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続 写真は心

お気に入りの写真に気ままな独り言を書き込んでいるブログです。

靖国神社参拝

2013-12-27 | まち歩き

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靖国神社の大鳥居は、近づいてみると本当に大きいですね!
大村益次郎の像が小さく見えるその先に、もう一つ鳥居があり

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すぐにこの神門があります。これは振り返って撮った写真です。

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神門をくぐると木製の鳥居があり、その先に拝殿が!
この写真は帰りがけに撮りましたので、照明が点いています。
その拝殿は

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美しく厳かな佇まいを見せていました。

先の大戦で、戦場に赴く兵士たち、あるいは戦場で自分達が戦死したときには、この靖国神社でまた会おうと誓い合ったこの社に詣でた時、戦死した一人ひとりの心(魂)がこの中に居られるのかと思い、死にたくはなかったろうに、家族を守る為、この国を守る為に犠牲になられた尊さに、胸が熱くなってしまうのでした。

ましてや赤紙一枚で「お前らの代わりはいくらでもいるんだ」などと言うとんでもない当時の考えで、強制的に前線へと送られて行った多くの方々には、本当に言葉もありません。
あのような人命軽視の戦争は二度と繰り返してはなりませんね!
その反省の為にも、是非この靖国神社をお参りして頂きたいものです。

しかし、

自分達の国を侵略してこようとする、悪意に満ちたちょっかいを繰り返してくる相手が、これ以上の事実上の侵略をしてきた時には、本当に残念な事ですが「撃退」という最後の手段も考慮せざるをえない事を覚悟するべきでしょう!

そうならずに解決できる事を心から願うばかりです!!

今年はこれで終わります。
皆様方、良い年をお迎えくださいませ。


江戸城を知る・大手門

2013-12-24 | お城・史跡

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「江戸城」のすべてを知りたい方は、この本がお勧めです!
それぞれの分野(当時の城郭そのものの説明から、しきたり・生活習慣まで)の専門家の先生方が執筆されていて非常に勉強になりました。

そして日本の主なお城を知りたければ

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が、お手軽に知識を得られてクーの愛読書となっています。

で、
今回は、江戸城の表玄関である「大手門」です。

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江戸城に行く時に、地下鉄の出口からすぐ内堀通り沿いに見えるのがこの大手門です。

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すこし左側に回ってからの景色

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この高麗門は江戸時代当時の物です。(外枡形の中から城外を臨んだ画です)が、左にある櫓門は大戦中に焼失後、再建されたものです。

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木造で再建された櫓門です。下から覗くと

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ぶっとい梁に感動!

江戸時代、この門をくぐって入れる大名は限られていたそうで、流石に格調高く感じました。

つづく


江戸城の城門

2013-12-19 | お城・史跡

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現在、皇居の入り口にあたる二重橋にあるこの門は、地図には「正門」とありますが、江戸城では「西ノ丸大手門」と表示されていました。
さらに、二重橋の奥の橋の右手には「西ノ丸書院前門」がありまして、この門は伏見櫓と連なっていました。

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二重橋の左手には「現存遺構の重要文化財」に指定されている「桜田門」が見えます。(正式には「外桜田門」です)
この門の真向こうに警視庁があり、その地名から「警視庁=桜田門」と呼ばれているのは周知の通りですね!

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上の写真の櫓門をくぐって、虎口の外枡形の中から見た図で、右手に「高麗門」があります。

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その高麗門をくぐって城外へ出ると、美しい当時のままの桜田門がありました。

此処は
幕末の安政七年(1860年)三月三日の雪の日、この桜田門外にあった杵築藩邸前を登城の為通りかかった井伊直弼一行を、水戸藩士ら十八名が襲撃!暗殺した「桜田門外の変」の正にその場所なのです。

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桜田門を出て右手に行くと、石垣が見えなくなり土塁が連なっています。
鬱蒼とした木々の間を良く見ると、土塁の上の方に低い石垣が見え隠れしていました。

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なを歩いていくと、途中にこんな立て看板が立っていました。
『 柳の井戸 桜の井戸
  この堤の下に柳の井戸があります。
 近くの、もと井伊侯藩邸表門前にあたる所にある
 桜の井戸とともに、江戸時代から名水として知られ
 当時の通行人に喜ばれていました。 』
と書いてあります。

当時は、もと湿地帯らしく綺麗な水が井戸から湧いていたようですね!

