国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

国鉄形車両、トリビアな話

2022-12-03 14:06:21 | 国鉄思いで夜話

第1話 スニ40とスユ44の違いは?

国鉄時代に製造された、荷物車にワキ10000をベースとした車両で、1968(昭和43)年から製造されたスニ40を基本に製造された車両でした。

写真は、wikipediaから引用した、スユ44の写真、そして、もう1枚下の写真が同じくwikipediaから参照したスニ40

 

spaceaero2 - 投稿者自身による著作物 岡山駅, CC 表示 3.0, リンクによる 画像wikipedia スユ44

spaceaero2 - 投稿者自身による著作物 大阪駅, CC 表示 3.0, リンクによる 画像wikipedia スニ40

いかがでしょうか?

スニ40とスユ44の違い判別できるでしょうか?

スユ44には「荷物」表記のところに「郵便」と言う表記が入る程度で、ドア上部にも「」マークが入っているだけで、殆ど差異は認められないわけですが、それもそのはずで所有が郵政省か国鉄かの違いだけであり、全く共通仕様となっていました。

当時の資料を参照しますと、昭和46年から製造されたのですが、東北線用として4両が新製されたそうで、郵政省所有であると明記している反面将来共通運用することも想定されておりその場合は郵便マークを裏返すことで国鉄の荷物車として扱う事とすると書かれています。

東北線の郵便輸送のため、車輪付ボックスパレット専用の郵便客車スユ 44 が 4両新製された。これはスニ 40 と全く同形式の車両であるが、郵政省の所有であるため、側引戸に「〒」マークが取付けられている。将来、スニ40 との共通運用を考慮、 して、 「 〒 」マークは差し込み式となっており、荷物車として運用する場合は、マークを裏向けにする。

引用終わり 出典:交通技術 1972-10b 記事を参照するには登録が必要です。(登録無料)

と書かれており、スニ40とスユ44は全く同一であることが判ります。

第2話 オユ11の話し

郵政省所有の郵便車には、スユ44のような締切便や車内で扱いをしない護送便、更には車内で区分を行う取扱便がありました。

主に速達などが取扱便として消印をされていたようで、郵便車にもポストがあって直接投函できるようになっていたとか・・・。

さて、そんな郵便車ですが郵便車と荷物車の合造車に関しては国鉄が所有して郵政省に使わせる形でしたが、郵便車1両まるごとの場合は郵政省の私有車としての扱いになっており1957(昭和32)年から製造されたオユ11の増備車として、1971(昭和46)年にはオユ11 100番台が5両だけ新製冷房車として製造されています。

冷房装置搭載に際しては、配電板のスペースを確保するため、区分棚を軽合金製とし、木製区分棚との板厚の差で、冷暖房配電盤のスベースを生み出したと書かれています。
なお、冷房装置は区分室に二基。郵袋室(連結面寄りの前後)に各1台設置されています。

詳細は前述の交通技術昭和47年増刊号に記載されていましたので、引用させていただきます。

オユ11が 5 両新製されたが、郵便客車としてはじめて冷房化され、郵便区分室に 2 台、郵袋室に各1台の AU13 形冷房装置が備えられている。また、冷房用電源装置を利用して、電気暖房も可能である。冷房化したため、冷暖房配電盤が設けられたが、従来通りの郵袋室容積を確保するため、区分棚を軽合金製とし、木製区分棚との板厚の差で、冷暖房配電盤のスベースを生み出している。
同時に区分室 ・ 休憩室はできるだけ不燃性材料を使用して、難燃化をはかつている。また、休憩室には電気冷水器 ・ 車掌弁を設けた。

引用終わり 出典:交通技術 1972-10b 記事を参照するには登録が必要です。(登録無料)

さらに、オユ11 0番台もも引き続き冷房改造が図られることとなります。
郵政省の車両は職場環境の改善と言うことで比較的早い時期から冷房化などが進みますが、荷物車は冷房化されることはなくより重労働であろう荷物列車の方が過酷な環境というのもちょっとなんだかなぁと思ってしまいます。

