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渡辺美里さんfanブログ。

■MISATO Live Records 1986(1) 【追記あり】

2013-04-14 22:41:30 | ライブ 1985-1990
いろいろな街で。
さまざまなコンサート・ホールで。
美里が行ってきたライブ・ツアーにスポットを当てます。

今回は1986年、初の本格的な全国ホール・ツアーを紹介。


◆ My Revolution / 19才の秘かな欲望 Concert Tour ◆

「My Revolution」ヒット後、2ndアルバム「Lovin' you」リリース前に行われた
初めての大規模な全国ホールツアー。
4/8札幌から6/28大阪まで18ヶ所19公演。

レコーディングにライブに、
その後美里の音楽に深く関わっていくことになるギタリスト・佐橋佳幸氏はこのツアーより参加。
初日の札幌から1週間後の渋谷公会堂までに
ギターの佐橋佳幸以外のメンバーを全て入れ替えるというハプニングも。

【メンバー・チェンジについて】
「リハーサルを充分やって、
4月8日の札幌からツアーをスタートしたんですけれど、
絶望的なくらいうまくいかなかった。
これはダメだってことで、
長い付き合いになるギタリストの佐橋くん以外全員チェンジしたんです。
10日後に渋谷公会堂が控えているというのに(笑)。
わたし、すごく甘く考えていたの。
バンドのメンバーはみんないい人だし、
演奏がヘタでも時間をかけて少しずつ成長していけばいいわっていう気持ちでいたんですね。
でも、それじゃいけないってことに気がついて、メンバーを入れ替えたんです。
傷つけた人も多かったかもしれないけれど、わたしと佐橋くんもとてもつらかった。
で、寝ないで連日リハーサルしてなんとか渋谷公会堂に間に合った」
(「ぴあmusic complex」1991年 7/17号)

■ 4/17, 18 渋谷公会堂
東京でのライブ・アピアランスはルイード以来半年ぶり。
2日分のチケットは約1時間でソールド・アウト。
「わたしはもうすぐデビューして1年になります。
あっという間にいろんなことがあって、
たくさんの人と、みんなとも出会うことができてうれしく思っています。
その反面、あまりにもめまぐるしくて。
自分を見失いたくないぞ、と思いながら、毎日自分のペースで
わたしの大事な大事な人たちといっしょにテクテク、テクテク歩いていきます。
どんなに、どんなに環境が変化したとしても、
わたしはきっと自分のペースでしっかりテクテクと足音をたてて、
足跡を残して歩いていきたいと思ってます。
そんな気持ちをうたった歌です。もうすぐ、みんなの手元に届くと思います」
(4/17渋谷公会堂「Teenage Walk」前のMC。「GB」1986年7月号)


【セットリスト】
※ツアーの標準的なセット・リストです。
(会場によって多少の変更あり)

01. eyes
02. Lazy Crazy Blueberry Pie
03. すべて君のため
04. I'm Free
05. 追いかけてRAINBOW
06. 悲しいボーイフレンド
07. Bye Bye Yesterday
08. Teenage Walk
09. 素敵になりたい
10. 19才の秘かな欲望
11. 嵐ヶ丘
12. Resistance
13. 死んでるみたいに生きたくない
14. My Revolution
15. GROWIN' UP
16. みつめていたい
《アンコール》
1. きみに会えて
2. 18才のライブ
3. Lovin' you


【ツアー日程】
1986
・04/08 札幌市民会館
・04/17 渋谷公会堂
・04/18 渋谷公会堂
・05/06 愛知勤労会館
・05/07 京都勤労会館
・05/09 神奈川県民ホール
・05/15 大宮市民会館
・05/16 宇都宮文化会館
・05/21 前橋市民文化会館
・05/26 熊本市民会館
・05/27 福岡市民会館
・05/28 長崎市平和会館
・05/31 仙台電力ホール
・06/04 千葉県文化会館
・06/12 新潟市公会堂
・06/21 岡山市民文化ホール
・06/22 広島郵便貯金ホール
・06/24 静岡市民文化会館
・06/28 大阪厚生年金会館

