■こんばんは。
昨年4月に美里がゲスト出演したbay-fm『Touch ! the DREAM』。
基本的には関東以外の方は聴取できない局であり、
出演時間も長めでなかなか充実した内容でしたので文字に起こしてみました。
約46分の出演時間のうち、30周年のこと、デビューの頃の話、
作曲家陣や「10 years」についてなど語っていた30分程度を文字起こし。
※ボリュームがあるため2回に分けてUPします。
●2014年4月26日(土) bay-fm 『Touch ! the Dream』
パーソナリティ:春原佑紀
-- 今夜は渡辺美里さんをお招きしております、こんばんは !
「こんばんはー」
-- よろろしくお願いします。
「よろしくお願いします」
-- 美里さん、お休みしている、というイメージがないんですけど・・・
「はい(笑)」
-- まとまった休みが取れたらどこに行きたいとかありますか ?
「 1週間とか、10日とか取れたら・・・そうだなあ・・・
海外に行って・・・ミュージカル、舞台三昧したいなあ、とも思いますし、
近場だったら、海の幸・山の幸を堪能しながら、ボケーッと本を読む時間と、
のんびりする時間と、動き回る時間と、両方持ちたいですね」
-- 今までデビューなさってから、まとまったお休みって取ったことあるんですか ?
「いえ・・・ソロ・アーティストとして、解散することもなく、再結成することもなく、
充電休暇を取ることもなく(笑)、まあでも、あのー、アルバムを1枚完成させたら、
それを持って旅行に出かけて、それで改めて聴きなおす、
というか聴きこむみたいなことは毎年やるようにしているので、
まとまって休んでました ! っていうことはないですけど、
でも、うーん、『Flower bed』っていうアルバムを作ったころには、
1か月半近くロンドンにフラットを借りて過ごしたこともありますし、
自分で強化合宿と題して、海と山の近くに行ってコンサートに向けて体力作り、
歩き込み、走り込み(笑)、したりとか」
-- それは全部シンガーソングライター・渡辺美里のための・・・
「(笑)そうですね、全部・・・あの、ちゃんと充実した仕事があるからこそ休んで楽しいっていうか、
休んでばっかりいるとちょっと不安になっちゃうっていう・・・ワーカホリックなところは無きにしもあらずです」
-- 素晴らしいですねー !
「素晴らしいことか分かんない(笑) ! 」
-- 30周年ですからもう。今夜はですね、4月23日にリリースされたばかりの
Newシングル「ここから」のお話はもちろんなんですけれども、
来年、デビュー30周年 ! ということで、
「はい」
-- あらためて、美里さんの音楽への想いも伺っていければなあ、と思いますので
今夜はよろしくお願いします ! 」
「よろしくお願いします」
-- あらためまして、今夜のゲストはこの方です !
「こんばんは、渡辺美里です」
-- よろろしくお願いします。
「よろしくお願いします」
-- 美里さんは・・・私たちが見てきた渡辺美里さんと、目の前にいても全く変わらないですね !
「どういうことですか(笑) ! 」
-- なんか・・・そのままですね。
「あー ・・・ あの、修正かかってない感じですか(笑)」
-- いや、なんか、小さい頃から見ていた渡辺美里さんがスタジオに入ってこられた時から、
あ、変わらない ! と思ってちょっとびっくりしてしまったんですけれども。
「(笑)」
-- 後ほど写真ってUPしても大丈夫ですか ?
「はい(笑)」
-- では・・・
「番組中に聞く人も珍しい・・・(笑)」
-- あ、すみません(笑) ! よろしくお願いします。
「よろしくお願いします」
-- みなさん、チェックして頂ければなあ、と思います。
さあ、渡辺美里さんと言えば来年、先ほども申し上げましたが、
2015年、デビュー30周年ということで、少しフライングですが、おめでとうございます !
