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青い空のもとで(日記)・・・・青い空の下で

「メインのHP」は左下のブックマークから(人生の目的・哲学・キリスト教と科学・医学。命の木と善悪の木。青い空の下で)

「母子密着と育児障害」という本

2010-04-03 16:08:46 | 「命の木」「善悪の木」の生き方・コメント
Y-tubeで「子育て」で検索すると、「田中喜美子さん」という人
の講演動画があった。
この方は、次のような本を書いているようだ。

http://www.amazon.co.jp/%E6%AF%8D%E5%AD%90%E5%AF%86%E7%9D%80%E3%81%A8%E8%82%B2%E5%85%90%E9%9A%9C%E5%AE%B3-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%EF%BC%8B%CE%B1%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E7%94%B0%E4%B8%AD-%E5%96%9C%E7%BE%8E%E5%AD%90/dp/4062722569/ref=pd_rhf_p_t_2

読んではいないのだが、以下のような書評があった。

***
(以下引用)

「悲しいな」 2009/6/26
By 試したがり屋のママ


たぶん、この方自身が癒されていないのだと思います。

わたしはこのように育てられて、現在大変なトラウマで苦しんでいます。

0歳児に受けた愛情が一生を左右します。

親から上手に愛を受け取れないと、恋愛も失敗しますし、結婚、出産、子育て、いずれもスムーズにいかないように思います。

この著者自身が、私を癒して!と叫んでいるようです...。

しつけは基本的にすることはないと思います。

自分の態度をはっきりさせて、気持ちは伝える。

あとは人間として見本を見せるだけだと思います。

(引用終わり)

***

いろいろな意見を聞くと大変に参考になる。

(「たぶん、この方自身が癒されていないのだと思います。」とあるが、
Y-tubeの同氏の講演ビデオをみると、少しそんな気もしてしまった。)


「善悪の木の生き方」という視点で考えるならば

2010-04-01 18:13:41 | 「命の木」「善悪の木」の生き方・コメント
●下記のニュースについて
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100401-00000199-yom-int

神父の方々にもりっぱな人はもちろん多いと思う。

しかし、「独身が条件なので、女性と結婚したいとは思わない同性愛傾向者が神父になることがある」という指摘があるようだ。


「神父は独身で『なければいけない』」というのは、「善悪の木の平面」での考え方の典型例のひとつなのかもしれない。

この、「命の木と善悪の木の生き方」の解明モデル図http://www.geocities.jp/bluewhitered34/inotitokaminoikikata.htmが妥当であるならば、
「神父の独身制」という条件は、「人が生き生きと生きるには何が適切か?」という点から考えると、ふさわしいものなのか疑問である。


池谷裕二氏(その2)

2010-04-01 14:45:23 | 「命の木」「善悪の木」の生き方・コメント
(続き)

●悩みは脳によって作られる

「脳を研究するとあまり悩まなくなりますね。しょせん悩みは脳によって作られたもの。そんなものに振り回されているのはばかばかしい」と池谷准教授。ところで、悩んだときにすがりたくなるのが神様・仏様。最近の脳の研究によると、「神様を感じる脳の部位」というのも、ちゃんとあるのだそうだ。

(引用終わり)

***

「しょせん悩みは脳によって作られたもの。そんなものに振り回されているのはばかばかしい」
とある。

・・・・確かに。


九九ができないのに東大に合格する方法

2010-04-01 14:29:48 | 「命の木」「善悪の木」の生き方・コメント
脳研究者の池谷裕二さんは、小学校の時には成績は良くなく、いまだに九九ができないそうである。

「海馬」という本に書いてあったが(文庫本の方)、例えば、
6×8の時は、

「6に10をかけて、そこから、6を2回引く」

・・・・のだそうである!