※ツアー中盤の5月20日には
EPICソニーのイベント「ダンス天国」(新宿ステレオ ホール)に参加。
佐野元春さんと「So Young」 をデュエットしました。
※このライブ映像を観たことがありますが、
美里はまだ二十歳になる前、佐野さんは30才になったばかり・・・
どちらもエネルギッシュすぎるくらい(笑)熱ーいライブでした。
(こういった他のアーティストとのコラボ、
観たいものが沢山ありますが商品化は難しいんでしょうね。。。)


**追記**
美里のマネージャー・関野氏より、
コメント欄に当時のエピソードをお寄せ頂きましたので
追記として転記させて頂きます。
この頃のめまぐるしい様子が伝わってきます。。。

「激動の1986年」
1986年のスケジュール手帳を見てみたら、何が書いてあるか分からないくらい
スケ-ジュール&メモ書きがいっぱい書いてありました。
毎週月曜TBSスーパーギャング生放送、
火曜日は白井貴子のANN2部生放送のコーナー担当、
水曜はMBSヤンタン生放送(毎週最終の飛行機で大阪入りしてました)
金曜はFM横浜ノーサイドステーション生放送、その間に隔週でFM福岡の収録、
それ以外にも音専誌、一般紙の取材などなど。
美里曰く「いつどこで寝ていたかまったく覚えてない」。
たしかに移動の新幹線、飛行機、タクシー乗ったらすぐに寝ていたかもしれません。
さらにLovin' youのレコーディング。
3月にはレコーディングで初の海外NYへ。
美里が尊敬している学校の先生が「十代で海を渡れ」と言ってたと、
美里も19歳で海を渡りました。
ちょうどBillboardのJAPANシングルチャートの1位が「My Revolution」で、
NYのスタッフに「君ってすごいんだね」なんて言われてました。
そんな1986年1月~3月でした。
そして4月からは初の全国ホールツアー
「My Revolution / 19才の秘かな欲望」がスタートしました。
当時はザ・ベストテンに出演したこともあり、
会場からホテルに向かう時やホテルから食事場へ向かう時など、
ファン?や暴走族がぞろぞろとついてきて大変なことに。
そんなこともあり私一人では対処仕切れないと、
アシスタントマネージャを付けてもらうことになりました。
その方は今でも活躍しているマネージャーさんで、
先日(2013年)のライジングで美里とも再会することができたんです。







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7 コメント

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“てくてく、一緒に歩いて行こうね”by 渡辺美里 (佐々木小次郎)
2013-04-16 23:22:52
今、先日購入した“Voice3”を見まくっておりますが、そのようなお話を知ると、感慨もひとしおになります。益々、美里さんを知る事が出来ます!そして、何よりも昔からの渡辺美里の熱いファンであるMakiさんを、とても羨ましく!思います~。また記事を楽しみにしております-。P.S.《Voice3》の“悲しいね”♪、めちゃ∞、イイすよぉ---(感涙)。
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>佐々木小次郎さん、 (Maki)
2013-04-21 14:13:40
こんにちは !

過去のライブに関する記事はちょっとずつUPしていければなー、と思ってます。
ライブDVDなんかとあわせて楽しんで頂ければ嬉しいです~。
※Voice3はそういえばあまり観てませんでした。。。
今度また改めて観てみます !