「ありがとうございます。
でも、今度の5月2日がデビュー記念日なんですけれども、
そこで30周年イヤー突入ということなので、その瞬間だけではなく、
来年の5月から・・・っていうよりも、もう1年前から、って言ってももう30周年イヤーに入っているので、
どうせだったらおめでたいことは長く楽しもうということで、
今度の5月からなので、ぜんぜんフライングじゃないです、はい」
-- じゃあ、みなさんと一緒にお祭りイヤーということで・・・
「そうでーす」
-- 振り返ってみると1985年にデビューということで、
「はい」
-- 当時、10代ですよね。
「そうです ! 」
-- 18才・・・
「はい ! 」
-- その時っていうのは、こんなに歌い続ける覚悟というか、ヴィジョンってあったんですか ?
「まったく、思ってませんでした。ぜんっぜん、思ってない。
もう、あの・・・ただ、歌う人になりたいっていう決心をしたのは10代のころ、
10才の時にはプロになりたいって思ってたんですよね。
だから、色々な物事の興味や、歌うこととか、ステージとか、言葉とか、詞を書くこととか、
全部結びついていたので、決意してからデビューまでの方が逆に長かったというか、
10才から、まあ、18才でデビューできたっていうのもラッキーだったと思うんですけど、
なので、なりたい、という想いで始めましたが、
まさか、いくつまでとか何十周年とかなんてことは、想像すらしてなかったので・・・びっくりしますね」
-- 18才でデビューなさって、割とすぐヒットっていうのはもう、売れっ子街道へ・・・
「(笑)」
-- ヒットを飛ばしたわけじゃないですか。
「ああ・・・そう・・・ですね、
あのー、有難いことに、その1985年の10月にアルバムが出て、
つぎの年・・・1986年の夏にはスタジアムのコンサートをもう・・・ヒット曲もないのに(笑) ! 」
-- あ、そうだったんですか !?
「そうですよ ! (ヒット曲が)無いのに、85年の秋の10月にアルバムが出て、
11月ごろに来年スタジアムでコンサートをやってみないか、っていうお話を頂いたんだけれども、
やってみる ? って言われて、ちょうどこういう、ラジオのスタジオで、
その当時メールなんて無いから、ハガキを読んで、あ、これ採用、これリクエスト、とか
読みやすいように自分でハガキの区分けをして・・・で、やってる時にそういうお話で、
ああ、じゃあやってみようかなあってお返事をしたのが85年の秋だったので、
で、翌年86年の冬に「My Revolution」が出て、その夏にスタジアムだったんですね。
だけど、みなさん、こう、
ヒット曲があってスタジアムライブっていう風に思われているかもしれないですけど、
ものすごい・・・賭けですよね(笑)」
-- そうですよね。
「(笑) ヒット曲もなく、アルバム1枚だけでスタジアムっていうのを決めてくれたスタッフはすごいなんか、
あのー、すごい覚悟だなあって思いますけど」
-- すごいですね。
今でこそスタジアムっていうのはありますけど、当時はそんなに・・・
スタジアムライブ自体も珍しいわけですよね」
「そうですよね」
-- それを・・・すごい英断でしたけど、ちゃんとみんながついて来たっていうのが素晴らしいですね。
「この子なら何とかやるんじゃないかって思ってくれたのか、
まあ、私もなんかしながら うんうん、やってみるやってみるって、
今だったらそんなこと怖くてできないです(笑)。若さゆえですね、うん」
-- でも、その頃っていうの本当にみんなもやっぱり勢いもあったし、
本人も勢いもあるし、ノッてるしっていうのもあるし、
こう、考える間もなく色々なことが次から次へと決まっていって無我夢中だったんですか。
「うん、ノッてるも何も、あのー、乗る前の助走、みたいな時ですよ。
だからまあ、ずっと歌いたい、とか、伝えたいっていう気持ちがあったからこそ、
そういう環境があるならぜひやりたいって飛び込んで行けたのも、
本当に、あのー、怖いもの知らずだったなあって思いますけど、
でもそれをやれたからこそ、スタートしたからこそ、街道が(笑)出来てきたわけだから・・・」