これで、東大の理Ⅰに合格したのだからすごい。

***

興味を持って、いくつか同氏についてサイトを調べてみた。

***

下記のように、「車を運転中は、脳波のθ波が出る」ことは実験でも確かめられており、θ波が出る時にはアイデアが浮かびやすい」とのこと。

これは、自分の経験とぴったり合う。
この図http://www.geocities.jp/bluewhitered34/inotitokaminoikikata.htmのもとになる考えを思いついたのも、朝の通勤の車の運転中だった。

***
(以下引用)
http://www.ntt.com/b-advance/column/leader/vol_46/index2.html

●脳をうまく揺らがせるにはどうすればいいのですか。
 
 揺らぎというのは結構重要な要素で、“物忘れ”も揺らぎのひとつ。たまたま思い出そうと思ったときに、悪い揺らぎの状態なら、思い出そうとしても出てこない。しかし、どうでもよいときにフッと出てきたりしますよね。そういうときは、良い揺らぎの状態です。アイデアの出てくる良い揺らぎというのがありますが、その揺らぎを得るためには“歩く”といいのです。


■歩くとなぜ良い揺らぎになるのでしょうか。

 歩くとシータ波(θ波)という脳波が出るためです。ものを思いつくのに良い、“ 三上(さんじょう)”という言葉があります。三上の1つめは“馬上(ばじょう)”で、いまなら電車や自動車の中。2つめは“枕上(ちんじょう)”で、布団やベッドの上。3つめは“厠上(しじょう)”、つまりトイレです。

厳密にいうと歩くという動作がθ波を放出させているわけではなくて、場所が変わるという環境の変化が要因です。それはなぜかというと、脳は場所に敏感だからです。これは私たち人間の祖先が野生のとき、生きるために獲物や食料がどこで獲れたかを確実に覚える必要があったことに関係すると考えられます。

 ずっとデスクに座っていても、アイデアはなかなか出るものではありません。どういうときに出るかというと、フッと席を立ったときなど。トイレというのはデスクから動いた直後ですよね。布団やベッドの上というのは一体どういうことかというと、実は眠っているときにもθ波が出ているからです。また、トイレに行くときに思いつく、眠っているときに思いつくのに重要なのは「考え続けていること」です。休んでしまうとダメ。一番いけないパターンは、煮詰まったからと言い訳をつけて、お酒などで脳をリセットしてしまうことです。

 私が高校生のときに、百人一首を1週間で100句すべて覚える課題が出て困ったことがありました。単語帳の表側に上の句、裏側に下の句を書いて憶えたのですが、なかなか憶えられません。イライラして台所のテーブルのまわりをグルグル回ったのですが、そうしたら憶えられたのです。いま考えると、あれも歩いていることがポイントでした。



■θ波が出ると記憶力が高まるということですか。

 θ波が出ていると、「情報の吸収力」が高まります。アイデアを出すのも記憶を留めるのも歩いたり場所を変えるといいのです。私も実際に実験のアイデアを思いつくのは移動中、大学の行き帰りが多いです。これは動物実験でわかっているのですが、(1)自分の足で歩いているとき。(2)乗り物に乗り動かしているとき(人がクルマを運転している状態)。(3)固定されたままリモコンで乗り物が動かされているとき(人が電車に乗っている状態)。これらすべての状態でθ波が出るのです。最もθ波が出るのはやはり(1)ですけどね。

 会社内でも脳にθ波を出させる工夫はできます。私がよく行うのは、場所が変わった気分を作ることです。一番簡単なのは椅子の向きを変えることです。脳を効率良く使うために、脳を騙して刺激を与えるということです。

命の生き方とパリサイ人について

2010-03-26 16:47:59 | 「命の木」「善悪の木」の生き方・コメント
【海外のサイトより:命の木の生き方とパリサイ人について】

(以下、http://www.christian-faith.com/forjesus/tree-knowledge-good-and-evil-0
より、引用)

神の国に入る私たちは、その日、あらゆる物事が素晴らしいものになります。
今でさえ、悔い改めて善悪の木から方向転換することによって、イエス、つまり命の木の方を向くことによって、私たちは、神をもっと喜ぶことができます。


