国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

第5代国鉄総裁 石田礼助とは 第7話

2021-06-05 22:58:16 | 国鉄総裁

本日も石田礼助総裁のお話をさせていただこうと思います。

石田礼助を襲った悲劇

総裁に就任した石田は、国鉄は地域と地域を結ぶ等国土の平均的開発等が使命であるというのが持論であったそうだが、朝ラッシュ時の様子を視察して、通勤問題が安全問題であることを改めて思い知らされたと書かれています。

実際、国鉄の監査委員長時代から安全対策については例外であるとしていたそうで、十河総裁が線路保守費を削減しようとした際も、撤回させたとも言われています。

その辺を「粗にして野だが卑ではない」から引用させていただきます。

国鉄監査委員長時代、石田は「儲からなけりゃやっちゃいかん」としきりに効率を説いてきたが、しかし、安全につては例外としていた。
 老朽化した青函連絡船の更新を強く推進してきたし、十河総裁が線路保守費を大幅削減することを決めると、石田は十河に迫って、全額復活させた。
総裁就任直後発表した一文の中でも、石田は書いている。

「風の向きによって、時に夜汽車の響きが寝室にまで届くことがある。深夜である。万物が平穏なひとときをひたすら貪っている時刻に、なお起きていて職務に励む人のあることを思うと、厳粛な気持ちにならざるを得ない。”神よ、願わくは安全を守り給え”と祈る気持ちになる。」

願いはむなしく、魔の11月9日(土曜日)

この日は、午後3時12分、福岡県大牟田市三川町の三井三池炭鉱三川坑で粉塵爆発事故が発生し、458名の死者と839名もの一酸化炭素中毒患者を出す大事故が起きたばかりであり、さらに同じ日に、国鉄でも、21時51分ごろに、鶴見事故が発生し160名もの乗客の死者を出す大惨事となりました。
石田総裁が、
本来であれば通勤対策は国鉄の仕事ではないが、安全対策を図らなくてはならない、過密ダイヤと路線の酷使では何時大事故が起こっても不思議ではない、なんとしても安全対策だけは何よりも優先させるべきであるして、取り組もうとした矢先・・・でした。

土曜日の夜と言うことで、多くの乗客が乗っていました。この事故では、下り貨物列車の脱線した貨車と接触した上り電車の先頭車が対向して走っていた下り電車の4両目側面に突っ込み、そのまま引きずられるように5両目中間付近まで車体をえぐっていくようにして停車しました。この事故で上り電車2000S電車の運転士も死亡し、160名の乗客の死者を出すこととなりました。

事故の概要はすでにご存じの方も多いかと存じますが、以下に概要を書かせていただきます。

事故の概況
昭和38年11月9日21時51分ごろ、 東海道本線鶴見・横浜間において下り第2365(下り)貨物列車の後部 3両が脱線し、 上り旅客線を支障した。 これに上り第2000S電車が約92km/hの速度で衝突、この衝撃により電車3 両が脱線し、 前頭部がおりから同地点を進行中の下り第21138電車の4両目と5両目に衝突、4両目の後部並びに、5両目の前部を刃物でえぐったような形で車両を破壊、三河島事故を上回る大惨事となった。

この事故は想定以上の大惨事であり、石田は現場の指揮を磯崎副総裁に任せるとともに、池田総理に事故が発生した旨の報告を行ったそうですが、非常に憔悴しきっていたそうです。

復旧作業は、鶴見駅に現地対策本部を設置するとともに、本社、関東支社、東京鉄道管理局(当時はまだ分離していなかった)にも対策本部がそれぞれ設置され、負傷者は近くの病院に、遺体は鶴見の総持寺に収容されたと記録されています。

ショックを隠しきれない石田総裁

石田総裁は、池田首相に報告後、遺体が安置されている総持寺に足を運んだそうですが、160を超す棺の列を見て顔色を失ったそうです。

その様子を、粗にして野だが卑ではないから再び引用させていただこうと思います。

急を聞いた石田は、磯崎以下に現場の指揮を取らせるとともに、池田総理に電話をかけた。
だが、石田は、
「えらいことをやりました・・・」
と言っただけで絶句する。

池田は石田を叱咤した。

「総裁、あなたがそんなことで、どうしますか。しっかりしなさい、総裁!」

電話の後、池田は側近に漏らした。

「弱ったな、大変ショックを受けているようだ」

その後、前述の通り総持寺に足を運ぶがずらりと並ぶ棺に言葉を失い。かろうじて焼香を済ませた後、石田総裁は遺族を前に頭を上げられず、

「本当に申し訳ないことをいたしました」

とうな垂れるばかりであったと言われています。
それほど、この事故は石田総裁にしてみればショックであったのでした。

事故後の9月12日には、参議院運輸委員会でも国会尋問があり、そこでは下記のように発言しています。

そして、ここで進退伺いを運輸大臣に提出したとされていますが、最終的に慰留され、事故の徹底究明を行うことになりました。
三河島事故の際、辞表を出した十河総裁に対して、
「辞めれば責任がとれるものではない」
と十河を諫めた言葉が、今度は自らに返ってくるのでした。

その辺の事情を参議院運輸委員会 の議事録から見ていただこうと思います。

なお、国会での証言並びに、監査報告書などにつきましては、別途の機会に資料ををアップさせていただきます。

第44回国会 参議院運輸委員会 第二号から抜粋

今回の事故は、全く国鉄の責任でありまして、何ら疑いをいれる余地なしであります。罹災者に対し、天下に対し、何ともおわびの申しようがないのであります。
 それで、国鉄といたしましては、これに対して、第一に罹災者に対する弔慰の問題でありますが、これは国鉄のできる範囲においてできるだけのことをいたしたい。しかも、それも早くいたしたいと存じております。同時に、負傷者に対しましては、早く全治をいたされまするように、できるだけの努力をいたしておるのであります。
 第二は、この事故の原因を徹底的に調査いたしまして、今後このようなことの起こらないように、極力努力するつもりでおるのであります。
 それから、国鉄総裁としての私の責任問題でありまするが、直ちに辞表を出して罹災者並びに天下に対して謝するということが考えられたのでありまするが、このような安易の方法は責任上とるべき態度でないと私は確信しておる。それよりは、今申し上げたような処置の解決にまず全力を尽くす。そうして、自分の進退問題につきましては、すべて総理大臣及び運輸大臣に出します意味において進退伺いを出す、そういう意味で、昨日私は運輸大臣に進退伺いを出したような次第でございます。
 それで、事故の詳細その他につきましては、副総裁から詳しく申し上げたいと存じます。

続く

 

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