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クリエイティブが大好きなのに、なぜか商社マンになってしまった私のマニアバース!

思い出の80年代: マッケンロー本!

2021-06-02 22:30:00 | マッケンロー
前回マッケンローについて取り上げたが、あの貴重なポロシャツを入手したのに加えて、先日またまた貴重なマッケンロー本を入手した。こちらは1984年ウィンブルドンのオフィシャル年鑑。



1984年と言えば、まさにマッケンローの絶頂期。苦手な全仏オープンこそ、レンドルに決勝で敗れて準優勝に終わったものの、ウィンブルドンではジミー・コナーズ、全米オープンではレンドルをそれぞれ決勝で圧倒して優勝。この年に出場した14大会のうち、12大会で優勝し、年間勝率96.5%という驚異的な数字を記録したのだ。



そんな絶頂期のウィンブルドン。そのオフィシャル年間はマッケンローファンとしてはやはり入手しておくべきだろうと思い、今回購入した。しかし如何せん古い本なのでそう多く出回っておらず、あってもかなり高い金額で取引されているが、今回安く入手出来てラッキーであった。



ハードカバーのこの本は、写真集と言った方がいいだろう。多くの写真で大会の初日から決勝まで振り返る内容。マッケンローの写真も多く収録されており、貴重な資料である。



女子の優勝はナブロチロワだったが、当時アイドル的な人気を誇ったカーリン・バセットの写真もあって、何とも懐かしい。



決勝ではジミー・コナーズを6-1, 6-1, 6-2で破り、圧勝。この時のゲームをテレビでリアルタイムに見た記憶があるが、マッケンローの強さばかりが目立ったゲームでマッケンローファンとしては最高のウィンブルドンであった。





思い出の80年代: マッケンローテニスウェア!

2021-06-01 21:22:00 | マッケンロー

前にも何度か取り上げているが、久しぶりにジョン・マッケンローに関して新たなグッズを入手したので取り上げてみたい。

僕は1980年代、ジョン・マッケンローの熱狂的なファンであった。ちょうど1984年からアメリカのニューヨークに転勤となり、マッケンローの試合をケーブルテレビで深夜までテレビにしがみついて、一喜一憂しながら観戦していたのが良い思い出だ。そして、マッケンローが負けてしまうと、翌日は終日機嫌が悪かった。



また観戦だけでは満足出来ず、実際にテニスをプレーするのも当時ハマっており、学校近くの公園にあった無料テニスコートで暇さえあれば友人と一日中テニスをしていたが、大好きなマッケンローを真似しながらプレーしていたのが懐かしい。マッケンローのテニスフォルムはかなり独特で、彼のような天才的なタッチは誰も真似が出来ないが、マッケンローに成りきって遊んでいたものだ。



そしてまずは形から入るべく、マッケンローが当時使用していたダンロップのMAX 200Gというラケットを買い、そしてナイキのAir Trainer Hi (マッケンローモデル)を買い、更にはマッケンローのナイキテニスウェアラインをNYのWhite Plainsにあったテニスショップで良く購入していたのも懐かしく思い出される。

あれから35年近くが経ってしまったが、ここ4-5年、当時持っていたマッケンローグッズをまた買い集めようと日々アンテナを張っている。まずダンロップMAX 200Gは当時アメリカで使用していたものを現在も3本大切に保管している。NikeのAir Trainer Hiマッケンローモデルも当時のものを3年前にまた入手することに成功した。



しかし、さすがに当時着ていたマッケンローのナイキウェアは長い年月の間にどこかで捨ててしまったと思うが、一番好きだったのが、紺と黒のチェックデザインのポロシャツ。これは1985年頃から、それまで着ていたセルジオ・タッキーニからナイキに契約を変更し、当時大人気となったデザインだが、チェックもギザギザのデザインで、まるでビリビリっとポロシャツの真ん中を破いたら、チェックが出てきたかのような斬新なデザインだった。さすがに現在は入手困難である。


