介護福祉は現場から 2007.02.22-2011.01.25

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権力関係と無縁な人々の

2008-01-25 09:41:10 | 奄美大島
【ヤマトモン】
鹿児島に来て2年ちかくになります。
連れ合いの親戚以外に知り合いはいない生活
社会生活での実感は、観光客としてなら歓迎されるが
日常生活では、鹿児島人と東京人との間には堅い壁がある。

それは、北海道でのよそ者体験と違うし、金沢での体験とも違う。
はるかに堅い。
その堅さは何か?
自分が年を取ったのか?

【2009年は奄美侵攻400周年】
奄美大島に行って
歴史を学んでの先入観と人々の温かさのギャップを考える。

つまり、
1609年、島津の侵攻以来、奄美大島の住民は収奪の対象であった
また、1945年の太平洋戦争の終結に当たって、奄美大島は8年間は
米軍の支配下にあった。
という歴史から
奄美では
鹿児島から来た子どもは「ヤマトモン」・・
つまり「ヤマトモンには気を許すな。信用するな」というとげを含んでいる。
(向原祥隆「消された薩摩の歴史から」
『それぞれの奄美論・50/奄美21世紀への序奏』
(南海日日新聞社編、2001刊。p130-p133)

向原の小論を下敷きに考えてみた。

【歴史・・政治】
720年 大友旅人率いる天皇の軍団が侵攻し、1400人あまりの首を朝廷に持ち帰った。
16世紀、鎌倉期の島津家とその家臣団が関東から大量に乗り込む。
1609年 奄美へ薩摩軍が攻め入る。

幕末から明治維新
薩摩の存在が際立つ
・薩英戦争
・明治維新での薩摩の役割
・西南戦争

1945以降 奄美復帰、さらに沖縄復帰

【経済】
政治のヒエラルヒーに対応する経済のヒエラルヒー

【新しいケア観へ】
「つながりの自己」というタイトルで、大井玄の痴呆に関するスタンスを紹介しました。(1/23 このブログ)
舌足らずでしたが、
大井の主張には、アジアのゆったり感を「つながり」と、
アメリカや東京の「戦う自己」とを対比している。
大井は、東大医学部卒のエリートだが、青春期には入試で苦労したようだ。
また、アメリカでの臨床医8年の経験も、新しいケア感の形成の基盤となったと思われる。

【奄美の温かさは】
私の奄美体験は、文字通り観光客のものです。
ですが、奄美であった人々の温かさはそういう「観光客相手」
というレベルをこえていたのでは
というのが
私の受けとめ方であり、
向原祥隆(むこはら・よしたか。鹿児島県日吉町出身。父親の転勤で徳之島の小学校に。京大農学部卒。南方新社代表。)
の結論は、
「権力的支配関係から民衆の和解へ」
であり、今日のタイトル
「権力関係と無縁な人々の」あとに「相互の歴史に対する想像力が、いつしか関係の改善を実現するのだと思う。」とある。
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