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桜田濠を時計回りに歩いていくと、濠が行き止まり、かなりの高さの土塁の橋の奥に「半蔵門」がありました。
この奥は皇居の敷地ですので、この門には近づけません。

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通り過ぎてズームレンズで一枚!の半蔵門。
門の中はどうなっているのか見てみたかったです。

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半蔵濠に沿って千鳥ヶ淵を過ぎ、現存遺構の重要文化財の一つの「田安門」まで来ましたが、修復中で全面に覆いがかけられてまったく見えませんので、その先のこれもまた重要文化財の「清水門」まで来てしまいました。

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ここも一部修復中で、写真があまり写せなかったのが残念でした。
田安門と、この清水門は修復工事完了後に是非また来たいと思いました。

日が暮れましたので
つづく


江戸城から二重橋 2

2013-12-08 | お城・史跡

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これは、日本人なら誰でも知っている「二重橋」ですが、江戸城としての「伏見櫓」をメインに撮りました。

とは言っても、「皇居」としての二重橋も素晴らしいので

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二重の手前の石橋(江戸時代に、ここに架かっていた木の橋は「西の丸大手橋」と表示されています。)と

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二重の後ろの鉄橋(元々は、ここに架かっていた木橋が「二重橋」と呼ばれていたのだそうですが、現在ではこの鉄橋と、手前の石橋も含めて二重橋と呼ばれています。)はUPさせて頂きました。
この橋は、皇居内にありますので、当然入る事は出来ません。

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この「富士見櫓」も石垣の下から端正な姿を撮る事が出来ません。
なぜなら、近くの「桔梗門」や「坂下門」からは、御所が近いせいか立ち入り禁止となっていて、富士見櫓の石垣の下まで行く事が出来ないからなのですが、非常に残念に思いました。
桔梗門から正面の富士見櫓下までだけでも、写真撮影の為に入らせて頂きたいと思いました。

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これは、入れない「坂下門」です。

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ここも入れない「桔梗門」です。

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しかし、桔梗門の手前にある「巽櫓」(桜田二重櫓)は、桔梗濠に溶け込んで美しい姿を見せてくれます。
濠に沿って移動していくと、

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真裏面も良し!

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逆光の夕日にシルエット気味の姿も趣きがあって良し!
なのでした。

江戸城は国内最大の城郭で、周囲約20キロもの外郭があり、今回全部の門などの遺構に行けませんでしたので、近々一周して行けなかった門などの写真を撮って来たいと思います。

つづく


江戸城から二重橋 1

2013-12-05 | お城・史跡

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これは江戸城の桔梗濠から見た、右側の「桔梗門」(内桜田門)と三層の「富士見櫓」です。
この富士見櫓、長年にわたって天守の代わりを務めていました。

本来の天守閣は、1657年の明暦の大火(振袖火事)の飛び火で焼失して以来再建されず、現在に至るまで石垣だけの天守台があるのみなのです。

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前回の北の丸公園から、この「北桔橋門」をくぐって本丸へ渡ると、

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江戸時代に積まれたとは思えない美しさで造られた「天守台」が目の前に!
天守閣を再建しようとの声もあるようですが、五千万円の頭金で建設出来ませんですかね?都知事殿・・・

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インカの石組みにだって引けを取らない精密さに感動!

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大奥などが有った「本丸跡」から見た天守台正面

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これは火事などの時にも大事なものを守れる「石室」です。

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刃傷事件から起こった「忠臣蔵」で有名な「松の廊下跡」、今は跡かたもなくなってこの石碑あるのみ。

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江戸時代の石垣に囲まれた場所から、現代のビル群を眺めていると、なんとも不思議な違和感に包まれて、あの世界に戻らなくてはならない自分が何者なのか・・・アリスワンダーランドって言う感覚につつまれてしまいます!

つづく