もし、私たちが正しい木から食べて、他人からの誘惑(=善悪の知識の木から食べるということ?)に「No」と言うならば、私たちは、また、他の人にとってもっと大きな祝福となることができます。


このパリサイ人たちは、宗教的な強い情熱をもっていた、しかし、それは命の木ではなく善悪の木に根ざした情熱でした。


イエスは彼らに言った、「また、神がつかわされた者を信じないから、神の御言はあなたがたのうちにとどまっていない。 あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。しかも、あなたがたは、命を得るためにわたしのもとにこようともしない。」(ヨハネ5:38-40)

(引用終)

「新しい『やる気』のかたち」

2010-03-25 13:57:27 | 「命の木」「善悪の木」の生き方・コメント
東洋経済という雑誌の最新号に「新しい『やる気』のかたち」というおもしろい記事がのっていた。

以前の、ゴア副大統領のスピーチライターを努めたダニエル氏の「Drive』という本が紹介されていた。
それによると・・・・

●モチベーション(動機付け)1.0は食べたい、寝たいという生物の基本的な欲求に訴えかけるものである。

●モチベーション2.0は報酬や罰金といった、アメとムチによるものである。(お金による成果主義がその典型例)

●モチベーション3.0は「ワクワク感。楽しい。社会を良くしたい」といった、内面から湧き出るようなやる気をさす。

そして、これからは、3.0による動機付けが、企業にとって大切になってくるというのである。

***

2.0は、以前紹介した、この図表http://www.geocities.jp/bluewhitered34/kouzouzenakutoinochinokanryaku.htmの「魂」のレベルに関係し、3.0は「霊」のレベルに主に関係すると考えられ、興味深い。

「善悪を知る木の神学的意義」

2010-03-23 17:42:40 | 「命の木」「善悪の木」の生き方・コメント

「命の木の生き方、善悪の木の生き方」についての文献があまりないようなので探していたのですが、たまたま、関係する論文を見つけました。

やはり、興味を持って考えていた人も、実際におられるようです。


●「救済の神学における「生命の木」の意味」(櫻井圀郎師)

http://www.evangelical-theology.jp/34-3.pdf

●「善悪を知る木の神学的意義」(城崎進師)

http://nels.nii.ac.jp/els/110000188954.pdf?id=ART0000552460&type=pdf&lang=en&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1269333228&cp=

両親からの最高の贈り物は、『安心感』

2010-03-05 15:10:50 | 「命の木」「善悪の木」の生き方・コメント
宇宙飛行士(女性)の山崎さんが、著書の中で
「これまで、両親からの最高の贈り物は、『安心感』をもらったことだった。
安心感があったから、好きなことをのびのびとやれた。」
と書いている。

やはり、人にとって、まず「安心」はすべての土台ではないだろうか?

究極の「安心」は「神に安息する」ことであろう。
「悪いことをすると、十字架の救いから漏れるかもしれないよ」
という、おどしの教理は、おそらく、じつは人の心理にとっては「最悪」の教理なのではなかろうか?と、最近考えている。

(以下、図にまとめてみました)http://www.geocities.jp/bluewhitered34/kouzouansin.htm

佐野元春のザ・ソングライター

2010-02-11 18:02:24 | 「命の木」「善悪の木」の生き方・コメント
NHKの「佐野元春のザ・ソングライター」は実におもしろい。

小田和正、さだまさし、スガシカオら、皆興味深い内容だった。

特に、さだまさしが、参加者の学生と共に「亡くなったおじいちゃんへ歌」を創ってゆく過程は「みもの」である。

***

「なぜ、歌詞だけではなく、それをのせる曲も必要なのだろう?」と考えた。
魂は「意志・知性・感情」に分けられるが、「歌詞」だけの場合は主に知性が働くが、そこにメロディがのると「感情」が揺さぶられ、「豊かさと厚みが増す」のであろう。http://www.geocities.jp/bluewhitered34/kouzou.htm




