東方不敗のつぶやき

ジャッキージャンキー

死亡の塔

2005年11月30日 | 香港電影 1981
製作年度:1981
公司:嘉禾
原題:死亡塔(死亡遊戯Ⅱ/新龍兄虎弟)/TOWER OF DEATH(GAME OF DEATH Ⅱ)
監督:ン・シーエン
出演:ブルース・リー、タン・ロン、ウォン・チュンリー、ロイ・チャオ、ロイ・ホラン、カサノバ・ウォン、ユン・ピョウ、マース、李海生

一言:ブルース・リー映画の本家"ゴールデン・ハーベスト"が製作した、ブルース・リーの"バッタもん"映画。まぁ確かに一部本物のリー先生が出てくるシーンはある。しかしコレを"ブルース・リー映画"とするのはいかがなものか・・・ 何よりリー先生本人によるアクション・シーンが全くないのだから。こんなのを詐欺まがいの宣伝文句で公開したお陰で日本でのブルース・リー人気は凋落し、俗に言う"冬の時代"へと突入することとなった。
まぁ個人的には何の思い入れもない映画だが、はっきり言って酷いね。ブルース・リーを抜きにして、普通の功夫映画として見れば悪くない、という声も意外に多いが、個人的にはそれでもダメ。まぁアクションはソコソコかもしれないけれど、映画として全然面白くないんですもの。"78年版"『死亡遊戯』から『死亡の塔』、そして次回作として予定されていた『東から来たドラゴン』と、本作製作周辺にまつわる裏話の方が完成した映画よりも余程面白そうだ。ただ出来れば、当初の構想であったと言われる、『燃えドラ』『死亡遊戯』の未公開アクション・シーンを活かした形で、完全なブルース・リー映画として完成してもらいたかったなぁ・・・

バトル・クリーク・ブロー

2005年11月29日 | 香港電影 1980
製作年度:1980
公司:嘉禾
原題:殺手壕/BATTLE CREEK BRAWL(THE BIG BRAWL)
監督:ロバート・クローズ
出演:ジャッキー・チェン、ホセ・ファラー、マコ、H・B・ハガディ、クリスチーヌ・ド・ベル、龍君兒

一言:1979年暮れ、ゴールデン・ハーベスト(GH)で『ヤング・マスター』を撮り終えたジャッキーは、本来ロー・ウェイの元に戻り『醒拳』を製作するはずだった。しかしこの時期に『醒拳』を撮られては、翌80年の旧正月、言うまでもなく香港映画一番の書入れ時にジャッキー作品の公開が被ってしまう。その事を恐れたGH側は、ジャッキーを拉致り、強引にその身柄をアメリカへと連れ去った。そして"ブルース・リーのように世界のスターにしてやる"と甘くジャッキーに囁いた。(推測・・・)
とにかく、ジャッキーのハリウッド進出作とすべく本作『バトル・クリーク・ブロー』は製作された。スタッフには『燃えよドラゴン』の製作チームが召集され、それなりにジャッキーの個性を生かそうとした作品を作り上げた。当時成功続きで"天狗"になりかけていたジャッキーにとっては、慣れない異国と拙い英語、そして何より思うに任せない撮影現場には不満タラタラだったようだが、改めて見ると本作はそれ程悪い出来ではない。確かに香港時代そのままを期待した向きには不評だったかもしれないが、後にハリウッドで製作されることになる作品と較べると、むしろ本作の方が良かったのではないかという気がする。そうは言いつつ私自身も、子供の頃テレビで見た際の印象はほとんど残っていないのだが。
もしこの時のハリウッド進出が成功していたら・・・ ブルース・リーが成し得たように、映画の歴史を変えることも出来たかもしれない。しかし結果としてはそうはならず、ハリウッドがジャッキーを受け入れるにはまだ15年以上の歳月を待たねばならなかった。そしてアメリカ人がようやくジャッキーに気付いた時には既に、瑞々しく躍動する肉体と、そして溢れ出さんばかりの才能と情熱は過去の遺物となり果てていた。まぁそれがジャッキーにとって、そして我々アジアのファンにとって悪かったのか良かったのか、今となっては知る術はない。