お詫び:オユ14は。昭和47年から製造開始でした、昭和46年製造はオユ11-101~105でした。訂正の上お詫び申し上げます。

オユ11-100番代の写真がなかったので、削除させていただきました。

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特殊列車の話し

2022-10-06 22:59:52 | 国鉄思いで夜話

昭和27年~昭和30年頃までの時刻表を見ますと、特殊列車という名称の列車を時刻表で見ることが出来ます。

古い時刻表をご覧いただきましょう

以下の画像は交通案内社という会社が発行していたポケット時刻表の昭和28年8月号の時刻表をスキャンしたものです。

今から69年前の本ですのでかなり劣化が激しくて・・・ちょっと扱いには慎重にならざるを得ません。

まぁ、それはさておき。
この時刻表をご覧いただきますと、佐世保・急行と書かれています。
京都からの時刻を記載しているのですが、東京を前日の20:15に出発、大阪には7:23 終着佐世保には23:59ですので、28時間近くかかる列車でした。

さて、ここで注目していただきたいのが、中段に書かれた、特殊列車1・2等と言う文字です。
当時は3等級制でしたので、1等は現在で言えばグランクラス。2等がグリーン車と言ったところでしょうか。
当時も十分な輸送力があったとは思えない時代ですが、それでも1・2等だけの急行列車というのも中々です。
また、列車番号1000番台というのも何か曰くがありそうです。

特殊列車ってなに?

特殊列車というのは、昭和40年代では、主として貨物主体の旅客混合列車などに使われる名称なのですが、ここで出てくる特殊列車は、占領時代に運転された進駐軍専用列車のなれの果てであり、講和条約後も運転された列車の名称です。

当時の時刻表を参照しますと、「空席がある場合は日本人も乗車可」という条件付きで乗車が可能という代物でしたが、実際にはさほどの利用はなかったようです。

さて、ここで列車の話をしてもよいのですが、詳細は

弊ブログ 昭和30年代の時刻表から 特殊列車と呼ばれた列車たち 

に詳しく述べていますので割愛させていただきます。

今回は、国鉄と進駐軍の間で交わされた、講和条約以後の進駐軍専用列車の扱いに関するお話をさせていただこうと思います。

講和条約発効

サンフランシスコ平和条約(日本国との平和条約)は、昭和26年9月8日に締結され、昭和27年4月28日に発効し、日本は国際的には独立を取り戻すこととなりますが、その後も日本にはソ連の脅威を感じたアメリカは、日本を太平洋への橋頭堡とすべく、引き続き米軍が駐留することを認める安全保障条約[旧安全保障条約]も同時に締結することとなりました。

講和に関しては、全面講和か部分講和かで議論がわかれ、世論を2分することとなりましたが、吉田全権により講和条約は部分講和(ソ連・中国とは講和しない)という形で決着、日本は国際上は独立を図ることとなり、この時点での全面講和か部分講和かで世論は割れることとなりました。

この辺は鉄道の話題とは異なるので、軽く流すとしますが、当初政府は昭和27年4月1日から講和条約は発効するものと思われていましたが、実際の講和は条約発効は4月28日と、約1か月ほど遅れる結果となりました。

国鉄でも4月1日からの講和条約発効をうけての調整が行われることとなり、それまでの占領軍輸送と言う位置づけから駐留軍輸送へとその形態を変更する事が協議されることとなりました。

占領軍輸送から駐留軍輸送へ

その主なものは、占領軍輸送(借り上げ輸送)⇒駐留軍輸送(運送約款に基づく有償輸送)が一番大きな変更点でした。
それまでの占領軍列車と言えば、最上位に位置する列車でした。

占領軍は、国鉄の運送約款ではなく、一日いくら、1㎞あたりいくらという賃率を組み合わせたもので、進駐軍の命令は無制限に受入こととされいたわけですから、かなり無茶苦茶と言えそうです。

連合軍列車>急行列車>普通列車>貨物列車

特急列車運転開始に際して国鉄当局側の交渉で、
特急列車>連合軍列車>急行列車>普通列車>貨物列車

の序列が認められることになるわけですが。

参考:弊blog  特急つばめガールは、GHQの置き土産? - 国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

にも書かれていますが、今度はこの序列が以下のように変更されるわけです。

特急列車>急行列車・(駐留軍列車)>普通列車>貨物列車・(駐留軍貨物列車)

ということで、進駐軍専用列車も一般の急行列車と同じ扱いとなったのでした、他には専用列車時代は軍関係者だけでなく、軍人家族や商用等で来日している外国人も専用列車に無償で乗車できたのですが、これもなくなり基本的には、有償となることになります。(実際には、輸送原価のみが支払われるもので、1ロ1車と1日いくらという料金との併算算したものであったそうで、占領軍の輸送は無制限に受け入れることとされていました。

