鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

横須賀・トンネル天国を行く

2015-03-06 | チャリ旅


2 0 1 4 年 8 月 1 8 日 ( 月 )

午 前 8 時 3 0 分

神 奈 川 県 横 須 賀 市

追 浜 駅 付 近



金沢八景から進むこと1km強、ついに国道16号南西端の街・横須賀に入りました。



横須賀市に入って最初に目に入るのは、こぎれいな街並み。



追浜駅前交差点。「おっぱま」です。
そこから続く商店街は、なんともレトロ?なアーケード街。


追浜を抜けると、いよいよトンネル地帯に入ります。


横須賀は東京湾の入口にあるため、帝国海軍が置かれました。
近隣の横浜ともども急速に人口が増えていき、居住地が不足していきます。
三浦半島は、かつて丘陵が浸食を受けてできた谷戸地形で入り組んでおり、人々はそのような狭い土地をも居住地に変えました。
谷戸地形は交通に不便なところでしたが、三浦半島の丘陵は岩盤が柔らかく、トンネルを掘るに適していたそうです。


・・・って「タモリ倶楽部」でやってました。

山を越えるくらいならトンネル造っちゃえという具合でトンネルが掘られていったとか。
それを聞いたタモリ氏は、「横須賀の人って気が短いのかねぇ」なんて言っていましたが、現在横須賀市内には大小150以上ものトンネルがあるそうです。

タモリ氏のいうところの「横須賀人の気の短さ」?のおかげで、私とママチャリは回り道をせず、山道を上らずに進むことができるのです。



横須賀市内最初のトンネルは、浦郷隧道です。
横須賀市内のトンネルは双頭隧道といって、上下線それぞれに1本のトンネルが貫通しています。
当初は上下線対面通行でありトンネルは1本でしたが、自動車社会の進展により新たにトンネルが貫通しました。
新しいほうのトンネルには、「新●●隧道」というように「新」の字が冠に置かれています。



青看にはついに国道16号の先にある三崎の表示が出てきました。



観音崎まではあと13km。
三崎までは、途中で分岐する国道134号を経由することになります。

 

浦郷隧道から約1km、今度は船越隧道です。
「タモリ倶楽部」でも登場したこのトンネルは、出口の脇にひっそりと、使われなくなった人道トンネルが口をあけています。



船越隧道から約1km、田浦隧道



そして田浦隧道を出ると、国道16号は片側1車線の対面通行に・・・なったわけではありません。
上り車線が分離してしまうのです。
依然、片側2車線のままです。

JR横須賀線の田浦駅は、この近くにあります。
横須賀線の電車は11両編成が基本となっています。(逗子・久里浜間のみ。逗子より先は15両が基本です)
しかし田浦駅はトンネルとトンネルに挟まれているためホームが短く、11両のうち2両はトンネルから出られないまま駅に停車。
そのためトンネル内の2両については、ドアが開かないという特殊対応をしているのです。

田浦駅への入口を通過すると、次のトンネル・・・



吾妻隧道に突入。



次いで長浦隧道へ。

国道16号・横須賀市内のトンネルは、すべて進行方向左側に歩道が完備されています。千葉市内の不親切設計のトンネルとは違いますな~。
歩道のスペースを確保し、車道が右寄りに移ったため、右車線の天井が低めになっています。
そのため、右車線には3.8mの高さ制限がなされています。



長浦隧道を出ると、安針塚駅入口交差点で上り線と再会。
安針塚には、江戸時代初頭に徳川家康の貿易指南役として活躍したイギリス人・ウィリアム=アダムズ(三浦按針)の墓があります。

交差点のすぐ先に、再びトンネル。



レンガの装飾がなされている新吉浦隧道。ここからは下り線が新しいトンネルになります。
このトンネルを抜けると、再び上下線が分離します。



次は逸見(へみ)隧道です。
「逸見」という文字を見ると、バブル期を駆け抜けたキャスター・逸見政孝氏を連想して「いつみ」と読んでしまいがちです。

国道16号の南西端・走水交差点まであと10km。

新逸見隧道を出たところで上下線は再びひとつとなり、



最後のトンネル・横須賀隧道へ。



横須賀隧道を出たところで、突如歩道消失!



仕方なく右側通行をすることに。
ここでまたしても上下の車線が分かれていきますが、直後のヴェルニー公園前交差点でまたひとつに。



横須賀市内の中心部に近づき、国道16号はいっそう海寄りのルートを通っていきます。





三浦半島へ向かう~横浜を南下

2015-03-06 | チャリ旅


2 0 1 4 年 8 月 1 8 日 ( 月 )

午 前 7 時 0 1 分

横 浜 市 南 区

地 下 鉄 ブ ル ー ラ イ ン 吉 野 町 駅 付 近



第63回鬼ヅモ同好会麻雀大会、閉幕。

 ※この記事をアップした当時、すでに第64回大会が終わって3か月経っていました。
  PCの故障を長らく放置したためです。



川越で買った「日本一長い麩菓子」の残り30cmを食べて、よね先生宅を出発。
麻雀大会も終わって、自宅に戻るだけなのですが、今回は国道16号を走破するために、まったく逆方向のルートを進まなければなりません。



最終日の行程は、横浜・吉野町から南下して約30km先、横須賀の観音崎へ。
そのあと約10km進んで、久里浜から対岸の金谷へ渡ります。
金谷から約20km進んで富津岬へ。
あとはひたすら北上して約50km、スタート地点の千葉へと帰還するハードスケジュールです。



「国道16号完全走破」3日目の終点・吉野町三丁目交差点からスタート。



いつもどおり、交通法規を遵守して進行方向の左側を走行していきます。



この日最初の青看。
「横須賀 21km」とありますが、これは横須賀市役所までの距離のことで、私が目指す観音崎は、横須賀市役所のずっと先にあります。
「金沢 13km」はもちろん、兼六園で有名な金沢じゃなくて、金沢文庫で有名な横浜市金沢区を指します。

そしてこのとき、私は進行方向右側の歩道を走っていました。
吉野町からほどなく進むと、掘割川が差し迫り、左側の歩道はなくなってしまいます。
交通量が多いので、右側の歩道を進むこととなったわけです。



吉野町から1kmも進まぬうちに、磯子区に入りました。

途中のコンビニに立ち寄り、ちゃんとした朝食を摂り、長丁場に備えます。



スタートから2.5km、八幡橋交差点で国道16号は右折します。
そのあとは、しばらく道なりに進んでいくこととなります。



JR根岸線・磯子駅付近。
道路沿いに高層建築が並び、歩道は日陰に覆われていました。とても涼しく快適に進めました。

前方に見える丘。これを上らなければならないのか!?

