国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

偉人伝 石田礼助総裁物語 第11話 国鉄バス参入に対して、民間バス会社との攻防

2021-10-17 21:38:48 | 国鉄総裁

国鉄バスの実情をよく理解していた石田禮助総裁

石田禮介総裁の逸話は、色々ありますが、今回はハイウエイバスに関するお話しです。

国鉄では、名神高速道路開通に伴い、高速バスへの参入を認められたわけですが、この参入を認めるために、石田礼助総裁と磯崎副総裁による尽力が大変大きかったと言われています。

その背景には、石田禮助氏が監査委員長時代に国鉄バスとしての問題を把握していたことも大きいと言えそうです。
1962年7月号の 国鉄線という雑誌の座談会 石田監査委員長を囲んでと言う記事で、以下のような発言があったのですが、非常に興味深いことですので、一部抜粋してアップしたいと思います。

名神国道は国鉄全体の問題

前略 
石田 監査委員会の人たちと紀州に行って尾鷲から三五キロの山道を国鉄バスで通ったんですが、そのときに運転手の後で見ていて、実にうまいものだと思いましたね。なにも運転が上手ということでなく、実に細心の注意を払っているんです。ほんとうに敬意を表しました。聞いてみると開業以来一七、八年になるけれど一回も事故はないということでした。
わたしは帰って来てさっそく総裁に、こういうことがあるんだ、あなたの記憶にとどめておいて機会があったらほめてやらなければいけない、と言ったんです。
 国鉄自動車の営業面において今一番の問題はなにかというと、例の名神国道に乗入れることで、国鉄全体としても大きな問題です。これはぜひやらなければなない。ところが運輸省は許すかどうかはっきりしないんですね。それでわたしは自動車局長にいうんですよ。名神国道でおなじ条件で国鉄とほかの自動車会社が営業したら、どっちにお客さんが乗るかきいてみろ、必らず国鉄に乗るというに違いない。
それだったら、世論をバックにして運輸省に話したらどうかということです。
 先週、経団連の顧問会議がありましてね、その席上でこう言ったんです。名神高速道路ができるが、これができると国鉄にとって非常な脅威である。しかも東海道は国鉄の宝庫であるから、そこへ民間の自動車に乗り込まれることは、国鉄としてえらいことである。輸送量としては東海道路線の二割しかないそうだ、が、二割を取られることは国鉄の大問題だ。国鉄擁護のために国鉄自動車を走らせることがぜひ必要で、普通の電鉄会社も沿線にパスを経営しているのに、国鉄だけがいかんというのは変じゃないか、それよりお客さんはどっちの自動車に乗ることを希望するか、もし諸君だったらどっちに乗るか。これをきいたら、みな国鉄自動車に乗るというんですね。
 今度、国鉄は大きな事故(三河島事故)を起したけれども、それでも国鉄の安全性については非常な信用がある。自動車局は運輸省に対してこういう声があることを話すべきであって、運輸省がそれを蹴るとしたら相当の勇気がいるんですよ。

と発言をしてるわけですが、こうした発言が根底にあったからこそ、リップサービスに終わらずに、粘り強く交渉して、国鉄バスが名神高速で、自動車事業に参入できたと言えそうです。

国鉄バスは、以下に示すように元々は鉄道路線の先行や代行などが主であるため、山間僻地などを走る場合が多く、戦後はいち早く独立採算制が導入されて、収支係数も改善したものの黒字には至らないままでしたので、国鉄バスの高速バス参入は自動車局にして見れば悲願であったと言えそうです。

国鉄バスの使命とは・・・

  • 先行    鉄道敷設法に記された予定線などの鉄道路線を敷設する計画がある区間において、鉄道が完成するまでの暫定的な交通手段として国鉄バスを運行する形態を
  • 代行    先行線に似ているが、鉄道路線を敷設する計画がある区間において鉄道としての採算が見込めないことから鉄道の代わりとして運行するもの
  • 培養    旅客や貨物を集めることを目的に、鉄道駅から離れた町と鉄道駅を結んだもの
  • 短絡    鉄道利用では遠回りとなる2駅間にバス路線を設け、ルートの短絡を図ったもの
    国鉄バスの使命は、この四つが原則であったが、昭和34年の第31回国会、「参議院予算委員会 第15号 昭和34年3月20日」において、今後は都市間の中距離も鉄道の補助、補完のために自動車で経営していきたいということを考えております。
    と、十河総裁が発言しており、この頃から。新たな国鉄バスの使命として、以下の
  • 補完    国鉄の鉄道線の並行道路上の路線。あるいは鉄道と共に組み合わされて幹線交通網の一環を成すべき路線

    と言う概念が、取り入れられました。
    以下は、参議院予算委員会での当該部分を抜粋したものです。

参考:参議院予算委員会 第15号 昭和34年3月20日
中村(正雄)委員 国鉄は省営自動車を経営いたしておりますが、国鉄の省営自動車の路線の新設に対しまする基本的な一つの方針を伺いたいと思います。
説明員(十河総裁)線路建設に代行いたす場合、あるいは先行いたす場合、あるいは培養の場合もしくは短絡と申しまして短かく連絡のできるような、大体そういうことを主にして考えておりますが、最近には都市の膨張が非常に急激に進んで参りまして、同時にまた道路が相当よくなって参りましたから、都市間の中距離も鉄道の補助、補完のために自動車で経営していきたいということを考えております。
中村(正雄)委員今国鉄から発表になりました国鉄の経営いたします自動車の方針は、運輸省としてもこれを承認いたしておるのかどうか、運輸大臣にお聞きしたい。
国務大臣(永野護君) 承認いたしております。