-- 先のことは当時はあんまり・・・
「まったく考えてなかったです。
だから高校野球の選手みたいに、今年、このライブがんばる・・・」
-- 完全燃焼・・・
「そうです。で、そのスタジアムも20年やらせてもらったんですけど、
まさか20年なんてとんでもない ! って感じです」
-- でも振り返ってみると1stアルバムの時にすでに小室哲哉さんや、岡村靖幸さん、大江千里さんなどの、
後に音楽シーンを牽引していく素晴らしい方たちがもう参加しているということで・・・
「そうですね・・・」
-- なんか、神がかってますよね。
「本当にねえ、そういう巡り合わせ、出会いっていうのは、
あのー ・・・ 望んでも叶うことでもないと思うし、いま思えばホント、おっしゃる通り、
よくそういう人たちと巡り会う場所に居られたなあって思います」
-- のちのち、小林武史さんや、伊秩弘将さんとか、名プロデューサーと言われる方も、
そうやって名プロデューサーとして名が知れ渡ったあとに、
美里さん昔やってたんだよ、みたいな感じで・・・こう・・・
「みんなアタシを通り過ぎていったわ(笑)」
-- (笑)
この方たちも"美里さん生まれ"みたいな(笑)。
「みんな私が産んだように・・・(笑)」
-- みんな美里さんプロジェクトというか、美里さんチームを経て・・・
「うーん、そうですね・・・」
-- 何がその、シンガーソングライター・渡辺美里というのは人を惹きつけるんですかね、クリエイターたちを。
「うーーん・・・運が良かっただけじゃないでしょうか。
あの、まあ、歌うっていうこと、ヴォーカリストっていうこと、
やっぱりいい作品も歌い手によって変わってくると思うし、
あ、この人が歌ったら面白くなるんじゃないかなって作り手の方たちがみんなそれぞれに感じてくれて、
で、出会いも早くて、小室さんとか、千里さんとか、木根さんとか、岡村くんとかは、
同じレコード会社だったっていうこともあり、そして"これから"っていう時に出会った人たち、
で、伊秩くんもそうですね、わりと初期の頃に会って、あのー、曲を書いてもらい、
小林さんもそうですけど・・・引きが強いのかな(笑)。
なんか、巡り合わせとして、とても・・・そうですね、
音楽の世界も今とはまたぜんっぜん、環境・状況も違ったから、
発信していく・・・その・・・ツールという言い方を自分でするのは良くないかもしれないですけど、
この人が歌うことによって広がっていく面白さ、みたいのを感じてもらえたのかもしれないですね」
-- そうやって、色々な人と仕事をしたりとかして、本人は無我夢中だったと思うんですけど、
いつぐらいからこう、自分が歌うべきものというか、歌うべき世界というのが見え始めてきたんですか。
「うーーーーん・・・・そうだなあ・・・・
デビュー・アルバムの『eyes』っていうところの、「eyes」っていう曲をもらった時に、
"悲しい出来事さえ 力に変えるように 言葉にしないまま 胸にためているけれど"
っていう歌詞をもらった時に、
ああ、これ私の歌だ ! って、涙があふれて、レコーディングスタジオで何度も歌えなくなっちゃって、
「ちょっと待ってください」って言って、
洗面所に行って顔洗って、鼻かんで・・・っていうことをした覚えがあって、
ああ、こういう曲を私は歌いたかったんだ、っていうのにデビューの時から出会えていたっていうことは、
すごく幸せだったと思います。
なので、あの、"渡辺美里の世界"っていうのはこうあるべきだ、とかってことを思わないままに
そういう曲にこう・・・引っ張ってもらってったっていうのかな、
で、「My Revolution」に出会った時も、身体中にゾクゾクゾクッと、
言葉がまだ、歌詞がない状態で、メロディーが先だったんですけど、来た瞬間に"これ絶対歌いたい"って。
で、超・新人ながらも、この曲好き、とか、この歌うたいたい、とか、
あ、これはまた今度で結構です、みたいな(笑)ことを、なんか歌い手の勘みたいなもので、
これ絶対歌いたいです、これはこの次のアルバムに、みたいな感じで、