当時の資料を参照しますといくつか、興味深い当時の記事がありますので、そこから随時抜粋してみたいと思います。

占領軍専用列車に国鉄が関与することになるのは、昭和27年3月24日から

資料を参照しますと、国鉄部内紙の「国有鉄道」昭和27年5月号に詳細に書かれているのですが、講和条約の行われた昭和26年9月10日に、国鉄からGHQ総司令部及び輸送司令部に対して、出来るだけ速やかに差別的扱いを止めていただきたいこと、更に講和条約発効後は、輸送に関しては国鉄の運送約款に基づく一般的な運輸方法であることを求めたとしています。

当時のGHQによる国民に対する対応はかなり厳しいものであったことが以下の記述からも読み取れます。
当該部分を、国有鉄道 昭和27年5月号から引用します。

国民の与望に答えて出来るだけ外観上の差別取扱を早い期間に解消して円滑に発効をむかえたい旨、又発効後における取扱は、原則として一般運輸の方法に依りたい旨を詳細に具して要請した。これに対して先方でも出来るだけ英の趣旨に協力しようと云うととで標識の撤去だの、駅にある軍用の柵を除くことだのロープをはずす事等を実施し、次いで順を追って電車の専用車の解除返還、RTOの縮小などを行って来た。

今年の二月ラスク大使が特使として来日して行政協定の交渉を始めるに及んで、鉄道輸送についても講和発効と同時に従来の取扱を改めてこれから述べる様な形にしようと云う話になってず』料金だの取扱だのについて色々折衝を始め、三月中旬頃にほぼ原則的な点で意見の一致を見るに至った。

とありますように、講和条約の締結以降順次、発効に向けて解消されていったことが窺えます。

さらに、本題の特殊列車に関しては同じく国鉄部内紙、国鉄線に、もう少し詳しく書かれているようです。

元進駐軍専用列車、車掌も国鉄職員が乗務することに

この記事を参照しますと、それまでの進駐軍専用列車では、原則的に国鉄職員がこの列車に乗務するのは運転車掌[後方の確認業務]のみで、車内はMRSのコンダクターと呼ばれる人が乗務していたようですが、コンダクターに代えて客車専務車掌・荷扱専務車掌が乗務することとなるとして、その扱いをどうするのかということが記述されていますが。

最初の2週間ほどは引き継ぎを兼ねて乗務するが、基本的には国鉄の車掌に列車の常務に関する権限と責任がある子が明記された他、この列車の特殊性に鑑み、車掌の選定にあたっては特に本庁で以下の条件を元に決定したと書かれています。

  • 英語会話能力よりも勤務成績優秀な列車乗務員であること

理由

  • 国有鉄道のコンダクターとして、旅客の制度及び取扱面、輸送の面、更に車内秩序の適切な保持を行いえる能力といったような面が 、一般の国内列車以上に必要になってくること
  • 英会話は、車掌と外人旅客との間に必要な範囲は極めて局限されたものであり、僅かな会話能力でも、問題を円滑に処理し得るであろうと考えること

この二点から判断したとされています。

最後に、当時の特殊列車の車掌の受持は以下の通りです。

  • 1001・1002列車 東京~大阪   大阪車掌区
  •            大阪~佐世保  門司車掌区
  • 1005・1006列車 東京~大阪   東京車掌区
  •            大阪~佐世保  下関車掌区
  • 1201・1202列車 横浜~青森   上野車掌区
  •            函館~札幌    札幌車掌区

となっていたそうです。

こうした経緯を経て誕生した特殊列車ですが、昭和29年の改正で1001・1002列車は西海、1005・1006列車は早鞆、1201・1202列車は十和田(上野~青森)・洞爺(函館~札幌)という愛称が付けられますが、昭和31年の改正ではこれらの列車は一般の列車扱いとなり列車番号も変更される事となりました。

 