少林寺拳道

2005年11月28日 | 香港電影 1980
製作年度:1980
公司:邵氏
原題:少林搭棚大師(少林三十六房續集)/RETURN TO THE 36th CHAMBER
監督:ラウ・カーリョン
出演:リュウ・チュアフィ、ベティ・ウェイ、王龍威、小候、楊菁菁

一言:傑作『少林寺三十六房』の続編。"少林寺ブーム"もとうの昔に過ぎ去った頃、なぜか唐突にTV放映された。その時見たきりだが、あまり面白いとは感じなかったなぁ。何しろ前作が大傑作だっただけに少なからず期待したものの、あれと較べてはそれは酷な話か・・・ "少林寺ブーム"の頃刊行された功夫映画のあるムック本にこの映画のことがやや詳しく紹介されており、実はこの続編、個人的にはズッと気になってはいた。しかし結果的には期待に沿う出来ではなく、近年ようやく発売されたソフトも見てはいない。故に作品の詳細はもはや憶えてはいないが、唯一ベティ・ウェイの存在だけが予想外に良かった。

李小龍先生與我(長文)

2005年11月27日 | つぶやき
本日は私が敬愛してやまない、リー先生ことブルース・リーの生誕65周年の日だ。それを記念して香港では"世紀之星"李小龍の銅像除幕式典が開催され、また時を同じくして遠くアジアを離れた戦乱の地ボスニアでも、平和の象徴としてブルース・リー像が建立されるという。本来ならば香港のイベントに駆け付け、聖地にてこの日を迎えたかったところだが、今回は泣く泣く断念。ならば記念すべきこの日、私とブルース・リーの歴史(?)を綴ってみようと思う。

