奄美・加計呂麻島なんでもありBLOG
からお借りしました。(3/30から)
今朝、
南日本新聞で
奄美群島振興開発特別措置法
が不可欠との報告がまとまった。(p5)との記事。
262ページに及ぶという。
*今朝の段階では、
鹿児島県庁
南日本新聞
には、報告書本体はアップされていません。
そこで
南海日日新聞ドットコム
http://www.nankainn.com/
を見たのですが
こ . . . 本文を読む
【ヤマトモン】
鹿児島に来て2年ちかくになります。
連れ合いの親戚以外に知り合いはいない生活
社会生活での実感は、観光客としてなら歓迎されるが
日常生活では、鹿児島人と東京人との間には堅い壁がある。
それは、北海道でのよそ者体験と違うし、金沢での体験とも違う。
はるかに堅い。
その堅さは何か?
自分が年を取ったのか?
【2009年は奄美侵攻400周年】
奄美大島に行って
歴史を学んでの先入観と . . . 本文を読む
【圧倒的な緑】
鹿児島に来て一番の印象は深い緑です。
楠の並木。
キャンパスにも大きな楠が。
【周縁こそ最先端】
『それぞれの奄美論・50ー奄美21世紀への序奏ー』
南海日日新聞社編(2001、南方新社)
のなかに、
「周縁こそ最先端」という小論が掲載されています。(p224-p228)
筆者は、川野和昭氏で
この方は、鹿児島県歴史資料センター黎明館主任学芸専門員。
要点は、
・ラオスやタイ . . . 本文を読む
【奄美をもっと知ろう】
元旦の午後、名瀬で購入した地元紙「南海日日新聞」は60ページのもの。
これを読むことで、奄美の現在を概観できるのでは
との思いでしたが・・・その後、沢山のブログを知りました。
地元紙の頭で見た奄美の現在をキーワード風に自我流でまとめることに。
名瀬小学校6年2組の総合学習では、「奄美をもっと知ろう」として、歴史・料理・自然の3チームをつくり、パンフレットにまとめた。(p . . . 本文を読む
【山下欣一先生から】
『新沖縄文学』第41号(1979年5月15日、沖縄タイムス社)
は、特集で「琉球弧のなかの奄美」を組み、
山下先生が「幻影からの脱出と照射/奄美から南島の民俗学を考える」
を書いておられる。(執筆は、1978.1.31と記されている。まさに30年前!)
(2007年5月、山下先生から先生のかかれた部分、p38-p49、のコピーをいただいた。この号では、このほか島尾敏雄と色川大 . . . 本文を読む
【奄美諸島ーその歴史的変動とシマ共同体の予察】
と
題する山下欣一先生(鹿児島国際大学名誉教授。文化人類学)の
論文の別刷が手元にあります。
(『地域総合研究』第31巻第2号、2004年3月。p97-p117)
以下に、その要点をまとめました。
【南島:喜界島から八重山諸島へ】
・日本本土との比較
地理的位置 亜熱帯性気候・黒潮・サンゴ礁の発達
言語 日本語には、本土方言と琉球方言
司祭 . . . 本文を読む
【フェリーにも図書館】
奄美大島の古仁屋からフェリーで加計呂麻島へ往復しました。
町立の図書館のものか結構沢山の図書がおかれてありました。
鹿児島から垂水へのフェリーはもっと大きい船ですが図書コーナーはなかった。
というか、ふつうフェリーに図書コーナーはないですね。
フェリーの待合室にも沢山の図書が合った。
小説といったものもあるが、外交関係とか、新書の新しいものもある。
「貸し出し簿」がぶら下げ . . . 本文を読む
【何故、奄美?】
鹿児島県立博物館へいったとき
奄美大島と屋久島との間のラインで
生物相・動物相がちがうという展示のコーナーがあった。
アマミノクロウサギと普通のウサギをならべてあり
その違いがわかるようになっている。
太古の地殻変動の違いから、奄美半島以南からは自然界の様子が違うと。
キャンパス内で
奄美学の権威である山下欣一先生とお会いする機会があった。
毎週1回、学部で文化人類学の講義をさ . . . 本文を読む
1月1日朝0740家を出る。
空路奄美空港、田中一村美術館。(去年お正月も観ている)
名瀬を経由して、夕刻には古仁屋。
2日
フェリーで加計呂麻島へ渡る。25分で瀬相というところ。
小型の島内バスが5台ほどフェリーの到着を待っている。
ここから、島内の各地へ走る。
あまんゆ編『奄美の島々の楽しみ方』(双葉社、2007-2)
で知ったブログ「奄美・加計呂麻島なんでもありブログ」
とそのリンクから得 . . . 本文を読む
山下先生から
「奄美諸島ーその歴史的変動とシマ共同体の予察」
(『地域総合研究』第31巻第2号、2004年3月発行)
の抜刷をいただく。
(写真)
喜界島を北限に、沖縄諸島、宮古諸島、八重山諸島を
総称して「南島」という。
そこでは、日本本土の文化とは対置できる文化圏を形成している。
島津藩との関係、明治維新における廃仏毀釈で島津藩が奄美諸島を含め
徹底的な廃仏毀釈を行った事情が説明されて . . . 本文を読む