そのような心配は杞憂でした。
磯子区は海沿いに台地が迫り、そこへ上がるにはかなり急な坂を進まなければなりませんが、国道16号はまさに台地が迫るところをぎりぎりに通っていて、台地に上がることはありません。



「走水まで25km」のキロポストです。
横須賀市走水は国道16号の西端で、観音崎の手前にあります。



スタートから約7km、新杉田駅付近を通過し、JR根岸線の高架をくぐると、国道16号は片側1車線となってしまいます。
青看にはじめて観音崎が登場し、磯子区脱出までもう少しのところ。




午 前 7 時 5 2 分

金 沢 区 に 入 る




片側1車線になってほどなく、金沢区に入ったようです。
国道のおにぎりのついでに「金沢区」なんていわれると、区界標かどうか疑ってしまいます。

磯子区ではなんとか坂を上らずにすみましたが、金沢区に入ってゆるやかなアップダウンを進むことになります。



そしてこの日最初のトンネル・富岡隧道です。
三浦半島は、丘陵地が浸食されてできた谷間の地形である谷戸の多いところで、谷戸と谷戸を結ぶトンネルがとても多いそうです。

国道16号は、これから三浦半島の奥へと進んでいきます。



京急線能見台(のうけんだい)駅付近。走水まではあと20km。

ママチャリは順調に進み、金沢文庫駅前を通過。
金沢文庫には寄りませんでした。

口の両端をひっぱって、「金沢文庫」と言うと・・・

桃色女優の金沢文子を思い出すこともなく、ママチャリはハイペースで金沢八景へ。



国道16号に突如現れる、そそり立つ壁。
大型商業施設・京急サニーマートです。
金沢区はJRが通っていないためなのか、京急グループが幅を利かせているようです。

金沢八景駅では新逗子方面へ続く京急逗子線が分岐しますが、国道16号は京急本線とともに横須賀へ。
車道は片側2車線に戻り、このまま横須賀まで続きます。



距離青看に観音崎が現れ、



ついに神奈川県最後の街・横須賀へ。



天候は快晴、時刻はまだ8時半でした。





国道16号の起点・横浜

2014-11-14 | チャリ旅


2 0 1 4 年 8 月 1 6 日 ( 土 )

午 後 6 時 3 3 分

神 奈 川 県 大 和 市

フ ァ ミ リ ー マ ー ト つ き み 野 入 口 店



相模原をスムーズに通過したママチャリと私。



なぜか大和市に入った途端、私のおなかが悲鳴を上げます。
地下立体交差のところにあったファミリーマートで二度目の休憩です。



本日の行程はだいたい50km。
大和市に入る前に高島町まで20kmのキロポストを通過していて、高島町から先の吉野町まではだいたい5kmほど。
八王子を発ったのが午後4時20分なので、コンビニ休憩を込みとしても時速11km強と、前日とは打って変わってのハイペース。
しかもこの先に御殿峠のような難所はないと思われるので、このまま行けば午後9時ごろには到着できそうです。



この日二度目のファミマを発ち、地下立体交差で潜っていた国道16号と合流。



ほどなく進んだところにある歩道橋には、「町田市上鶴間1丁目」とあります。
市境標もなくひっそりと、3度目の町田市へ突入です。つまりは東京都に逆戻り、とも言えますねぇ(^_^;)

そのまま進むと、なにやら大規模な高架橋を建造しています。



高架橋工事は断続的ながらも、数kmほどに及んでいます。

 

国道246号と交差する東名入口交差点
地上にある国道16号に対し、国道246号は高架化されています。
ですが将来的には、国道16号も高架化されそうです。
東名の先に続く保土ヶ谷バイパスを町田側まで伸ばす工事のようです。



国道246号のすぐ先に、東名高速道路横浜町田インターが待ち構えます。



横浜町田インターには、歩行者・自転車用の側道が用意されています。
少しばかり狭いですが、側道を通れば難なく通過できます。




午 後 6 時 5 4 分

い つ の 間 に か 横 浜 市 内 に




横浜町田インターを越えると、国道16号の上空を高架橋が覆っています。
東名からバイパスまで直通しています。
さらに1kmほど進むと、



保土ヶ谷バイパスとの分岐点・上川井インターが現れました。
国道16号はここで二手に分かれますが、バイパスのほうは自動車専用道路となっていて自転車は立入りできません。
鶴ヶ峰方面へと続くバイパスでないほうの国道16号へと進みます。

そういえば、いつの間に神奈川県に入っていたのでしょうか?
地図を見てみると、横浜町田インターのところをバサっと都県境が横切っています。
あのほっそーい側道を通っている間に神奈川県に入っていたのかもしれません。



横浜市内に入り、キロポストも変わります。
さすがに「横浜まで●km」というものはなくなります。
そしてここは保土ヶ谷バイパスとの分岐点ですので、「新保土ヶ谷ICまで9km、高島まで14km」と表示されています。
私とママチャリが向かうのは高島のほうです。




午 後 7 時 0 2 分

上 川 井 イ ン タ ー を 通 過




あれだけの権勢を誇っていた国道16号が、バイパスを外れると片側1車線になってしまいます。
非バイパスの16号は八王子街道の通称をもちます。



保土ヶ谷バイパスを外れて最初の青看は、上川井インターからだいたい700mほどで現れます。
先ほどから登場する地名・鶴ヶ峰は、旭区役所があるところです。
相鉄線ユーザーでないとピンと来ないかもしれません。



八王子街道を進んでだいたい5km、鶴ヶ峰付近に差しかかりました。
青看に国道16号の起点・高島が表示されるようになりました。

八王子街道は、横浜の丘陵地帯を進んでいきますが、ゆるやかなアップダウンはあるものの、傾斜は体感で3%弱。
坂自体も長いものはなく、難なく通過できます。



鶴ヶ峰から1.5kmほど、保土ヶ谷区に入りました。
相鉄線の西谷駅を右に見ながら進んでいきます。
西谷駅の真上を東海道新幹線の高架が通過しています。



西谷駅から1km弱、横浜環状2号線との分岐手前で片側2車線となります。



片側2車線になってからだいたい1km、上星川駅の駅前を通過し和田町駅付近。
アップダウンもほとんどなくなり、夜の横浜市内を快調に進みます。
高島町まではあと4km。



和田町駅付近から約1.5km、ついに横浜市西区に入りました。



八王子街道でもっとも傾斜のある坂。
横浜市内を流れる帷子(かたびら)川、相鉄線、JR東海道線&横須賀線を一気に越えていく橋です。



橋の下には何重にも敷設された線路、そしてその先にはランドマークタワー
いよいよこの日のゴールが近いと実感。



橋詰にある浜松町交差点を左折。
ここから高島町までは、国道1号との重複区間となります。



重複区間は1kmほどしかなく、京急線・戸部駅の高架が見えてきたら高島町まではあと少し。




午 後 8 時 0 1 分

国 道 1 6 号 の 起 点 ・ 高 島 町 に 到 達


 

国道16号の法律上の起点&終点である高島町交差点です。
八王子駅前からスタートして3時間40分と、前日のほぼ2倍のペースで到達できました。
千葉からスタートして170kmを走破、そして予想外のハイペースに感慨もひとしお・・・といったところですが、本日の目的地はここからもう少し先の吉野町です。

ちなみにこの高島町交差点は、自動車は右折することはできません




一服することなく高島町から旅を再開。
頭上にきらめくランドマーク。



左側にはJR根岸線の大ガード。
かつては落書き防止のために落書きアートが描かれていましたが、今は完全に消されています。
新たに落書きをする不届き者はいないようでなによりです。