このデザインには、定番のホワイト以外にもレッドとブルーバージョンもあった。



僕が5年前くらいに描いたマッケンローの復刻イラストのがこちらだが、ハイスクール当時に書いていたマッケンローウェアデザインのイラストがこちら。



また1985年当時、マッケンローのライバルであったレンドルとは毎回熾烈な戦いを繰り広げていたが、AdidasのレンドルデザインとNikeのマッケンローデザインをアートして当時描いたのがこちら。この作品は何とも思い出深い。



そして、当時持っていたのが、このチェック柄が左の袖に描かれたバージョン。今となっては写真すらなかなか見つけるのが難しいバージョンだが、こちらも当時とても気に入っていたものだ。先日、久しぶりにこのバージョンのポロシャツを着たマッケンローが雑誌『T.Tennis』の表紙になっていたものを見つけ、購入した。1985年11月号なので、現在では入手困難な雑誌なので貴重である。



こちらは当時持っていたナイキのTシャツ。何とも懐かしい。マッケンローのチェック柄シリーズの一つだが、先日当時のマッケンローウェアコレクションのカタログをネットで見つけることが出来た。



こちらのマッケンローのポスターも当時持っており、自分の部屋の壁に貼っていたものだ。さすがにこのポスターは現在入手困難だ。



そして、先程当時のナイキマッケンローウェアは入手困難と書いたが、なんと奇跡的に先日こちらの別マッケンローモデルのポロシャツをネットで見つけてしまい、感動のあまり速攻で購入した。なんと1980年代当時のものなのに新品というか、何とも素晴らしい形で保管してあったものだ。まさに貴重なビンテージもの。あのチェック柄の異なったバージョンで、グレーのポロシャツ。



マッケンローのタグまでしっかりと付いているし、まさに真空保存してあったようで、新品のようなャポロシャツに巡り合えるとは本当に奇蹟としかいいようがない。



これでまた、僕のマッケンローコレクションに貴重なグッズが加わった。次のブログでもマッケンローについて取り上げたい。


Funko Pop!のマッケンローをゲット!

2021-01-19 21:23:00 | マッケンロー
前にも紹介したが、僕はFunko Pop!のフィギュアを集めている。と言っても、Funko Pop!なら何でも集めているわけではなく、自分の好きなキャラクターだけ、かなりニッチなコレクションとなっている。



持っているのは、マイケル・ジャクソン5体、プリンス3体、ワンダーウーマン、それにアメリカの人気ャbプキャラクターたちだ。そしてあのブルース・リーも4体持っているのだ。



そして今回ゲットしたのは念願の、ジョン・マッケンロー。言わずと知れたあのテニスレジェンドだが、僕は昔からマッケンローの大ファンで、彼の使っていたラケットやシューズなどのグッズや、直筆サインなどもコレクションしている。



そしてこのFunko Pop!シリーズでもマッケンローがあると知ってはいたが、なかなか手に入らないものだったが、今回ラッキーなことにいつもチェックしているネットショップで発見し、即購入した。



このフィギュアのマッケンローは、まさにピークを迎えようとしていた1983-4年頃のデザイン。ウッドのラケットに、セルジオ・タッキーニのウェアを着て、頭にはヘッドバンドをしていた頃の懐かしいマッケンローである。



また貴重なフィギュアがコレクションに加わった。念願のマッケンローフィギュアをついにゲットすることが出来て、何とも嬉しい限りである!


蘇れ!天才マッケンロー!

2020-01-12 19:22:00 | マッケンロー

最近マッケンローに関するネタが続いている為、このブログで新たに“マッケンロー”というカテゴリーを設けることにした。そして、これを機に、久しぶりにマッケンロー、そして彼のプレイスタイルについて少し振り返ってみたい。



僕のマッケンロー好きは中学三年生の1984年頃から始まったと思うが、ちょうどアメリカのニューヨークに転校した頃からハマり、ハイスクール時代は熱中していたものだ。マッケンローのテニス人生のピークは1984年であったが、正直僕が最も熱狂的にマッケンローを応援していたのは1985年だったかもしれない。その年のマッケンローは多くの大会で優勝こそするものの、メジャー4大大会での勝利は無く、期待していた全米オープンでもライバルのレンドルに決勝でストレート負けを喫し、年間ランキングもついに1位を陥落した厳しい1年となった。



