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山下欣一先生の研究から

2008-01-11 10:44:33 | 奄美大島
【奄美諸島ーその歴史的変動とシマ共同体の予察】

題する山下欣一先生(鹿児島国際大学名誉教授。文化人類学)の
論文の別刷が手元にあります。
(『地域総合研究』第31巻第2号、2004年3月。p97-p117)

以下に、その要点をまとめました。

【南島:喜界島から八重山諸島へ】
・日本本土との比較
地理的位置 亜熱帯性気候・黒潮・サンゴ礁の発達
言語    日本語には、本土方言と琉球方言
司祭者   女性
動物供養  シマ共同体(村落共同体)、歳時習俗、ユタ

・1609年、島津氏の琉球侵攻→奄美諸島が薩摩藩の直接支配の領土となった。
 今日まで、薩摩の文化的影響を強く受ける。

【研究の視点と方法】
・奄美諸島は、日本本土の文化とは相違する文化体系に属している。
・薩摩藩の影響は受けたが、その基層的文化はそのまま保持している。
・奄美諸島の原点は、「シマ共同体」にある。
・民俗学的方法により、シマ共同体に住む人々の考え方、生活行動、その基盤にある民俗信仰の実態にアプローチし、これらを整理して明示する。

【シマ共同体】
自然の境界・・山々・河川・海→集落の形成→シマ
それぞれのシマの方言・芸能などに特色と独立性

シマには、明確な境界の意識:
・方言
・歳時習俗ーノロの神祭り
・シマウタ
・八月踊り
・ユタ(シャーマン)
・死者とその葬儀
・墓地
・ミヤ(広場)

都市化した名瀬や古仁屋の町には、それぞれのシマの移住者が「郷友会」を組織。
郷友会は、シマの正確を色濃く継承している。
名瀬には、広域的なシマ空間が形成され、人口4万の地方都市であるが、多民族社会の大都市と本質的には同様の性格をもつ。

【明治維新と奄美諸島】
奄美諸島にとって近代との遭遇は、唐突であり、無残であった。奄美諸島の運命は、いつも外発的要因で決定されてきた。 p106

薩摩藩は、激しく一向宗を弾圧し、禅宗などを藩の宗旨としていた。
明治の廃仏毀釈を日本本土でもっとも徹底して行ったのは薩摩藩。
奄美諸島でも、史上、初めて、シマ共同体・・各家々の位牌の廃棄・焼却まで及んだ。奄美のシマの人々の死生観・祖先崇拝への直接の干渉であった。

琉球王国では、廃仏毀釈は実施されず、長く旧慣を維持してきた。

【現役で講義】
山下先生は、たしか、名瀬のご出身。
ライフワークとして、奄美諸島の民俗学的研究をされてきた。
山下先生は、名誉教授となられた今も、火曜日の2限と4限、木曜の2限に講義をされている。
火曜日・木曜日のお昼頃、図書館の前を歩いておられる。
(図書館は、先生の研究室のある5号館と、私の研究室のある6号館の間にある)



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