それは1983年3月、その日私は出会ったのだ、あの人に。当時ブルース・リーの後釜的存在として登場してきたジャッキーの人気は上昇中で、さらには前年暮れに公開されたリー・リンチェイの『少林寺』が空前の大ヒットとなり、玉石入り混じったカンフー映画がテレビでさかんに放映され、今では信じ難いカンフー映画の一大ブームが訪れていた。その波は、やっと民放が3局になったばかりの我が地元新潟にも伝播してきており、私の通う小学校でも良く話題に上った。そんな訳で私自身もブルース・リー、ジャッキー・チェン、少林寺、なんて言葉は何となく知ってはいた。そしてブルース・リーが既にこの世にいないことも・・・ そんな中、その日『死亡遊戯』がTV放映されたのだ。当時まだお子ちゃまだった私は、夜9時には床に就かされるのが常だった。しかしその日は、母親に頼み込んだのか、春休みだったことが功を奏したのか、9時からの放送を見れることになった。とにかく衝撃的だった。特に印象的だったのは、飛び蹴りをしたビリー・ローが狙撃されてそのままマットに倒れ込むシーン、葬儀のシーン、墓が暴かれ身代わり蝋人形の顔が割られるシーン、そして何と言ってもクライマックス。黄色と黒のコントラストが、そしてブルース・リーのそのただひたすらカッコ良さが脳裏に、正に焼き付いた。翌朝、早速弟と新聞紙を丸めてビニールテープを巻いて、黄色と赤のヌンチャクを作り、初めての"ブルース・リーごっこ"に興じた。世間的にはいろいろと言われる"78年版『死亡遊戯』"だが、個人的にはいまだに最も思い入れのある映画だ。製作過程の事情など知らなかった頃は、死を偽装して悪に立ち向かうストーリーが、正に"死亡遊戯"だ、と勝手に解釈し、一人納得したりしていた。休み明けの学校でも『死亡遊戯』の話題は盛り上がり、知ったかぶった同級生は、"ブルース・リーはあそこで撃たれて死んだんだ!"とか"最後の黒人は身長が2m20ある"、"いや、本当は2m18だ"とか、イイ加減な知識を自慢していた。そして昼休みには、高い柱をジャバールに見立てみんなで飛び蹴りを真似した。
その後もテレビ放映される功夫映画を許される限り見ていた。しかし、遂に傑作『プロジェクトA』をものにし、続々主演作が公開され益々人気が沸騰して行くジャッキーに対し、あらゆる局面でブルース・リーを目に出来る機会は減っていった。当時も今もブルース・リーとジャッキーを明らかに区別する人達は多い。特にそれぞれのファンにはその傾向が顕著だ。しかしあの時期、二人を同時に好きになった自分には、二人ともが較べることの出来ない永遠のアイドルだ。たまにジャッキーがブルース・リーの思い出を語るのを見たり、聞いたりすると昔も今も堪らなく嬉しくなる。
そんな当時『死亡遊戯』以外に見ることの出来たブルース・リー映画は『ドラゴン怒りの鉄拳』そして『燃えよドラゴン』の2本だ。まだ我が家にはビデオがなく、また外で遊ぶことばかりが能の田舎の馬鹿ガキだった私には、本屋に行くという行為自体頭の中の選択肢になく、雑誌やムック本の存在も認識出来ていなかった。故に、テレビで放映されるその時だけが、唯一ブルース・リーと出会えるチャンスだった。『ドラゴン危機一発』がテレビ東京系で放送されたものの、我が地元では系列局がなく放送されず、当日の新聞の関東地方のテレビ欄に載った『ドラゴン危機一発』の文字を悔しく眺めていた事を、今でも憶えている程だ。
ようやく小学校を卒業する頃から、各種ムック本やグッズ類にも目が届くようになり、秋田書店の"大全科"や芳賀書店の"シネアルバム"を、また古書市で見付けた『死亡遊戯』『燃えドラ』『ドラ道』なんかのパンフレットを、お金と相談しながら買っていた。ロードショーで"西本商事"のチラシを見付け、当時既に品薄ではあったが、ヌンチャクや洋書なんかも買ったりした。実は"トラックスーツ"も買おうとしたのだが、弟に"ブルース・リー以外で似合うヤツなんているわけない!"と一喝され、購入を見送ったなんて思い出もある。
1987年秋、ようやく我が家にもビデオデッキが導入された。ちなみに初めて録画したのはジャッキーの『ポリス・ストーリー』であった。(劇場で見たバージョンとあまりに違い、ショックで直ぐに消してしまったが・・・) そして同時に、まだ見ぬブルース・リー映画を見るべくレンタルビデオ屋に走った。しかし品揃えの良い店でなくては、ブルース・リーの映画は置いていなかった。家からは遠く離れていたが、ともかくようやく見付けた店舗で、遂に念願の『危機一発』そして『ドラ道』を入手した。ムック本等で決して動くことのないスチール写真を穴の開く程眺めていたこの2作。実際見た感想は・・・確かに『ドラ道』のアクションは凄かったが、全体としては両方とも正直言って期待した程ではなかった。当時は"東和版"とか何とか知りもしなかったが、ビデオで見返した『怒りの鉄拳』にしても、かつてテレビで見た時のような好印象ではなかった。怪鳥音は別にして『死亡遊戯』に『燃えドラ』はビデオでも特に違和感はなかったが、まだ正体を良く知りもしなかった『死亡の塔』を見たときは、脱力した・・・ その一方で『ブルース・リーの神話』には感動した。ティンペイの独白や太ってしまったノラ・ミャオにはいささか幻滅したが、『死亡遊戯』のアウトテイクには、熱くなった。しかし当時は俗に言う"ブルース・リー氷河期"であり、もはや各種メディアへの露出はほとんどなかった。かつてあれ程までに力を入れていた"ロードショー"からもその名が消えて久しく、偶然目にした格闘系の雑誌にブルース・リーの文字を見付けたり、バラエティ番組で芸人がデフォルメされた物真似する様を見て喜ぶしかなかった。