ガード下を通っていくと、中区の区境標がぽつんとあります。



すぐ先に、JR桜木町駅があります。



駅のすぐそばに、国道133号との分岐があります。
国道133号は桜木町駅前から山下公園までを結ぶ「港国道」で、全国で4番目に短い国道です。



桜木町駅前を過ぎると、オフィス街の中心部に入っていきます。
前方に横浜スタジアムが見えたところで、国道16号は尾上町交差点を右に曲がります。



右折したところにあるJR関内駅です。
ここから吉野町までは鎌倉街道を通ることになります。



曙町などの繁華街を通り、

 

この日の目的地・吉野町三丁目交差点に到達しました。
国道16号はここで鎌倉街道と分かれます。



こうしてママチャリを無事に横浜に取り寄せて、私は麻雀大会に参加したのでした。
大会が終わったあと、国道16号の旅は最終段階へ。





政令指定都市・相模原

2014-11-09 | チャリ旅


2 0 1 4 年 8 月 1 6 日 ( 土 )

午 後 5 時 1 6 分

相 模 原 市 緑 区

橋 本 駅 付 近





国道16号線唯一の峠・御殿峠を下り、ママチャリと私は神奈川県相模原市へ。
相模原といえば、このほど平成21年に政令指定都市になった大きな街です。


政令指定都市とは、地方自治法第252条の19第1項によると、
「政令で指定する人口五十万以上の都市」
のことをいいます。
政令指定都市になると、都道府県が所管する事務の一部を政令市単独で行うことができ(同条2項)、また政令市のもとに区を置くことができるようになります(同法第252条の20)。
政令指定都市になる条件は、明文化されているのは意外にも人口だけだったりします。
しかし実際には、都道府県の事務を余分に行うだけの必要性と能力が要求されるので、地方公共団体に関する業務を取り扱う総務省においては一定の基準があり、人口50万を超えただけでは政令指定都市にはなれません。
たとえば私の住む船橋市は人口60万超ですが、政令指定都市ではありません。

地方自治法第二百五十二条の十九第一項の指定都市の指定に関する政令では、
大阪市、名古屋市、京都市、横浜市、神戸市、北九州市、札幌市、川崎市、福岡市、広島市、仙台市、千葉市、さいたま市、静岡市、堺市、新潟市、浜松市、岡山市、相模原市、熊本市
以上の20都市が指定されています。



当初は人口100万人以上か、近い将来100万人以上になると思われる都市が政令指定都市になれたのでした。
(そして千葉市を除いて、人口は100万人以上になりました。北九州市は近年人口が減少し、100万人を下回ってしまいました)
ターニングポイントは、「平成の大合併」で100万人を超えたさいたま市、そして人口70万人で政令指定都市となった静岡市の登場です。
静岡の政令市指定は、そのハードルがぐ~~っと下がった印象を受けました。


ともあれ、周囲の津久井町やら、山梨や八王子に近い藤野町や相模湖町やらを併合して政令指定都市にのし上がった相模原。
私の中では「政令指定都市に無理矢理なった街」という、なんともネガティヴなイメージがあった相模原を、ママチャリで進んでいきます。



まずはもうひとつの16号・八王子バイパスとの合流です。




ここは橋本陸橋に阻まれて、自転車は八王子バイパスに入れません。
青看にある国道413号線は陸橋の側道から分岐します。そして分岐の交差点には信号がありません。
相模原市の中核をなす橋本で、信号のない国道分岐は意外です。



橋本陸橋を越え、ようやく自転車も合流。
この近くには、東側に橋本駅、西側に緑区役所があります。
旧津久井町や旧相模湖町などはすべて緑区になったため、緑区の面積はやたらと広くなっています。



こんどは橋本高架橋で、国道16号はまたも上へ。



国道129号との分岐となる橋本五差路
自転車は地下道で通過することになりますが、面倒なので車道に出てしまいました。



橋本高架橋の次は、JR相模線を越える陸橋です。
ここを越えると、看板はありませんが中央区に入ります。



JR相模線の南橋本駅付近が、横浜の高島町まであと30kmの地点になります。



JR横浜線の相模原駅付近で、自転車専用レーンが登場!
相模原市は自転車には優しい都市ですねぇ(#^.^#)
専用レーンの中央にポールが立っていることから考えると、このレーンは両方向の自転車が利用できるようになっているようです。



しばらく進むと自転車専用レーンは消えてしまいますが、次はこのような感じの道。
両サイドに側道が設けられ、分離帯で区切られているのですが、広い道路にありがちな中央分離帯がありません。
一説によると、自動車が行き来する中央の道路は、非常時には軍用道路として用いられるのだとか。
JR横浜線の北側には米軍基地があるので、この話もあながち都市伝説ではなさそうです。

ママチャリ・ライダーの私からすると、この道路も側道を走ればいいので、このあたりはとてもスムーズに走破することができました。



JR横浜線・淵野辺駅付近まで来ると、歩道が狭くなってしまいます。
このあたりは逆走してくる自転車が多かったです(T_T)



大野台郵便局前交差点。このあたりは国道16号が区境となっていて、北側が中央区、南側が南区になっています。
私は左側通行を遵守していますので、この時点ではまだ中央区から抜けていません。
青看には「東名」の表示が初登場。



ごりっぱな歩道橋「こもれびの橋」がかかる古淵駅入口交差点
この少し手前から完全に南区に入ります。区境の看板はありませんが。



南区に入ると、ロードサイド店舗は少なくなり、歩道に木々がそびえる並木道になります。
先には約10kmぶりの陸橋が見えてきます。



谷口陸橋です。交差点の先で小田急小田原線を越えます。
小田急線の重要駅・相模大野駅はすぐ近くにあります。



小田急線を越えると、片側3車線の広い道路に。
南大野小学校付近に、高島町まであと20kmのキロポストが立っています。



相模原市。
国道16号に限っては、アップダウンがほぼ皆無で、しかも自転車にとっては快走路が続きました。




午 後 6 時 2 2 分

大 和 市 に 入 る


こうしてなんの障害もなく、むしろスムーズすぎるほどに相模原市を通過。



東名高速にほど近い大和市に入りました。



ありがとう、相模原。
私は、誓う。
二度と相模原を「ムリヤリ政令指定都市になった」なんて侮ったりしないと。






東京環状峠越え~八王子から相模原へ

2014-11-06 | チャリ旅


2 0 1 4 年 8 月 1 6 日 ( 土 )

横 浜 市 某 所

よ ね 氏 宅



前日は、大宮から横浜までの約100kmという長丁場。



手段を選ばず、なりふり構わず横浜へ。
その結果、鬼ヅモ会員の誰よりも早く横浜入りすることができたのでした。





・・・・・・前日、道の駅・八王子滝山にて。

「もしもし、たか先生ですか? 私です。
 もう20時近いのに、まだ八王子にいるんですけど(T_T)
 しょうがないんで今日は八王子駅かどこかでチャリを乗り捨てますわ」



