バリ記 

英語関係の執筆の合間に「バリ滞在記」を掲載。今は「英語指導のコツ」が終了し、合間に「バリ島滞在記」を連載。

バリ記26 神経症と遊び

2020-01-07 11:51:35 | バリ記
2000年5月4日
神経症と遊び


 日本人は戦後から現在に至るまでの間で、何を身に付けたか、を一言で言えば、《神経症》だと思う。
健康グッズ、抗菌グッズが流行し、美容に精を出し、ニキビひとつできることを嫌う。
オウム真理教などの新新興宗教も、信者たちの中にある貧困や飢えから来る恐れや不安ではなく、物質的には充たされていながらの〈何ともいえない不安感〉という神経症っぽいものからきているのではないか。ばい菌が殺しに来るのが見えるわけでもないのに、心の中でばい菌が見えてしまう。それを恐れ、いつも清潔にし、汚れを毛嫌いする。0・157の事件などは、日本人を象徴するような出来事だった。ダイエットをしていたらそのまま拒食症になってしまう人、いつも自分はどこか悪いのではないか、と思う人、いつも薬を飲んでいなければ不調を感じる人…
 日本人の全体的な像はこのようなものだ。
 もうひとつ、これは明るい面であるが、老人が元気になった。ただし、これは明治、大正生まれの老人で、昭和生まれ、それも昭和十年代はこれからというところだからまだ未知ではあるが、昔だったら姥捨て的なイメージが老人にはあったが、今は老人は結構遊びを楽しんでいる。〈病気不安症〉はこれはしかたない年齢のような気もするが、度を越した神経症でもなく、適度に遊んでいるように思える。充たされぬ思いはいっぱいあるだろうが、昔の老人に比べて相当環境がよくなったのではないだろうか。
 要するに戦後、我々が身につけたのは〈神経症〉と〈<遊び〉である。バリ島はまだこの二つはない。

2000年5月7日
不思議に共通するもの


 ドアを閉めて、部屋の中で仕事をしていたら店の方で、何やら日本の民謡のようなものが聞こえてきた。誰かCDでも持ってきてかけてるのだろうかと思い、ドアを開けると日本民謡のような音楽がジェゴク(竹の大合奏)に変った。つまりジェゴクの音の中で遠く離れた聞こえない部分があり(たぶん高音部だと思うが)、その部分が聞こえないと日本の民謡のように聞こえるのである。
これは、以前体験し驚いたことである。
今日は、またおもしろいことに気がついた。マッサージルームでマッサージを受けているとレセプションの女 性達が何やらひそひそ話をしている。これも幾つかのドア越しで、聞いていると日本語に聞こえるのである。
あるいは、日本の着物をバリの暑さの基準まではぎとってゆくとバリの腰巻になってしまう。
たぶん、バリの方から日本にも多くの人たちが入ってきたのだろう。おそらく朝鮮半島から多くの人々が入ってくる以前、海上の道をやってきたのだろう。
 言葉や音楽の中にそんな大昔のものが残っているのかもしれない。
 こういう共通点を実感するのは、妙な気持だ。
 現在の言語や地名などをさぐっていけば、日本人のルーツの一部も見えてくるだろう。


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