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クリエイティブが大好きなのに、なぜか商社マンになってしまった私のマニアバース!

桑田真澄の生トークに感銘!

2016-10-05 18:18:00 | スポーツ
9/28(水)に六本木ヒルズで開催されたITイベント、『Company Forum 2016』に参加した。Works Applications社が主催するITセミナーイベントなのだが、随分と華やかなイベントであった。



招待スピーカーに、あのアップル社スティーブ・ジョブズにヘッドハントされ、やがてスティーブ・ジョブズをクビにした元アップル社CEOのジョン・スカリーや、世界的に有名な人工知能の権威であるレイ・カーツワイルも招聘。また、国内からは元大阪府知事、大阪市長の橋下徹、更には元ジャイアンツの桑田真澄も登壇。何とも多彩な顔触れだ。

この中で、橋下徹は『今、日本に足りないもの』と題して、日本にも改革が必要で、改革を実現するには"ソフト"である立派な政策も必要だが、立派な政策を実行する為の体制が"ハード"として重要であると、ITのセミナーに上手くこじ付けた説明をしていたが、大阪から日本を変える試みが失敗に終わった裏話や今後の展望などをあの独特な歯に衣着せぬ巧みなトークで、とても面白かった。

しかし、今回一番感銘を受けたのは、桑田真澄のトーク。彼独特の間合いと、意外にも観客を引き込む、その巧みな話術には驚いた。



桑田真澄はジャイアンツで23年、通算で173勝を上げた。常勝ジャイアンツの一時代を築いた大投手だが、その記録よりもある意味記憶に残る投手であった。自分でも言っていたが、彼は持って産まれたズバ抜けた素質は特に無かったという。背も高く無い。清原みたいに恵まれた立派な体格も無い。大谷やダルビッシュのような150kmを超えるようなストレートや、田中将大みたいにヤラシイくらいに落ちる変化球があるわけでは無い。しかし、彼はこのコンプレックスをバネに、打者の心理を読んで裏をかき、抜群のコントロールで三振を取る"頭脳派"投手としてはピカイチの才能を開花させていった。まさに、影で人知れず努力をし続けた人なのだ。



また、トークによれば、彼は決して順風満帆で華やかな野球人生では無く、多くの挫折を経験して、その度に這い上がってきたと言う。その中でも特に大きかった二つの挫折について語っていた。一つは小学生時代。勉強が全く出来ない彼はみんなに"アホやな〜おまえ"とみんなにバカにされ、傷付いた時に自分には野球しかないと打ち込んだが、その後小学3年の時、野球部で先輩にイジメを受けて大好きだった野球部を辞めてしまったこと。中学では再び野球に打ち込み有名にもなったが、PL学園高校で清原和博に出会い、世の中には体格と野球の才能に恵まれたヤツがいるもんだと、自分の体の小ささにコンプレックスを痛感し、最初は彼のピッチングが全く通用しなくて再び挫折したこと。



コンプレックスや挫折があったからこそ彼は人一倍考え、努力したこと、そして何よりも、彼の根底には"野球愛"が常に貫かれていたことがトークから伝わってきたのがとても印象的であった。



守備の上手さゆえに起きてしまったジャイアンツでの怪我による長期離脱、そしてカムバック。その後年齢から来る衰えや若手の台頭により、野球人生も終盤に差し鰍ゥった時、彼は大リーグに挑戦することを決意。もう選手としての価値も旬を過ぎていたこのタイミングでのチャレンジは誰もが無防で、成功するわけが無いと思った。しかし、それは桑田真澄にとって諦められない"夢"であり、誰も彼の夢を止める権利は無いのだ。しかし、予想された通り、メジャーの壁は険しく立ちはだかった。ピッツバーグパイレーツに入団が決まると2Aから3Aと上がるが、なかなか一軍メジャーには上がれない日々が続き、更には足の怪我もあって試練は続く。



しかし、2007年6月10日、対ヤンキース@NYヤンキースタジアムでメジャー初登板の機会を射止める。このゲームで、桑田真澄 vs 松井秀喜の対決も実現する。なんと幸運なことに、当時NYに住んでいた僕は、たまたまこのゲームをヤンキースタジアムで"生観戦"することが出来たことが、今でもかけがえの無い思い出である。桑田真澄が自分の夢を実現した歴史的な瞬間に立ち会うことが出来たのだ。その時にまだ幼い娘と撮った一枚の写真がこちら。



トーク終盤のテーマは、"ホンモノに触れる"だった。桑田にとって、大リーグを生で経験することは、"ホンモノ"に触れると言うことであった。やはり、何事もホンモノを体験することに勝ることは無いのである。トークでは、会場から4人をステージに呼び桑田真澄が使っていたグローブ、PL学園時代のユニフォーム、ジャイアンツ時代のユニフォーム、パイレーツのユニフォームをそれぞれ観客に触らせた。まさに"ホンモノに触れる"体験を共有したのが印象的な講演であった。



仕事で参加したITのセミナーではあったが、思わず桑田真澄のトークに引き込まれ、感銘を受けた貴重な機会となった。


Bリーグ、ついに開幕!