これもう少し練りませんか、みたいなこととかも言ってたし、言わせてもらえる環境もあったし、
プラス、当時のディレクターさん、プロデューサーさんもすごく才能があって、
私の知らない間に、その曲をもっとこう、熟成させるというか、いい形で、シングルらしくするとか、
もっとコンサートに映える曲にするみたいなことのやり取りを私に伝える前に、
聴かせる前にそういう作業をしてくれてた、それこそディレクションですよね、して下さってたみたいで、
だから・・・あの、とてもエネルギーに溢れた人たちと最初から出会ってやれたので、
渡辺美里の世界をこうしていくんだっていうのはやりながら、
もう、進んでいないと死ぬ(笑)、みたいな感じくらい(笑) ずっと泳ぎ続けている中で、
感覚をグーッと研ぎ澄ましながら、これ歌う ! これ歌わない ! っていうようなことをやってましたね、
今もそうですけど。
-- それは18の時からすでにセルフプロデュースが出来ていたということですよね。
「そんなカッコいい言葉知らなかったけど、3才の頃から性格が変わってないと、親には言われて(笑)
好きなものは好き、イヤなものはイヤ、っていう・・・(笑)」
-- ブレないですね(笑)。
「ブレない(笑)。3才の時からブレてないっていうのも珍しいかもしれない・・・(笑)」
-- 素晴らしい(笑)。
「それは、あの、18才の時から、あったかもしれませんね」
-- そのブレない信念というか、感受性のままっていうところが、
このいろんな名曲を生み続けている秘訣なのかもしれないですね。
えー、じゃあここで美里さんの名曲の中から、1曲お届けしたいと思います。
「はい。渡辺美里で「10 years」」
(2)へつづく
※1~2日後くらいにUPします !
昨年4月に美里がゲスト出演したbay-fm『Touch ! the DREAM』。
基本的には関東以外の方は聴取できない局であり、
出演時間も長めでなかなか充実した内容でしたので文字に起こしてみました。
約46分の出演時間のうち、30周年のこと、デビューの頃の話、
作曲家陣や「10 years」についてなど語っていた30分程度を文字起こし。
※ボリュームがあるため2回に分けてUPします。
●2014年4月26日(土) bay-fm 『Touch ! the Dream』
パーソナリティ:春原佑紀
-- 今夜は渡辺美里さんをお招きしております、こんばんは !
「こんばんはー」
-- よろろしくお願いします。
「よろしくお願いします」
-- 美里さん、お休みしている、というイメージがないんですけど・・・
「はい(笑)」
-- まとまった休みが取れたらどこに行きたいとかありますか ?
「 1週間とか、10日とか取れたら・・・そうだなあ・・・
海外に行って・・・ミュージカル、舞台三昧したいなあ、とも思いますし、
近場だったら、海の幸・山の幸を堪能しながら、ボケーッと本を読む時間と、
のんびりする時間と、動き回る時間と、両方持ちたいですね」
-- 今までデビューなさってから、まとまったお休みって取ったことあるんですか ?
「いえ・・・ソロ・アーティストとして、解散することもなく、再結成することもなく、
充電休暇を取ることもなく(笑)、まあでも、あのー、アルバムを1枚完成させたら、
それを持って旅行に出かけて、それで改めて聴きなおす、
というか聴きこむみたいなことは毎年やるようにしているので、
まとまって休んでました ! っていうことはないですけど、
でも、うーん、『Flower bed』っていうアルバムを作ったころには、
1か月半近くロンドンにフラットを借りて過ごしたこともありますし、
自分で強化合宿と題して、海と山の近くに行ってコンサートに向けて体力作り、
歩き込み、走り込み(笑)、したりとか」
-- それは全部シンガーソングライター・渡辺美里のための・・・
「(笑)そうですね、全部・・・あの、ちゃんと充実した仕事があるからこそ休んで楽しいっていうか、
休んでばっかりいるとちょっと不安になっちゃうっていう・・・ワーカホリックなところは無きにしもあらずです」
-- 素晴らしいですねー !
