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青い空のもとで(日記)・・・・青い空の下で

「メインのHP」は左下のブックマークから(人生の目的・哲学・キリスト教と科学・医学。命の木と善悪の木。青い空の下で)

「命の木」と「善悪の木」の視点で、全聖書を見渡す

2010-07-29 18:20:59 | 「命の木」と「善悪の木」の生き方
【「命の木」と「善悪の木」の視点で、全聖書を見渡すための図(再掲)】

「命の木」と「善悪の木」の視点で全聖書を見渡すと、実にいろいろなことが、すっきりと理解できるようになります。

●参照 http://www.geocities.jp/bluewhitered34/inotinonenpyou.htm&http://www.geocities.jp/bluewhitered34/ihtozhnohyousihon.html

●検索キーワード:「命の木の生き方」と「善悪の木(善悪の知識の木。善悪を知る木)の生き方」、聖書の図解





人生の目的とは ( 聖書より )

2010-03-10 16:24:59 | 「命の木」と「善悪の木」の生き方
(「人生の目的」×「聖書」という検索が多いようなので、再掲しました)

***

人生の目的について、最近、あらてめて考えている。

その理由は、「人生の目的は、神の栄光を現わすことである」という答えが、いつの間にか、なぜか しっくりしなくなったためである。

それで、しばらく考えていた。
そうすると、けっこう納得できる解答にたどり着いた。

それは、以下のようなものである。


***


①まず、神の究極の目的は、「人と共に住むこと」である。(聖書:黙示録21:3)

②したがって、人の究極の目的も「神と共に住むこと(神と共にいること)」である。

③ところで、キリスト者の場合、すでに、神である聖霊・キリストが内にいるので、「神と共にあること」という目的は、基本的には、すでに達成している(!)
のである。

④そして、人は、「人生の究極の目的は、実は、すでに達成しているのだ」という事実に「安住」して良いのである!(←これによる、「心が安心を得る」という事は、キリスト者の精神衛生上とても大切である。)

⑤人は、「安住、安心、安息」すると、不思議と、じわじわと生きるエネルギーがわいてくる。(そのように、もともと、脳が作られているのである。)

⑥その、自然にわいて来たエネルギーで「何か」をすると、結果としてそれは神の御心にかなっており、「結果として、自然に、」神の栄光を現わしているのである。(注「あなたがたの中に願いを起こさせて実現に至らせるのは神であって、それは、神の良しとされるところである」と聖書にある。そして、こういうライフ・スタイルこそが、「善悪の木の平面での生き方」でなく、「命の木の平面の生き方」の基本なのである。)

⑦以上が、キリスト者の(または、人間の) この世での生きる目的と考えられる。


***


★「親は、子供が「そばにいる」だけで幸せを感ずる」と思うが、神も同じなのではないだろうか。

★もちろん、この世での生きる目的には、「神を愛し、神に愛されること」「キリストをのべ伝えること」などもある。・・・・・しかし、今回、あらためて思ったことは、「神を愛する」前に、まず、人は「神と共にある」ことが第一の目的なのである、という事である。この違いは大きい。なぜなら、「神と共にある」ことは、「神を愛する」ことと違い、キリスト者ならば、だれにでも簡単にできることだからである。

★よくありがちな、「まず、とにかく、神の栄光を(がんばって)現わそう」と考える生き方は、いつか疲れてしまうと思われ、ある意味 危険ではないだろうか。


「ウェルネス」という概念

2010-03-02 19:37:03 | 「命の木」と「善悪の木」の生き方
「霊が「命」で満たされると、霊・精神・身体は命にあふれ健康になると考えられる」とどこかで書きましたが、このように、命の木の平面で生きるような「生き生きと生きる」生き方を

「ウェルネス」

・・・・・と言うことを知りました。
「日本心身医学会」の定期雑誌にのっていました。

***

「公衆衛生医であったハルパート・ダン博士は、新しい健康の概念として Wellness を発表しました。彼は1950年代後半に、ワシントンDC近くの教会で行われた講演の中でこの考えを明らかにし、1961年に「ハイレベルウエルネス」として出版しました。これがウエルネスに関する最初の出版物です。