2016-09-23 13:21:00 | スポーツ
9/22(木)、ついに日本のプロバスケットボールリーグ『Bリーグ』が開幕した。昔サッカーのJリーグが華々しく開幕した時を思い出すが、バスケもJリーグに遅れること23年、ついに新たな歴史的スタートを切ったのだ。



これまでバスケのプロリーグはNBLとbjリーグの二つに分断されていたのを、今回Bリーグとして統一。Jリーグ同様、Bリーグでも一部リーグのB1と二部リーグのB2があり、B1の下位2チームは毎シーズンB2降格のリスクが伴う。B1,B2共に18クラブチームで構成されており、更にB3には9クラブチームが。各クラブチームは野球やJリーグ同様に地域がチーム名に明記されており、地域振興/活性化としても新たなに期待されている。



Bリーグの応援アンバサダーとして、広瀬アリスと広瀬すずの広瀬姉妹が起用された。広瀬姉妹は
共に中学時代からかなり本格的にバスケをやっていたこともあり、華も人気もある二人はまさにアンバサダーとしてはうってつけである。素晴らしい起用である。



9/22の開幕式と開幕ゲームはフジテレビでも中継されたが、ハーフタイムショーではBリーグの公式アンセム/テーマを歌うPKCZとShuuKaRenがパフォーマンス。この二つのユニットは共にExile系であり、ShuuKaRen はE-girlsの藤井萩花(しゅうか)、藤井夏恋(かれん)の美人姉妹。二人が繰り広げるキレのあるダンスパフォーマンスはBリーグ開幕を大いに盛り上げた。テーマ曲の『Take a Shot!』もなかなかいい曲だ。





開幕戦の会場は代々木第一体育館で行なわれたが、フロアが全面LEDスクリーンになっており、様々な画像が映し出されて、素晴らしい演出だった。



開幕戦のカードは旧NBLのチャンピオン、アルバルク東京vs 旧bjリーグチャンピオンの琉球ゴールデンキングスの対決。まさに好カードによる白熱した対戦となった。結果はアルバルク東京が80-75で琉球に勝ったが、後半はかなり接戦となって盛り上がった。



どうやらNBLのチームとbjリーグの間には実力差があるのでは無いかとの声も聞こえる。これまで両リーグのチームは対戦して来なかったが、トヨタ等の大手企業が潤沢な資金でバックアップしてきたNBLと、一方でかなり素朴で地域密着感のあったbjリーグでは、プレイレベルに違いが出るのではということのようだが、まさにアルバルク東京と琉球ゴールデンキングスの対戦はこの図式を象徴した開幕だった。確かに点差以上に、アルバルク東京の方がやや実力で勝っていたように思うが、これから旧両リーグのチームがどんどん対決して切磋琢磨することで、Bリーグの新のレベルアップと成長が見込めるのでは無いかと思う。これからたくさんのいいゲームを期待したい。

ところで、我が家でもこのBリーグ元年に地元のチームである横浜ビー・コルセアーズを応援しようかと計画中。ホームグラウンドが港北の横浜国際プールなので、家からも近い。比較的気軽に観戦に行けるのだ。AKBが最初そうだったように、気軽に会いに行けるプロスメ[ツ観戦になりうるのだ。ビー・コルセアーズは元bjリーグのチームだが、どこまでBリーグで勝てるかこれから注目したい。



何よりもBリーグの魅力は、まだ開幕したばかりで、最初からファンもスタートラインからみんな参加して盛り上がれるということ。そして、地元のチームを気軽に観にい更には、バスケの試合そのものがスピード感のある早い展開で、観ていてルールもわかりやすいということもあり、娘が観るにもうってつけでは無いかと考えた。Jリーグだとなかなか点が入らないこともあり、試合時間も長い。野球も途中アクションが少ないと間延びする展開もただあり、野球が本当に好きでなければ、興味を持続させるのは難しい。その点、バスケはシンプルでわかりやすい。



僕は中学時代、みたけ台中学校バスケ部だったので、バスケに対する愛着もそれなりにある。Bリーグを観ていると、(レベルこそ全く違うが)厳しい練習に明け暮れていた中学当時が思い出されて、とても懐かしい。その意味でも、Bリーグがプロリーグとして盛り上がり、選手レベルの底上げが加速され、野球と同じように、いずれもっと本場NBAに行けるような日本人スター選手が、田臥勇太以外にもたくさん出てくる日を期待したい。