実際のところ、入間でダウンしたところで、2日目の完走をあきらめていました。
道の駅で滝山そばを食べたところで、八王子で途中下車することが決まったのでした。


ということで、「国道16号完全走破」の旅は急遽泣きの3日目に突入することに。



この日は、ママチャリを乗り捨てた八王子駅から、2日目の終点のはずだった横浜の吉野町三丁目交差点まで。
距離はぐっと縮まって約50kmです。




午 後 3 時 ご ろ

よ ね 氏 宅 を 発 つ


この日の目的は、乗り捨てたママチャリを取り戻すというもの。
そのために地下鉄ブルーライン、JR横浜線と乗り継ぎ、八王子へと向かいます。

ママチャリの旅の元来の目的である「交通費の節約」という観点からすれば、まったくの本末転倒です。

いや、私のママチャリの旅で寄り道をしない例はほぼ皆無。
コンビニに寄り、ファミレスに寄り、神仏を詣でたりと、公共交通機関を使ったほうがカネがかからないのが常です。

今となっては完全に開き直って、「寄り道しなきゃチャリ旅じゃねぇ」というくらいの心持ちになってきてますね。




午 後 4 時 2 2 分

東 京 都 八 王 子 市

J R 八 王 子 駅 地 下 駐 輪 場




前日に停めたチャリを取り戻しました。
停めた時刻から24時間経っていなかったためなのか、出費はたったの100円。素晴らしいですねぇ。

JR八王子駅周辺にはいくつか駐輪場がありますが、ほとんどが2時間まで無料&以後2時間ごとに100円というタイプ。
駅の地下駐輪場は1日どれだけ駐輪しても100円というタイプ。
長時間駐輪が確定していた前日は、ここにたどり着くまで駐輪場探しに手こずっていました。



さてママチャリとともに地上へと出ると・・・弱めの雨~。
この程度の雨ならば、カッパを着ずに強行突破の一択のみ。
私にとっても、空模様も泣きの3日目、ここに始まります。

 

JR八王子駅北口から北西へ延びる歩行者専用道路・西放射線ユーロードをたどって、国道20号・甲州街道へと出ます。
画像にある信号(八日町東)の次の信号・八日町交差点から、国道16号へと入っていきます。



八王子から横浜までは42km。
2日目のペース(時速約7km)で行けば約6時間以上かかりそうです。



国道16号と平面交差する唯一の踏切です。
通っている路線は、繁忙を極めるあのJR中央線です。
ここはJR八王子駅以西なので、本数は都心と比べればかなり減ってきますが、それでも交通のネックとなっているところです。



中央線の踏切からだいたい700mのところ、黄金橋という短い橋のところで、国道16号は片側1車線の対面交通となります。
今回の片側1車線は、神奈川県の橋本までの約4kmと長きに及びます。
そして片側1車線になったあたりから、最初のアップダウンがひかえます。子安坂というようです。

京王高尾線の高架をくぐり、いったん下り坂。
そしてJR横浜線の高架をくぐると、この次は本格的な上りが待っています。

そういえば出だしに降っていた雨はすっかり止み、しかも太陽は雲に隠れたまま。
気温はそれほど上がらず、きつい上りを進むにはなんとも有利な条件が重なっていました。



八王子市片倉町の歩道橋。
「東京環状 37.30km」とあるように、横浜の高島町まではあと37.3km。
「横浜 39km」なので、横浜市役所までは39kmあります。
そういえば国道16号は通称「東京環状」と呼ばれます・・・が、そう呼ばれるのは東京都と神奈川県の相模原付近のみ。千葉や埼玉や横浜ではそう呼ばれるのを聞いたことはありません。

そしてこの歩道橋の先が、国道16号唯一の峠・御殿峠へと続く上り坂。
峠の標高が200mほどなので、傾斜はそれほどきつくなく、だいたい5%前後でしょうか。
しかし坂道がどれほど続くかわからなかったので、無理にこぎ進むことは控え、ギアを落としてゆっくり進みます。

左手に見える片倉高校東京工科大学のキャンパス。



東京工科大学の前にある御殿峠バス停が見えたら、峠まではあと500mほど。坂道はまだまだ続きます。
なんともまぎらわしいバス停です。



右側に大久保石見守長安の看板が見えてきたら、峠まではもうひと辛抱。



上り坂の始まりである片倉町の歩道橋から約1.5km、ついに御殿峠に到着。
このあたりは山がちな地形でありながら学校が多く、近くには山野美容芸術短大、東京造形大、多摩美術大があります。

ここからは1.5kmほど下り坂となります。
御殿峠交差点の次の信号で、一瞬だけ町田市に入りますが、ふたたび八王子市になります。
ホントに一瞬だけなので、市境の看板は立っていませんでした。

下り坂の途中にもうひとつの16号・八王子バイパスに接続できる鑓水インターがあり、それを越えると、



2度目の町田市に入ります。
しかしそれもつかの間、1kmも進まぬうちに、



ついに神奈川県相模原市へと入りました。


八王子バイパスとの合流付近にある香福寺前交差点



青看に国道16号の西の突端・横須賀がついに登場。
横浜(市役所)まで35kmのところで、本日1回目の休憩を、この交差点のそばにあるファミマでとることとしました。





夜の八王子滝山

2014-10-24 | チャリ旅


2 0 1 4 年 8 月 1 5 日 ( 金 )

午 後 7 時 0 1 分

東 京 都 昭 島 市

国 道 1 6 号 拝 島 橋



「国道16号完全走破」の旅・2日目。



この日は大宮を出発、川越で寄り道し「日本一長い麩菓子」を手土産にして、八王子を回って横浜を目指していました。
ですが夏の太陽にやられてしまい、埼玉の入間で休止を余儀なくされてしまいます。



多摩川にかかる拝島橋まで到達したのは、すっかり日が沈んで時刻は午後7時を回っていました。



拝島橋の先には、不気味に暗い八王子の丘陵地帯が待ち受けていました。




午 後 7 時 0 5 分

八 王 子 市 に 入 る


国道16号は片側2車線のまま丘陵地帯を上り始め、



八王子市に入りました。
入間から出発して以来、コンビニにも寄らずノンストップで進んできたので、ここの茂みでちいさな用事を済ませます



このあたりは八王子市の滝山地区。近くには滝山城址公園があります。
森林を切り通したような風景で、道沿いに建物は見当たらないのですが、散歩する人やジョギングする人をぽつぽつ見かけました。


戦国時代には北条氏康の二男・氏照が滝山城の城主を務めていました。
北条と武田の同盟が破棄されると、滝山城は武田信玄の猛攻を受けましたが、辛くも凌ぎきっています。
この滝山城攻防戦では、北条氏照と、信玄の四男・勝頼が一騎打ちをしたという伝承があります。
のちに氏照は、滝山城からより山深い八王子城へと移り、滝山城は廃城となりました。



拝島橋から滝山方面へ上っていく坂道はなかなか険しく、おりからの疲労もたまっていたので、ついに自転車を降り歩いて上りました。


市境で膀胱を空っぽにしたところで、今度は胃腸が空っぽである感覚に襲われました。
付近にはレストランがなさそうでしたが、地図を見ると道の駅・八王子滝山が近くにあったので、ここで食事をすることとしました。

長い坂道を下ったところにある左入橋交差点を右折し、500mほど進むと、広大な駐車場とともに道の駅が見えてきました。




午 後 7 時 1 7 分

東 京 都 八 王 子 市

道 の 駅 八 王 子 滝 山


日がすっかり暮れて、比較的山がちなところなのですが、歩行者がぽつぽつと見受けられました。
それも学生と思われる20代前後の若人。



道の駅八王子滝山。じつは東京都内唯一の道の駅なのだそうです。
そしてここの「駅長」なる人物は、かの文豪・芥川龍之介の孫にあたるとか。

道の駅八王子滝山は、日がすっかり暮れてしまっても普通に営業していました。
私の地元の道の駅は、午後6時を過ぎるとあっさりと営業が終了してしまうのですから、さすがは都内唯一の道の駅です。

道の駅にある食堂も営業中でした。店員は学生と思しき若者。
その若者が、妙に元気接客してきます(^_^;)
(私は必要以上にやる気のある人はとても苦手です)



滝山そば! チョイチョイ・・・・・・ズルズルズル~~うまい!
冷えっ冷えの田舎そばを、鴨肉、山菜、きのこが入った温かいつけ汁でいただきます。お値段は880円ナリ。

・・・・・・滝山そばよりも、この道の駅の、私が感じるある種の違和感。
元気のいいバイト学生。駐車場にたむろする学生と思われる者たち。


・・・・・・近くにある、あの大学と関係があるのだろうか?