それまでのコナーズ、ボルグ時代に終りを告げ、1980年代前半はまさに“マッケンロー時代”を築いていた。しかし1985年頃からは、ちょうどレンドルが全盛期を迎え、またボリス・ベッカーのようなサーブ主体のパワーテニス時代への移行期に差し鰍ゥっていた頃で、マッケンローの天才サーブ&ボレーテニススタイルが少しずつ通用しなくなり始めているのを感じていたが、だからこそ尚更マッケンローの応援に力が入ったものだ。当時は毎週のようにアメリカのケーブルテレビで深夜放送されていたATPツアーの大会を、手に汗握りながら徹夜で見ていたものだ。



そして以前のブログでも取り上げたが、彼の愛用したNikeのシューズ、Air Trainer HiやMac Attack、Nikeのマッケンローシリーズテニスウェア、ダンロップのラケットMAX 200Gなどを愛用していたし、マッケンローの大型ポスターを幾つも自分の部屋に飾っていたものだ。自分でも好きでテニスをしていたが、あの頃は彼が本当に僕の憧れのスターであったのが何とも懐かしく思い出される。





マッケンローのテニススタイルは実に個性的且つ天才的だ。独特のフォームから繰り出すサーブはなかなか真似が出来るものではないが、僕もハイスクール時代に良く真似しようと練習していたものだ。サーブスピード自体が必ずしも一番速いわけではなかったが、そのコース(センター狙いか、サイドへの逃げていくサーブか)を読み辛くするサーブスタイルは実に効果的であったし、多くの選手に手を焼かせた。野球でいえば、頭脳投球と球の緩急で多くの白星を重ねた元ジャイアンツのエース、桑田真澄にも似たタイプなのかもしれない。



まるでつまようじのように柔らかいグリップでテニスラケットを振り回しながら、最小限のスウィングで、ペースを変えたパンチングショットをいきなり繰り出す。そして瞬く間にネットに出ると、天才的なボレータッチも神業であり、ドロップボレーや、信じられない角度でのクロスボレーなどでいつも観客を魅了した。ライジングで早目に打ち返すテクニック、徹底したサーブ&ボレーで如何に早くポイントを終わらせるかを様々な技を使って仕鰍ッるのが彼のスタイルであった。もちろん、いつも狙い通りにはいかないわけで、そんな時は得意のショートテンパーでかんしゃくを起こすこともしばしばあったが、これも全て彼が勝負師であり、完璧主義者であるがゆえの行動なのだ。そして彼のようなプレイスタイルの選手はいなかったので、その試合ぶりを見ると逆に今でも新鮮である。



マッケンローのサーブ&ボレーが強かったのは、当然ながらそのサーブの威力によるものだ。前述の通り、決してサーブそのものが異常にスピードが速いわけでは無かったが、サービスエースを取るのに充分な威力があった。コースが読めない為、どちらサイドにボールが来るのかが読めず、結局全く動けずにエースを与えてしまうことも多かったのだ。そして仮に何とかラケットに当てて、浮いた状態の返球をマッケンローは見過ごさない。スルスルっとネットに詰め寄り、ボレーを決めてポイントを取ってしまうのだ。こうして、巧みなサーブから、得意のサーブ&ボレーで相手を打ち負かしてきたのだ。



審判に文句を言うのは、確かにやり過ぎてしまうと見ていて決して気持ちの良いものではない。しかし、彼はラインコールの抗議で決して適当な嘘などはつかなかった。マッケンローが“アウトだ!”と主張する時は、大抵の場合実際に僅かでアウトであることが多かった。それだけ自らのラインコールに自信を持っていた証拠であるし、ラインアウトを見る確かな“目”を持っていたことに他ならないのだ。