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国鉄が行った、こんな割引、あんな割引

2021-11-27 12:28:47 | 国鉄思いで夜話

現在身障者割引や学割と呼ばれるものがありますが、国鉄時代の割引を調べてみますと以下のような割引があったようです。

  • 定期割引関係
    • 通勤定期割引
    • 通学定期
  • 学生旅客運賃割引(学割)
  • 身体障害者者割引
  • 戦没者家族割引
  • 被救護者割引
  • 戦傷病者割引(唯一国鉄が負担することがない割引)
  • 勤労者割引(昭和41年10月追加)

 

定期運賃割引とは、?割引の割引率は、50%までだが

  • 定期割引関係

定期運賃の割引は、法律第百十二号(昭二三・七・七) 

国有鉄道運賃法に以下のように定められています。

第五条 定期旅客運賃は、左の各号の規定に従い、運輸大臣がこれを定める。

 一 通用期間一箇月又は三箇月の定期旅客運賃は、普通旅客運賃の百分の五十に相当する額をこえることができない。

 二 通用期間六箇月の定期旅客運賃は、普通旅客運賃の百分の四十に相当する額をこえることができない。

となっており、、定期運賃は一ヶ月、三ヶ月運賃割引は50%六ヶ月定期運賃は60%迄の割引とされていますが、実際には、政策的な面から、通勤定期で最高83%引、学生にあっては実に92%引きになっており、この超過分が国鉄による独自の負担分と言うことになります。

昭和三三年の実績で、その負担額は年間約308億円もの高額に上ります

なお、定期運賃の割引率は、その後随時改定されており、法定運賃にプラスして、右記のように、中学にあっては更に30%を付加した割引、高等学校等にあっては、更に10%を付加した割引となっています。

ただし、国鉄としては赤字財政であることから、こうした割引に対して、更なる割引等を求める場合は、財政の支援を求めるとされていましたが、残念ながら積極的な財政支援は行われなかったようです。

学割とはこんな割引

  • 学生旅客運賃割引(学割)

学生割引は、戦前から行われている割引制度で、学生の帰省旅行の援助策として制定されたもので、戦前は二割引でしたが、戦後は昭和23年(1948)に大幅値上げの際に考慮されて50%割引となったそうです。
その後は20%割引に変更されていますが、負担額は昭和33年(1958)で、約28億円にもなっていました。昭和34年(1959)10月から制度が改められ、101km以上であれば全区間に渡って割り引いていたものを、101km以上の区間のみ割り引くこととに計算方法が変更されたと書かれています。これにより8億円ほど負担が減るとしていましたが、学生割引証の発行枚数を増やしたので、全体では変わらないとも言われています。



身体障がい者割引とはこんな割引

  • 身体障害者者割引

身体障がい者割引は、定期割引の規定が準用され、昭和34年国鉄線という記事を参照しますと、第一種障がい(概ね一級~三級)までは、国鉄運賃法第五条に基づき割引、第二種障がい(4級以下)は国鉄の独自の施策として運賃五割引を行うとしています。
(個々の障がい等級は別個に確認してください)

歴史的な流れを見ていきますと、厚生省(旧名称・現在の厚生労働省)が、昭和27年(1952)4月4日社乙発第七一号本職通知「身体障害者に対する日本国有鉄道等の旅客運賃の割引について」周知され、身体障害者旅客運賃割引規則(昭和27年4月8日国鉄公示第一二一号)により、具体的な取扱が定められ、現在JR各社並びに私鉄も、身体障害者旅客運賃割引規則に則り、その割引が行われています。



参考:障害等級表

戦没者遺族割引は割引とはこんな割引

  • 戦没者家族割引

戦没者割引とは、靖国神社に新たに合祀される、旧軍人軍属の戦没者の遺族が参拝のため日本国有鉄道の鉄道及び連絡船に乗車船する場合、運賃割引等の措置を講ずるよう要望するというもので、

第15回国会 衆議院運輸委員会 第26号 昭和28(1953)年3月13日に、決定の経緯が記録されています。

戦没者遺族の国鉄運賃割引に関する件

として動議がかけられたもので、影の運輸大臣と揶揄された自民党所属党人派議員の關谷勝利議員で運輸族の一人です。

概要は、当時の新聞に「靖国神社参拝者に対して、国鉄が運賃の五割引をすると意思があると言う記事が出ていたので確認すると、国鉄でもその意思があるとして、これを運輸委員会の決議としたいとして、委員会に諮ったものです。