ここでもトイレで用を足して、道の駅を後にしました。
ここの道の駅は冷房が効きすぎるよ(^_^;)




午 後 8 時 0 9 分

国 道 1 6 号 に 戻 る


もとの左入橋交差点に戻りました。



交差点の所にある青看です。ここでは「相模原」と「八王子市街」が表示されています。
八王子市街はおそらく甲州街道までの距離だと思われます。

この交差点は、神奈川県境付近まで続く八王子バイパスとの分岐点でもあります。
今回はバイパスは通らず、一般道をひた走りました。



八王子バイパスとの分岐から1kmほどで、中央自動車道八王子インターに差しかかりました。
中央道に入るには一般道の国道16号を通らねばなりません。八王子バイパスからは中央道に入れません。
が、高井戸からの車は、八王子バイパス(第1出口)にも一般道(第2出口)にも下りられます。



さて自転車にとっては・・・横断歩道を使って難なく通過できます。
八王子インターは自転車にやさしいです(#^.^#)



八王子インターを過ぎ、500m以上進んだところの青看。バックに見えるのは中央自動車道の高架です。
ここで「横浜」が初登場です。
横浜まで44km、このままでは横浜到着は午前1時過ぎになりそうな情勢。



中央自動車道の高架をくぐると、1km弱の片側1車線区間があります。
上り坂&歩道狭い&草茂み気味です。

多摩川の支流・浅川を渡ると、ふたたび片側2車線の道路となり、八王子の中心部へ。
夜だというのに歩行者も多く、なかなかの活気です。



国道20号甲州街道との交点である八幡町交差点に到着しました。
国道16号はここで左折し、500mほどの間、国道20号との重複区間を進みます・・・・・・が。




午 後 1 0 時 ご ろ

横 浜 市 南 区


私は鬼ヅモ同好会の麻雀に参加すべく、





早々に横浜に入ったのでした。



◆参考資料
道の駅八王子滝山 http://www.michinoeki-hachioji.net/





基地のある街~都県境から拝島橋へ

2014-10-17 | チャリ旅


2 0 1 4 年 8 月 1 5 日 ( 金 )

午 後 5 時 4 8 分

東 京 都 西 多 摩 郡 瑞 穂 町



ママチャリ「国道16号完全走破」の旅、2日目は大宮から横浜までの約90km。



時刻はそろそろ午後6時になろうというところで、ようやく東京都に入りました。



東京都瑞穂町、現時点では国道16号線が通る地方公共団体で唯一の「町」です。
ここの境標はなぜか異常にデカいです。



都内に入っても国道16号は相変わらずの片側2車線、交通量も少なくありません。
この日は前方に富士山?がチラチラと見えていました。


都県境から5kmほど進むと、JR八高線と交差します。
国道16号は地下を進んでいきますが、自転車は進めないので脇道に入って八高線を越えていきます。

八高線を越えて国道16号に戻ると、



左側には名高き横田基地です。



米軍基地の沿線らしく、英語表記の標識も立っています。



当然、現役の戦闘機もあります。
これだけの近い距離で戦闘機を見たのは初めてなので、なんだか沸き立つものがありました。

横田基地沿線は基地側(進行方向左側)の歩道がとても狭いので、自転車ですが右側通行とさせていただきました。



横田基地の沿線を走ってだいたい1km、



羽村市に入ります。それから500mほどで、



今度は福生市です。



瑞穂町や羽村市では、東京税関など行政機関があってものものしい雰囲気すら感じましたが、福生に入るとこのとおり。
なんともアメリカナイズされた街並みが続きます。





横田基地に入れるゲートがあるのは福生市だけ。
こちらは横田基地の南側にある第5ゲート
左側にアメリカ合衆国空軍のエンブレム、右側には日本国航空自衛隊のエンブレムがかかっています。



第5ゲート前交差点のところが、横浜まであと50kmの地点になっています。
ここを通過し、玉川上水とJR線をまたぐ武蔵野橋に差しかかると、基地とはおさらばとなります。




午 後 6 時 4 2 分

昭 島 市 に 入 っ た ?


武蔵野橋を渡ったところで、昭島市に入った・・・ようです。
武蔵野橋まで右側を走行していた関係で、市境標を見逃していました。

そこから1kmもしないところ、



小荷田交差点で国道16号は左折します。こちらも渋滞の難所とされています。



小荷田交差点を越えたところにある青看。ついに神奈川県の相模原が登場します。
もうすぐ午後7時というところであと20kmはキツい。


小荷田交差点から1.5kmほどで、国道16号は右に曲がることとなります。



堂方上交差点を曲がったところで、長めのゆるやかな下り坂。下った先にあるのは、



青看にたびたび出ていた拝島橋多摩川です。



橋を渡った先には、なんとも不気味な丘。
国道16号最大の難所・八王子が待ち構えています。





灼熱の狭山丘陵~川越から都県境へ

2014-10-06 | チャリ旅


2 0 1 4 年 8 月 1 5 日 ( 金 )

午 後 2 時 3 0 分

埼 玉 県 川 越 市



小江戸川越に寄り道し、菓子屋横丁「日本一長い麩菓子」を買いました。
麩菓子は、カゴに突き刺すように入れ他の荷物で固定することで、安定的に運搬できます。



その代償として、麩菓子がいちいち視界に入ってきて、ストレスに・・・(^_^;)




さて「国道16号完全走破」の旅は、国道254号川越街道との交点である新宿町(北)交差点から再開します。



新宿町から再開して最初の青看です。
八王子まで36kmもあります。横浜までだと80km以上・・・。
この時間の押しっぷりに焦りを感じ始めました。
そして川越インターまでは3km。関越自動車道は自転車をあっさり通してくれるのでしょうか。



自転車の進入を拒むがごとき陸橋。この先の交差点で国道16号は左折するようです。
陸橋の脇道に入っていきます。



地に横たわる線路は西武新宿線。陸橋に上る階段に自転車通行帯はありません。
あたりを見回すと近くに踏切がありました。
踏切を渡って道をそのまま進み、あっさりと国道16号に復帰できました。