錦織圭には更に世界で活躍して欲しいが、毎試合フルセットになることが多く、セミ・ファイナル、ファイナルまで行けたとしても、それまでの試合で体力を消耗し、疲労回復も遅れて怪我の原因にもなっているのではないかと思う。どうしても怪我での欠場が絶えないのが残念だ。マッケンローも以前言っていたが、錦織圭はもっと如何に序盤ラウンドを短い時間で勝利して、トーナメント後半戦に体力を残しておけるかが大きな課題だと思う。よって理想的には相手と長いラリーを続けるのではなく、サーブ&ボレーで早くポイントを終わらせるように仕鰍ッて行かなければならない。ボクシングで言えば、早いラウンドで相手をKOするのが理想である。しかし、錦織圭の場合に大きな課題となるのがサーブ。決して体格が大きく無い彼が、他の選手よりも強烈なパワーか高速サーブを打ち込むのは難しい。よって、サーブの仕方を変える必要がある。そこで、今こそマッケンローのプレイスタイルが参考になるのではないかと思うわけだ。マッケンローと同じサーブというのは難しいと思うが、エアケイのバネを活かしたサーブで、マッケンローのようにコースを読み辛くするサーブを身に付ければサーブ&ボレースタイルも可能では無いかと思ってしまう。その意味では、マッケンローにコーチとなって貰うのが良いのではないだろうか?

今こそ蘇れ、マッケンロー!


マッケンローのフレンチドキュメンタリー!

2020-01-10 12:36:00 | マッケンロー
先日、マッケンローのサインをゲットして以来、久しぶりにマッケンロー熱が高まってしまった。そこで調べていたら、2018年にフランスで制作された、マッケンローのドキュメンタリー映画が存在していることを知り、急ぎブルーレイを購入した。




映画のタイトルは、『John McEnroe: In The Realm of Perfection』。本作は、1984年の全仏オープンからのアーカイブ映像を編集したものだが、マッケンローのプレイスタイル、審判やカメラマンへの抗議や観客とのやり取り、そして勝利への強い拘りを通じて、マッケンローの真の姿を紐解いていくことを狙ったドキュメンタリーだ。監督はジュリアン・ファラウトというフランス人。当時、16mmで撮影した20時間にも及ぶ映像アーカイブがあり、それを編集している中でドキュメンタリー映画化を思い立ったという異色作品らしい。





購入したブルーレイを早速観賞したが、正直全体的には退屈な部分もあった。しかし、マッケンローの天才的なボレータッチをスローモーションでキャプチャーした映像や、お馴染み悪童と言われてしまう要因ともなっているラインズマンの判定や審判に対する抗議なども収められている。また、とても貴重な練習風景や、オフコートでのひと時、自分の等身大広告パネルを前におどける様子など、今までに見たことが無いレアな映像も収めれており、かなり感動した。





1984年の全仏オープンと言えば、マッケンローのテニス人生の中でも辛い記憶となった大会。1984年と言えば、マッケンローがテニスキャリアでまさにピークとなる成績を上げていた時で、その年はなんとたったの3敗しかしておらず、年間勝率はなんと驚異の96.47%(これは2005年に絶頂期のロジャー・フェデラーでさえ達成出来なかった記録)であったというから、如何に絶好調であったかがおわかり頂けるかと思う。そんな人生ピークの年にたった3回だけ負けた内の1敗が、ここ全仏オープンの決勝で宿敵のライバル、イワン・レンドルとの一戦であったのだ。




マッケンローはかねてからレンドルを苦手としていたが、この1984年の全仏の決勝でも第一セットを6-3、第二セットを6-2と2セット先取して楽勝ムードが漂っていた。しかし、結果的には第三セットを4-6でレンドルに取られ、そのまま第四セットを5-7、第五セットを5-7で取られて、接戦の結果優勝を逃した。彼のプレースタイル的にも、クレーコートをあまり得意としていなかったマッケンローはその輝かしいキャリアの中で一度も全仏オープンで優勝していないが、後にも先にも、マッケンローが最も全仏優勝に近付いたのがこの1984年の決勝であった。






このドキュメンタリーでは、後半決勝でのレンドルとの一戦もかなり取り上げており、久しぶりにじっくりと見たが、やはり見応えがあった。当時が懐かしくもあり、マッケンローファンの僕としては、とても苦い思い出でもある。もしこの決勝で勝利していたら、マッケンローの対レンドルや、全仏での成績という意味で、その後のテニスキャリアが大きく変わっていたかもしれないと思える大事な一線、そしてテニス史の貴重な一ページであった。そんな瞬間を細かく映像に捉えたドキュメンタリー映画は、まさにマッケンローの真の姿、そして勝利への拘りなどを収めたドキュメンタリーとして貴重な作品であった。