ということで、新たに合祀される旧軍人軍属の戦没者の遺族が参拝のため日本国有鉄道の鉄道及び連絡船に乗車船する場合、その乗車船に対しては日本国有鉄道においてさしあたり運賃割引等の措置を講ずるよう要望する。としています。

この動議に対して、特段反対はなく、運輸省の鉄道監督局長(植田純一)氏が下記のように答弁しています。

同じくこの割引をするのでありますならば、そういうふうな時期的に適切に間に合うようにしなければならないと存じまするので、この委員会において、これが早急に実現いたしまするように要望書を提出いたしたいと思つて、動議を提出いたします。

○植田政府委員 日本国有鉄道といたしましても、国民全般の輿論に基きますこういう方々の輸送について、昭和28年度(1952)におきましては、五割引(50%引き)で輸送するということになりましたような次第。実施時期は、極力早く実施するようにいたしたいとと回答しており、国鉄当局に対しましても決議の趣旨を十分伝え督励すると回答しています。
この割引が、翌年度以降も行われたか否かは不明ですが、昭和34年にもこの
割引が出ていますので、継続はしていたものと思われます。

参考:議事録該当部分の全文は、「第15回国会衆議院運輸委員会 第26号 昭和28年3月13日」を参照

戦傷病者等割引とはこんな割引

  • 戦傷病者割引(唯一国鉄が負担することがない割引)

 

この割引は、唯一、国鉄による負担がなかった割引で、戦傷病者等が鉄道を利用する場合、無償でその利用を認めるとしたものです。

日本国有鉄道無賃乗車に関する法律

この法律は、以下の趣旨にあるように、旧軍人軍属たる戦傷病者の援護として、増加恩給、傷痍年金または傷病賜金を支給されている旧軍人、旧軍属等で、障がいを有する者及び政令で定める介護者が、日本国有鉄道の鉄道及び連絡船を使用するとき、政令で定める回数、等級、区間に限り、運賃を支払わないで乗車または乗船することができるとしたもので、国が鉄道及び連絡船の運賃に相当する金額を負担するもので、昭和31(1956)年4月1日から施行され、ました。なお、この法律は、戦傷病者特別援護法制定昭和38(1963)年8月3日法律第168号に制定されたことから、現在は廃止されています。

この割引は、無賃乗車に関するもので唯一、政府から補償を受けているもので。現在も、戦傷病者特別援護法第九条で、JRに引き継がれ。 「鉄道及び連絡船への乗車及び乗船についての無賃取扱い」として規定されています。

参考:戦傷病者等の日本国有鉄道無賃乗車等に関する法律

被救護者割引とはこんな割引

  • 被救護者割引

被救護者割引は、生活困窮者が施設等に移動する場合に、国鉄の定める旅客運賃割引証をもって、その取扱をすることとなっているもので、運賃が50%割引となるものでした。
 制度としては、昭和33年(1958)に改正され、救護施設からの証明書印が要るといった内容に変更になったようですが、こうした切符の偽造(救護者割引の印を消して金額も改ざんして正規運賃に書き直し、その差額を掠めると言った詐欺が横行していたという記述もあります。)
 元々生活困窮者が、施設等に移動するに際して、被救護者施設の代表者が被救護者旅客運賃割引証を発行する際に、に区間等を指定して発行される切符でした。
 普通車のみ利用可能で列車種別の指定はありませんが、特急・急行料金は割引の対象外ですので自ずと普通列車のみの利用となります。

さらに、こんな割引も・・・勤労者割引

  • 勤労者割引(昭和41年10月追加)

学割とは別に、勤労者割引なるものがあった。

学生には割引があって、勤労青年には割引がないのは不公平ではないかと言うことで、昭和41年7月15日から以下のような制度が設けらました。
当時は、大学進学率が20%程度であり、中学卒業後集団就職などで東京・大阪・名古屋などに約100本の集団就職列車が運転されていた時代。
大学は、経済的に恵まれた人だけが進学できた時代であり、学生には学割がある反面。勤労青少年にはそうした割引がなく、帰郷するための費用負担を少しでも軽くしようと言うことで、行われた施策であり、国鉄の負担も少ないものではありませんでした。

手続きは面倒と言う声もあったが

この割引では、事業者が事前に申請するなど、手続きが煩雑で、面倒という声がありましたが、普通車(当時は二等)の運賃が二割引と言うことで、学割と同じ割引が適用されることとなりました。