そんな最中の1988年、何と地元のある映画館で『燃えよドラゴン』が上映されるとの情報がもたらされた。しかしそれは通常のロードショー館ではなく、私が知らない名画座のような市民映画館での上映であり、期間はたったの一週間。そして地方紙に載った告知を見て気になったのが"レイトショー"の文字。私は当時唯一のブルース・リー&ジャッキー仲間だったある友人に連絡をとった。彼とは小学校時代は近所に住み同じ学校へ通っていたのだが、私が卒業と同時に引っ越したため、同じ市内ではあるが距離の離れた別々の中学校に進学していた。『燃えドラ』上映の話をすると彼も非常に興味を持ち、必ず見に行くとの返事だった。私は早速親にこの事を話し、見に行きたい旨を告げた。ところがウチの親ときたら・・・ "映画館の場所は分からないし、レイトショーなんて行ってはイケマセン!" 実際映画館がどこにあるか分からなかったし、"レイトショー"という言葉すら知らない、まだまだお子ちゃまな私は、おめおめと諦めるしかなかった。しかしその一週間の上映期間中、『燃えドラ』のことが気になって仕方なかった。一方私から『燃えドラ』上映の情報を得た友人は上映館の所在を探し、果敢にも見に行ったらしい。しかし、昼興行のあるアニメ作品を続けて見て『燃えドラ』上映を待った彼に対してあまりに惨い宣告が。"レイトショーは別料金になります。" そう、彼もまた"レイトショー"なんてモノは知らなかったのだ。当時我々の地元では新作でも大抵が2本立て興行で、一本の料金で2本の映画を見れることが当たり前だった。当然それと同じだと思っていた彼の財布には、もう一本目当ての『燃えドラ』を見るためのお金は残されていなかった。彼もまた、『燃えドラ』を目の前に劇場を後にするしかなかったのだ。私は後日この事を彼から聞かされることになるのだが、彼の口からは『燃えドラ』を見れなかった悔しさ以上に、その前に見た『燃えドラ』予告編の素晴らしさを散々聞かされたのだった。そしてまた、彼はこの時見たアニメ映画『オネアミスの翼』にも大いに感銘を受けたらしく、地元新潟出身であるその映画の監督に手紙を書いた程だった。今でもこの友人とは時たま連絡を取る仲だが、彼はブルース・リー&ジャッキーの影響から後に中国に留学し、現在は北京に在住している。
片やヘタレな私は、その頃東京に行った際『死亡遊戯』パンフレットの裏表紙を頼りに銀座の"イエナ"へ潜入した。しかし『死亡遊戯』公開から既に10年の時を経た"イエナ"は、勝手に想像していたブルース・リーで溢れかえる店内とは異なり、チョット格式高そうな普通の洋書店であった。こうして私がブルース・リーと出会った80年代は寂しく終わっていった。ただ世間では忘れられつつあったこの時期にあっても、その時々程度の差こそあれ、私の中からブルース・リーが消えることは決してなかった。
そして迎えた1993年、衝撃が走った。忘れもしない4月1日、その日は私が進学のため長年住み慣れた新潟を旅立つ日だった。普段より早起きしたその日の朝、朝刊を見て愕然とした。"ブルース・リーJr 死去"、新聞はそう伝えていた。私は特に彼のファンとは言えなかったが、ブランドンが頑張ってる事を雑誌等で目にしては、嬉しい気持ちで眺めていた。"ハリウッドのメジャースタジオと大きな契約を結んでこれからが期待だ"、といった記事を見たばかりだったような気がする。後にブランドンが、父ブルースの偉大過ぎる存在を良い意味で受けとめ、自分が新たなステージに踏み出そうとしていた正に転換期だったことを知り、益々やるせない気持ちになったものだ。
しかしこの年1993年は、私がブルース・リーファンになって以来、ブルース・リーが少なからずブームになった初めての年となった。5月、北米で封切られた伝記映画『ドラゴン』は大ヒットとなり、夏には日本でも公開された。私はもちろん初日に劇場に駆け付け、涙をこらえることが出来ない程素直に感動した。そして雑誌、TV等でも特集が組まれた。その年20周忌となる命日7月20日に、新聞のテレビ欄に"ブルース・リー"の文字を見付けた時は心底嬉しかった。実は数年来、毎年毎年7月20日には"ブルース・リー"の文字を新聞に探していたのだから。
香港返還の年となった1997年は、私が生まれて初めて"聖地"香港の土を踏んだ年でもあったのだが、今度は劇場でブルース・リー主演作が立て続けにリバイバル公開されることになった。前述した『燃えよドラゴン』上映にも立ち会えず、それまでブルース・リーの映画を劇場で見ていなかった事を密かに負い目に感じていた私は、リバイバル上映を知らせるチラシを発見した時には驚喜した。この年、"復活祭"オールナイトや、その他イベントにも顔を出し、『燃えドラ』も『危機一発』も『ドラ道』も『死亡遊戯』も、何度も劇場に足を運んだ。『危機一発』と『ドラ道』はかつてビデオで初めて見た際はイマイチに感じたが、劇場で見る度に印象は良くなっていった。翌1998年秋、今はなき渋谷の大劇場"パンテオン"に満場の観客を迎え、さらにはリンダ夫人の舞台挨拶も行われた『燃えドラ 完全版』の上映も思い出深い。そしてこの頃から、インターネットを通じての交流が始まり、私も多くのファンの方々と親交を持つようになった。そして2000年には、まだ見ぬ『死亡遊戯』の未公開映像をこの目にすべく香港へのツアーに参加し、結果改めてブルース・リーの素晴らしさを確認した。没後30年を迎えた2003年には、30周忌の命日7月20日に香港で行われたイベントに参加。遂には旧ブルース・リー邸への潜入も果たした。そして同年9月には、念願のシアトル"お墓参り&ゆかりの地巡り"を敢行。さらに2004年3月にはタイバンコクへ、前人未到の"唐山大兄ロケ地探索"の旅にも出かけた。
あの日『死亡遊戯』を初めて見た時から20年以上、ブルース・リーの存在はいつも私の心にある。そしてこれからも、決してそれが消えることはないだろう。