祝!イチロー3000本安打の軌跡

2016-08-20 00:03:00 | スポーツ
今年6月15日、イチローがついにあのピート・ローズが持つメジャーリーグ最多安打記録、4256安打に並び、更に同日あっさり4257安打目を打って記録を更新した。イチローの4256安打は日米合算での安打数ということで、公式記録として認めるかどうかは色々な意見が出たが、ギネス世界記録になり、世界一という意味では変わりない前人未到の驚異的な数字なのだ。



そしてメジャーリーグの公式記録としては、もう一つ注目されてきたのが、メジャー通算3000本安打だ。これもついに8月7日、アジア人初のメジャー3000安打を達成し、あのピート・ローズも称賛を贈った。今日現在では更に記録を伸ばし、3007安打まで積み重ねており、今年のイチローの快進撃はまだまだ止まる気配が無い。



イチローと言えば、1992年にオリックスに入団し、以降9年の日本プロ野球生活の中で7年連続首位打者、1994年の年間210安打(歴代3位の記録)、5年連続最多安打を記録するなど数々の輝かしい記録を打ち立てた。しかし、もはや米国での野球人生の方が長く、また記録もその後のメジャーでの記録も2004年に年間最多安打の262安打を記録し(10年以上も経った今でもこの記録は破られていない)、そしてこちらも前人未到の10年連続200本安打以上を達成等、驚異的な功績を上げた。本当に世界に誇る、ある意味日本人らしい、究極の野球選手だろう。



ちょうど先日NHK BSプレミアムでイチローの3,000本安打を記念して、特集番組『イチロー3000本の軌跡』が放送された。イチローのこれまでの軌跡を改めて振り返って、思わず胸が熱くなってしまった。



イチローの強さはそのバットコントロールにあるが、普通のバットマンなら完全に見送ってしまうようなストライクゾーンを外れた球を、イチローはその選球眼ならぬ“選球体”として体が勝手に反応して、その難しい球にバットを“合わせに“行く。このバント並みのミート技は彼にしか出来ない技であり、まさに件p的な域に入っている。そして、このように合わせるには、素早い体の反応と、しなやかなグリップさばき、ジャストミートのテクニックから来る匠の技であり、簡単に真似の出来るものでは無いのだ。イチローは松井とも良く比較されることが多いが、松井とイチローは共に素晴らしいバットマンという意味では共通しているが、そのスタイルや野球哲学は全く正反対だ。松井のようなホームランを追及するバッターは、ホームランになる確率が最も高くなるストライクゾーンの球を如何にミートするかに全てをかける。イチローのように下手にボール球に手を出すとフォームを崩してしまうし、ホームランになる確率も格段に下がるからだ。しかし、イチローの狙いはホームランでは無く、あくまでもヒットを量産すること。その観点では、体が”打てる“と判断した球は、例えどんな難しい球でも思い切ってバットを出す。そうしなければイチローのようなヒット数は稼げないのだ。



その意味では、イチローは天性の打撃センスを持っている上に、誰よりも練習をして、自分のフォームを研究する努力を怠らないことで、不調時にも素早く軌道修正出来るという強さを持った選手になったのだ。



イチローはその鉄壁の守備、強肩、足の速さも大きな武器だ。ここまで万能な野球選手は類を見ない。守備の巧さは、イチローが守っているライトフィールドを“エリア51”(イチローの背番号51と、米軍の秘密基地として有名なアリゾナにあるエリア51をもじった褒め言葉)と呼ぶことでも有名で、また強肩に関しても、外野へのヒットやフライに対してイチローが絶妙なコントロールとスピードで返球する球を”レーザービーム“と呼ぶが、レーザービームで幾度となく走塁者の進塁を完全に阻止してきた。そして何よりも彼の数々の輝かしい記録を支えているのは、その丈夫でしなやかな体である。大きな怪我などをしたことが無いし、イチローは決していかなる時も体のメンテナンスを怠らない。このストイックなまでの自己管理能力が彼の凄さの秘密でもあるのだ。



マーリンズに移籍して今年は2年目。年齢から来る衰えなどともささやかれ、出場機会自体も以前よりはかなり減ってしまった為、全盛期のような200安打は容易では無いが、それでも今年は昨年と違い、徐々にスタメン起用も増え、また調子自体もマリナーズ時代並みにかなり上がってきている。最近はマルチヒットの試合も多い。既に前人未到な領域に一人突入したイチローは、孤独な戦いを強いられながら、黙々とヒットを重ねる“仕事人”だが、イチローが更に記録を積み上げて行きながら、その野球人生を全うする姿をこれからも見つめて行きたい。


僕にとってのジャイアンツ!

