ふたたびいしいしんじ。
やっぱり、こんな話を書けるなんてどういう方なんだろうというのがまず不思議。
いびつで奇天烈な絵本のようなお話。
どんなに空想を巡らせても思いつく類のものではないようで。
以前にも感じたように、水の気配をずっと感じる世界を描く方だ。
川のそばにでもずっと住んでいらしたのか。
それも、綺麗な水ではなく、濁り、澱んだ、生臭い生き物のようにうごめく水。
不穏な気配と言ってもいい。
いしいしんじの作品をいくつか読むうちに、登場人物がいつどんな不幸に飲み込まれるのかと案じながら読むようになった。
そのように残酷な運命をひたひたと奥底に這わせた作品が多いように思う。
かといって惨めな話にならないのが不思議なところで、
「ぶらんこ乗り」「プラネタリウムのふたご」などはそういう悲しい光をうけてなお燦然と輝く、うつくしく昇華された物語になっている。
なんとも見事な手腕です。
本作はそのものずばり、水を全面に押し出した物語だが、その水がとにかく生き生きとしている。
思い出したのは、スタジオジブリの「崖の上のポニョ」でスクリーンを縦横無尽に駆け巡る水の柱たち。ものすごく腑に落ちた。
宮崎駿といしいしんじは、同じものを見ていらっしゃるのだろうか、という気すらした。
そのほかの登場人物の描写がなんともおかしく軽妙なのは言うに及ばず。
奥へ奥へと潜っていくような話を書く方である。
正直、本作はなんだか難しくて、読み終わってもすとんと来なかった。
堀江敏幸さんの解説に助けられました。
この解説ひとつで、ひとつの読み物として過不足なく完結している。
素晴らしい解説でした。
解説を読んで、家への帰り道の坂を昇っているときにふと浮かんだのは、
つまり、上流から下流まで繋がっていく、途切れない命と時の話なんだなと。
ふつうに生きている分には、自分の目の前に流れてくるものを一つずつ拾い上げて片付けて、それで命を果たしてしまうわたしたちが、
はるか上流、これから向かう下流、巡る水のいのちを知るための小説を書いているのだ、たぶん。
それを描くためには、かみさまの目を持って、突き放して眺めることのできる、絵本や神話のようなお話でなければ。
そして、たぶん、命のきわみというものを見つめるための小説なのだろうと思った。
どうやって生きていき、どうやって死んでいくのか
絶望に際した人はなぜ生きられるのか
めまぐるしい生と死を、なぜつないでいくのか
その先にある命のきわみを見たい、知りたいがために、深く深く潜っていく。
その気持ちには覚えがありました。
私がいまの進路を選んだ理由も、そういえばそれだったと。
やっぱり、こんな話を書けるなんてどういう方なんだろうというのがまず不思議。
いびつで奇天烈な絵本のようなお話。
どんなに空想を巡らせても思いつく類のものではないようで。
以前にも感じたように、水の気配をずっと感じる世界を描く方だ。
川のそばにでもずっと住んでいらしたのか。
それも、綺麗な水ではなく、濁り、澱んだ、生臭い生き物のようにうごめく水。
不穏な気配と言ってもいい。
いしいしんじの作品をいくつか読むうちに、登場人物がいつどんな不幸に飲み込まれるのかと案じながら読むようになった。
そのように残酷な運命をひたひたと奥底に這わせた作品が多いように思う。
かといって惨めな話にならないのが不思議なところで、
「ぶらんこ乗り」「プラネタリウムのふたご」などはそういう悲しい光をうけてなお燦然と輝く、うつくしく昇華された物語になっている。
なんとも見事な手腕です。
本作はそのものずばり、水を全面に押し出した物語だが、その水がとにかく生き生きとしている。
思い出したのは、スタジオジブリの「崖の上のポニョ」でスクリーンを縦横無尽に駆け巡る水の柱たち。ものすごく腑に落ちた。
宮崎駿といしいしんじは、同じものを見ていらっしゃるのだろうか、という気すらした。
そのほかの登場人物の描写がなんともおかしく軽妙なのは言うに及ばず。
奥へ奥へと潜っていくような話を書く方である。
正直、本作はなんだか難しくて、読み終わってもすとんと来なかった。
堀江敏幸さんの解説に助けられました。
この解説ひとつで、ひとつの読み物として過不足なく完結している。
素晴らしい解説でした。
解説を読んで、家への帰り道の坂を昇っているときにふと浮かんだのは、
つまり、上流から下流まで繋がっていく、途切れない命と時の話なんだなと。
ふつうに生きている分には、自分の目の前に流れてくるものを一つずつ拾い上げて片付けて、それで命を果たしてしまうわたしたちが、
はるか上流、これから向かう下流、巡る水のいのちを知るための小説を書いているのだ、たぶん。
それを描くためには、かみさまの目を持って、突き放して眺めることのできる、絵本や神話のようなお話でなければ。
そして、たぶん、命のきわみというものを見つめるための小説なのだろうと思った。
どうやって生きていき、どうやって死んでいくのか
絶望に際した人はなぜ生きられるのか
めまぐるしい生と死を、なぜつないでいくのか
その先にある命のきわみを見たい、知りたいがために、深く深く潜っていく。
その気持ちには覚えがありました。
私がいまの進路を選んだ理由も、そういえばそれだったと。
