1600円+税)
私が
40年前に
大隈半島へ初めていたっときは
当時の国鉄で「高山」駅で降りました。
この本には、
1987年3月27日に廃止となった国鉄志布志線の駅舎の写真が乗っています。
当時の
大隅地方の写真。
「田の神」様の写真が多い。
一番印象に残ったのは
「卑弥呼の墓は塚越大 . . . 本文を読む