バカ買いの日

2005年11月26日 | つぶやき
やっと週末になったのに、特にやる事もナシ。本当は明日のお誕生日に挙行される香港のブルース・リーイベントに参加したかったのだが、それも叶わず。寂しすぎる・・・ などと思っていたらタイミング良く某M先生より連絡が入り、都内某所で会うことに。まず某古本屋街を散策。冷やかし程度のつもりで何軒か見て廻るが、M先生に良い様にノせられて、ついつい以下のように散財。

【戦利品】
・パノラマシティ×3(1985)
・ロードショー×2(1975,79)
・スクリーン×2(1985)
・銀色世界(1995)
・『過ぎ行く時の中で(阿郎的故事)』パンフ

重かった・・・(疲)

続いて新宿へ。その筋にはつとに有名な"ビデマ"の香港フロアが閉鎖されるとかでセールしているらしいので、行ってみる。ここで思わぬバカ買いの嵐が・・・

【戦利品(全てDVD)】
・『香港極楽コップス(神勇雙晌炮續集)』日本版・・元彪&恵英紅
・『アクシデンタル・スパイ(特務迷城)』日本版・・ジャッキー
・『ゴールデン・ガイ(吉星拱照)』スパイク版・・ユンファ&シルビア
・『ドラゴン・イン(新龍門客棧)』泰盛版・・ブリジット&マギー
・『目露凶光』香港版・・リンゴ・ラム監督、ラウチン
・『夢中人』日本版・・ユンファ&ブリジット
・『タイム・ソルジャーズ(急凍奇侠)』香港版・・元彪&マギー
・『追男仔』香港版・・ブリジット&マギー
・『東方三侠』スパイク版・・アニタ&ミシェール&マギー
・『東方三侠2』スパイク版・・アニタ&ミシェール&マギー
・『SPY_N(雷霆戰警)』日本版・・アーロン&藤原紀香
・『天下無双』香港版・・トニー&フェイ&ヴィッキー