そして彼はウエルネスとは、個人が持つ潜在能力を最大限に生かす機能を統合したものである、と定義づけしています。」

・・・ということのようです。
http://wakayama.cool.ne.jp/wakayama-kinokawa/ysub7.shtml

***

日本ウェルネス学会もあるようです。
http://www.j-ws.jp/

HP内に「命と善悪の生き方」のページを作成

2010-01-13 13:55:35 | 「命の木」と「善悪の木」の生き方
冬休みを利用して、「命と善悪の生き方」のページを、
HP内に作りました。
よろしければ ご意見、ご感想をお寄せ下さい。
http://www.geocities.jp/bluewhitered34/ihtozhnohyousihon.html

***

最近、「健全な信仰とは何か」丸屋 真也 (著)という本を読んだのですが、
とても素晴らしい内容だと思いました。
この本と、「命の木と善悪の木の生き方」という視点は、実は、共通するところが多いように思います。


http://www.amazon.co.jp/%E5%81%A5%E5%85%A8%E3%81%AA%E4%BF%A1%E4%BB%B0%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B-%E4%B8%B8%E5%B1%8B-%E7%9C%9F%E4%B9%9F/dp/4264024552/ref=sr_1_3?ie=UTF8&s=books&qid=1263344793&sr=1-3

情動と脳の辺縁系・・・・・そして、教育

2009-10-19 18:11:25 | 「命の木」と「善悪の木」の生き方
情動や脳の辺縁系については、以前紹介した、試作の図
http://www.geocities.jp/bluewhitered34/kouzouzenakutoinochinokanryaku.htm

でもふれていますが、
文部科学省が平成17年に

「情動の科学的解明と教育等への応用」

について、専門家による報告書http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/koutou/027/siryo/06021607/074.htmをまとめていることを最近知り、驚きました。
(あまり、教育の現場に生かされていないような気がしますが・・・)

「命の木の生き方」とは「神の生き方」である。

2009-06-11 01:05:40 | 「命の木」と「善悪の木」の生き方
霊が「命」で満たされると、霊・精神・身体は命にあふれ健康になるので、「命」に満たされるように生きることは非常に大切なことです。

ところで、「命の木の生き方」の本質は、じつは、「神の生き方」であると考えられます。

(参考として、図にまとめてみました。)
http://www.geocities.jp/bluewhitered34/inotitokaminoikikata.htm

そして、「命の木の生き方」は、一言でいうと「内面重視、中味重視」であり、「善悪の木の生き方」は「外面重視で、見た目にとらわれた」生き方です。

***

図にしてみると、いろいろなことが見えて来ると思います。
それらは・・・・

①「命の木の生き方」は、神の生き方であり、神の国の生き方である。

②神は、私達との「命の触れ合い」を第一に求めておられる。

そして、私達の思考は、すべて このことをスタートとして考えればよい。(例えば、「日曜日の礼拝を優先させるべきか?部活を優先させるべきか?」とか、献金の問題、聖書はアルコールについて何と言っているのかとか、お雛さまや鯉のぼりには関わってもいいのか・・・・など、いろいろな問題は、すべて「神と自分との命の触れ合い」をまず第一に考えて、その次に、それらの問題を考えれば良いことが、明瞭になってくる。)

つまり、「命の木の平面」で行なえば、あらゆる事は神との命の触れ合いの結果であるので、基本的にはみこころにかなう事であり、「善悪の平面」で行なえば、「善行」さえも罪となってしまう(←なぜなら、動機が外面を取り繕うためであるから)のである。

③「命の木の生き方」は「内面、中味」重視であり、「善悪の木の生き方」は「外面、見かけ」重視の行き方である。

・・・・などです。

聖書の法則と物理の法則、そして脳の法則(追記)

2008-12-24 14:35:51 | 「命の木」と「善悪の木」の生き方
【追記】

以上のような話をあるクリスチャンに話したら、「でも、人は歯止めがないとダメだから、ある程度は「きまり」があった方がいいと思う。」と言われてしまいました。
しかし、「コツ」さえつかめば、常に「命の平面」だけで生きるのは、決して難しいことでは無いように思うのですが・・・・
(ただ、先入観が強い人は、なかなか この「コツ」が理解できないのかもしれません。)

(本文、終わり)


【追記2】

「善悪を知る木の法則」と「命の木の法則」は、これまでのキリスト教界ではあまり、広くは用いられて来なかった概念のように思う。
(もしかすると、「善悪の木の平面」を用いた方が、教会の運営をしやすいため??)