国鉄線 昭和41年8月号から引用

この記事を見ていますと、この割引のおかげで、5年ぶりに帰省できるという声もあるなど、国鉄にとっては救われることだろうと締めくくられています。
なお、この制度の提唱も私の記憶に間違いが無ければ、田中角栄の発言からだったと記憶しています。

ちなみに、この勤労青少年旅客運賃割引規程は、2003年まで存続していたようですが、交通手段の多様化等により、利用実績もごく僅かとなり、所期の使命を終えました。。
「勤労青少年旅客運賃割引制度」の廃止について

よろしければお願いします、資料の購入費用に充てさせていただきます。 https://ofuse.me/blackcat0610

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鉄道歴史探求シリーズ!知鉄話 鉄道公安官の歴史 公安官の制服の話

2021-08-15 11:20:41 | 国鉄思いで夜話

鉄道歴史探求シリーズ!知鉄話 鉄道公安官の歴史 公安官の制服の話

今回も鉄道公安官に関するお話し、第3回目になります。
今回は、公安官の制服並びに装備品に関するお話しが中心になります。
警察官のけん銃は、多岐にわたっていましたが公安官のけん銃は1種類のみ、基本は携帯せずに雑踏警備などに当たっていたそうです。
それでも、年何回かは射撃の訓練もあって、私が和歌山県警に在職していた頃には、時々鉄道公安官による射撃訓練が行われていたと聞いたことがあります。

他にも鉄道公安官の胸章と警察官の階級章についてもお話をしています。
是非ご覧ください。

 

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え?まさかの大駅だった和歌山駅(現・紀和駅の話)

2021-08-14 10:40:21 | 国鉄思いで夜話

え?まさかの大駅だった和歌山駅(現・紀和駅の話)

本日は高架線にぽつんとある小さな駅ですが、かつては東は紀伊中ノ島駅まで、西は駅舎から300m先まで延々と続く広大な構内が広がっていた大駅でした。
戦後はGHQのRTOの事務所も置かれていた拠点駅でしたが、和歌山市駅や東和歌山駅(現在の和歌山駅)と比べると乗降人員が極端に少なく、和歌山市の都市計画でも東和歌山を和歌山の新しいターミナルにすると言う計画がなされ、和歌山駅(紀和駅)は縮小されることとなりました。
 

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知ってた?常磐線用にEF80形以外に、ED80形が計画されていた話

2021-08-12 23:48:18 | 国鉄思いで夜話

知ってた?常磐線用にEF80形以外に、ED80形が計画されていた話

国鉄では、常磐線用の機関車としてEF80形を量産しますが、実はEF80形以外に、ED80形が当初は計画され、EF80形は貨物用、EF80形は旅客用として計画されたそうです。
結果的に、将来的に客車列車が電車化されるとED80は使い勝手が悪いので、EF80形にMG搭載車を旅客用として、MG非搭載の車両を貨物用とすることとなり、特に番台区分等はしませんでした。
これにより1次形として50両が一気に誕生することとなりました。
なお、EF80製造に当たって、モーターと駆動方法についても検討された結果、ED46(92)で採用した2軸1モーターで駆動する方式が採用されたそうです。
1次形は台車は特殊心皿方式でしたが、2次形では引張棒方式(ボルスタアンカー)に変更となりました。

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グリーン車のお話し 第6話 今回は急行用グリーン車のお話しを中心に

2021-08-07 06:37:53 | 国鉄思いで夜話

グリーン車のお話し 第6話 今回は急行用グリーン車のお話しを中心に

今回は、サロ165を中心に急行形グリーン車のお話しをさせていただきました。
サロ152~サロ455までのお話しです。

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国鉄時代よもやま話 今回は紀勢本線を走った、はやたま号の話

2021-08-02 07:54:24 | 国鉄思いで夜話

国鉄時代よもやま話 今回は紀勢本線を走った、はやたま号の話

今回は、紀勢本線を走った、夜行列車「はやたま」を取り上げてみたいと思います。 天王寺駅には今でも、遺構が残っています。 紀勢本線の夜行列車、はやたま号のお話し、しばしお楽しみください。

 

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知ってた?グリーン車のお話し 客車列車時代の一等車【特別2等車の話】