ロードサイドに店舗がひしめく川越市内を走っていきます。交通量も相変わらず多いです。



関越自動車道川越インターまでやってきました。
どうやらこのインターは常磐道の柏インターと同様に、跨道橋でオーバーパスしていくようですが、



なんだよこの歩道橋は? 自転車越えられねぇよ!!
そうかそうか、インターから続く脇道を行けばいいんだ。
そう思って進んでいくと、つぶれたラブホテルの敷地に迷い込み、行き止まり。

仕方がないので、危険を冒して路側帯のない車道からの強行突破をするしかありませんでした。
視界に入ってストレスとなっている麩菓子と相まって、怒りゲージがたまってきます。




午 後 3 時 0 4 分

狭 山 市 に 入 る


川越インターから1kmほど進むと、風景は変わって左サイドに工場が立ち並びます。
工場の敷地に差しかかったところ。



川越市新宿町から約6kmで、狭山市に入りました。
狭山といえばお茶の生産地。坂道嫌いの私にとっては恐怖の丘陵地帯に入るということになります。



横浜の高島町まであと70km、八王子まではあと30km。
沿線風景は、工場からロードサイド店舗に戻ります。
狭山市内の16号はアップダウンを繰り返しはしますが、傾斜があまりきつくないので、立ちこぎ&ギアチェンジがなくとも乗り切れました。



キロポストから1km進み、八王子までは29km。
都県境に面する瑞穂町が青看に初登場。
「瑞穂 14Km」だから、東京都に入るのはあと10km強、1時間くらいだろう。
そう思っていました。



顔が、ヒリヒリして痛い。
日焼け止めを塗るのを忘れていたのです。
コンビニに立ち寄り日焼け止めを購入、今更遅いとは知りながらも表皮に塗りたくります。
そして頭のほうも熱っぽく感じられたので、タオルに水を湿らせ頭に巻いていきます。

この日は真夏の快晴、直射日光が容赦なく照りつけてきます。
体力の消耗も予想以上で、少し進んでは小休止を繰り返すことに。
思った以上に行程がはかどりません。




午 後 3 時 5 2 分

入 間 市 に 入 る


スピードが上がらないまま、入間市に入りました。



炎天下のアップダウンは、たとえ傾斜が緩やかでも堪えます。
狭山市内の行程は約6kmほどですが、通過に48分もかかってしまいました。時速換算で7.5km/hです。
このままで行くと、入間から70km先の横浜に到着するのは日付が変わってからになってしまいます。



国道16号ではめずらしい片側1車線の対面交通になります。
ただこれは、この先の河原町交差点までの500メートルほどと一時的なものです。
Nack5の交通情報では「入間市河原町」のフレーズを聞かない日はないくらいの渋滞ポイントなのだそうです。
この日も軽く渋滞していました。



入間市河原町の「凶悪さ」は、自動車に限ったことではなかったのです。
河原町交差点を越えたすぐのところにある高架橋は西武池袋線なのですが、自転車&歩行者はなぜか階段を下されます。
しかもこちら側の階段には自転車通行帯がなかった! なんでこんな仕打ちをママチャリは受けなきゃいけないんだ(T_T)

ご覧のとおり路側帯は極狭で、交通量も多かったので車道の強行突破は差し控え、いったん河原町交差点に戻り反対側の歩道へ。
幸い反対側の階段には自転車通行帯が確保されていたので、その道なりに進みます。
国道16号からは外れ、脇道の市道を進むことに。



この坂を上れば国道16号に合流できますが、なかなか急な坂だなぁ(T_T)
狭山市内の緩やかな坂でも食傷気味だったのに、この坂は相当の精神的ダメージを与えてきます。

それだけでなく、入間市内の国道16号もアップダウンが続く難路。
その度合いは増し、坂ひとつひとつが急になっているようでした。
私は立ち漕ぎでようやく切り抜けることができました。



入間市に入り、青看の表示はすべて東京都内のものになりました。
初登場の「拝島橋」は多摩川にかかる橋で、昭島市の南端にあります。



突然、頭痛が発生。
そしてなぜか、顔がぶるぶると震えだしました。正確に言えば唇あたり。


「これって、死ぬんじゃねぇのか!?」

生命の危険を直感した私は、とにかく休息ができるファミレスを探し駆け込むことに。
店内に入ってもめまいはしばらく続いたのでした。



今回の体調不良の要因は、夏の太陽を甘く見たことだと思います。
出発時刻が遅すぎたのと、川越で寄り道をしたので、気温の高くなる丘陵地帯を通ったのが午後2時になったこと。
自転車は左側通行という交通法規を律儀に遵守していたので、午後の西日を直に受けていました。そして・・・



自分に麩菓子をお見舞いしてしまったことでしょうか。
とにかく視界にチラチラ入ってくる麩菓子が邪魔で邪魔でしかたがなく、これがボディブローのように効いてきたのです。
 (↑ 自分で買ってきたというのにこの言い草・・・(^_^;))




午 後 5 時 2 1 分

ス テ ー キ ガ ス ト 入 間 店


ステーキガストに駆け込んでから1時間、症状はおさまってきました。
激しく照りつけていた太陽は斜陽の時を迎え、外気は涼しくなり始めていました。

旅立ちは、今をおいてほかにない。
ほとんど飲まなかったドリンクバーの料金を支払い、旅を再開します。


ステーキガストからほどないところにある、圏央道入間インター



ここでは地下道が設けられています。病み上がりの身にとって、日陰を進めるのは嬉しいことです。
自転車通行帯もあり、スムーズに通過することができました。
入間インターを通過すると、左側に三井アウトレットパーク入間があります。


入間インターから約1km、宮寺交差点付近。



三井アウトレットパーク入間を過ぎたあたりから続く下り坂、その途中に60kmのキロポストが立っています。



その先には久々の雑草地帯。せっかくの下り坂なのに減速させられてしまいます。
ですが前方を見やると、



たぶん富士山と思われる成層型の山が、形の整った傘をかぶっておりました。


この下り坂以降は、目立ったアップダウンもなく、



ついに東京都に入りました。





大宮バイパスの仕打ち~大宮から川越へ

2014-10-02 | チャリ旅


2 0 1 4 年 8 月 1 5 日 ( 金 )

さ い た ま 市 大 宮 区



時刻は何時だったか忘れましたが、ともかく起床。
男の部屋に客が一気に集まったときによくあるシングルベッドのダブル利用でベッドに寝ていたのですが、なんともよく眠れませんでした。
窓際に寄り付くように寝ていた私に、ブラインドの隙間から太陽光線が差し込んできたからです。
朝だというのに、エアコンつけっ放しだったのに、暑い。

走行距離100km超を進んできた私の体から疲れはなかなかとれず、出発する気力が出ないまま、なんとなく時を過ごしてしまいます。


自宅で立てた計画では、この日の早朝に出発して、武蔵国一ノ宮・氷川神社を詣でて旅の無事を祈願するはずでしたが、
「まあ、いいか」
計画を変えてしまいます。

その後も出発時間を1時間後、また1時間後に繰り延べて、とうとう夏の太陽がその力を出そうかという時刻になってしまいました。




午 前 1 0 時 3 5 分

2 日 め の 走 行 開 始


大宮駅付近から出発した私は、本日の目的地・横浜からは逆方向の北へと進路をとります。

大宮から南に進路をとれば、国道17号・中山道、国道15号・第一京浜を経由してだいたい60kmほどの距離ですが、今回は「国道16号完全走破」の旅。
まずは前日の終着地点である吉野町インターへわざわざ戻ります。