しかし、この法則は、聖書の全体を理解するために、きわめて有効であり、重要な法則(≒概念、モデル)ではないだろうか?

(そもそも、創世記で、この二つの木が現われ、黙示録の最後で「命の木だけ」になっていることからして、「聖書の全体をつらぬく、大きな法則の一つである」と考えたとしても、不自然ではないと思うのだが。)

例えば、「キリスト者と戦争のかかわり」や、主日礼拝は土曜・日曜のどちらにすべきか?とか、主日礼拝を休んで旅行に行くことの是非など、この「法則」の応用可能な範囲は広いと思う。


聖書の法則と物理の法則、そして脳の法則④

2008-12-24 14:34:37 | 「命の木」と「善悪の木」の生き方
これに対して、善悪の平面での生き方は、「辺縁系からの生き生きと生きようとするエネルギーを無視して、頭頂葉や前頭葉を中心として生きようとする生き方」といえる。一つ一つのことに対して、良いか悪いか判断しながら、「必死にがんばって」生きる生き方である。

これは、辺縁系からエネルギーが湧いて来ないのに、無理を押して生きようとするので、不自然であり、疲れる生き方といえる。
(例えば、朝から何も食べないまま、マラソンをするようなものであり、エネルギーがすぐに枯渇してしまう。)

このように、エネルギー不足のまま「必死にがんばって」生きる生き方は、時に、神経症やウツなど心を病むことがある。

善悪の平面での生き方は、一見 道徳的なように見えるが、このような視点から見ると、「危険を秘めた生き方」と言える。



このように、命の平面での生き方は、人の脳の機能にフィットした生き方と考えられる。脳が、「生き生きと機能し、働く」生き方である。

「命の平面」での生き方は、神による究極の「脳内革命」なのである。

***

【参考】

①「真理はあなたを自由にする」Drルーク・カラサワ著(リバイバル新聞社)p175~
②「標準生理学」(医学書院)
③「愛は脳を活性化する」松本元著(岩波書店)
④「恵みの歩み」スティーブ・マクベイ(ファミリーネットワーク)


聖書の法則と物理の法則、そして脳の法則③

2008-12-24 14:32:53 | 「命の木」と「善悪の木」の生き方
また「十一献金をすべきか否か」についても同様に考えることができる。

***

先に、「この法則を適用することができると仮定すると・・・・(驚くことに)一見、良いアドバイスをしているように思われても、実は、命の平面から善悪の平面に、人を引きずり降ろしてしまうことがある。」と書いた。


具体的には、「クリスチャンは禁酒が当然ですよ」とか、「十一献金は、当然の義務です」という言い方は、一歩間違うと、命の平面から善悪の平面に人を引きずり降ろしてしまうことになってしまう。そして、こういう指導は「罪」になるのではなかろうか?

なぜなら「信仰によらないことは罪」と聖書にあるからである。
せっかく見出した「キリストの命」の価値を、ある意味台無しにしてしまうことになりはしないか。

これは注意すべき事であり、「命の平面と善悪の平面」というモデルを考えないと、なかなか気づかない盲点だと思う。

***


そして、重要なことは「命の平面での生き方は、脳の機能から考えると、脳の深い部分である辺縁系(情動に関係した部分)から命が湧き出るような生き方であり、動機付けとしては、人間にもっともふさわしい生き方と考えられる」ということである。

また、この「辺縁系に動機付けられた生き方」は、もっとも自然な生き方なのである。

(続く)


聖書の法則と物理の法則、そして脳の法則②

2008-12-24 14:29:17 | 「命の木」と「善悪の木」の生き方
この2つの「法則」が適用できると仮定すると、次の2つのことが明らかになる。

●これまで繰り返し議論されて、時には、堂々めぐりをしてきた問題に、実に明瞭な解答が与えられる。

●(驚くことに)一見、良いアドバイスをしているように思われても、実は、「命の平面から善悪の平面に、人を引きずり降ろしてしまう」ことがある。つまり、結果的に、重大な罪を犯してしまうことがある。