こんなに買ったんだぁ・・・(爆)

改めて私としては珍しく散財したよなぁ・・・
それにしても、散財、メシ、バカ話、散財、茶、バカ話・・・ と絵に描いたような"ボンクラ"な一日。先日宇都宮に行った際の交通費が支給されて、普段よりも懐具合は暖かなはずだったのに、気が付いてみれば財布の中身はわずか帰りの交通費を残すのみ。まぁ楽しい一日だったのでイイけどね。M先生、お付き合い頂き、ありがとうございました。

ヤング・マスター 師弟出馬

2005年11月25日 | 香港電影 1980
製作年度:1980
公司:嘉禾
原題:師弟出馬/THE YOUNG MASTER
監督:ジャッキー・チェン
出演:ジャッキー・チェン、ウェイ・ペイ、ウォン・インシック、石堅、ユン・ピョウ、リリー・リー、田豊、李海生、馮安克、馮峯、樊梅生、タイポー、蒋金、ベニー・ライ

一言:ジャッキー功夫の集大成的一作。"巨匠"の元を飛び出し、ゴールデン・ハーベスト(GH)へと移籍した第一作で、香港では空前の大ヒット。一年後、満を持して公開された日本でも歓迎された。潤沢な予算で好きなように撮れることになったジャッキーが、自らも区切りの一作とすべく当時持てる全てを注ぎ込もうとしたように思える。
しかし、コレもやっぱ日本版だよなぁ~ 日本版音楽に石丸吹替えの合わさったTV放映バージョンこそが最高だ。抜群に映画自体の完成度が上がる。TV放映版に慣れ親しみ騙されていた部分もあるが、今思うと実はテンポがイマイチでお話もあまりイケてはいない。正直言うと、個人的にもそれ程好きな作品ではない。そうは言っても、良いシーンも目白押しだ。椅子を操るユン・ピョウとの対決、シー・キェンとの丁々発止のやり取り、そして何と言っても"キムの大将"ウォン・インシックの凄まじいまでの強さはこれ以上ないほどのインパクト。やはり、思い出深い映画であることは間違いない。

燃えよデブゴン5/モンキー・フィスト 猿拳

2005年11月24日 | 香港電影 1979
製作年度:1979
公司:嘉禾
原題:雜家小子/KNOCKABOUT
監督:サモ・ハン・キンポー
出演:ユン・ピョウ、サモ・ハン・キンポー、レオン・カーヤン、ラウ・カーウィン、カール・マック、マース、李海生、チェン・ファット、林正英、陳龍

一言:コレも小学生の頃、高島忠夫の"ゴールデン洋画劇場"で見たことが思い出される。確かスタジオにゲストでユン・ピョウ本人も来てたんじゃなかったけ?まぁとにかく、本作におけるユン・ピョウのアクロバティックな体技は驚異的で、今見ても驚かされる。このユン・ピョウや一連のジャッキー作品に影響されて、友達と学校のマットで"バック転"の練習してたよなぁ~
映画の方はサモ作品にありがちな必要以上の残酷描写がチト気に入らないが、ユン・ピョウの個性、そして何よりアクションは光っている。また子供心には、劇中サモが作っていた、土にくるんだ鶏の丸焼きがとても美味そうだったことが、妙に印象に残っている。

秘録ブルース・リー物語

2005年11月23日 | 香港電影 1978
製作年度:1978(1976 韓国?)
公司:?
原題:訪問客/THE STRANGER FROM KOREA(BRUCE LEE FIGHTS BACK FROM THE GRAVE
)
監督:ドゥ・ヨンリ
出演者:ブルース・K・L・リー、ショー・コスギ

