ピース・ダイアリー

競わないで、奪わないで、争わないで。
分けあって、話しあって、助けあって。
この世が、そのようであったらいい、と。

水で争うか

2011年08月22日 16時18分51秒 | 日記
 20年まえといったら、1991年で、湾岸戦争の起こった年。前年の8月に、イラクが、おとなりの石油大国クウェートに侵攻、そして91年1月に国連が多国籍軍を派遣した、というものでした。

 わたしは、それをテレビで見ていて、パチパチと花火のような夜間の戦闘場面を。ところが、そのテレビがパチバチと鳴りだし、こげくさいにおいがしてきました。ぱっと画面が消えて、背面から薄い煙が。20年も使っていた屋内アンテナの受像器でしたが、それが壊れてしまい、それからノー・テレビということになったのです。

 その年の夏でしたか、数年後だったか、ノルウェーにでかけたとき、平和学のヨハン・ガルトゥングをたずねました。教授は、あの戦争は石油の争いだった、これからは水の争いになるだろう、と。

 さて、これは、どうなのでしょう。どちらも、地下から湧くもの、掘りだすもの、それをがぶがぶと使って、奪いあって。オイルは、水を汚し、土も空気も荒らし、枯渇するオイルの代わりにとウランを掘りだして、それで生けるものすべては息の根をとめられるか、ああ。

1 コメント

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うたげのあと (あかいとり)
2011-08-23 10:14:25
今朝、文化放送で、京大の小出先生のお話を聴くことが出来ました。

表向き、明瞭には決して語られない現在の原発に関しての、絶望に近い真実を知れば知るほど、言いようのない未曾有の空しさに襲われます。

石油で争う、水で争う。
争って得られる何かがある時代はまだ良かった?

今や、争ってでも奪いたい命綱の天然そのものが、地球そのものが汚染され、失われかけている。

3、11以後、もはやこの汚してしまった地球上で人間争ってみても、一体、生存存続のための何が得られるというのでしょうか?

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