この2つである。特に後者は、これまで見逃されてきたことであり、意外な盲点となっている。


***


例えば、これまで繰り返し議論されて来た問題として、「キリスト者はアルコール飲料を飲んで良いか悪いか」という問題について考えてみる。(神学的には「アディアフォラ」と言う、聖書によって命じられてもいなければ禁じられてもいないことがらの中に入るようだが、教団によっては、事実上、なぜか禁じている。)

解答は、「その人が、(キリストの)命の平面で考え、決定する限りにおいては、飲むのも飲まないのも、その人の自由である。」という、きわめてシンプルな答えになり、分かりやすい。

ただし、くれぐれも、アルコール依存にならないように注意が必要であるが。

(しかし、「アルコール依存になる人がいるからアルコール飲料自体が、やはり、悪い物だ」と考えるべきではないであろう。なぜなら、アルコール依存の第一の原因は、アルコールの存在自体にあるのではなく、その人が「命の平面で生きていない事」が、第一の原因だからである。もし、アルコールがなければ、多くはパチンコ依存の方などに行くであろう。)

依存症になる危険が少しでもあるからといって全面禁止
にする考えも分からなくはないが、やはりそれは「命の平面を無視した考え」であり、聖書信仰の本質からは、「ずれて」いるように思う。

聖書信仰の本質から ずれた考え方は、たとえ一見安全で無難な考え方のようであっても、いつか ひずみを生じてしまう。(理由の一つは、後述するように、人の脳の機能とマッチしていないからかもしれない。)

(続く)

聖書の法則と物理の法則、そして脳の法則(善悪の平面と命の平面)①

2008-12-24 08:52:05 | 「命の木」と「善悪の木」の生き方
「善悪を知る木の法則」と「命の木の法則」という概念を用いて、以下のようなことを考えてみました。ご意見、ご感想などを頂けますと感謝です。

【参考図表】

http://www.geocities.jp/bluewhitered34/kouzouzenakutoinochinokanryaku.htm

http://www.geocities.jp/bluewhitered34/inotinonenpyou.htm

http://www.geocities.jp/bluewhitered34/inotitozenakunohyounoinsatu.htm




***

【聖書の法則と物理の法則、そして脳の法則…人がイキイキと生きるために。】


【本文の要約】

①「クリスチャンは、これはしてはいけない。これはしてもいい。」というアドバイスの仕方は、一見もっともなことを言っているようだが、実は視点を変えると、「そういう言い方自体が罪」となってしまう可能性があり、注意が必要である。

②「(キリストの)命の木の平面」での生き方は、脳にもともと備えられた機能にフィットした生き方であり、脳を活性化し、生かす生き方である。「命の平面」での生き方は、大脳の辺縁系から生きるエネルギーが泉のように湧き出でて来る生き方である。これに対して「善悪の木の平面」での生き方は、脳の前頭葉を中心とした生き方であり、疲れてしまうライフ・スタイルと言える。


【本文】

どのような分野でも「法則」が発見されると、とたんに見通しが良くなることがある。

例えば物理の世界では、ニュートンにより「運動の法則」が発見されることで、さまざまなことが、スッキリと理解できるようになった。

同じことが、聖書信仰にも言えると思う。

その法則とは「善悪を知る木の法則」と「命の木の法則」である。

(イメージが浮かぶように、以下、「善悪の平面の生き方」と「(キリストの)命の平面の生き方」という表現を使うことにする。)

「善悪の平面の生き方」とは「これはしても良いこと、これは悪いこと」と、いちいち考えながら生きる生き方であり、罪を犯すまいとか、善行に励もうとする生き方である。

また、「命の平面の生き方」とは、(内住する)キリストに焦点を合わせる生き方であり、キリストの命をエネルギー源として、心の深い所ではキリストに安息した上で、イキイキと生きる生き方である。

***

(以下、②以降に続きます)