そして国道16号線でぐる~っと回って横浜へ。
2日めの終着地点は、横浜市内の吉野町、国道16号と鎌倉街道が分岐する地点となります。
吉野町から吉野町へ。なんという偶然の一致でしょうか。


天気は快晴。朝から暑いです。
JR宮原駅付近にある吉野町インターに着きました。



「この歩道はこの先通り抜け出来ません。・・・」
中山道に立っている国道事務所の看板です。



前日にチラ見してなんとなく予感していました。
それにしても2日連続で出発地は国道を通れないという展開です。
仕方がないので、立て看板に従いつつ、脇道を探すことにします。



どうやら国道らしい大ガードです。
描かれている絵は、おそらく西洋のお城をイメージしたものなのでしょうが、屋根の形がなんだか和風な感じがします(^_^;)
この大ガードをくぐらず、左に曲がって脇道へ。



家のそばを通る私道のような脇道。その先には・・・



恐るべき地を這う大蛇のごときJR高崎線
か細き脇道はここで途切れています。
高崎線を越えようとしますが、周囲に踏切は見当たりません。



歩道橋はあるのですが・・・ご覧のとおり自転車通行帯がない!!
考えられる手段はもちろん自転車を担いで突破の一手のみ。



高崎線を越えたところで、自転車はようやく国道16号の走行を許されます。


この日最初のキロポスト。



国道16号は、吉野町インターから約3kmの間は国道17号と重複していて、新大宮バイパスと呼ばれます。



距離を表示する青看も、16号と17号の併記となっています。
「東京 36km」「池袋 28km」とありますが、池袋は東京じゃないのでしょうか?
国道17号は日本橋を起点としているのだから、素直に「日本橋 36km」と表示すればいいのに。



国道16号と17号の分岐点・宮前インターです。新大宮バイパスはここまでとなります。
これまた自転車にとってはしちめんどくさいところです。
このまま進むと国道17号に入ってしまいそうだったので、歩道橋で反対側へ渡ります。



ここの歩道橋も自転車に冷たい歩道橋です。
自転車通行帯のまぁ~細いこと。中央の階段の不可解さ。
埼玉は歩道橋を通るたびに私の怒りゲージが上がってきそうです。



歩道橋を渡ると、インターチェンジの脇道による丁字路にたどり着きました。
国道16号の方向を意識して左に曲がったところ・・・



迷うことなく国道16号に入ることができました。
青看には、この日の中間地点・八王子が初めて登場。



時刻は正午前で「八王子 46km」です。
宮前インターから川越市内までは西大宮バイパスという呼称がついています。



スポーツ強化推進で有名な埼玉栄高校の前を通ります。
この日は豪栄道関が大関に昇進したことを祝う垂れ幕が掛かっていました。

(それにしても「豪栄道」が一発変換できるのを初めて知りました。著名な力士の四股名は一発変換できるようです)

埼玉栄高校のあたりから、西大宮バイパスは高架の上を進みます。
自転車は下の脇道を通ることになりますが、千葉とは違いアップダウンがほぼ皆無なのでとても通りやすかったです。

脇道を進むことおよそ2km。



埼玉恒例・自転車に冷たい歩道橋で16号に合流しなければなりません。
今回の歩道橋はカーブがかかっているので、自転車脱輪のリスクが高いです。
歩道橋で脱輪して階段の角にタイヤが当たり、自転車がパンクした経験がある私は、当然慎重に進めていきます。

ここ宝来インターは、国道16号と埼玉県道2号、そしてサイクリングロードが交差するので注意しないと道を失います。
こういった立体交差の箇所では、たいていの場合自転車への案内看板がありません。



ふたたび国道16号に合流。




午 後 1 2 時 0 9 分

川 越 市 へ




1キロ近い長さを誇る上江橋
川を渡る前に川越市に入ります。

この橋は一挙に川を2本渡ります。
一本目は荒川、二本目は入間川です。



渡河したところで、自転車は脇道に下りることになります。


脇道から合流。



川越市内の国道16号はこんな様子です。



横浜の高島町まではあと80kmです。



80kmのキロポストからほどなくして「大衆食堂 半田屋」が現れます。
元仙台市民の私はなつかしさのあまり、吸い込まれるように入店してしまいました。



「半田屋」でがっつり食らった私は、この日最初の寄り道である小江戸川越の街並みへ向かいます。



小仙波(中)交差点・・・の青看だけ。
小江戸川越の街並みへは、ここで16号を外れるのが一番近いのですが、「16号をなるべく進む」という制約のためもう少し進みます。
なお、ここは県道の平面交差とともに国道254号の高架が頭上を通っており、ここから少しの間は国道254号との重複区間となります。



国道16号と国道254号のおにぎり。



1.5kmほどで重複区間は終わり、新宿町(北)交差点で国道254号とお別れ。
こちらの国道254号は川越街道という名がついていて、この道をまっすぐ行けば池袋に着きます・・・が、ここの青看は「池袋」ではなく「東京」になっています。

そして新宿町(北)交差点は、まさに東武東上線JR川越線の跨線橋のところにあるので、川越の街並みに通じる道は「右折禁止」になっています。
ただそれは自動車の制約であって、自転車には関係ないこと。

私はここを右折して、川越の街並みへと向かっていきました。




夜の国道16号~大宮到着

2014-09-19 | チャリ旅


2 0 1 4 年 8 月 1 4 日 ( 木 )

午 後 4 時 5 9 分

埼 玉 県 春 日 部 市

東 武 野 田 線 豊 春 駅 付 近



岩槻の慈恩寺で旅の無事を祈願し、国道16号線に戻ってきました。
豊春駅入口交差点から、ふたたび進路を西にとります。


埼玉県に入って降り始めた雨は、慈恩寺の御利益なのか、このときはすっかり止んでいました。
「埼玉地図問題」、埼玉県の「ライトマップル」がないという問題はまだ解決されていません。




午 後 5 時 0 7 分

さ い た ま 市 へ 入 る




ついに本日の目的地・さいたま市に入りました。
といっても目的地は大宮区。こちらはまだ岩槻区です。



岩槻は「人形のまち」と言われています。
ひな人形や五月人形など、日本人形の生産が日本一なのだそうです。

当初の計画では、この青看にある岩槻城址公園に寄り道して、公園近くのラーメン屋で「トーフラーメン」なるものを食べる予定でしたが、時間が押しているのでそのまま進みます。



青看に「狭山」が初登場。
さいたま市内なのに、いまだに「さいたま」の表示が・・・。
国道16号の通らない浦和(さいたま市役所の所在地)までの距離にはまったく興味がないのですが・・・。
それとも岩槻はさいたまにあらずなのでしょうか。

この青看を撮影した直後、またも遊びのない雨が降ってきたのです!