2013-11-06 23:59:00 | スポーツ
僕は昔から巨人のファンだ。
いつからだろう。

そもそも、僕と野球とのふれ合いは
アメリカでの小学生時代に遡る。
ロサンジェルスに住んでいた7歳の頃(1977年頃)、
父親に初めてドジャーズスタジアムに連れて
行って貰った時の写真が残っている。



この当時、スティーブ・ガービー
という人気選手がドジャーズにいて、僕も
スティーブのグッズや、写真でもしている
ドジャーズの野球帽とリストバンドを買って
貰ったことが今でも鮮明に残っている。



そして、アメリカより帰国した小学校
3年生の頃の写真も残っているが、
巨人のユニフォームを着ている。こんなの
昔持っていたんだなー、と今振り返れば
とても懐かしい思い出だ。



父親が大の巨人ファンであった為、
家ではいつも夕飯時に巨人の野球中継が
放映されていた。
ごちゃごちゃ選手の愚痴などを言いながら、
見るのが、ある意味共通の話題で盛り上がれる、
親子のコミュニケーションの大切な時間であった。

僕は長嶋が大好きで、今でも憧れの存在だ。
長嶋はまさにミスタージャイアンツでその
カリスマ性は唯一無二なものである。



時代的にはタイムリーに選手時代を見ていたわけ
では無く、監督としての時代が中心だ。
小学生の頃は、江川、西本、新浦、小林、
鹿取たちの時代で、内野手では篠塚が大好きであった。




そしてもっと後になってからは、桑田、槙原、斉藤、
そして原、吉村の80年代後半から90年代にも
良く夢中でゲームを見ていたものだ。



原も4番打者の当時は、チャンスに打てないだとか
散々叩かれたが、監督としての采配は見事だし、
今改めて振り返ると、巨人の不動の4番打者となる
ことの難しさは相当なものであったことだろう。



そして今の巨人は、一時のように金にものを言わせて
4番打者級を揃えるナインでは無く、生え抜きの選手達も
育ってきて、とてもバランスの取れた、引き締まった
メンバーとなった巨人はとても頼もしい。



これだからいつの時代になっても巨人ファンは
辞められないのだ。今年は日本一を残念ながら
逃したが、来年こそはまた更に強くなった
ジャイアンツに会えるのを楽しみにしている。


お疲れさま、ジャイアンツ!!

2013-11-04 14:51:00 | スポーツ
読売ジャイアンツvs.楽天イーグルズによる
今年の日本シリーズは、シリーズ史上でも
稀に見る”激闘”となったが、最終的に7戦戦った末、
楽天が創設9年目で初の日本シリーズ制覇を
成し遂げた。東北仙台のチームとして
地元にも愛された楽天は、そのプレーにより
東北復興の大きな支えとなった。



ジャイアンツは昨年に引き続き、今年もセリーグを制覇。
その後、クライマックスシリーズを東京ドームで観戦したが、
結局3位から阪神を唐オて勝ち上がってきた
広島を全く寄せ付けず、菅野がマエケンにも投げ勝ち、
負けなしの3連勝で日本シリーズ進出を決めた。

そして、日本シリーズでは結局昨晩の
第7戦までもつれた激戦の末破れてしまい、
日本一を逃してしまった。第6戦では菅野も好投し、
あの田中将大に今年初めて土を付けて大舞台で
ついに攻略はした。



しかし、終わってみて感じることは、
結局日本シリーズを通して
マー君の存在が大きな影をジャイアンツに
落としたことにより、本来のプレーを
させて貰えなかったし、マー君や則本を
あまりにもマークし過ぎるあまり、
三番手ピッチャーの美馬に2敗を喫し、
1点すら奪うことも出来ずに
足下をすくわれた格好となった。



今年の日本シリーズでは打者では阿部が大ブレーキ。
ピッチャーでは、三番手の美馬と杉内の出来に大きな差があり、
それがそのまま勝敗に結びついた。
また、結果的には勝つことへの執念という意味で
楽天の方がやや勝っていたと言えよう。




実際にマー君に勝たなければ日本シリーズの
勝利は無いという気持ちが空回りし過ぎ、
ジャイアンツ打線も本来の力が出せなかった。
しかし、こう言った精神的なプレッシャーを
相手に与えられるというのもマー君の強さであり、
楽天の強さである。



ジャイアンツは、日本一連覇は残念ながら
達成出来なかったが、楽天のひたむきさに
爽やかさが残った日本シリーズであった。
今年は楽天、あっぱれである!
来季はまたリーグ制覇をして、今度こそは
日本シリーズも制覇を目指して頑張って欲しい!
ジャイアンツ、お疲れさま!
そして一年間ありがとう!