2021-07-24 13:29:46 | 国鉄思いで夜話

知ってた?グリーン車のお話し 客車列車時代の一等車【特別2等車の話】

現在のグリーン車の基礎となった車両は、スロ54という車両ですが、どのような経緯で誕生したのでしょうか。 客車グリーン車【当時の名称であれば一等車】の解説を時系列で車両ごとに概要を解説させていただきました。
 

 

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鉄道歴史探求シリーズ!知鉄話 鉄道公安官の歴史

2021-07-22 14:35:28 | 国鉄思いで夜話

鉄道歴史探求シリーズ!知鉄話 鉄道公安官の歴史

鉄道技術解説シリーズに加えて、鉄道歴史探求シリーズ!スタートです。
今回から、鉄道公安官の歴史のお話をさせていただきます。
ビジュアル中心の動画ではありませんので、面白みは無いかもしれませんが、社会歴史を知る上での参考になります。

興味を持っていただければ幸いです。
公安官に関しては、三回程度に分けてアップさせていただく予定です。

 

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交流電化のお話、交流機関車事始め

2021-07-21 22:06:55 | 国鉄思いで夜話

交流電化のお話、交流機関車事始め

日本における交流電化は、仙山線で始まりましたが、本命は直接式でした、しかし、実験の結果その軍配は間接式に上がりました。 その理由は、間接式は重く複雑になると言うデメリット以上のメリットが有ったからなのです。 その辺、詳細をアップさせていただきました。
 

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南海電車と南紀観光 第2話、気動車が国鉄に乗入れた頃 誕生秘話

2021-07-18 07:38:43 | 国鉄思いで夜話

南海電車と南紀観光 第2話、気動車が国鉄に乗入れた頃 誕生秘話

今回は、南海電車と南紀観光の第2話と言うことで、国鉄のキハ55の南海版、キハ5501・キハ5551のお話を中心にさせていただきます。
キハ5501・5551ともに、今は無き帝国車輌製造で製造され、南海電鉄から南紀への乗入れ専用気動車として当初は2両だけ製造、その後利用者の増加により、増備され最終的に9両まで増備されました。
今回は、誕生当時の昭和34年から、増発がなされて南紀号誕生までの昭和37年にフォーカスを当てて、お話をさせていただきました。
当時の資料を参照したり、時刻表を参照したりで、資料制の高い記事としていますので、南海電車が好きな方もそうでない方も、どうかお楽しみくださいませ。

 

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指令! テールライトは戦前は1灯であった経緯を調査せよ

2021-07-17 00:40:02 | 国鉄思いで夜話

指令! テールライトは戦前は1灯であった経緯を調査せよ

テールランプと呼ばれる、赤い小さな光は走り去る列車をより印象深くさせるものですが、このテールランプに関するよもやま話を動画にさせていただきました。 その昔、戦前の展望車や、流電などでは尾灯は1個だけでした。 2個になるのは、戦後なのですが、どのような経緯からそうなったのでしょうか? 他にも、テールライトそしてそれに関連する諸々のお話をさせていただきました。

 

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知ってた?現在のグリーン車のルーツ、特別2等車誕生秘話 GHQの置き土産

2021-07-15 09:01:22 | 国鉄思いで夜話

知ってた?現在のグリーン車のルーツ、特別2等車誕生秘話 GHQの置き土産

現在のグリーン車のルーツと言える特別2等車が誕生したのが、昭和25年、当時は、誰も乗らないのではないかと言うことで、GHQと国鉄の間でかなり揉めたらしい。
結果は、大盛況、特別2等車の料金が安すぎるとして改めて、特別料金を徴収することとなり、国鉄にしてみれば増収になることから、その後は特急・急行はリクライニングシートにすることを決定、旅客の旅は快適さを増すことになりました。

関連 

 

教えて!! グリーン車は、何時誕生したの

現在、JRではグリーン車という存在があります、JR東日本の新幹線などではさらにグランクラスが採用されるなど、さらなるグリーン車の高級化が進み...

youtube#video

 

 

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北陸本線を走った機関車たち ED70~ED74まで

2021-07-13 23:54:55 | 国鉄思いで夜話

北陸本線を走った機関車たち ED70~ED74まで

北陸本線を走った機関車たちということで、ED70・EF70・ED74を取り上げてみたいと思います。当時の記事などを参照しながら、ED70~悲運の機関車ED74までを取り上げてみたいと思います。

 

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