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東京 ガーデニングの旅 

2025年02月19日 | 日記
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東京旅行

ディズニーランドは、「日本一の植物園」でもある、という本の記事を読んで、いつか、行きたいと思っていました。ちょうど、東京に行く用事があり、天気予報で日程を決め、4日間の予定で、名古屋を出発しました。行き先は全部で6施設選びました。

①  東京ディズニーランド
②  夢の島熱帯植物園
③  東京国立博物館
④  国立科学博物館
⑤  東京都美術館
⑥  日本科学未来館

東京ディズニーランド

結論を先に言うと、私のような者が行くところではありませんでした。

確かに多くの植物はあるものの、植物園ではないので、植物に対して、力の入れ方が、私にはあまり感じられませんでした。

また園内のいろいろな構造物が、人工でできていて、それも落ち着かない原因でした。行く前は、一日券で、全部見て回れるかなと思っていましたが、見たい所もないまま、1時間少しいただけで、ディズニーランドを後にしました。


背景の雪山は、壁に描かれた絵なのですが、手前の植物とよくマッチしていて、これには感心しました。



葛飾柴又帝釈天

ディズニーランドの後、その日は何も予定を立ててなかったので、東京の下町でも見ようと思い、寅さんの葛飾柴又帝釈天参道に行くことにしました。

映画に出てくる景色とは随分変わっているだろうなと思っていましたが、驚いたことに当時の映画のまんまでした。ちゃんと“とらや”も残っていて、特に改装されていないと書いてありました。記念に“とらや”の草団子をたべました。





御前様のお寺/大経寺もそのままで、映画には出てこなかったけど、立派な日本庭園があり、入場料を払って見学しました。









東京都美術館

今回の旅行で、東京都美術館で開催されている「田中一村展」を見るのが、目的のひとつでした。

一昨年、奄美大島で田中一村美術館を訪れた時、大きな感銘を受けたので、東京開催は、とても楽しみにしていました。

未公開だった個人所有の作品もたくさん公開されているとのことで、こんな機会は二度とないと、大勢の人で溢れていました。田中一村が5歳くらいの時に描いた絵は、すでに今の私の画力を越えており、8歳くらいに描いた絵は、もう天才の片りんを忍ばせていました。

若い時は、スポンサーも付く大画家だったのに、晩年は奄美の片隅で、掘立小屋みたいに小さな家に住み、近くの染め物工場で働きながら、絵を描いていました。天才の考えることは、凡人には理解できないいい例です。

夢の島熱帯植物館




以前このブログで紹介したナンヨウスギも、ゴミ焼却の地熱で、以前よりすくすくと成長していました。

小笠原の植物だけを集めた温室があります。他の熱帯植物の目で見ると、派手さに欠けますが、ここも東京の一部かと思うと、改めて日本は広いなと思いました。(下)



温室の回路から下を覗くと、谷に熱帯植物が繁っているのですが、その谷底側には、それを背景にした、食堂休憩室があり、こういういろいろな工夫やアイデアに出会えるので、ガーデニングの旅はやめられません。

国立科学博物館

何度も来ているので、今回は特別展の「鳥」だけをみました。

恐竜展はしょっちゅうありますが、鳥だけを焦点にあてた企画は初めてだそうで、鳥について、考えたことのない私にとって、いい機会だと思って、チケットは高かったですが、常設館はやめて、こちらを見学しました。

鳥と行っても実に様々で、恐竜から進化する過程で、いろんな能力をもち、環境に適応していった鳥が現れました。


ペンギンだけでも、これだけの多くの種類がいます。


ニワトリの先祖といわれている、セキショクヤケイです。バリ島でもシンガポールでも、林などでよく見かけました。


東京国立博物館


キティーちゃんの特別展をやっていました。気に留めたこともなかったキティーちゃんですが、国立博物館で取り上げたということは、私の知らないすごい世界なのかもしれません。私は、見ませんでしたけど。

日本文化の歴史を見学しました。いつもながら、日本人はすごい民族だなと思います。

原色昆虫図鑑みたいなのが江戸時代すでにつくられていました。右のクロアゲハの尾状突起が二股に分かれているのが気になりました。本物を写生したものだとすると、ありえないほどの奇形種で、画家の遊び心だとすると、これも文化なのだろうかと思いました。

ここには、これも文化と言えますが、広い日本庭園があります。雨が降っていたので、庵で休憩していると、何組もの外国の観光客が、前を横切っていきました。


日本科学未来館


50年後の未来から、今の自分に手紙を書くコーナーがあります。

50年後の私は、破壊された地球でかろうじて生きていて、50年前の(つまり現在の私)宛に警告の手紙を書いています。

地球がこうなってしまったのは、私をはじめ多くの人が、地球の危機に目を背け、われもわれもと快適な暮らしを、求めてきたからです。

かくして、炭酸ガス/二酸化炭素がどんどん放出され、温暖化がすすんで、50年後には、地球は生き物のいないただの星になっているかもしれないのです。遅かれ早かれそうなるとわかっていたのに、どうして50年前の私たちは、何もしなかったのかと未来館のは問うています。

小松左京の小説の中で、日本が40年人が住まない島になったら、ジャングルで覆われた島になると言っています。私も庭師なのでわかるのですが、木をそのまま手入れもせずに、伸びるに任せておくと、それこそジャングルみたいになります。

50年後の私は、手紙でこう提案しています。

「地上は、植物と、人間以外の動物が住み、人間は地下都市をつくって、そこで生活します。地下街の大きなものと思えば、そう難しいことではないように思えます。地上には地下鉄の出入り口みたいなものが無数にあって、自由勝手に行き来できますが、地上には乗り物がないので、自ずと行動範囲は狭くなります。実は、それこそが、地球を長持ちさせる秘策なのです。」

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