レインコートを買ったにもかかわらず、カッパなんて着るのは面倒だと思った私は、ためらわず近くにあったジョナサンに避難しました。
ここの店員さんはなかなか可愛いかったです(#^.^#)




午 後 7 時 3 0 分

旅 を 再 開




あたりはすっかり暗くなってしまいました。
これ以上滞在すると、鬼ヅモ大会への参加に支障が出るので、意を決して外へ。
幸いにして雨はすっかり止み、この日は今後雨が降ることはありませんでした。

(この日の午後9時に、大宮駅近辺に会員が集まるということだったので、その時刻に大宮駅に着く必要がありました。詳しくは第63回鬼ヅモ同好会麻雀大会顛末記へ。)


岩槻のジョナサンから1kmもしないところで、



横浜の高島町まであと100kmのキロポストがありました。
それよりも大宮まで8kmというのが励みになりました。


100kmのキロポストからだいたい1km。



国道122号との交差点である加倉交差点に差しかかりました。
ですが自転車はあさっての方向へと運ばれる気配・・・。



あっさりと16号に復帰できましたが・・・この通路の仕打ちもなかなかです。
階段の両サイドにある自転車用の通行帯が細い。
それ以上に自転車を阻むかのごとき車止め。
自転車を持ち上げなければ越えることはできません。


埼玉県も、自転車への仕打ちがひどいです。




高速道路のインターチェンジ沿いによくある妖しいネオン。

 

東北自動車道岩槻インターです。
ここは歩道橋を使うことなく、横断歩道で通過することができます。


岩槻インターを通過して直後の大きな交差点、宮ヶ谷塔交差点です。



青看には左折で「大宮」。
本日の目的地・大宮駅付近に行くには、ここを曲がるのが一番の近道です・・・が、
「なるべく国道16号を通っていく」という制約のため、このまま直進します。
直進方向の「池袋」というのが、私にとってはツボに入りました。



この交差点を渡った先は、歩道が草に覆われて通れません
常磐道・柏インターと双璧をなす最凶の雑草地帯が始まります。
ここは仕方がないので、危険と知りながらも車道の側道を強行突破します。



宮ヶ谷塔交差点を通過して直後の青看。
17号のおにぎりマークとともに「池袋」が登場。
千葉の東京依存症よろしく埼玉の池袋依存症の一端を見ることができます。



宮ヶ谷塔交差点からはどうやら跨線橋になっているようです。
そして草だらけの歩道ではない脇道があったようですが、このまま危険な側道を走りました。

この跨線橋がまたぐのは東武野田線です。
東武アーバンパークラインだと?! 認められんなぁ、そんなわけのわからん名前など。
ついでに東武スカイツリーラインなどというたわけた名前も認めぬぞぉ~、おぬしは東武伊勢崎線なのじゃ!!

東武野田線の跨線橋を渡り、下り坂が終わるところで、



側道にはみ出る草!

歩道に戻れそうなところで、側道から歩道に復帰して、



安堵したところの草!
夜の雑草はどんな生物がいるかわからないので、より精神に堪えます(T_T)


最凶の雑草ゾーン・宮ヶ谷塔から3kmほど進みました。



池袋まで39km、川越まで19km、大宮までの距離はわからず。
このあたりの青看は、国道17号に出会うまでやたらと池袋推しをしてきます。
ちなみに池袋に行くには、接続先の国道17号(新大宮バイパス)から道なりに続く国道254号に進む必要があります。




午 後 8 時 0 5 分

埼 玉 県 上 尾 市


「池袋推し」の青看から100メートルほど、



国道16号は少しだけ上尾市をかすめます。
上尾に入った途端に上り坂・・・JR宇都宮線の跨線橋です。



宇都宮線を越えると、車道は上に行ってしまい、歩道は下におりろといいます。
千葉市内でさんざん苦汁をなめたこのパターンの再来です。
しかもこの歩道橋、自転車通行路が2本に分かれていて、中央はなぜかほっそ~い階段。
そのため自転車通行路は、幅がだいたい20cmほどです。注意しないと道を踏み外して階段に当たってしまいます。
(私はかつてそれが原因でパンクをしたことがあるので、かなり気を遣いました)
通行路を上下2本に分ける必要はわかりますよ、でもどうして中央に階段をつける必要があるんだ!!

寂しい夜の道で、私はひとり憤慨します。

少し進んで、国道16号の車道が下り坂になっているのが見えました。



自転車はまた上り坂か・・・とうんざりしつつも脇道を上っていきます。



まさかの行き止まりです!
この脇道もかなり草っぽかったので、精神的なダメージを受けました。

後戻りしながら。私はひとり憤慨していました。

紆余曲折の末、歩道と車道が一緒になった・・・と思ったら、またも車道がどこかに行ってしまいます。



しかし今度は自転車にやさしい地下立体交差、車道だけが地下に潜るというパターンです。



「あげおし・はらいち」です。お笑いコンビ・ハライチのふたりはこのあたりの出身だそうです。
千葉県民はついつい「あげお・いちはらし」と読んでしまいがち?
それにしてもこの「はらいち」が妙に頭に残り、先ほど憤慨しまくっていた陸橋のワナも「ハライチのワナ」だと思い込んでいましたが、実際は原市地区ではありませんでした。




午 後 8 時 2 3 分

再 び さ い た ま 市 へ


車道が地下から復帰し、小さな川を渡ると、再びさいたま市へ。



ここの市境標はなぜかさいたま市章がありません。
おそらく旧大宮市の市境標を上塗りして使っているのでしょう。

市境からすぐに見える東北新幹線の高架橋、その高架橋の両側を通る埼玉新都市交通伊奈線(ニューシャトル)吉野原駅を通過。



この日最後の青看。
と言っても青看から大宮までの距離はわからず、埼玉県の「ライトマップル」もなかったので、



この日のゴールと定めていた吉野町インターがあっけなくやって来た、という印象を受けました。

国道16号はここからしばらくの間、国道17号・新大宮バイパスとの重複区間になります。



暗くてかなり見えにくいですが、吉野町インター分岐点の青看です。
ここで新旧の国道17号線が分かれます。
大宮駅方面へ向かうのは中山道の国道17号、池袋方面へ向かうのは新大宮バイパスの国道17号です。
国道16号は新大宮バイパスの国道17号と重複します。



新大宮バイパスへ向かうルートは、栄光へのゲートといわんばかりに桃色の電飾が施されていました。
このゲートの先は池袋、妖しいネオンがきらめく大都会です。



自転車は妖しげなゲートを通ることができないので、そのまま中山道へ。
いちおう「原付東日本縦断ラリー」でどうでしょう班が通ったというれっきとした道路です。
なのに主要道とは思えないほど暗いです。

当初は中山道を南下していこうと思ったのですが、あまりにも暗いので、早急に別ルートへ曲がりました。



午後8時50分ごろ、無事に大宮駅東口付近に到着。

そして午後9時10分ごろ、鬼ヅモ会員とセヴンイレヴンで合流。
そのセヴンでついに埼玉県の「ライトマップル」を買うことができました。



国道16号の旅、第1日目が終了。
そして第63回鬼ヅモ同好会麻雀大会が開幕します。



◆大宮で鬼ヅモ麻雀大会に参加 ⇒ 「第63回鬼ヅモ同好会麻雀大会顛末記」第1話へ。

◆国道16号の旅・2日めに進む ⇒ ママチャリの旅「国道16号完全走破」第8話へ続く。