礼拝欠席と罪悪感

2010-02-11 17:59:04 | 「命の木」「善悪の木」の生き方・コメント
あるサイトで、次のような率直な質問が求道者のかたからなされていました。

「礼拝や祈祷会に出席しなかった時罪悪感を感じます。・・・・・牧師先生は「救いは集会に出席することでなくてイエス様から来るんだよ」と言ってくれるのですが、やはり罪悪感は強いです。」

よくある疑問かと思います。

もし、牧師さんが、「礼拝出席は大切なことだけど、礼拝出席を義務とみなす「善悪の木の平面の生き方」でなく、礼拝出席を「命の生き方の結果」とみなす「命の木の平面の生き方」で生きることが最も大切だよ」
と回答されれば、この人のような方(←おそらく日本中に多いと思います)は罪悪感からは解放されるのではないでしょうか?

(この方は、メンタル不調の中にある方とのことですが、特にこういう誠実な方が不用な罪悪感を持たなくていいように、ぜひ「命の木の生き方」という視点は広まってほしいと希望しています。)



ミクシィが登録制も可能に

2010-02-04 15:43:37 | 「命の木」「善悪の木」の生き方・コメント
MIXIという、コミュニケーションのサイトが、「招待制」だけでなく「登録制」も可能になったそうです。
このMIXI内に「霊・精神・身体医学」というコミュ二ティを作り、管理人をさせて頂いています。(「命の木の生き方」と「善悪の木の生き方」についての意見交換も、そこでなされています。)

アドレスは、下記だと思います。(おそらく)
http://mixi.jp/home.pl?from=global

よろしければ、ご参加下さい。

摂食障害の癒しに一番必要なものは?

2010-01-26 16:28:17 | 「命の木」「善悪の木」の生き方・コメント
脳研究所にいた時、神経生理学会でいつも熱心に質問されていた秋田大学のK先生が、その後、F大学の教授になり、(なぜか)日本嗜癖学会の大会長をつとめていたことを、たまたま知った。

先生の教室のHPを見ると、興味深いコトが書かれていた。
(以下に、記録もかねて引用)

***

神経生理の研究者が、

「しかし、その脳生理学や神経生物学がいかに発達しても、その科学だけで摂食障害などの心の苦しさをかかえた人を決定的に癒すことはできず、そこに一番必要なものは心と心の温かい触れあいであると、摂食障害の人たちと関わって強く感じている。」

と述べているところが、目を引く。

HPのトップにリンクしている「命の木の生き方」の図のポイントも、
「神の目的は人と共に住むことであるが、その住み方は、『心と心の温かい触れ合い』があるような住み方である」
という事なのである。

***

(以下引用)http://www.fmu.ac.jp/home/physiol2/index_j.html

そのように私が摂食障害にかかわっていることを知って、あるいは行けば話を聴いてくれることを誰か上級生などに教えられて、私のところに話しに来る学生諸君も増え、その話を時間をかけて聞くことも多い。

そのようにして深くかかわることになった学生諸君や福島お達者くらぶミーティング参加者から聴いた話から、私は思春期に解決しておくべき問題を引きずり続けて苦しんでいる若い人たちのことについて考えるようになり、そこで考えたことを専門の学会(日本嗜癖行動学会:理事に選出されている)で発表している。また、さまざまな講演会(特に養護教諭など学校の先生たちの研修会)に招かれて話すことが増えてきた。過食症やリストカットに苦しむ人たちの本当の姿やその背景になる家族関係などを理解して、早いうちに手を差し伸べてもらえれば、もっと楽に生きられるようになる人たちがたくさんいると感じて、積極的に講演を引き受けている。私の講演を聴いた人からの紹介で回数が増え(2003~05の3年間で50回だった)、範囲も岩手-山口と広くなっている。この関係の原稿を書くことも多くなった。