「素晴らしいことか分かんない(笑) ! 」
-- 30周年ですからもう。今夜はですね、4月23日にリリースされたばかりの
Newシングル「ここから」のお話はもちろんなんですけれども、
来年、デビュー30周年 ! ということで、
「はい」
-- あらためて、美里さんの音楽への想いも伺っていければなあ、と思いますので
今夜はよろしくお願いします ! 」
「よろしくお願いします」
-- あらためまして、今夜のゲストはこの方です !
「こんばんは、渡辺美里です」
-- よろろしくお願いします。
「よろしくお願いします」
-- 美里さんは・・・私たちが見てきた渡辺美里さんと、目の前にいても全く変わらないですね !
「どういうことですか(笑) ! 」
-- なんか・・・そのままですね。
「あー ・・・ あの、修正かかってない感じですか(笑)」
-- いや、なんか、小さい頃から見ていた渡辺美里さんがスタジオに入ってこられた時から、
あ、変わらない ! と思ってちょっとびっくりしてしまったんですけれども。
「(笑)」
-- 後ほど写真ってUPしても大丈夫ですか ?
「はい(笑)」
-- では・・・
「番組中に聞く人も珍しい・・・(笑)」
-- あ、すみません(笑) ! よろしくお願いします。
「よろしくお願いします」
-- みなさん、チェックして頂ければなあ、と思います。
さあ、渡辺美里さんと言えば来年、先ほども申し上げましたが、
2015年、デビュー30周年ということで、少しフライングですが、おめでとうございます !
「ありがとうございます。
でも、今度の5月2日がデビュー記念日なんですけれども、
そこで30周年イヤー突入ということなので、その瞬間だけではなく、
来年の5月から・・・っていうよりも、もう1年前から、って言ってももう30周年イヤーに入っているので、
どうせだったらおめでたいことは長く楽しもうということで、
今度の5月からなので、ぜんぜんフライングじゃないです、はい」
-- じゃあ、みなさんと一緒にお祭りイヤーということで・・・
「そうでーす」
-- 振り返ってみると1985年にデビューということで、
「はい」
-- 当時、10代ですよね。
「そうです ! 」
-- 18才・・・
「はい ! 」
-- その時っていうのは、こんなに歌い続ける覚悟というか、ヴィジョンってあったんですか ?
「まったく、思ってませんでした。ぜんっぜん、思ってない。
もう、あの・・・ただ、歌う人になりたいっていう決心をしたのは10代のころ、
10才の時にはプロになりたいって思ってたんですよね。
だから、色々な物事の興味や、歌うこととか、ステージとか、言葉とか、詞を書くこととか、
全部結びついていたので、決意してからデビューまでの方が逆に長かったというか、
10才から、まあ、18才でデビューできたっていうのもラッキーだったと思うんですけど、
なので、なりたい、という想いで始めましたが、
まさか、いくつまでとか何十周年とかなんてことは、想像すらしてなかったので・・・びっくりしますね」
-- 18才でデビューなさって、割とすぐヒットっていうのはもう、売れっ子街道へ・・・
「(笑)」
-- ヒットを飛ばしたわけじゃないですか。
「ああ・・・そう・・・ですね、
あのー、有難いことに、その1985年の10月にアルバムが出て、
つぎの年・・・1986年の夏にはスタジアムのコンサートをもう・・・ヒット曲もないのに(笑) ! 」
-- あ、そうだったんですか !?