一言:コレはそもそもブルース・リーとは全く関係のない韓国映画らしい。チョット調べたところ、元々は『訪問客』という映画のようだ。なぜか本作に出演しているショー・コスギのHPに出ていた。まぁ海外で売るため冒頭に、ブルース・リーが墓から蘇るシーンを無理矢理ハメコミ、タイトルにブルース・リーを冠したのだろう。本来ココに入れるべき映画ではないような気もするが、キネ旬には香港映画として載っていたし、まぁ賑やかしに良しとするか・・・
内容は全く憶えていないが、とにかく酷い映画だったという記憶は鮮明。これ程褒めるところの無い映画もナイよ、って思ったものだ。主役はブルース・K・L・リーとかクレジットされているおそらくは韓国人で、少しグォン・サンウに似てるかも。思い起こせば当時大学生だった私は、コレを見たいがためにわざわざ自転車で30分以上も離れたビデオ屋の会員になったんだよねぇ~

燃えよデブゴン

2005年11月22日 | 香港電影 1978
製作年度:1978
公司:?
原題:肥龍過江/ENTER THE FAT DRAGON
監督:サモ・ハン・キンポー
出演:サモ・ハン・キンポー、ロイ・チャオ、ピーター・K・ヤン、馮峯、馮安克、林建明、梁家仁、李海生、黄蝦、林正英、孟海、マース、ユン・ピョウ

一言:敬意溢れるブルース・リー映画のパロディ。それを表す原題、英題、そして邦題とそのタイトル全てが絶妙で素晴らしい。映画自体も決してその題名に負けていない。本筋のストーリーはまぁ置いといて、アクション、コメディは高水準だ。特に劇中"偽"ブルース・リーを叩きのめすシーンは多くのブルース・リーファンも大のお気に入りの名シーン。実際サモのブルース・リーは、どんなソックリさんが演じるよりも堂に入っている。本当にブルース・リーの事が好きなんだろうなぁ、と嬉しい気持ちにさせられる。

SPL<殺破狼>

2005年11月21日 | 香港電影 2005
製作年度:2005
公司:天影娯楽
原題:殺破狼/SPL
監督:ウィルソン・イップ
出演:サイモン・ヤム、サモ・ハン・キンポー、ドニー・イェン、呉京、ダニー・サマー、廖啓智、谷垣健治、洪天明、惠天賜

一言:出てくる男達が皆シブくてカッコイイ!"アクション馬鹿"ドニー、こんなイイ役やれるとは思わなかったゾ。少しエリート臭いドニーが、サイモンを慕う荒くれ刑事達を解って行くシーンが良いんだよ。コレは私の中でのドニーのナンバーワンにランクされるね。そして、サモもイイなぁ。とてもかつて『燃えよデブゴン 正義への招待拳』なんかでバカやってたと同じ人とは思えんよ。サイモン・ヤムが渋カッコイイのは今に始まったことじゃないけど、とにかく主要キャストのキャラクターは一様に印象的で、素晴らしいものがある。ストーリーも重厚で心に響き、それぞれの父と子のドラマは胸を熱くする。そして何と言ってもアクションだ。現代アクションでありながらほとんど銃が出てきた印象がない程、格闘アクションが熱い。サモVSドニー、ドニーVS呉京は、今まで見ることのなかった夢の対決に近いんじゃないか。特に呉京のキレた殺し屋は凄まじいものがある。今までは笑顔に弁髪、気のイイお兄ちゃん、くらいのイメージだったが、それが覆るような怪演。サモも既に50歳半ばを過ぎてるだろうに、今でもあんなに動けるとは思えなかったよ。ありゃ、ジャッキーより凄いかも。
アクションは全体的に古き良き時代を彷彿とさせる感じでありながら、その全てに痛さを伴う。その辺は『拳覇(マッハ!)』の影響なんかがあるのでは、とも感じられた。そんなアクション、男のドラマの合間の海のシーンも何気に印象的。