ここに、『木』(小学館)という絵本があって、インドでのお話が載っています。そのインド北部で、いまから20年もまえのこと、とあります。
お金がたっぷりある材木会社が、その村の木を森ごと買いしめてしまいました。伐採人がくると、村の人たちは総出で森にかけつけ、チプコ運動です。チプコとは、抱きしめるということ。
男たちは、会社から買収されたりしますが、女たちは「木を切ると村が破壊されてしまう」「水も、土もなくなってしまう」「家畜のえさも、薪も食べ物もなくなってしまう」と木に抱きつきます。
銃をむけられると、「撃つなら撃ちなさい。でも、木には指1本もふれさせないわ」と。とうとう、その勢いに負けて、伐採人たちは森をあとにします。
「このレニ村での抵抗運動以来、チプコ運動はインド北部ばかりではなく、インドのほかの地域へも広がっていきました」
だいじなものを、お金を集めて守るか、いのちをかけて守るか、ということになりますね。よく晴れて、暑くなりました、わたしは裸です。
お金がたっぷりある材木会社が、その村の木を森ごと買いしめてしまいました。伐採人がくると、村の人たちは総出で森にかけつけ、チプコ運動です。チプコとは、抱きしめるということ。
男たちは、会社から買収されたりしますが、女たちは「木を切ると村が破壊されてしまう」「水も、土もなくなってしまう」「家畜のえさも、薪も食べ物もなくなってしまう」と木に抱きつきます。
銃をむけられると、「撃つなら撃ちなさい。でも、木には指1本もふれさせないわ」と。とうとう、その勢いに負けて、伐採人たちは森をあとにします。
「このレニ村での抵抗運動以来、チプコ運動はインド北部ばかりではなく、インドのほかの地域へも広がっていきました」
だいじなものを、お金を集めて守るか、いのちをかけて守るか、ということになりますね。よく晴れて、暑くなりました、わたしは裸です。
びりおじさん、今晩は。
わたしは、よく木に触れ、木を抱きしめます。木は、その場所から歩きだしたりできません。つらいことも、うつくしい景色も、平和も戦争も、みんな見ている。にんげんのわたしたちより、遥かむかしから地球にいて、わたしたちの先生です。
むやみに木が切り倒されたりするとき、木の悲鳴を感じます。
わたしの部屋のまわりでは、いつも、雑草がぐんぐん伸びて花が咲き、雑草が巨大な樹木になったりします。
わたしは、つらいとき、わからなくなったとき、木たちに話しかけ、木たちの幹に抱きつき、またはそっと触れます。高い山に行って、できるだけ高いところに空まで伸びる木を見上げて、やはり木の幹にからだをあずけ、どうしたらよいのだろうねと、きくのです。
わたしは、木たちより、ずっとずっと、弱い。木たちは、わたしの先生です。
お金で買われた村の森、
村の人は、
生きるために本当に大事なもの、
かけがえのないものを、
ひたすら抱きしめる。
暴力で向かってくる相手に対して、
暴力を用いてたたかうことではなくて、
命をかけて、相手に愛情の深さを気づかせる。
マハトマ・ガンジーの非暴力のようなお話しですね。
いつも、いいお話しをありがとうございます。