ではでは。
返信する
激動の1986年 (lalasekino)
2013-08-27 15:16:22
1986年のスケジュール手帳を見てみたら、何が書いてあるか分からないくらいスケ-ジュール&メモ書きがいっぱい書いてありました。毎週月曜TBSスーパーギャング生放送、火曜日は白井貴子のANN2部生放送のコーナー担当、水曜はMBSヤンタン生放送(毎週最終の飛行機で大阪入りしてました)金曜はFM横浜ノーサイドステーション生放送、その間に各週でFM福岡の収録、それ以外にも音専誌、一般紙の取材などなど。美里曰く「いつどこで寝ていたかまったく覚えてない」たしかに移動の新幹線、飛行機、タクシー乗ったらすぐに寝ていたかもしれません。さらにLvin'youのレコーディング。3月にはレコーディングで初の海外NYへ。美里が尊敬している学校の先生が「十代で海を渡れ」と言ってたと、美里も19歳で海を渡りました。ちょうどBillboardのJAPANシングルチャートの1位が「My revolution」で、NYのスタッフに「君ってすごいんだね」なんて言われてました。そんな1986年1月~3月でした。そして4月からは初の全国ホールツアー「My Revolution / 19才の秘かな欲望」がスタートしました。当時はザ・ベストテンに出演したこともあり、会場からホテルに向かう時やホテルから食事場へ向かう時など、ファン?や暴走族がぞろぞろとついてきて大変なことに。そんなこともあり私一人では対処仕切れないと、アシスタントマネージャを付けてもらうことになりました。その方は今でも活躍しているマネージャーさんで、先日(2013年)のライジングで美里とも再会することができたんです。
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>LaLaSekinoさま、 (Maki)
2013-08-27 23:35:11
こんばんは !
夏のイベント、一通り終了、お疲れ様でした。
(9月の北海道もまだありますが・・・)
お疲れのところ、またまたコメント頂戴しましてありがとうございます。

スケジュール帳・・・すべて取っておかれているのですね。
その中にも、しっかり関野さんと美里さんの歴史が刻まれているのですね~。
ざっと書き出して頂いただけでも、まさに怒濤の日々だったのが伝わってきます。
当時、まだ美里さんのファンではなかったので
わたしはこれらのラジオは聴いたことがないのですが
(スーパーギャングもノーサイドステーションも復活した方は聴いてました)
ずいぶん前に他界した母が、この頃のスーパーギャングを
たまに一人で聴いていたらしいです(笑)。

NYの記事はいくつかの雑誌で読みましたが、その中のどれかで
空港の証明写真を撮る機械で撮影された写真が印象に残っていたり。
「十代で海を渡れ」という学校の先生のお話も
雑誌とかラジオでよくお話しされていましたね。

ツアーは・・・メンバーチェンジとか大変だったろうなあ・・・と
これも雑誌の記事で読んで思っていましたが・・・
ステージを降りたところではそんな騒動まで。。。
(美里さんはアイドルなみに可愛らしかったから余計でしょうね・・・)
ここまで来たのは美里さんご本人の努力とか音楽への情熱はもちろんですけど、
関野さんやその当時のアシスタントマネージャーさんの努力もあってこそ、
だったのでしょうね。
その方と、ライジングで再会というのもまたセレンディピティー !
さすが美里さん&関野さん(笑)。
今回も素敵なエピソードをありがとうございました !


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Unknown (たにま)
2013-08-27 23:57:52
うわ~~私が小学校のとき、まだ「渡辺美里」という名前を知らなかったときのエピが満載★うれしいです~★

ずっと二人三脚でやってこられたんですね!このブログと関野さんのコメント、ずっと探してた宝物が見つかった、そんな気分で読んでいます。いつもありがとうございます。
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>たにまさん、 (Maki)
2013-08-28 20:35:18
こんばんは。

色々と貴重で、そして大事なエピソードを教えて頂き、
関野さんには感謝ですねー。
そして改めて、本当にずっと二人三脚でやってこられたんだなー、と
感動します。
私たちファンもまだまだ美里を追いかけていきましょー☆

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見に行きました (こけんた)
2019-08-19 16:01:53
札幌市民会館行きました
ツアー初日だったのですね

当時は高校生でした
マイレボリューションのヒット前にチケット購入して
10列目くらいだったと思います

懐かしいですね

年取った・・・
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