中村正雄議員は、日本社会党の参議院議員で、元国鉄職員であったと記録が残されています。

国鉄総裁がトップセールスで、国鉄に高速バス参入の権利を獲得

そして、国鉄が数ある競願の中から、名神高速への高速バス参入を果たしたのは、石田禮助総裁と、磯崎叡副総裁のトップが積極的に動いた結果でした。

以下に簡単ですが、その概要を書かせていただくとともに、改めて詳細は別の機会にさせていいただきます。
日本初の高速道路、名神高速開通に向けて、(名古屋鉄道・阪急電鉄・京阪電気鉄道・近江鉄道を中心として、日本急行バス)が設立されますが、全国の高速道路上にバス網を展開するという、実質政府主導で行われたことから、バス事業者が加盟する日本乗合自動車協会【現在の日本バス協会】加盟バス会社も参加したとされています。日本急行バスは、高速道上のみの運行を行う会社として申請しており、高速のバスターミナル等で乗客は、地元のバス会社に乗り換えて貰うという考え方をとっていました。
これに対して、国鉄は高速道路を線路に見立てて、新たな路線として運転するというもので、昭和36年に申請し、同時に試作車も導入していました。
当時の資料が出てこないのですが、全体に丸みのあるスタイルで、その後の高速バスのスタイルとは異なるものでした。

国鉄線 昭和38年8月号から引用させていただきました。
バスは、昭和37年に試作された、いすゞBU20PA改の国鉄専用の形式のようです。
塗装は、赤色とクリーム色だったようです。
実際には、営業に供されることはなかったようですが、152km/hを記録したと記述されています。

さらに、名鉄・近鉄なども単独で名神高速道路への高速バスの参入を求めて、混戦状態となり国鉄を含めた11社が競合する形となりました。
当初は、日本急行バスに国鉄が出資する形で、「新日本急行バス」を提案されますが、国鉄側が拒否したことで紛糾し。最終的には、

最終的には、運輸審議会による聴聞が行われることとなり、民間バス事業者は、国鉄の高速バス事業は日本国有鉄道法に照らして、国鉄の業務外であるとして反論しますが、昭和34年3月の参議院予算委員会で、国鉄バスに関しては、「補完    国鉄の鉄道線の並行道路上の路線。あるいは鉄道と共に組み合わされて幹線交通網の一環を成すべき路線」を保有することを運輸大臣も前述の通り承認していることから、石田総裁と、磯崎総裁はそれを受けて以下の趣旨で反論したそうです。

  • 高速道路上のパス経営は日鉄法第三条の「鉄道事業に関連する自動車事業」の範囲内である。
  • 国鉄は国民の共有財産である。
  • 国鉄はバス事業を兼営して総合的な運輸業へ発展することが必要であり、現状のままでバスの鉄道に及ぼす影響を放置すれば大き
    な国民的負担を招来する。
    民業を圧迫するものではない。国鉄は独占を主張しているのではない。国鉄バスは税制面での有利さはあるが一方多大の赤字路
    線の経営を行なわねばならず、民営との競争条件でとくに有利であるわけではない。

以上の反論を石田礼助総裁はするのですが、ここから先が石田総裁の石田総裁たる堂々としたところであり、その部分は、昭和39年 9月号、国鉄線という冊子から引用させていただこうと思います。

以下、引用開始

こまで総裁は、あらかじめ提出された公述書通りの公述を行なって来たが、最後に、民間資本の圧迫という意見は一見耳に入りやすいが、つきつめれば営利追求に立った反対のための反対であると激しくきめつける。ここでそれまで大公聴会の雰囲気にのまれてか静粛を保っていた傍聴席から思わずという感じで拍手がわく。
続けて総裁は「国鉄は行政当局である運輸省の見解に従うべきで、さもなければ法治国家としての秩序が保たれないというような極端な意見を吐く人がいる。しかし別に運輸省だって神様でないんだ。時には誤ることもある」と、ずばり。
ここでまた傍聴席から爆笑と拍手。列席していた運輸省幹部も思わず苦笑。
「誤った時には堂々と正しきことを主張するのが物の道理というものだ。それが国鉄の管理者たるわれわれの責任であり義務であると堅く信ずる」
との結びに会場はしんとなって最後に激しい拍手でクライマックスに達する。

とあるように、最後は石田総裁らしい発言で締めているのが理解いただけると思います。答弁内容は副総裁であった磯崎氏が中心になってまとめたものでしょうが、最後のこうした発言を、審議会の前で堂々と言えるのは、石田氏だけではなかったでしょうか。

国鉄は国民の財産であり、民業圧迫というのはいわば、「営利追求に立った反対のための反対であると激しくきめつける。」

まぁ、多少強引とも取れますが、こうした発言があればこそ、国鉄バスが、高速道路に参入できたわけで、現在のドリーム号に限らず、多くの高速バスをJRが運用できるその礎を気付いた第一歩であったと言えます。

実際には、中国道の開通で津山まで高速バスを補完という名目で走らせたところ、在来ローカル線よりも速くて快適ということで、肝心の姫新・因美線の急行が廃止に追い込まれるなどの逆転現象が生じてしまいました。

最終的には、国鉄バス並びに、日本高速自動車(近鉄が主導)、日本急行バス(最終的に名鉄が主導)に免許が交付されることとなりました。

偉人伝 石田礼助総裁物語 第11話 この人がいたから、JRバスは実現した?国鉄と高速バス参入に関する運輸省との攻防

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