キトラ古墳は、高松塚古墳に続き日本で2番目に発見(1983年)された大陸風の壁画古墳。
7世紀末~8世紀初め頃に造られたと推測されている。
この頃の古墳は終末期古墳と呼ばれ、古墳時代前期の巨大な前方後円墳から円墳や方墳へと形が変わり、古墳そのものが小さくなった。
名前の由来は、中を覗くと亀と虎の壁画が見えたため「亀虎古墳」と呼ばれたという説。
古墳の南側の地名「小字北浦」がなまって「キトラ」になったという説。
またキトラ古墳が明日香村阿部山集落の北西方向にあるため四神のうち北をつかさどる亀(玄武)と西をつかさどる虎(白虎) から「亀虎」と呼ばれていたなどの諸説がある。
2000年に国指定史跡に指定され、続いて特別史跡に指定された。
被葬者は、天武天皇の皇子である高市皇子。
高官であった百済王昌成。
古墳周辺一帯が「阿部山」という地名であることから右大臣の阿部御主人など、色々な人物が想像されている。
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