「そうですよ ! (ヒット曲が)無いのに、85年の秋の10月にアルバムが出て、
11月ごろに来年スタジアムでコンサートをやってみないか、っていうお話を頂いたんだけれども、
やってみる ? って言われて、ちょうどこういう、ラジオのスタジオで、
その当時メールなんて無いから、ハガキを読んで、あ、これ採用、これリクエスト、とか
読みやすいように自分でハガキの区分けをして・・・で、やってる時にそういうお話で、
ああ、じゃあやってみようかなあってお返事をしたのが85年の秋だったので、
で、翌年86年の冬に「My Revolution」が出て、その夏にスタジアムだったんですね。
だけど、みなさん、こう、
ヒット曲があってスタジアムライブっていう風に思われているかもしれないですけど、
ものすごい・・・賭けですよね(笑)」
-- そうですよね。
「(笑) ヒット曲もなく、アルバム1枚だけでスタジアムっていうのを決めてくれたスタッフはすごいなんか、
あのー、すごい覚悟だなあって思いますけど」
-- すごいですね。
今でこそスタジアムっていうのはありますけど、当時はそんなに・・・
スタジアムライブ自体も珍しいわけですよね」
「そうですよね」
-- それを・・・すごい英断でしたけど、ちゃんとみんながついて来たっていうのが素晴らしいですね。
「この子なら何とかやるんじゃないかって思ってくれたのか、
まあ、私もなんかしながら うんうん、やってみるやってみるって、
今だったらそんなこと怖くてできないです(笑)。若さゆえですね、うん」
-- でも、その頃っていうの本当にみんなもやっぱり勢いもあったし、
本人も勢いもあるし、ノッてるしっていうのもあるし、
こう、考える間もなく色々なことが次から次へと決まっていって無我夢中だったんですか。
「うん、ノッてるも何も、あのー、乗る前の助走、みたいな時ですよ。
だからまあ、ずっと歌いたい、とか、伝えたいっていう気持ちがあったからこそ、
そういう環境があるならぜひやりたいって飛び込んで行けたのも、
本当に、あのー、怖いもの知らずだったなあって思いますけど、
でもそれをやれたからこそ、スタートしたからこそ、街道が(笑)出来てきたわけだから・・・」
-- 先のことは当時はあんまり・・・
「まったく考えてなかったです。
だから高校野球の選手みたいに、今年、このライブがんばる・・・」
-- 完全燃焼・・・
「そうです。で、そのスタジアムも20年やらせてもらったんですけど、
まさか20年なんてとんでもない ! って感じです」
-- でも振り返ってみると1stアルバムの時にすでに小室哲哉さんや、岡村靖幸さん、大江千里さんなどの、
後に音楽シーンを牽引していく素晴らしい方たちがもう参加しているということで・・・
「そうですね・・・」
-- なんか、神がかってますよね。
「本当にねえ、そういう巡り合わせ、出会いっていうのは、
あのー ・・・ 望んでも叶うことでもないと思うし、いま思えばホント、おっしゃる通り、
よくそういう人たちと巡り会う場所に居られたなあって思います」
-- のちのち、小林武史さんや、伊秩弘将さんとか、名プロデューサーと言われる方も、
そうやって名プロデューサーとして名が知れ渡ったあとに、
美里さん昔やってたんだよ、みたいな感じで・・・こう・・・
「みんなアタシを通り過ぎていったわ(笑)」
-- (笑)
この方たちも"美里さん生まれ"みたいな(笑)。
「みんな私が産んだように・・・(笑)」
-- みんな美里さんプロジェクトというか、美里さんチームを経て・・・
「うーん、そうですね・・・」
-- 何がその、シンガーソングライター・渡辺美里というのは人を惹きつけるんですかね、クリエイターたちを。
「うーーん・・・運が良かっただけじゃないでしょうか。
あの、まあ、歌うっていうこと、ヴォーカリストっていうこと、
やっぱりいい作品も歌い手によって変わってくると思うし、
あ、この人が歌ったら面白くなるんじゃないかなって作り手の方たちがみんなそれぞれに感じてくれて、
で、出会いも早くて、小室さんとか、千里さんとか、木根さんとか、岡村くんとかは、