というわけで、そのような講演や原稿執筆が現在の私の仕事の中心になっている。生理学というのは人間の体を機械として見て、その各部品がどのように働き、その働きがどのように調節されているかを追求する学問である。私は生理学を専攻する前の8年間は麻酔科・ICUの医師をしていたが、この時もまさに人体を機械として見て、その機械の状態をどのようにして維持するかを考えていたと言える。それが今は、人間を機械としてみたのでは何も解決しないような、心の奥底をのぞき込むようなことをしているのは、自分ながら不思議な感じもするが違和感はない。

 しかし、学生の教育のためにも、自分の興味からも、脳生理学の最先端は常に追いかけている。そうすると、心理関連分野でも、例えば摂食中枢がある視床下部外側部のオレキシンを伝達物質とするニューロンが(摂食行動だけでなく)「快」を起こすドーパミンニューロンの上流にあってアディクションに関係するらしいこと、また、下垂体後葉ホルモンとして古くから知られていたオキシトシンが脳内でも作用して生殖・母性・愛着・融和・利他行動を促進する(バゾプレッシンは逆に作用する)ことなど、さまざまに心を支配する神経機構が少しずつ解明されてきていることを知ってきた。

2005年には学術会議心理学研究連絡委員会の公開シンポジウム「催眠と無意識の心理学」にただ一人の生理学者として呼ばれて「脳生理学は無意識体験をどこまで説明するか」という話をしたが、そこでは脳生理学者として学んできたものと、無意識の世界に押し込められた記憶に縛られて苦しんでいる過食症などの人たちとのかかわりで知ってきたものの、両者の上に立って話せた。脳生理学者の立場から見ると、確かに心は脳の働きそのものである。しかし、その脳生理学や神経生物学がいかに発達しても、その科学だけで摂食障害などの心の苦しさをかかえた人を決定的に癒すことはできず、そこに一番必要なものは心と心の温かい触れあいであると、摂食障害の人たちと関わって強く感じている。このような「脳」と「心」をつなぐところで今後も活動していければと思っている。

(引用終わり)

キリスト者とアルコール

2010-01-21 00:29:40 | 「命の木」「善悪の木」の生き方・コメント
キリスト者とアルコールについても、「命の木の平面で考える」ならば、すっきりとした考えになる。

以下、記録用に、日本キリスト教団の、あるサイトから引用。

***
(以下引用)
http://www.uccj.info/qa.htm#24

A24 <クリスチャンはお酒が飲めないのですか?>
 「酒に酔いしれてはなりません」(エフェソの信徒への手紙5章18節)とあるように、お酒を飲むことをあまりよくないと考える教会は多いようです。事実、禁酒禁煙を教義化しているセブンスデー・アドベンティストのような宗派もあります。逆に、その教会、その牧師の考え方によって、祝い事や懇親会にお酒が出てくることもあります。多くの場合、教会は個々人の趣味や嗜好まで禁止していません。主イエスは祝宴の席にて水をぶどう酒に変えたりなさいましたし(ヨハネによる福音書2章1~11節)、食事の席などを交流の場としてよく使われたので、主イエスが全く酒を飲まれなかったとは考えにくく、おそらく人並み程度にはたしなまれたのではないでしょうか。そうしたこともあり、クリスチャンがお酒を飲むか否かは、それぞれの信仰的な生活態度によるところが大きいようです。つまりその人が飲みたいと思えば飲めばいいし、飲まないのがクリスチャンらしいと思えばそうすればよいのです。大切なことは「わがままでなく、すぐに怒らず、酒におぼれず・・・・」(テトスへの手紙1章7節)という自制のこころでしょうか。
 クリスチャン=禁酒という考えは、明治初期に来日した米国人宣教師によってわが国にもたらされました。英国国教会と相容れないとして米国に渡ったピューリタンと呼ばれる人々が、彼らの倫理の社会的具現化の一つとして禁酒運動を始めたのです。19世紀初頭に「過度の飲酒を罪悪とする節酒運動」が始まったのですが、だんだんエスカレートし19世紀後半には「禁酒法制定を求める運動」に発展しました。来日した宣教師は丁度その流れのなかにいたのです。