国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

第5代国鉄総裁 石田礼助とは 第5話

2021-05-22 21:51:24 | 国鉄総裁

引き続き、石田礼助総裁のお話をさせていただこうと思います。

今回は、少し毛色を変えて、国鉄部内紙、「国有鉄道」の昭和38年7月号に掲載されていた、国鉄総裁就任の挨拶からを全文引用した上で私見を述べてみたいと思います。

石田禮助氏は、昭和38年5月、十河総裁の後任と言うことで、第5代国鉄総裁に就任することとなりました。

国有鉄道と言う国鉄職員向けの部内紙の冊子で、下記のように、「仕事に誇りを持って」という表題で、職員向けに挨拶がなされていました。
著作権の問題もありますが、敢えて全文掲載させていただきます。

国鉄職員に向けて、就任の挨拶

仕事に誇りをもって

総裁 石田 禮助


十河前総裁は任期八年間にわたって実に大きな業績を残された。戦中戦後の酷使によって疲弊にあえいでいた国鉄が、よく今日にまで立ち直り得たのは、職員諸君の健闘のあったことはもちろんであるが、十河前総裁の国鉄を愛する、いや国を思うひたむきな情熱と努力に負うところ、まことに大きいものがあると思う。

今般十河さんの後を受けて私が国鉄のかじを取ることになったが、私は幸い過去6年間、国鉄監査委員会の委員長として国鉄を横から見てきたことでもあり、 国鉄についての若干の知識と愛情をもっているつもりである。
思うに国鉄の仕事は輸送のサービスである。1年に50数億人の生命と2億トンの国民の財産を預かり、その信頼を受けて文化と経済の発展に尽す。
私が半生を送った物産会社では、いわば欲得の仕事をしてきたわけだが、国鉄のように国民のためにサービスを提供するということは、まことに尊い仕事である。

ご承知のように、いま国鉄は、あらゆる面からみて重大な転機にさしかかっているが、私は、国民のために是非ともかじを取り誤まることなく、健全な鉄道づくりに精根を傾けたいと思う。職員諸君も、単に人や物を運搬する仕事をしているということではなく、仕事に誇りを持ってやっていただきたいと思う。

しかし、国鉄のサービスの根本は、何と言っても十分なる輸送力を持つことだと思う。
今の状態は、十分にこれを果しているとは思えない。もちろんこのためには、複線化や車両の増備等にばく大な投資を必要とする。
この意味で、現在進めている東海道新幹線を含めた第2次5箇年計画は絶対にやり遂げなければならないものと思う。 
最近新幹線工事の予算不足が明らかになり、大きな問題になっているが、これについても政府、国会のご支援を得てすみやかに善後措置を講じ、所期の計画の達成に努めたい。第2次5箇年計画の完成によって、国鉄はサービスの面にも、経営の面にも生気と希望をとりもどすことができ、これによる職員の士気の高揚は必ずや大きいものがあると確信している。
32年以来推進している第1次・第2次5箇年計画によって、国鉄は、計画以前に比べ表面的には顕著な立直りをみせつつあることは事実だが、先般の諮問委員 会の答申にもあるように、掘り下げてみると公共企業体として運営していく上において、財政上、制度上まだまだ多くの病根を抱えており、経営改善の途はなおけわしいものがある。
私はこれらの問題に順次検討を加え、可能なものから解決していきたいと思っている。しかし、これらはいずれにせよ、諸君の真なる協力があってはじめてできることと思うので、是非ともよろしくお願いしたい。

石田礼助総裁の心には、監査委員長を2期6年務めて来たことで得た素直な気持ちであったでしょう、

特に、「国鉄のように国民のためにサービスを提供するということは、まことに尊い仕事である」という言葉は、純粋に国鉄という公共サービス(パブリック・サービス)であると自ら信じていたからに他なりません。
また、石田総裁は、国会議員に対しても権力と戦うという気持ちはさらさら持っていませんでした。

国会議員は、代議士と言われるように国民の代表であり、公益の代表者であるという考え方であり、むしろ同士であると考えていたのでした。

それは、国会議員に対して、「諸君にも責任がある」と言った発言は、一緒になって改めるべきは改めていこうと言うことで、国会議員の責任を詰めると言ったつもりではなく、公益の代表者同士話し合おうではないかという意識から来たものでした。
公務員をしていると、どうしても政治家に支配される・・・と言うか、組織的にはそうならざるを得ないところがあるだけに、それに対してこれだけはっきりいてくれるだけでも、国鉄職員の多くも救われたと思われます。

破天荒な国鉄総裁

総裁に就任した、硬直した国鉄の組織を少しでも風通しが良いものにしようとしました。

その特徴的なことの一つに、総裁室のドアをオープンにしたことでした。

「誰でも、自由に、いつでも入りたまえ」

秘書を通さず、立ち会わせず誰とでも会うスタイルを作ったのでした。
私も、郵政局で仕事をしたことがありますが、どこでもトップの部屋は厳重に秘書課が固めているというのが一般的であり、郵便局などでも局長室のドアは常に固く閉ざされていると言うのが一般的でした。
私の知る限りでは、研修所で女性所長が就任したとき、慣例を破ってドアをオープンにして、自由に入れるようにしていた時期がありましたが極めて例外中の例外でした。p>

他にも、監査委員長時代から、ノン・キャリア組の抜擢を進言しており、実際に総裁に就任してからは、大学卒ではない人材を本社の広報部長(局長級)に抜擢したり、局長たちから成る会議のメンバーに加えるなどの人事を図ったそうです。

その後、昭和39年6月30日をもって閉山した志免鉱業所【昭和39年7月1日からは、志免炭鉱整理事務所】の所長を抜擢する人事を行うのですが、この辺は次回にアップさせていただこうと思います。

続く

 

 

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