同じレコード会社だったっていうこともあり、そして"これから"っていう時に出会った人たち、
で、伊秩くんもそうですね、わりと初期の頃に会って、あのー、曲を書いてもらい、
小林さんもそうですけど・・・引きが強いのかな(笑)。
なんか、巡り合わせとして、とても・・・そうですね、
音楽の世界も今とはまたぜんっぜん、環境・状況も違ったから、
発信していく・・・その・・・ツールという言い方を自分でするのは良くないかもしれないですけど、
この人が歌うことによって広がっていく面白さ、みたいのを感じてもらえたのかもしれないですね」
-- そうやって、色々な人と仕事をしたりとかして、本人は無我夢中だったと思うんですけど、
いつぐらいからこう、自分が歌うべきものというか、歌うべき世界というのが見え始めてきたんですか。
「うーーーーん・・・・そうだなあ・・・・
デビュー・アルバムの『eyes』っていうところの、「eyes」っていう曲をもらった時に、
"悲しい出来事さえ 力に変えるように 言葉にしないまま 胸にためているけれど"
っていう歌詞をもらった時に、
ああ、これ私の歌だ ! って、涙があふれて、レコーディングスタジオで何度も歌えなくなっちゃって、
「ちょっと待ってください」って言って、
洗面所に行って顔洗って、鼻かんで・・・っていうことをした覚えがあって、
ああ、こういう曲を私は歌いたかったんだ、っていうのにデビューの時から出会えていたっていうことは、
すごく幸せだったと思います。
なので、あの、"渡辺美里の世界"っていうのはこうあるべきだ、とかってことを思わないままに
そういう曲にこう・・・引っ張ってもらってったっていうのかな、
で、「My Revolution」に出会った時も、身体中にゾクゾクゾクッと、
言葉がまだ、歌詞がない状態で、メロディーが先だったんですけど、来た瞬間に"これ絶対歌いたい"って。
で、超・新人ながらも、この曲好き、とか、この歌うたいたい、とか、
あ、これはまた今度で結構です、みたいな(笑)ことを、なんか歌い手の勘みたいなもので、
これ絶対歌いたいです、これはこの次のアルバムに、みたいな感じで、
これもう少し練りませんか、みたいなこととかも言ってたし、言わせてもらえる環境もあったし、
プラス、当時のディレクターさん、プロデューサーさんもすごく才能があって、
私の知らない間に、その曲をもっとこう、熟成させるというか、いい形で、シングルらしくするとか、
もっとコンサートに映える曲にするみたいなことのやり取りを私に伝える前に、
聴かせる前にそういう作業をしてくれてた、それこそディレクションですよね、して下さってたみたいで、
だから・・・あの、とてもエネルギーに溢れた人たちと最初から出会ってやれたので、
渡辺美里の世界をこうしていくんだっていうのはやりながら、
もう、進んでいないと死ぬ(笑)、みたいな感じくらい(笑) ずっと泳ぎ続けている中で、
感覚をグーッと研ぎ澄ましながら、これ歌う ! これ歌わない ! っていうようなことをやってましたね、
今もそうですけど。
-- それは18の時からすでにセルフプロデュースが出来ていたということですよね。
「そんなカッコいい言葉知らなかったけど、3才の頃から性格が変わってないと、親には言われて(笑)
好きなものは好き、イヤなものはイヤ、っていう・・・(笑)」
-- ブレないですね(笑)。
「ブレない(笑)。3才の時からブレてないっていうのも珍しいかもしれない・・・(笑)」
-- 素晴らしい(笑)。
「それは、あの、18才の時から、あったかもしれませんね」
-- そのブレない信念というか、感受性のままっていうところが、
このいろんな名曲を生み続けている秘訣なのかもしれないですね。
えー、じゃあここで美里さんの名曲の中から、1曲お届けしたいと思います。
「はい。渡辺美里で「10 years」」
(2)へつづく
※1~2日後くらいにUPします !
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